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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第一部 マジカルジョークワールド
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強く押して

 アンティーク・ビスクドールにも種類があるそうな。

 ずいぶん前に、何かの機会に人形写真集を読んだことがあったが、ジュモーやら、ブリュやら、作る会社によって表情やら顔つきが違うらしい。


 この、リモコンビスクドールが何に当たるかなど、分からない。

 ただ、いわゆる「ビスクドール」。


 焼き物特有の、人肌っぽいリアルさの見せかけに反して、触れるとひんやり冷たい体(怖い)。ぐるんぐるんと動く青い目(怖い)。巾着を絞ったようなお上品なお帽子の下から覗く、くるくるした茶色くてほつれ感のあるリアルな髪の毛(怖い)。光沢のある生地だけど、アンティークらしく全体的にくすんだベージュ色のドレス(怖い)。


 極めつけは、本人が「叩いて投げて」とやたら言っているけれど、本当にそんなことをした日にゃ、派手な音を立てて破損するだろうこと。なにしろ焼き物だからな。

 リアルなビスクドールが割れてぐちゃぐちゃになったところなんか、想像もしたくない。

 青いゆらゆらお目めなんか、ころころころころ床に転がって(超絶怖い)、無表情に光りながらこっちを見上げたりして。


 「なんでも聞ーて聞ーて。案内係ですしぃ。あ、それと、こいつ壊れてる、とか、いらいらする、とか思ったら、いつでも叩いて投げて踏んづけて~、あーん」

 (どうしてよりによって、ビスクドールなんだよ……)


 甘ったるいアニメ声と、おかしな喋り。既に叩きつけてやりたい気分であるが、なにしろ割れ物だ。

 (せめてぬいぐるみなら良かった……)






 昼寝時間が終わったら、メイドさんが午後のお茶を運んできてくれた。

 リモコンビスクは、人がいる時は無言を決め込むらしい。枕元に行儀よくお座りして、青い目を見開いたまま固まっている。


 (このお茶飲んだら、またトイレに行きたくなるんだよな)


 そう思うから、自然と一口二口啜るだけで終わった。

 たっぷりと残ったカップを、メイドさんは生真面目な顔で眺めている。


 もういらない、と言うと、メイドさんは恭しくトレイを引き取り、お辞儀をして退室した。

 レースのカーテンがそよいでいる。

 アーチ形の大窓が僅かに開き、午後の風が吹き込んでいた。


 所在ないので、ベッドに腰掛けたまま、リモコンビスクを両手でつかんで観察してみた。

 ぶらん、と力なく重力に任せた手足。微笑んだ表情。おいなんか言えよ、と揺さぶったら、やん、と返ってきた。


 「プリンセスこそ何か聞いて下さいよぉ」

 というので、何から聞いてやろうかとちょっと考えた。


 少し頭を整理してみる。


 「このマジカルジョークワールドって、さっき夢で見た汚い男の妄想世界ってことで良いの」

 と、聞いたら、ビスクは微笑みの表情を僅かに動かした。


 「妄想世界じゃなくて、コンピューターで作り上げた異次元世界……の、サンプル。本当はこれをベースに作りこんで行くはずだったのだけど、企画が破棄されたから、中途半端な状態で打ち捨てられているのですぅ」

 あと、汚い男ではなくて、プリンスですよ、ぷんぷん。


 ビスクは答えた。うんうん、そう言いたかったんだわたしは。お陰さんで整理がつきました。


 「プリンセスのお棺部屋の扉がみんな同じで見分けがつかなかったり、プリンセスがわたしで女王陛下がオカンなのに、モブの人たちがみんな同じ顔なのは、この異次元の作り込みが中途半端なせいか」

 と呟くと、ビスクは高い声で、正解、と言った。喋るたびに目がくるくる動くから怖い。夢見が悪くなるから、正視するのを止めよう。


 途中で打ち捨てられた世界かよ。

 (ゴミの中に、ゴミが放り込まれたようなものか)

 今の自分の状況を、思わず汚い言葉で分析した。一瞬、取り返しがつかなくなりそうなほど落ち込んだが、すぐにぐっと気持ちを切り替える。


 とにかく、今はマジカルジョークワールドのことを知らなければ。

 なにせ、このままじゃ棲みにくすぎる。

 (茶ぁも満足に飲めやしねえ)


 「今のマジカルジョークワールドは、デフォルト設定のままなんだよな」

 ビスクがまた、正解と言った。クイズ番組か。


 「じゃあさ、わたし仕様に直すにはどうすればいいの。せめて好きな時に気兼ねなくトイレに行きたいもんだ」

 切実だ。

 今日はまだ良い。だけどお腹が下ってる時とか、このままではとんでもなく気まずい。出るもんも出やしねえ。


 渾身の思いで問いただした質問だが、ビスクはいとも簡単に答えたのだった。


 「リモコンを押せば良いのですよ、プリンセス。あなた仕様に直してゆくことができますよぉ。ねっ、だからほら、押して~、ぐいっと、ぎゅむっと、べしんどすんばたんぱきんと、ねっ、ねっ、ねっ」


 押して叩いて投げて、ねっ、ねっ。


 人形の目がぐるんぐるん回転しているじゃないか。

 白目が剥いて具合が悪い人みたいになっているのに、軽快な喋りが続いている。

 おねだりするような甘い声で「押して叩いて投げて」と言われても、そんな気軽に実行できるようなカラダではなかろうに。

 (割れたら中からなんか出てきたりして)



 かつかつかつ。

 多分メイドさんだろう、廊下を歩く足音が微かに聞こえる。わたしは焦った。

 とにかく今は、最優先のアノコトを解決したい。


 「とりあえず、決まった時間にトイレしないとプリンセスじゃない、みたいな雰囲気を何とか改善したいんだよ。けっこうトイレ近い方だし。どこ押せばいいの」

 ほら言え。はよ言え。さっさと言え。


 足音は近づいている。

 ほうれ、トントン。ノックされちゃった。


 ビスクはウフフと恥ずかしそうに笑っている。いやんそんなこと、恥ずかしい、とか言っている。

 勘弁してくれ。さっき一口飲んだ紅茶が既に利尿効果を上げてきている。カフェイン恐るべし。ちょっと、早く、おいこら、言えやこのリモコン。


 「あのね、ここ……」


 ぶらんぶらんしていた片腕が、ちょっと動いて体の部分を指した。

 おお、そこか。

 わたしは人形を逆さにして、情け容赦なくぎゅりっと押したのである。


 「強すぎるうー」

 脱力するような声をあげ、人形は白目を剥いた。


 同時に空間が一瞬、ぐにゃっと揺れ動いたような気がした。

 すぐに収まったけれど、確かに今、なにかが変わったらしい。


 ひらっ。純白のレースのカーテンがはためいた。ぴちゅちゅ。愛らしい小鳥の声が穏やかに聞こえている。

 メイドさんが入室して、恭しくお辞儀をした。今から午後のお召替えか。


 なんら変わった様子はない。

 わたしは、片足を掴んで逆さにしていたビスクを、ぽんっと枕に投げて置いた。

 メイドさんが入ってきた途端に、ビスクはまた無言になって、ただの人形みたいに動かない。


 


 プリンセス、ドレッサーの前にどうぞ。

 メイドさんの生真面目な声に誘導されて、朝と同じように鏡台の前に行く。

 カフェインが作用しているが、まだ我慢できそうだ。

 (紅茶、一口にしといて良かった)



 しかし、わたしが座ろうとした瞬間、メイドさんは静かな声で言ったのである。

 「プリンセス、トイレはいかがでしょうか」

 (えっ)


 あれほど、トイレは食事の後と言っていたメイドさんがそんなことを言い出した。

 

 わたしはネグリジェの裾をからげ、大急ぎでバスルームに走った。ええもう、喜んで行きますとも。

 済ませてスッキリ。うん。やっぱりスッキリしてからメイクアップしてもらうほうが気持ちが良いな。


 髪をとかされたり結われたり。

 やっとプリンセス気分を味わえそうだ。

 

 ところが、メイドさんは、髪をとかし、ピンでまとめあげ、いよいよ今からヘアメイク本番という時に、再び言ったのだった。


 「プリンセス、トイレはいかがでしょうか」

 (えっ……)


 さっきトイレに行ってから、五分くらいしか経っていない。

 いくらなんでもそんなに近くはない。

 戸惑いながら振り向くと、メイドさんが生真面目な顔で見下ろしていた。


 ブラシと飾りピンを手に持って、無表情でメイドさんは繰り返す。


 「プリンセス、ぜひともトイレに行かれてはいかがですか」

 

 えっ、そんなっ、どうしても行かなくちゃだめなの。

 しどろもどろになって聞き返すと、メイドさんは丁寧にお辞儀をした。

 

 「どうしてもというわけではございませんが、プリンセスはトイレに頻回に行かれるものだと伺っておりますから」


 



 なるほど。

 確かに強く押しすぎたらしい。

 ちらっとベッドの方を見ると、大股開きで力なく寝転がったリモコンビスクと目が合った。

 

 まあいい。あとで修正しよう。

 行きたいのに行けないよりはましだ。

 それにしても、何か屈辱な気がする。


 ほらまただ。

 「プリンセス、トイレはいかがでしょうか」

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