5
謁見の間の玉座に腰を下ろしたレオンは、彼の足元――階段下で膝を折る男を見下ろす。
傍らに控えるカールが、顔を上げるよう命じ、頭を垂れていた男がこちらを見上げた。
彼の顔を見たレオンは、表情には出さなかったが、胸の内で不機嫌に吐き捨てる。
――よもや、のうのうと俺の前に顔を出すとはな……。
予感していた通り、レオンを訪ねて来た未来見は、宴の夜の男だった。
漆黒のローブをまとった、二十歳そこそこの青年。あの夜は意識しなかったが、星屑を宿したかのような銀糸の髪に、澄んだ青い瞳が目を引く、端正な顔の人間だ。
レオンは、穏やかな声を意識して、話しかける。
「……其方は、未来見だとか」
当人から告げられているものの、改めて職業を確認した。自らの両脇に侍る側近らに、顔見知りだと悟られたくなかったためである。
相手の言動によってはすぐに知られるが、先方がそれと示すまでは、自ら口外する気はなかった。
未来見は、にこっと邪気のない笑みを浮かべる。
「はい、ネーベル王国より参りました、ギードと申します。差し出がましくはありますが、殿下の未来を告げに参りました」
自分の未来を告げに来たと言われ、レオンの体に軽い緊張が走った。
伝承によれば、未来見の予言は絶対だ。望んでもいない未来を告げられるのでは、と恐怖心がよぎるのも仕方あるまい。
レオンの身に危険が及ばぬよう、謁見の間の壁際に配された兵士らは、初めて見た未来見にざわめいた。レオンの左手に立つカールは、ほお、と興味深そうな声を漏らす。
「……誠に、未来が見えるのですか? それはどのように見えるのでしょう? 映像のように? それとも神託として、言葉で受け取るのでしょうか」
知識欲旺盛な文官は、ずいっと身を乗り出し、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
ギードは人懐っこい笑みでカールを見返し、小首を傾げる。
「映像として見えるのでございますよ、文官殿」
「おや、私が文官だとよくおわかりで。もしや、私の未来も見えていたりするのでしょうか?」
彼が身に着けているのは、文官特有の貫頭衣だ。一目でわかろうものだが、カールはなぜが驚いた風に尋ね返した。
ギードはふっと笑みを深くする。
「……見ようと思えば見られますが、そう恐れずとも、大切な王太子殿下の死を予言したりは致しませんよ」
「――」
カールは一拍言葉を失い、言われた通りなのか、広い袖口で口元を覆い、すっと身を引いた。
「いえ、私は決してそのような心配は……。殿下はご立派にレーゲンの王となられ、見事な治世を敷かれるものと、ご信頼申し上げておりますとも」
「左様でございましょうとも。信頼があるからこそ、恐れるのでしょう。万が一を」
ギードは深く頷き、レオンに視線を向ける。
「さて、貴方の未来について申し上げたいのですが、ここはいささか聴衆が多いようです。事は殿下の私的な未来。武官は下げられるがよろしいと、ご助言申し上げますが?」
――私的な未来。
レオンは眼下に居並ぶ近衛兵たちを見下ろし、傍らに侍るハンネスを振り仰いだ。この場においては、彼が近衛兵のトップとなる。ハンネスは、レオンには視線を向けず、ギードを睨みつけた。
「殿下の護衛に口を挟むとは、身の程をわきまえよ……!」
今日初めて王宮を訪れた、身元も定かでない者が、王族の護衛に口を出すのは、確かに出過ぎた真似だ。しかしレオンは、軽く手を振って、ハンネスを制する。
「――いや、ハンネス。私的な事案であれば、兵らをつき合わせるのも悪い。下げてくれて構わない」
「しかし、こやつは妖精の血を引く者でありましょう! 万が一殿下に呪いをかけるような魔物であれば……っ」
レーゲン王国の民は、隣国の住人は魔物であり、目があえば呪いをかけられると実しやかに信じていた。だがその考えは蔑視以外のなんでもなく、隣国民にとっては侮辱だ。
一国の王宮内で、公然と差別的な発言がなされ、レオンは内心舌打ちする。
これが隣国の王族であれば、交渉に入るどころか、永劫国交は断絶されたところだ。気勘気の強い王であれば、戦が始まる。
レオンは表情を凍らせ、眼下に侍る兵らに視線を向けた。
「――皆、下がれ。異議は聞かぬ」
凍てついた声音が広間に響き渡り、兵らはレオンの勘気を悟る。副隊長であるハンネスを窺う者はあったが、誰一人口を開かず、彼らは静かにその場を下がった。
そしてレオンは、視線もくれず、ハンネスに命じる。
「しばらく黙っていろ、ハンネス」
「……っ」
もの言いたげな気配を感じたが、レオンは未来見に穏やかな視線を向けた。
「私の近衛が失礼した、ギード殿。ネーベル王国とは国交がない故、未知の力に恐怖心ばかり膨れ上がり、いささか感情的になる者もあるのだ。しかし我が国としては、現時点ではいかなる差別的な思想も持たないと弁明申し上げる。ご容赦頂けると嬉しい」
ギードはにこやかに微笑んだ。
「ええ、もちろん彼個人のご意見であろうと、承知しておりますよ、レオン殿下。そして貴方は、たとえ貴方自身の思想と異なる考えを持っていようとも、その技量を認め、彼を傍らに侍らせている。……器が大きいと言えば聞こえはいいが、己が力を過信なさいますな、とご忠告申し上げよう」
レオンは目を眇め、彼の表情を観察する。ギードは、どこまでも朗らかな笑顔を湛え、続けた。
「貴方は若い。己が正しい道を選んでいると信じていようとも、周囲も貴方に全幅の信頼を寄せているかと言えば、そうではない。貴方の左隣にいる文官殿がいい証拠だ。彼は貴方の将来に高い可能性を見いだしているが、いつか何者かに足下をすくわれ、貴殿の命が奪われるかも知れぬと、恐れてもいる」
「……そのようなことはございませぬよ、殿下」
カールはおっとりと口を挟んだが、ギードの言葉の方が事実だろうとは、レオンにもわかる。
レオンはカールには返答をせず、頬杖をついた。
「確かに私はまだ十八の小童だ。全幅の信頼を得るには若すぎるやもしれん。それが、今日貴殿が告げに参った未来か?」
未来見の告げる未来がどんなものか、と身構えていたものの、思ったよりも漠然としている。
これならば身の振り方に気をつける程度で十分だな、とレオンが肩から力を抜いた時、ギードはにこっと明るく笑った。
「いいえ。私が告げるべき未来はそこにあらず。――貴方はどうにも、ニーナ嬢に相応しくないようだ。今世も彼女を幸福にできぬようなら、彼女は私が頂こう――と、申しに参ったのでございます」
「――」
レオンは無表情になり、頬杖をついたまま、身を強張らせる。
王太子という職業柄、彼は動揺を表に出さない人間だった。
人心を掌握するため、常に迷いない態度が求められ、また誤った発言もしてはならないと、幼少期から刷り込まれている。故に、答えに窮すれば口を閉じ、動揺すれば表情を消す。――これが、彼が身に着けた王太子としての処世術だった。
何を考えているのかわからない、真顔でいる間、彼の頭の中はフル回転だ。
――ふざけているのか? 俺からニーナを奪うだと? 冗談でも許さんぞ。殺されたいのか。
感情的に心の中で罵倒し、レオンははたと考え直す。
――いや、待て。これはそういう、殺る殺らないの話ではない。……この男は今、なんと言った? “今世も”と言わなかったか――。
すうっとレオンの全身から、血の気が引いていった。ギードはレオンの動揺を見透かす、嫌な笑みを湛える。
「貴方はいつの世でも不甲斐ない。私は同じ命運を眺めるのに、飽いたのだ。そこで、決めた。貴殿にも、彼女にも、次回の転生は与えぬと。彼女は死後、天上にて私が貰い受けよう。――ずっと、愛らしい娘だと思っていたからね」
「――何を……」
レオンは我知らず、戸惑いの言葉を零し、動揺を露わにしていた。
まるで人の転生を操れるような物言いだ。
転生を操るなど、人間ができるはずがない。できるのは、同じ運命の回避を試みるだけ。その回避行動も、まるで嘲笑うかのように、思い通りに行かないのが人生。
そう、実体験に基づいて認識していたレオンは、片目を眇めた。
「お前は自らを未来見だと名乗ったはずだ。未来見とは、神が如く人の死後にまで関われるのか? いや、そもそも転生など――」
あるはずがない――と、自らの経験とは裏腹の反論をしようとしたレオンを、ギードは遮る。
「――転生はある。痛いほど知っているだろう、幼子よ」
「――」
図星を指され、レオンは絶句したが、両脇に侍っていた側近らは気色ばんだ。
「貴様、殿下を軽んじるか! 転生などという夢物語を信じる者は、この国にはおらん!」
「我が国の信仰に、転生の文言はありません。あるのは現在のみ。……未来見は、己が立場をわきまえられよ。我らは未来見の来訪を拒みませんが、何を言おうと許すとは申しておりません」
ギードは短く嘆息し、立ち上がる。ハンネスが、腰の剣に手をかけた。
「許しもなく、立ち上がるな!」
鋭い恫喝を受けたギードは、前髪をかき上げ、冷え冷えとした眼差しを返す。
「――君は先刻、そこの主人に黙っていろと言われたのではなかったかな? 主人を軽んじているのは、君自身の方では?」
虚を突かれ、ハンネスはぐっと言葉に詰まった。その隙に、彼は不遜にも人差し指をレオンに突きつけ、にいっと笑った。
「さあ、レオン王太子。勝負をしよう。君が彼女を手に入れるか、私が手にするのか。見苦しいほどに、足掻くがいいよ。私は時を統べる神――ギード。運命をかけて、最後の遊びといこうじゃないか」
勝ち誇ったように瞳を輝かせたギードを、レオンは真顔で見返す。
全身に滲む冷えた汗と、息苦しいほどに速度を増した動悸を悟られぬよう、彼は静かな吐息を繰り返すしかできなかった。
――こんな展開は、今まで一度としてなかった。