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季節が移り変わる頃

作者: 野球の戦士

私が小さいとき、家の近くに農家があった。


そこは、緑の草が絨毯のように生えそろい、牛たちの匂いが満ちていて、たくさんの蛙や、各種の虫たちが暮らしていた。学校が終わると、私はよくそこに一人で行っては遊んだ。


私が緑色のバッタをそっとなでようとすると、彼らはだだをこねるみたいに身をひるがえしていった。私がじっと蛙たちのしぐさを見つめていると、蛙の眼は何も知らないかのように輝き、口元をくるくるとさせておどけていた。


ちょうど小学一年生、二年生あたりのころ、私はそんな場所で、しばしば家に帰るのも忘れて遊びにふけり、夕方になってはじめて母が探しに来る、という日々を送っていたのだ。…ひょっとしたら、私はそのような日々がこれからもずっと続くんだ、と考えていたのかもしれない。




ちょうど真夏に入ろうかというある日のこと。


私はいつものようにその農家で遊んでいた。そのとき、お母さんが突然やってきて、叫んだ。


「鈴葉、鈴葉!」


私は振り向いて、間抜けな声で答えた。


「「なぁにー?」(鈴葉とは、もちろん私の名前だ)


「おばあちゃんが、倒れたって!」


「えっ!?」


母がそう言うのを聞いたとき、私は母が何を言っているのか一瞬分からなかった。


「倒れた」とは、どういう意味なんだろう?おばあちゃんは、いったいどうしてしまったのだろう?私はただ、目を見開いて、母の方を見つめていることしかできなかった。


母は言った。


「だからね、お母さんは今からすぐに病院に行っておばあちゃんの様子見てくるから。今夜も帰らなくて明日の朝帰るから、鈴葉は家に帰って今夜は昨日のカレーの残りを食べなさい。あと、ちゃんと宿題するんだよ。分かった?」


「…うん」


母はそういうと、去っていった。


周りは虫のさざめきで満ちていた。私はどうすることもできずに、草むらに立ち尽くしていた。しかし、私は母のあの尋常でない顔色を見てしまったので、心も不安になってきた。


「おばあちゃん…どうしちゃったの?」私はそう独り言を言って、悶々した心持ちのまま、逃げるように家に帰った。




翌日の朝。


母に起こされて、いつものように目を覚ました。


私は服を着替え、リビングに行くと、やわらかい光があふれていて、母がにっこりと笑って、声をかけてくれた。


「おはよう」


「んー…おはよう」


私はわざと眠そうにまなこをこすって、ゆっくりと私の席に向かう。


いつもは目玉焼きが置いてあるはずのテーブルには、私の好きな菓子パンが一つ置かれているだけだった。


私は椅子に座って、その甘いパンをかじった。母は、私の右の席にいたけれど、おはようの声をかけてくれたきり、なにも言わなかった。


私は食べながらきいた。


「お母さん、昨日、おばあちゃんはどうだったの?」


母は、黙って首を横に振った。


そのとき、私は母の意味が分かった。


「そんな…」


母は、悲しそうなほほえみをたたえたまま、優しい声で言った。


「鈴葉…お母さんの話を聞いて。おばあちゃんはね、鈴葉と遊ぶのがすごく楽しくて…最後にね、『ありがとう、鈴葉ちゃん』って言ったんだよ」


私の目の端がじわりと熱くなり、とめどなくあふれてくる涙水がパンを濡らした。


やがて黒い服を着た母が、私に言った。


「鈴葉、お葬式行こうか。」


私はどうしたらいいかも分からないまま、ずっと泣いていた。高く青く澄み渡った空が、痛烈に私を皮肉る。


今、私は、あのときの私は幼すぎて、何も知らなかったんじゃないか、と思う。




私は高校三年になった。


一月から大学入試が始まるので、私は毎日必死になって勉強している。国公立を受けるつもりなので、勉強するべき教科が多く、水準も比較的高い。今日は夏休みに入ったばかりの日で、高校の補修が終わって昼の12時過ぎ、歩いて家に帰る途中だった。しかし、勉強のプレッシャーが激しい日々にあって、友達と話しながら帰るのは、一種の楽しみだった。


高三になるまで、私は色々なことを経験してきた。卒業式や、部活、合唱コンクールや、高校入試、人間関係のこと…辛いこともあったけど、こういう感情のでこぼこを乗り越えながら、私は成人になっていくのかなと思う。


友達と歩きながら帰っている最中、かつてよく遊んだあの場所に偶然着いた。


小さい頃、よく遊んだあの農家は、祖母がいなくなってから行く回数が減り、ついには全く行かなくなってしまった。私は今、その場所の前に立って、見た――あの農家はすでに取り壊されてしまって、アパートの建設予定地になっていた。あの草むらや、ふとった牛、大きなひとみの蛙、元気いっぱいに鳴いていた虫たちは、すべてアスファルトの向こうに消えていた。


あの生き物たちはどこに行ったんだろう?このアスファルトが全部捕まえて、どこかに隠してしまったんだろうか、そうじゃなければ、自分からどこかに逃げてしまったんだろうか?まさかあの生き物たちはもう二度と帰ってこないなんてことはないよね?


後ろで友達が呼んだ。


「あー、暑い…鈴葉、そこで何してるの?早く帰ろうよー」


私は振り返り、にっこり笑って答えた。


「あ、うん、今行く!」


友達はタオルで汗をぬぐって、つぶやいた。


「あーあ、毎日勉強忙しくて疲れるわ。しかも暑いし!無理!休みたーい!」


「あはは、ほんとだねー」


そんなことを話しあいながら、日差しの照り付ける帰り道を歩いていく。




毎年、暑くて重たい風が吹いてきたら、また夏が来るんだな、と私に思い起こさせる。暑いのは嫌だけど、夏休みで色んなところに遊びに行けるから、私はなんとなく楽しい。そして、この明るい季節は、何度も何度も巡ってくる。


でも、私の記憶とか感情は、季節の移り変わりとは違うんだと思う。それに気づくたびに、ちょうど季節が移り変わる頃にも似て、私はほんの少しだけ、胸が苦しくなるのだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] センチメンタルですね~。 少女が大人になるにつれ、周りの風景も変わって行く……。 感傷的なよい作品ですね。 また、地の文もお上手ですね!
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