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 ――いつもいつも、記憶が蘇るのは、婚約をしてからだ。

 レーゲン王国の王都・モーントの北山にそびえる王宮は、普段と変わらぬ静謐な空気に包まれていた。

 使用人たちは無駄のない足取りで王宮内を行き来し、各所に配された衛兵らも、穏やかな眼差しで辺りを見回している。

 昨日、神と自称する男が来訪したとは思えぬ、正常な日常の光景に、王宮の中央・北奥にある私室で控えていたレオンは、機嫌悪く眉を顰めた。

 彼の頭を満たしているのは、抗えぬ運命への嫌悪感である。

 ――前回の人生でも、俺は失敗した……。

 レオンは窓に背を向け、そのまま窓枠に凭れかかった。

 脳裏をよぎるのは、未来見と称した男・ギードと出会った夜の出来事だ。

 アメリアとのファーストダンスを終え、会場にニーナがいないと気づいたレオンは、誰にもそれと告げず彼女を探していた。

 軽く会場近くの庭園を探してもいなかったため、念のため帯剣して探す範囲を広げたところ、彼女は人気のない西宮の庭園で、見知らぬ男と抱き合っていたのだ。

 ――俺の婚約者に触れるな。

 一瞬で嫉妬に駆られたレオンは、その一念で剣を抜く。しかしその見知らぬ男は飄々と笑ってニーナから手を離し、小ばかにした調子で自分は未来見だと自己紹介した。

 空に浮かび上がり、忽然と姿を消してしまったからには、確かに魔力を持つ隣国の魔法使いなのだろう。だがレオンにとってそれは、些末なことだった。

 大切な婚約者が、一人で庭園をうろついていたことの方が、気に入らなかったのである。

 ――あの男が暴漢だったらどうする。なぜ誰にも告げずに外に出た。あの男にキスを許していたのはどうしてだ。

 国一番とも謳われる聡明な彼女なら、己の振る舞いがいかに危険かわかるはずだ。なのにあえて一人で危ない目に遭おうとしたのか――?

 そんな苛立ちを隠しきれず、レオンは彼女に一人でうろついた理由を聞いた。

 彼女はレオンの表情に怯えつつも、アメリアとのダンスを邪魔したくなかったのだと答える。

 確かに、愛娘のファーストダンスの最中にベルクマン侯爵などに声をかけたりしたら、叱責されかねないな、と理解し、レオンは頷いた。けれどその反応を見た彼女は、僅かな不快を顔にのせ、“アメリアの方がいいなら、そう言って”と言い出す。

 わけがわからなかった。

 ――いつアメリアがいいなどと言った? 俺が結婚したいのは、君一人だ。

 そう考えながら意味を問うと、彼女は震える声で、レオンを好きでいるのをやめると言い出し、婚約の解消を申し入れようとしたのである。

 レオンは一気に全身から血の気を失い、彼女を落ち着かせようと試みた。だが、恋人から離別を申し入れられたレオン自身もかなり動揺しており、彼女の話の途中で、乱暴に唇を塞いでいた。

 ――頼む。そんな話はしないでくれ。俺が求めているのは、君以外にいない。結婚したいのは、君一人なんだ――。

 幼少期より彼女に心を奪われ、手放す気など欠片もなかったレオンは、強引にも口づけで彼女を黙らせてしまう。

 口づけを始めてしまえば、彼女の反応は未熟で愛らしく、時折喉から漏れる艶っぽい声には煽られた。気づけば、雨が降り出してもその柔らかな唇を貪り続け、やがでニーナがぐったりするまで、レオンは彼女の口内を犯してしまっていた。

 その後、レオンは雨に濡れたニーナのドレスを着替えさせ、自ら彼女をベルクマン侯爵家まで送り届け――帰り道、馬車の中に猫が乗っているのに気づいたのだ。

 雪原を彷彿とさせる体毛に、金色の瞳を持つその雌猫は、ニーナの愛猫・シュネーだった。

『シュネー……なぜついてきたんだ』

 話しかけた声は酷く沈んでおり、膝に飛び乗ったシュネーを撫でながら、レオンは眉根を寄せる。

 彼女が王宮の客室で着替えている間、レオンは、もういっそあの家には帰したくないと思っていた。

 本人は決して訴えないものの、あの家で、彼女がどんなに過酷な時間を過ごしているかは想像できている。

 幼少期、ベルクマン侯爵家で、人目につかぬよう軟禁されていた彼女を見つけたのは、レオンだ。

 ベルクマン侯爵家で開かれていた夏の夜の宴に参加していたレオンは、人いきれで火照った頬を冷まそうと散策していた。人気のない館の周囲を歩いていた彼は、月が明るくて、何気なく視線を上げた。宴の参加客やベルクマン侯爵家の人間は皆、離れにある宴会場におり、館に人の気配は全くない。しかし彼の視界の端に、窓から外を眺めている少女が映り込んだのだ。

 あの頃、彼女は二階にある部屋からの外出すら許されていなかった。人に会うことも禁じられ、初めてレオンと顔を合わせた日、彼女が怯えながら懇願したセリフは、今も記憶に鮮明である。

『お、お願い……! 私に会ったことは、内緒にして! 私、打たれるの怖い……っ』

 当時九歳だったレオンは、彼女が宴に参加しない理由も、他の参加者が誰も彼女について知らない理由も、わからなかった。

 王宮に帰って父にその話をしたら、父の近衛についていた兵の一人が、たまたま彼女の両親の事故処理に立ち会ったと教えてくれたのだ。

 彼女の髪が特別な色だということ。ベルクマン侯爵は彼女を厭うていること。一歳年下のアメリアとは雲泥の差の扱いをしていること。

 差別意識のない両親の元で育ったレオンは、その扱いを理不尽に思った。そして、父と相談して、どうやったらうまく彼女を普通のご令嬢と変わらない立場に出来るのか、少しずつ口を出していったのだ。

 ニーナと会ってみたい。ニーナがアメリアより痩せているのはなぜ? ニーナは知識が少ないようだけれど、王家から家庭教師を派遣しようか?

 子供だからこそできる、無邪気を装った提案に、ベルクマン侯爵は一つ一つ折れていく。

 ニーナを部屋から出られるようにし、食事の回数を増やし、家庭教師もつけさせられた。

 彼女はみるみる聡明で愛らしい少女になり、あっという間にレオンの心も虜にする。

『大好きよ、レオン』

 ベルクマン侯爵家で、他家の子女たちと共にかくれんぼをしていた折、彼女は屈託のない笑顔を浮かべて告白してくれた。

 少し赤く染まった頬に、潤んだ瞳。綺麗な青い髪が風に揺れて、レオンは完全に彼女に落ちた。

 彼女しかいない、と思った。

 自分の妻となるのは、彼女だ。そう確信したけれど、王太子である彼は、告白に応じられない。

 彼は、自らの結婚が、政情に関わるとよく理解した、誰よりも冷静で聡明な少年だった。

 これからの国の情勢によっては、レオンの結婚は政略的に動かされる可能性があり、安易に自分も好きだとは応じられなかったのだ。

 彼女を自分のものにしたい。そう思っても明確な返事はできず、でも彼女を他の令息に取られるのは嫌で、レオンは彼女の唇を奪っていた。

 キスをされた彼女の反応は、とても可愛かった。顔を真っ赤にして口を押え、でも嫌がる素振りは見せず、小さく笑う。

 その態度はレオンの恋情と独占欲を煽り、以降、彼は彼女と親密な触れ合いをするようになった。

 彼女が十三歳くらいになる頃からは、時折、庭園の木陰や、館裏など、人目がつく場所でも逢瀬を重ねるようになる。ニーナは人目を気にして拒もうとしたが、レオンはそんな彼女の唇を自らの唇で塞ぎ、快楽と共に黙らせた。

 狡い方法だとはわかっている。しかし、レオンはそうせざるを得なかったのだ。

 彼女は髪色こそ異質だが、それを置いても、予想を遥かに超えて美しく成長していた。少なくない他家の令息らが彼女を物欲しげに見る機会が増え、レオンは彼らを牽制する必要があったのである。

 そんな子供じみた真似までして独占し続けた彼女は、十六歳になって、国内のどの令嬢も及ばぬ、聡明で美しい少女に成長した。

 そうしてやっと、レオンは正式にニーナを手に入れる。

 政情は安定しており、レオンの結婚相手は彼が望む女性でよいと、父王の許しを得られたのだ。

 そしてレオンと婚約することで、ニーナはより人目につくようになった。



 国民の誰もがニーナの顔を知る現状、妖精の血を引く彼女は、その行動によっては、途端に不利になってしまう状況だった。

 レーゲン王国の民は、魔法を恐れている。

 彼女が魔法を使えたり、何か一つでも普通の人間と違う点を晒したら、終わりなのだ。

 ぎりぎりのラインで保たれている均衡は崩れ、皆が彼女を恐れるようになる。

 故にレオンは、ニーナを自らの妃にするため、周到に振る舞う必要があった。

 隣国民を恐れる者を無下にせず、さりとて彼らの意見が正しいともしない。

 自分たちと異なる者も受け入れ、先進的な発展を遂げようと、話し合いの席を何度も設け、慎重に動いてきた。強引に婚約を進め、彼らの反感を買って政敵を増やしては、すぐにニーナは婚約者から引きずり降ろされる。だから性急に動かず、遅いと感じられるくらいの速度で彼女との婚約を進め――中でもベルクマン侯爵には、大いに配慮した。内務大臣であり、最大派閥の筆頭である彼は、否定的な意見を述べる最大勢力で、レオンは一際、彼をないがしろにできなかった。

 婚約前から、このような緊迫した局面は想定できていた。それでもレオンは、彼女を望んだ。

 幼い頃から、自分だけに愛らしい笑顔を向け、慕い続けてくれた少女。

 ――愛している。

 彼女を瞳に映した時、レオンの心はその一言で満たされ、他にどんな表現も見当たらなかった。

 彼女を手中に収めるため、幼少期から着々と周囲を固めてきたレオンは、嘆息する。

 ギードが消えたあと、ニーナの言動に狼狽して、乱暴な口づけて彼女を黙らせたが、その後は冷静になれていると考えていた。

 しかし実際は、未だ狼狽(うろた)えているようだ。

 刺客などに備え、日々鍛錬をし、他人の気配には敏感なはずなのに、猫が馬車に入り込んだのにすら気づいていなかったのである。

 動揺している以外の、なんでもなかった。

 レオンは悄然と項垂れ、一人と一匹の馬車の中、小さく呟く。

『……彼女は、俺と結婚したくないのだろうか……』

 突然、婚約を解消する、と口走った時の彼女の表情が、忘れられない。彼女は常になく、冷たい横顔を見せていた。

 ――アメリアのファーストダンスを踊ったのが、気に入らなかったのか?

 レオンは、随分前に、ベルクマン侯爵からアメリアの社交界デビューについて、頼みごとをされていた。

 最初はエスコートを願われたのだが、彼が自分の娘をレオンの妻に臨んでいるのは周知の事実であったため、余計な憶測を呼ぶだろうと、丁重に断った。そうすると、次にファーストダンスの相手を、懇願されたのである。

 ニーナを婚約者にするという話を呑んだのだから、これくらいはお願いしたいと言うのだ。

 レオンがアメリアを妻にしない以上、娘の社交界デビューは誰よりも目を引かせ、よりよい夫と結ばれて欲しいと言われれば、レオンも承諾する以外なかった。

 アメリアには、既にレオンとの話がまとまらなかったという、ケチがついている。

 自身の恋路を優先した負い目があるレオンは、この約束を守る以外なかったのだ。

 ベルクマン親子を思い出し、レオンは眉を顰めた。

『……結婚など待たずに、彼女を王宮に留められたらいいのに……』

 レオンは儘ならない現状に、歯噛みする。

 本音を言えば、一刻も早く彼女と結婚し、この腕の中で守りたかった。だが、それは立場が許さず、彼は必死に、己の衝動を堪えているのだ。

 結婚もしていない状態では、王宮に留められないのである。

 そんな真似をすれば、品のない輩たちからあらぬ想像をされ、ニーナはレオンを誑かす淫らな女だと詮無い噂を流されるだろう。

 彼女は清廉潔白で、聡明な女性だが、周囲の目は厳しかった。

 青い髪を持っているというだけで、彼女は魔物だと心ない噂を立て続ける者も多く、レオンはこれ以上、彼女の名を穢したくないと強く考えている。

 ――俺もニーナも、身分のない一般市民であれば、駆け落ちでも何でもやってのけ、強引に彼女を手に入れるのに。

 レオンはそんな気持ちをひた隠し、他に術が見つからない恋人・ニーナへと思いを馳せた。

 同時にニーナに軽々しく触れていた、未来見だと自称した男を思い出し、レオンの臓腑がちりっと嫉妬に焦げる。

 ――俺の婚約者に、勝手に触れた挙句、“僕の可愛いお姫様”だとか抜かしおって……。そもそもニーナは、いつあいつと出会ったんだ? こめかみにキスされるほど、親密なのだろうか?

 そう疑問に思うも、あの男の腕から引っぺがし、自分の胸に抱き寄せた時、ニーナはほっとしていた。あの反応は、ニーナもあの男と左程親密ではないと言えるだろう。

 悶々と考えていたレオンは、ふう、と長いため息を吐いた。

 ――どちらにせよ、俺は浮気も婚約解消も受け入れる気はないがな。

 婚約者が本当は自分との結婚を望んでいないのではないか、と一抹の不安を覚えつつ、彼は猫を連れたまま王宮に戻ったのだった。

 シュネーは昔から時折レオンについて王宮に来ていたので、珍しい事態ではなく、ベルクマン侯爵家からは距離も開いていたため、返すのは後日にしようと判断したのだ。

 レオンはその夜、シュネーを枕元に座らせ、眠りにつこうとする。目を閉じようとしたところ、猫が真上からじいっと自分を見下ろしていた。

 シュネーは金色の瞳を決して逸らすことなく、レオンの瞳の奥を覗き込むように、延々視線を注ぎ続ける。

 ――なんだ?

 彼女の態度を不審に感じつつも、レオンは一日の疲れを隠せず、ゆっくりと目を閉じた。シュネーはその後、レオンの頭を抱き抱えるようにして、枕辺に横たわる。

 そして彼女の温かな体温を意識した途端に、彼は気絶するように深い眠りに落ちた。

 彼は、長い――とてつもなく長い、夢を見る。

 それは、夢という形を取って蘇った――前世の記憶。

 何度繰り返しても、必ず同じ結果になる、倦んだ人生の数々だった。

 目を覚ましたレオンは、恋人を失った痛みに顔を歪め、拳を握る。

『くそ……っ、なぜ俺は、いつの人生でも、ニーナを守り切れないんだ……っ』

 枕元にいたシュネーが、彼に呼応するように、静かに「なーお」と鳴いた。

 レオンは、いつの人生でもニーナに出会い、恋をする。彼女と結婚したい。そう一心に願っても、多くのしがらみが彼を取り巻いていた。

 佞臣に奸臣、勢力争いのために、自らの娘こそをレオンの妻にし、政を操らんと図る者たち。

 いつの人生でも王太子という立場だった彼は、精一杯、ニーナを守ろうとしたのだ。

 政権を手に入れたい臣下は、レオンの寵愛を受けるニーナを邪魔に感じ、刺客を放って彼女を排除しようとする。その動きを察知したレオンは毎度、身を裂く思いでニーナとの婚約を破棄した。

 佞臣らの牙がニーナに向かぬよう、彼女には興味がないと人前で声高に宣言し、彼らの娘を妻にすると約束したのだ。

 レオンは、たとえ妻が意に染まぬ政策を望む官吏の娘だろうと、自らの力で政を統治できる自信があった。恋こそ実らないが、王太子と生まれた以上、必要な政略だ。

 自分にそう言い聞かせて婚約破棄を断行しても、一途に自分を慕うニーナの姿は胸を裂いた。

 レオンは不貞などしていない。政策上に何らかの問題が生じたのだと信じてくれる、その聡明さが愛しく、そして悲しかった。

 ――俺だって、君が欲しい。愛しているのは君だけだ、ニーナ。

 喉元までせり上がった激情を押し殺すのは、想像を絶して苦しく、しかしレオンは、血反吐を吐く思いで、彼女を遠ざけた。

 彼女はもう、レオンとは無関係だ。そう、周囲に信じさせるために。

 手紙も無視した。人づての伝言も聞かなかったことにした。完璧に振る舞っていたのに、運命はいつも、彼の望まぬ未来を連れてくる。

 どんなに気を張ってニーナを遠ざけても、ある時は佞臣が、ある時はレオンが妻に選んだ女性が手を回し、必ず彼女を殺してしまった。

 ニーナはいつも、濡れ衣を着せられて、両親もろともこの世から葬られる。

 そしてニーナが死ねば、間もなくレオンの人生も終わった。

 ニーナの一族の怒りを買って、暗殺されるのだ。

 彼女はメイドだったり、令嬢だったり、他国の姫だったりしたが、いつの人生も、彼女が命を奪われるや、それまで姿の見えなかった彼女の一族がレオンを殺しに来るのだった。

 そうして繰り返してきた、変わらぬ人生。

 レオンはなんとしても、ニーナを生かしてやりたかったのである。自らの幸福よりも、彼女の命を優先した。

 だが、運命は変えられない。そしてこれが、七度目の人生だった。

 前世の記憶を思い出すのは、いつもニーナと婚約をしてから。

 思い出し方は、頭を打ったり、溺れかけたりと、何か痛みを伴う衝撃を伴っていたものだが、今世は少し違った。寝て起きたら思い出していた、という穏やかなものは初めてで、レオンは枕元に座るシュネーを見やる。

『お前が、上手く思い出させてくれたのか? ひょっとしてお前は、魔法が使える、隣国の猫だったりしてな』

 レオンに話しかけられたシュネーは、ゆっくりと尻尾を振り、とん、と彼の肩に飛び乗った。

『……っと、シュネー。爪を立てるなよ』

『なー……』

 彼女は愛想よく鳴いて、レオンの頬に額を擦りつける。

 全ての人生において、レオンはニーナを婚約者に据え、そして前世を思い出して、彼女を捨てた。

 彼女の命を守るため、それが最善だと信じたのだ。

 だが、レオンは物憂くため息を吐きだす。

 今世のニーナは、いつの人生よりも立場が危うかった。

 国政の最大派閥の筆頭であるベルクマン侯爵は、ニーナを厭い、自らの娘・アメリアとの婚姻を望んでいる。そして民の多くもまた、異国の血を継ぐ彼女を、魔物だと密やかに噂し続けていた。

 誰も異論を吐かないのは、国王の承認があるからという点と、彼女自身が髪色以外、至って普通の――むしろ普通以上にできた少女だったからだ。

 レオンは、このところ薄曇りが続く王都の空を見上げた。

 ニーナは、魔法が使えない。本人がそう言うのだから、そうなのだろうと思う。彼女が魔法を使う姿を見たという人間も、一人もいない。

 けれど、レオンには気になる点があった。

 ――最近、彼女の髪が時折、漆黒に変色する瞬間がある。

 その変化は一瞬で、彼女の髪色はすぐに青に戻った。気のせいかとも思うが、近頃、その変化をよく目にするのだ。

 魔力があれば髪色も変わる、なんて話は聞いた覚えがない。しかし普通の人間は、髪色など変わらない。

 もしもあの不思議な現象を他者に気づかれれば、人々はすぐに彼女は魔物だと声高に叫びだすだろう。

 レオンは眉を顰め、親指の先をぎり、と噛んだ。

 ――ニーナ。俺は、愛しているから、君を捨ててきた。

 けれど今世でも、君を失う未来しかないのなら……俺は、どんな選択をするべきなんだ――?

 胸を焦がす恋心と、答えの見えない未来への焦燥を持て余し、彼は踵を返す。

『……何があっても、周囲には、彼女は魔力持ちではないと信じさせ続けねば……』

 ――たとえ今、彼女の体に魔力が生まれ始めているのだとしても。

 魔力の生まれ方を、レオンは知らなかった。しかしもしも、生れ落ちた時は魔力はなくとも、成長するに連れ、魔力が増すこともあるのなら、彼女の変化に説明がつく。

 聡明な王太子は、確率の高い仮定を出し、問題など何もないという顔で、側近を呼んだ。

 そしてシュネーをニーナの元へ返すため、新たな予定を立てたのだった。


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