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 ――なんだ、あれは……。

 ザシャによる魔法で、再び見知らぬ建物に転移させられたレオンは、目の前を優雅に歩く男の背を複雑な気持ちで見つめていた。

 自国内では見られない、白雪のような髪を持つ青年は、行く手を指さし、説明する。

「こちらは蓮の宮という建物になり、殿下には最上階の三階をお使い頂きます。お連れの皆様は、二階の各部屋となりますので、お好きな部屋をお使いください。全ての部屋はおもてなしの準備を終えております。お部屋からは蓮池がご覧いただけますから、長旅の疲れを癒して頂けるかと……」

 話し口調は麗しいとさえ感じるその男は、ニーナのいとこだという。

 レオンは、クレーメンス王と謁見している間に見た光景が、目に焼きついて、感情の抑制に精神を削っていた。

 久しぶりに会った恋人は、信じられぬほど大人びた雰囲気に様変わりし、レオンは驚きを隠すので精一杯だった。

 レーゲン王国内ではありえない、薄絹に身を包んだ彼女は、しかし淫らな雰囲気はなく、いっそ清らかに見えた。

 衣服の隙間から覗く肩は白く、肌は滑らか。

 全身を包んだ光沢ある布は、彼女の小さな動き一つに光を反射し、その光は更に彼女の髪を煌めかせる。

 レオンに向かって微笑んだ表情は、かつてないほど穏やかで、大人びた艶があった。首を垂れる仕草は流麗で雅であり、視線には色っぽさまであったのだ。

 レオンは本能的に、彼女を捕らえ、問い正したい衝動を覚えた。

 ――誰が君を変えた、と。

 しかし問うまでもなく、レオンは彼女を変えた男を悟った。

 ニーナの隣に立っていた、ザシャだ。

 彼はまるで我が物のように彼女の髪に触れ、顔を覗き込み、笑いかける。

 彼を見返すニーナの瞳にも、怯えはなく、ザシャに信頼を置いているのがよくわかった。

 レオンと話す時でさえ、ニーナの瞳にはいつも、微かな不安が残っていたというのに、ザシャに対するそれには何もない。

 胸が嫉妬で熱く燃えたぎり、レオンはクレーメンスと会話をしながらも、ちらちらとニーナを窺うのをやめられなかった。

 ザシャが何か言うと、ニーナは瞳を潤ませて俯く。いかにも睦まじげに顔を覗き込むザシャの態度に我慢ができず、レオンはわざと剣を床に打ちつけ、二人の邪魔をした。

 ザシャに顔を覗き込まれていたニーナはびくっとし、こちらを見てほっと息を吐く。彼女は、レオンの苛立ちに気づいていない様子だった。

 けれどこちらを振り返ったザシャと目を合わせたレオンは、内心、舌打ちする。

 ザシャは、これ見よがしに笑んでみせたのだ。いかにも、勝機は己にあるとでも言いたげな笑みだった。

 レオンはこの時になってやっと、己とニーナの置かれた状況に気づいた。

 ネーベル王国に移ってしまえば、彼女を取り巻く環境は百八十度変わるのだ。

 レーゲン王国では、どんなに彼女が美しくとも、髪の色があだとなり、近づこうとする者は極少数だった。

 しかしネーベル王国内では、彼女の髪は異質でもなんでもない。皆と変わらぬ普通の髪色で、そうなると、彼女はただ美しく聡明な、多くの男が理想とする少女になってしまうのだ。

 ――奪われる。

 レオンはそんな焦りを感じ、王宮の案内はニーナにして欲しいと、クレーメンス王に願い出た。

 一刻も早く、彼女と話がしたかったのだ。守りきれなかったことへの謝罪と、彼女への変わらぬ想いを告げたかった。

 しかしクレーメンスは、きっぱりとそれを断り、更に想像もしていなかった言葉を吐いた。

 クレーメンスは、ニーナが自身の弟の娘だと言ったのだ。

 ネーベル王国からの返信を受け取った時、レオンは不思議に感じていた。

 ニーナの所在と、もしもいるならば対面を求める、と綴った書簡に対し、かの国は、ニーナは王宮で過ごしており、対面は許可すると返してきたのだ。

 連れ去られたニーナがなぜ王宮にいるのか、レオンには全く理由がわからなかった。けれどとにかく彼女の元へ、と強行軍で隣国へ出向いたのである。

 その理由が、これか――と、衝撃を受けつつ、一方で納得した。

 ニーナは、隣国においては王弟の娘であり、だからこそ彼女の求めに応じてネーベル王国から迎えが来たのだ。そして国に戻った彼女は、恐らく――ザシャの眼鏡に適ってしまっている。

 レオンがニーナと婚約していると知りながら、目前で堂々と彼女の髪に触れる態度。喧嘩を売っているのか、と胸の内で罵っていたが、正真正銘、あれはレオンに宣戦布告をしていたのである。

 ――ニーナは私が貰う。

 レオンの妨害に気づき、にやっと笑った彼の表情は、そう語っていた。

 護衛らがそれぞれ二階の部屋に移り、最後に三階に案内されたレオンは、ザシャを見つめる。

「こちらが、レオン殿下のお部屋です。どうです、美しいでしょう?」

 そう言って示された部屋は、薄布の天蓋が垂れ下がるベッドと、重厚な色合いの家具が並んでいた。

 大きな窓の向こうには、蓮の花が咲き綻ぶ美しい湖が望め、風も瑞々しく、心地よい。

 最後まで護衛についていたハンネスと、付き従うと言って聞かなかったカールが、背後でほお、と感嘆の声を上げた。

 こちらを振り返ったザシャが、艶やかに微笑んだ。

「ニーナが最初に滞在した部屋も、こちらでした。今は別の塔に部屋を与えておりますが」

「……そうですか。彼女は、変わりなく?」

 健康状態を問うと、ザシャは当然の顔で頷いた。

「ええ。こちらへ来た当初は、魔力の使い方もわからず、怯えた目をしておりましたが、数日もすればここが安全だと理解したのでしょう。最近は心から微笑むようにもなり、食欲もある。私と魔法の練習をしておりますと、時折失敗して唇を尖らせたりもして……。実に無邪気で、可愛らしい……。貴国での彼女は、いかがでしたか?」

「――」

 レオンは咄嗟に、何も答えられない。レーゲン王国での彼女は、必死に学び、人目を気にして、常に緊張した様子だった。

「……ニーナ嬢には、魔力がおありだったのですか……?」

 ハンネスが、ぼそりと尋ねる。ザシャは優美に微笑み、頷いた。

「ええ。彼女はお母上が唯人だったため、魔力の成長に時間がかかったようですね……。今では魔力のコントロールも、上達しておりますよ」

 喜ばしいことだ、と微笑んだ彼は、ハンネスが顔を歪めたのを目に留め、眉を上げる。

「……ああ。貴殿らにとっては、よくない報せでしたか? もしや、魔力のない娘を望まれているので?」

「いや……」

 レオンは否定しようとしたが、ザシャは気にせず明るい笑みを浮かべた。

「もしもそうなら、大変ありがたい」

 その一言に、レオンは真顔になる。

「……どういう、意味だろうか」

 睨む直前の眼差しで問うも、ザシャは欠片も堪えていない調子で応じる。

「彼女は大層可愛らしいので、私の妻に、と考えているのです。貴殿らがニーナを望まぬのなら、早々に婚約を解消して頂きたい」

「…………」

 レオンは真顔になり、背後の二人は背筋を緊張させた。

 これほど正面切って婚約解消を望まれるとは、二人とも考えていなかったのだろう。

 レオンもそれに漏れなかったが、驚きを堪え、感情を隠して冷静に尋ね返す。

「……彼女も、それを望んでいるのだろうか?」

 ザシャは面白そうに瞳を輝かせた。

「さて……今はまだ、なんとも……。しかし彼女が望めば、許していただけると……?」

 まるでニーナは婚約解消を望むはず、と考えている物言いだ。

 七歳で彼女に出会い、九歳で告白され、以降ずっと恋人として過ごしてきたレオンは、至極当然の顔で頷いた。

「……彼女がそう望むならば、考える。しかし、彼女と二人きりで対話ができるまでは、婚約の解消はあり得ぬとご理解ください、ザシャ殿。彼女は人前では、本音を言わぬ」

 ――たとえ人目がなくとも、本音を言わぬほうが多いが……。

 ベルクマン侯爵からの仕打ちを、決して口にしなかった彼女の口の堅さは、レオン自身、嫌になるほど知っていた。それでも二人きりになれば、彼女の気持ちはわかるのだ。態度や瞳で、辛さや悲しさが、反対にレオンへの恋心や、甘えたい気持ちが、感じられる。

 ニーナと長年連れ添ってきたからこそ、彼女の気持ちを推し量れるようになっていたレオンは、彼女のために、その本音を知りたいと考えていた。

 ザシャはくすっと笑い声を漏らす。

「別れ話は、二人きりがよいと……」

 しれっと別れるものと決めつけられ、レオンは苛立つ。

 ――誰も別れるなどとは言っておらん!

 しかし内心とは裏腹に、彼は淡々と言い返した。

「違う。私は彼女の気持ちを聞き、判断したいのだ」

 ザシャはレオンをじっと見つめ、呟く。

「……嫌だな……。君はどうにも、押しが強そうだから」

 独り言とも、対話とも取れる声で、レオンは生真面目に問い返した。

「……聞こえているのだが、返答をすればよいのか?」

「別に返答は求めていませんよ……」

 目を見てはっきり言い返され、レオンはつい、眉を顰めた。あまりにも小馬鹿にした態度が、目に余る。

「……そうか。ではこれは独り言と取って頂いて構わないが、押しは強い方だ。貴殿は欲しい女を前にして、尻込みするのか?」

 男ならば、正々堂々、押していくのが筋であろう。

 言外にそう言うと、ザシャは瞬き、しばしレオンを見つめて、ふっと笑った。

「……ふうん。王族らしい、傲慢さだね」

 ――王族と言うよりも、男としてそれくらい当然だろう。それに、貴殿も十分に傲慢さを兼ね備えているように感じる。

 胸の内で本音を零し、レオンは念のため、説明を加えておく。

「もちろん、無理強いはしないつもりだ」

「そうだね……。無理強いなんてしたら、僕は君を殺してしまいそうだから、気をつけて……」

 宣戦布告に飽き足らず、殺害予告までされ、レオンは呆れ半分に失笑した。

「貴殿は、王族とは思えぬ自由な口ぶりだな」

 ――言動の一つ一つに気を遣い、深く考えてから口を開く自分とは、大違いだ。

 一抹の妬ましさを覚えて言うと、ザシャはふふっと笑い、こちらに向かってくる。

「そう……。この国はね、皆大らかだから、些細なことで喧嘩をしたりはしないんだよ。ましてや、少々髪の色が違うくらいでは、誰もなんとも思わない。貴方の国とは違って……」

 ザシャは呟きながら、レオンの脇を通り抜けた。目で追うと、彼は横目にレオンを見て、口角を上げる。

「……王宮の案内は、別の者にさせましょう。どうも貴方と僕は、気が合わないようだから……」

 歯に衣着せぬ物言いに引きずられ、レオンもぽろっと返していた。

「それは奇遇だな。俺も貴殿は、少々苦手だ」

 普段なら、国家間の関係に影響を及ぼす発言はしない。しかし正面切ってニーナを奪うつもりだと宣言され、レオンは知らず知らず、気が立っていたらしかった。

 言ってから、しまった、と思ったが、ザシャは気持ちのよい笑い声を立てる。

「素直でいいと思うよ、レオン殿下……。それではね」

 そのまま、廊下を歩み去って行く後ろ姿を、レオンは無言で見送った。

 ザシャの姿が消えた頃、ハンネスとカールが、それぞれに口を開く。

「……礼儀のなっていない王太子だ」

「実に、自由そうなお国ですねえ……」

 ――確かに、自由気ままそうだ。

 自国よりもずっと長閑な雰囲気の王宮に、肩の力を抜きかけたレオンは、首を振った。

 ――気を抜くな。ここは他国だ。何が起こるかわからない。

 自身を戒め、窓の外に目を向ける。レオンの目が見ているのは、景色のその向こう――前世の記憶だった。


 レオンはこれまで六度も、心臓を貫かれ、息絶えた恋人を腕に抱いた。そしてその数週間後には、自らも命を奪われる運命を繰り返している。

 ――今世こそは、彼女を幸福にしたかった。

 彼女が心から安堵する場所を与え、できれば――自分と家族になって欲しいのだ。

 けれど、とレオンは拳を握る。

 この地に来て、事態は混沌を深めた。神を自称するギードだけでなく、隣国王太子のザシャまでもが、ニーナを欲しいと言う。

 彼女を取り巻く環境は落ち着かず、レオンは焦りを抑えるのに手一杯だった。

 もうそろそろ――時間がなくなるというのに。

 ニーナは、必ず十七歳で命を取られてきたのだ。同じ命運を眺めるのに飽いた、とギードが言うからには、今世も彼女が十七歳で命を失う可能性は限りなく高い。

 運命を変えるには、ここからが正念場だった。

 ――もう決して、ニーナの死を見たくはない。

 レオンは背後を振り返る。

 呼んでもいないのに、傍をうろつくようになったギードの姿はない。

 彼は、王宮内へ転移した時には、姿をくらましていた。

 ――神に、隣国王太子に、自分。

 ニーナが本心から望むのは、一体誰なのだろう。

 レオンは我知らず、唇から切ないため息を零していた。

 異国の地で、急に雰囲気が変わってしまった――もとい、より美しくなってしまった恋人を見て、彼は不安を覚えている。

 ザシャには、欲しい女には押していって当然だと啖呵を切ったが、今は、そう強く出れるか、微妙な心地だった。

 これまでは、多少乱暴に唇を塞いだりしてきたが――。

 ――強引にして、『レオンなんて嫌い』とか言われたら、嫌だし。

 今世のニーナは、二回も彼女から婚約を解消したいと訴えているのだ。

 前世では、一度も聞かなかった言葉だった。

 今世の彼女は、これまでと少し違う。

 必死に、自分の手から逃れようともがいているように見え、レオンは意気消沈気味だった。

 ――もう俺なんか好きじゃない、なんて言われたら……どうしたらいいんだ? ……別れたくはないが……別れないといけないのかな。

 レオンはまた、ため息を吐く。

 誰の前でもそつなく振る舞い、ニーナには余裕ある年上の恋人という顔をしていた彼も、実のところは情けなく不安にもなる、普通の恋する青少年なのだった。



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