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ごくごく普通の恋をしています  作者: あさづき ゆう
番外編

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辿り着いた先2 -シェリー-



 マシュー・オニール公爵は現国王の異母弟だ。現国王は王妃の産んだ王子、マシューは寵姫の産んだ王子だ。

 二人の年齢差は13歳あったが、兄弟仲はかなりいい方だった。当時の王妃が寛大な心を持っていたことが大きい。仲の悪くない二人であったので、王位継承権争いなど起こるべくもなかった。


 ところが、王継承権争いが王族の感情に関係なく始まった。


「マシューも王子なのに」


 覇権争いは寵姫の何気ないこの一言が引き起こしたものだった。

 寵姫の取り巻き達はマシューを次の王にしようと画策し始めた。寵姫の希望を叶えるという大義、その陰には国政に登用されていないという不満が隠れていた。努力しているのならその不満も大いに結構だが、大抵のものはそうではなかった。だが、寵姫が零した一言が大義名分を作り、二人の王子は否応なく王位継承権争いに巻き込まれた。マシューが軍属で、優秀であったことも災いした。


 知らなかったのはシェリー達親子だ。隣国の伯爵家であるため、情報が制限されていた。婚姻のためとの名目で家族で招待されたので、移動している途中だった。


 国も違う、年齢も違う、身分もやや劣るシェリーが選ばれたのは、当時の王妃の意向だった。王妃はシェリーの祖国出身の王女であり、王妃にとってシェリーは従妹の娘で血縁者であった。マシューも幼いシェリーを特に嫌がることなく、婚約者として丁寧に扱った。


 いつ会っても優しくて、シェリーは幼いながらもマシューに恋していた。男女のような恋ではなくて、ふわりとした優しい幼い恋だ。

 マシューに会えることが嬉しくて、幸せいっぱいだった。穏やかな両親も優しい兄もよく揶揄ってきたものだ。

 10歳も年上のマシューは少女であったシェリーの目にはとても素敵な王子さまで、騎士だった。黒の軍服が鍛え上げられた体によく似合い、彼の隣にいても恥ずかしくないようにと礼儀作法や政治や経済知識など色々詰め込んだものだ。政治や経済などは幼いシェリーにはとても難しく、理解しているとは言い難いが、それでも必死に学んでいた。


 ぼんやりと当時を思い出しながら、無理やり乗せられた馬車から外を眺めていればマシューがぽつりと呟いた。


「ずっと探していた」


 それには答えず外に視線を向け続ける。


「野盗に襲われた現場には、君の両親と兄上の死体しかなかった」


 国境を越えた後すぐに、待ち構えていたかのように野盗は現れた。護衛達も決して弱くはなかったが、数が及ばず次々に殺された。両親もお兄さまもシェリーを必死に逃がそうとしたけれど、それは無理で。


 でもなぜか、シェリーだけ殺されなかった。

 あの時殺されてしまえばよかった、と何度思ったことか。


 初めの頃は恐ろしくて、泣き叫んで、発作的に逃げ出した。その都度、捕まり殴られ、蹴られる。顔は傷つけられることはなかったが、頭はよく殴られた。徐々に外に抜け出す勇気が持てなくなり、ついには扉の鍵が開いていても逃げ出すことができなくなっていた。


 抵抗する心が折れるとすぐに自国の娼館に売られた。予定していた娼館ではなかったようだが、それ以上の高値を付けた女将が引き取ってくれた。女将は買ったシェリーをこの国の王都に連れてきた。


 茫然とするシェリーに女将はかいがいしく面倒を見て、さらには娼婦とは何たるかを叩きこんだ。厳しいともいえる教育ではあったが、何も考えられない状況がシェリーを生かした。


「君が生きていると思って探していたが、こんな近くにいたなんて」


 セロン侯爵が言うように、彼は隣国の娼館をずっと探していたのだろう。まさか自国の王都にある娼館にいるとは思っていなかったはずだ。野盗たちだってまさか自国に戻っていると考えていなかっただろう。

 答えるつもりはなかったが、ぽつりと呟いた。


「知らなかったのは仕方がないわ」

「もっと早く見つけられなかった自分が許せない」


 そこでようやく外の風景からマシューの方へと顔を向けた。彼は非常に苦しいような怒っているような複雑な表情をしている。

 シェリーはここで初めて今のマシューを真正面から見つめた。


 最後に彼の顔を見たのは4年前。

 シェリーはまだ16歳で、何も知らない世界は幸せだけしかないと本気で思っているような少女だった。年の離れた彼はとても頼もしくて、素敵で。彼がすべてから守ってくれるものだと思っていた。


 でもそんなことは現実には無理だ。

 あの時、事前に彼がシェリーの家族が襲われることを知っていたとしても、周囲が助けに行くことを許さなかっただろう。彼の気持ちなんて関係ない。王位につけたい彼の取り巻きにとって、権力を持たせないために結ばれた婚姻は切り捨てたいものだった。


 それがシェリーがたどり着いた結論だった。


「ねえ、どこに向かっているの?」

「俺の屋敷だ」

「屋敷にわたしがいってもいいのかしら?」


 身請けした娼婦を本宅に連れて行くなど、やめてほしくて言った。妻はいないだろうが、公爵家の使用人たちも娼婦の面倒など見たくないだろう。


「問題ない。シェリーは俺の婚約者だ」

「……どうして解消しなかったの?」

「疑問に思うところが気に入らないが、仕方がないか」


 マシューは嘆息した。わたしは息を詰めて彼の答えを待った。


「君の死体はなかった。だから死体が見つからない限り、君が俺の婚約者だ」

「そんな、無茶苦茶な」

「そうかもしれないけどな。兄上は許してくれたからいいんだよ」


 どうしたらいいのかわからずにシェリーは黙りこんだ。


「派閥の方は……」

「派閥? そんなもの4年前に潰した。俺のためだと言いながら、俺にとって大切なものを壊すような輩だ。必要ない」


 マシューの目が冷ややかになる。その眼差しにぞくりと鳥肌が立った。


「そうなの」

「今さら聞いたところで、慰められるとは思わないが……君たち家族を陥れた人間はすべて処分した。もちろん野盗もだ」


 それを聞いて目を閉ざした。先ほど、マシューは両親と兄の死体と言っていた。もしかしたら家族を埋葬してくれているのだろうか。


 ずっと気になっていたことだ。だけど、聞くことができない。


「シェリー」

「はい」

「君の家族はちゃんと教会で眠っている」


 優しい声に涙が零れそうだった。震える唇をきゅっときつく結ぶ。


「生活が落ち着いたら、一緒に会いに行こう」


 ぱらり。ぱらり。


 シェリーの目から雫が零れた。シェリーはそれを隠すため必死に涙を散らそうと瞬いた。

 男の武骨な指が彼女の頬に触れる。零れる涙を拭った。


「……ありがとう」


 掠れた声で小さく呟いた。マシューは特に答えることはしなかったが、優しく頭を撫でる。

 目を閉じれば、シェリーの知っている大きな優しい手と同じだった。


******


 不思議なもので、娼婦として扱われれば娼婦として、貴族令嬢のように扱われれば貴族令嬢としてふるまうことは自然にできた。


 一瞬の静けさの後、ざわめく夜会会場。

 マシューは気にすることなくシェリーの腰に手を回し、密着するようにして歩く。色々な思惑の視線を浴びたが、大したことはない。自然体のまま素直に体を預ければ、くすりと笑われた。


「大したものだ。怖くないのか?」

「これでも怖いと思っているわ」


 意味ありげに微笑めば、マシューは少しだけ屈んで目じりにキスをする。その仕草が自然すぎて、苛立ちを感じた。

 慣れた仕草に彼が沢山の女性を知っていることが嫌なのだと気がつけば、自分だって数えきれいないほどの男を知っているではないかと自分を笑う。彼がひと時の恋で淑女を求め、シェリーは男に金でひと時を買われる。大きな差を感じれば胸の奥が痛んだ。


 忙しく気持ちが揺れながらも一切表情には出さず、笑みを浮かべ続けた。


「王弟殿下、よろしければ一曲ダンスを踊っていただけませんか?」


 無礼にもダンスを申し込んでくる令嬢がいた。少しだけ興味を引かれたが、マシューが不機嫌な顔をするので、大人しく側にいる。マシューはシェリーの腰を抱きよせたまま、声をかけてきた令嬢に断りを入れる。


「悪いが、今日は彼女以外と一緒にいるつもりはない。他を当たってくれ」

「殿下」


 なおも食い下がろうとするので、シェリーは少しだけ体を離して興味深く令嬢を値踏みした。顔は整っているが、貴族令嬢としては普通。宝飾品もそこそこの品物だが、彼女に似合っていないため本来の輝きが引き出せていない。ドレスもいい一品なのだろうが……。


 シェリーはわざとらしく、マシューの耳をつまむ。


「ねえ、わたくしに気を遣って断っているのなら一曲ぐらいお相手してきてもよろしいのよ?」

「つれないな。今夜は俺が君を離したくないだけだ」


 そう言いながら、シェリーの背中を撫でた。その撫で方がとても性的なものを感じさせ、体がざわめく。思わず体が震えた。それを誤魔化すかのように、シェリーはとろりと意味ありげな笑みを浮かべる。


「ふふ、嬉しいわ」


 マシューの目を見つめてから、シェリーを睨みつけている令嬢に視線を流した。マシューもそちらを向いたが、彼女に向ける目にはこれといった感情は見えなかった。


「これ以上、話しかけるのは遠慮してもらおうか」

「殿下!」


 令嬢は驚いたような顔をする。まさか自分が断られるとは思っていなかった、というような顔をするので笑いたくなった。これほど冷淡にあしらわれているのに、どこからその自信が湧くのか、不思議だ。


「もう挨拶は終わった。帰ろう」


 マシューはそう言って、シェリーに歩くようにと促した。

 仲良く寄り添いながら、馬車に乗り込む。観察するような眼差しを意識してなのか、マシューは馬車に乗り込む際に触れるだけのキスを頬にする。


 腰を落ち着けると、シェリーは小さく息を吐いた。


「疲れたか」

「いいえ。ただ、殿下が何を望んでいるのかわからなくて」


 シェリーは素直に気持ちを告げた。


「俺が望んでいるのは、お前が俺の隣にい続けることだ」

「……殿下がわたくしを買ったのだから、好きにしてよろしいのよ?」


 意味が分からなくてそう答えれば、マシューは大げさにため息をついた。


「そうじゃない。書類が整い次第、結婚したい」

「寝ぼけていますの?」


 呆れてしまった。高級娼婦を貴族の、公爵家の正妻に据えようとするマシューがとてつもないバカに見えた。高級娼婦など肩書は素晴らしいが、男の慰めに使われている女だ。マシューが聞いたら驚くほど、シェリーは男と関係を持っている。あの夜会会場にだってシェリーを買った貴族が沢山いたはずだ。

 そんな女を正妻にするなど、気が狂っているとしか思えない。


「そんなに変か」

「変どころの騒ぎではありませんわ。気狂いかと思いました」

「元からお前は俺の妻になる女だ。遅くなったが今そうしても問題はないはずだ」


 問題は大ありだ。


 シェリーはほとほと困った。マシューを丸め込むような言葉がないことに気がついたのだ。マシューはすべてを知った上で、シェリーを妻にと望んでいる。そんな男を説得するような材料がない。


「……殿下のお兄さま、国王陛下もお困りになるのでは?」

「兄上にはすでに許可をもらっている。大騒ぎしているのは貴族連中だけだ」


 やっぱり騒動になっているではないか。


 面倒くさくてため息が出る。


「わたくしは妻になりたくありませんわ。できれば店に返してもらいたいの」

「店に? 何故?」


 マシューは驚きに目を見張ったがすぐに怒りを滲ませた。竦んでしまいそうな強い視線に、震えそうになる。


「他に行き場所などありませんもの」

「お前の居場所は俺の所だ」


 唸るようにマシューが言う。

 シェリーは胸が熱くなった。一言貰えただけでとても嬉しかった。それだけで十分幸せを感じてしまう。


 だが、現実はそんなことを許されるほど生易しいものではない。先ほどの令嬢のように、今でもマシューの正妻になりたい女がいるのだから、娼婦であるシェリーが正妻などなったら不満を持つ貴族たちがマシューを陥れようとするだろう。それは嫌だった。大切な人を傷つけることになる原因にはなりたくない。


 だから、結婚したいと思っていても断ることしかできない。

 マシューだってわかっているはずだ。


「え?」


 横に座ったマシューに腕を引っ張られる。そのまま彼に抱きしめられた。


「確かなものでシェリーを縛り付けておきたい」


 それが結婚という事か。でも、シェリーだって簡単には頷けない。何かいい説明がないか、逡巡する。


「では、こうしましょう」


 シェリーはマシューの胸に手を置き、少し距離を作る。マシューは彼女の心を見透かそうと探るような眼差しを向けた。


「子供ができたら結婚します」

「子供だと?」

「ええ。流石に子供から父親を取り上げたくないですから」


 マシューは眉間にしわを寄せていたが、しばらくしてニヤリと笑った。


「いいだろう。その代わり、子供ができたら逃げるなよ」

「ええ」




 そんな会話をしてから13年。

 愛おしそうに自分のお腹をさすりながら、ふふっと笑う。


「どうしました?」


 不思議そうにエレオノーラが尋ねた。彼女は妊娠のお祝いを届けに来てくれたのだ。すでに一児の母であるエレオノーラは落ち着きが出て艶やかになっていた。


「とうとう捕まってしまったなと思って」

「ああ、結婚ですね」


 エレオノーラはくすくすと笑う。シェリーの妊娠がわかってマシューが真っ先にしたことは婚姻届けを作成することだった。すべて書類が整っていたのか、シェリーに名前を書かせるだけだったというのをヒューバートから聞いて驚いたものだ。


「お二人は結婚しないと思っておりました」

「普通はそう思うわよね。わたくしが身請けされてから13年目のことですもの」


 優しく優しくお腹を撫でる。まだ少ししか大きくなっていないが、あと5カ月もすればこの世界に出てくるだろう。


「幸せそうで嬉しいです」

「わたくしはいつだって幸せよ。形はなくとも、心があることを知っているから」


 婚姻関係はどちらでもいいと思っていたが、子供がいるのならやはり父親がちゃんといてほしい。それだけなのだ。


 でも。


「結婚も悪くなかったわ」

「マシュー殿下はお子様も溺愛しそうですね」

「それはどうかしら? 案外独占欲が強いから、大人げなく牽制するかも」


 二人の女性の笑い声と会話はいつまでも途絶えなかった。




Fin.



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