いらないもの
わたしの部屋は、ヒキコモリニートになる前は整然としていた。
「いらないものは捨てる」
入社三年くらいから「デキル」社員として頭角を現わしていたわたしは、それをモットーに生きていた。
必要な時に必要なモノを出すことができるよう、会社の机は常に整理整頓である。編集プロダクションの編集者として、ちょっとした出張をすることもあったので、カバンの中も整理整頓。
「たくさんものがあったとして、それがいらないものだったら、足を引っ張るだけ」
という事を、常々肝に銘じていたんだ。もともと、スッキリサッパリするのが好きだったのもあって、整理整頓は苦痛ではなかったしね。
「いらないものは捨てる」
それは、単に机の上のことだけじゃなくて、人員や顧客、仕事上の取引先のことにまで及ぶようになった頃、心のバランスが崩れ始めたのだと思う。
オカンが女手一人で育ててくれた手前、人よりも頑張って見返してやらなくては、という意地が、心のどこかにいつでもあった……と、思う。
「ほらあの子、母子家庭のおうちだから」
他のお宅のお母さんたちが集まって、こちらを見ながら話している場面に出会ったことがある。
中学校位の時だったか。参観日、オカンは仕事でどうしても出てこられなかった。
教室の外にはよそのお母さんたちがずらっと、電線にとまった鳩みたいに並んでいて、その中の何人かのママグループが、通りかかったわたしを見て、ヒソヒソ喋っていたんだ。
あいつと、あいつと、あいつのお母さんだ。
横目でしっかりと、どいつの母親がヒトのことを言っているのか、わたしは確認した。
(こいつらの娘や息子にだけは、絶対に成績で負けねえ。遙か上から見下ろしてやるべ)
瞬間的に燃え立った炎は、それからずっと持続した。もとからそれほど悪くなかった成績は、強烈なバネを踏んでジャンプしたような極端な飛翔を見せた。先生たちは目を丸くして、どうしたの、塾でも通い始めたのと聞く奴もいたが、それこそ母子家庭に、塾や教材を使う余裕などあるわけがない。
県内でトップの高校を受験したのは、わたしともう数人。
その中に一人、あの日、わたしを眺めながら母子家庭だと馬鹿にしたうちの娘が混じっていた。その子本人に特に恨みはない。喋ったことすらない子だ。
その子は落ちた。わたしを含めたその他は受かった。
その子は塾やら家庭教師やらいろいろやっていて、頑張っていたらしい。落ち込み方はすさまじかったようで、卒業式にも出てこない位だった。
ずいぶんたってから、その子が、滑り止めで受かっていた高校にすら行かず、母親が鬱になって仕事を辞めたという噂を聞いた。
「いらないものは淘汰されるんだよ。野生動物だってそうじゃん」
淘汰される方が悪い。
しのごの事情や嘆きや文句を連ねて手足を休めているうちに、沼に沈んでゆくんだ。底なしの現実沼にね。
今のわたしから見て、当時のわたしの考え方は、極端に割り切って、乾ききっていたと思う。
落ち込んで、そこから一歩も動くことができなくなった相手のことを、冷たく突き放していた。
ああいうのが、いらない奴なんだ――そこまで思っていたのだ。
多分それは、自分が受かってその子が落ちたことに、心のどこかで罪悪感を抱いていたからだと思う。全く罪を感じる必要はなかったし、確かにあの合格は、わたしが必死で頑張って掴み取ったものだ。
だけど、あの日、あの母親たちが「母子家庭の子」と噂しているのを聞きさえしなければ、わたしはあんなに死に物狂い、命がけで勉強を頑張らなかったと思う。そして、トップ校を志望することもなかったと思う。
非常に遠回りで、こじつけのような原因になってしまうが、そもそもママグループがヒトの噂をしさえしなければ、あの子は志望校に受かっていたのかもしれないのだ。もちろん、仮にわたしがその学校を受験しなくたって、その子が受からなかった可能性はごまんとある。
けれど、わたしはどこかで思い込んでしまっていたのだった。
「仇をとった。ざまあみろ」
その、勝ち誇った気持ちが、わけのわからない罪悪感を呼び寄せ、その重苦しさに蓋をするために、異様に冷酷な考え方を身に着けてしまったんだろう。
「いらないものは捨てる」
地元大学を出て、希望の職種に就くことができて、おまけに仕事では「デキル」社員として認められかけている。
まさに順風満帆だったと思う。
「いらないものは捨てる」
なんでも。
ボールペン。机の中にゴロゴロそんなにいらない。
メモ。どこにでも貼ったままにしない。
どんどんどんどん整理する。
喋ってばかりで仕事が進まない同僚。理由をつけては、校正の抜けを反省しないひと。最初に話した納期で引き受けたのにも関わらず、無理だとゴネ始める外注。
(いらない……)
工程管理を任されるようになってからは、どんどんいらない人を淘汰していった。
結果、仕事を割り振らない社員や外注さんがちらほら出てきて、そういう人達はあぶれるようになっていった。
この仕事は、仕事が重なって多忙な時は凄まじいが、全く仕事がないことも時折ある。そういう日に、あぶれた人たちは所在なかったようだ。
だけど、工程管理を任されていたのはわたしだけではなかったし、同じ立場の他の社員たちも、やっぱりごく自然に人を選んで仕事を割り振っていた。
あぶれた人について、罪悪感を感じる必要は、毛頭なかったのであるが――なのに、どうしてか――ここでもわたしは、訳の分からない罪悪感を抱いた。
所在なさに耐えきれず、辞めてしまった人がいたことも、わたしの心を余計に荒ませた。
「いらないから捨てられた。自業自得……」
尖がっていたと思う、当時の自分は。
忘年会や社員旅行の時のスナップには、目のきつい、口をひきむすんだ顔の女が写っている。それがわたしだった。
そんな嫌な女だったけれど、人並みにお年頃だった。
会社の若い上司に恋情を抱き、彼の仕事なら特に頑張った。もちろん彼は褒めてくれたし、徹夜仕事でなんとか原稿を印刷会社に回すことができた時は、食事を奢ってくれたりした。
「凄いよね、本当に頑張り屋さんだよね……」
酔いも手伝って撫でてくれた手の温もり。
わたしは勘違いしていた。きっと彼も自分を思ってくれていると。
彼に結婚間近の婚約者がいたこと。
しかもその相手は、同じ会社の女性だったこと。
おまけに、彼女はそれほどガリガリと仕事をしているわけでもなく、定時になったらぱっと帰ってしまうタイプの、「ゆるふわ」だったこと。知らなかった。
二人が結婚式をあげていたことを知ったのは、連休明けの日だった。
わたしは招待すらされていなかった。彼はからりとしていた。
「ごめんなー、あんまり大げさにしたくなかったから、10人くらい親しい仲間を招くことにして、本当はみんな招待したかったんだけど、切らざるをえなくってねー」
わたし以外にも、招待客から漏れた子は何人もいた。
だけど、誰も不服を唱えるひとはいなかった。大急ぎで向かいの花屋さんで花束を見繕って、幸せそうな笑顔の彼女に渡して、仕事そっちのけで大盛り上がりだった。
(なんで。なんでみんな、平気でお祝いできるんだよ)
おめでとう、良かったねとお祝いモード一色の会社で、わたしは一人、無表情で固まっていた。
気分が悪いと言って早退し――それから、わたしはヒキコモリの沼に落ちて行ったのだった。
(いらないものは捨てる……いらなかったから、切り捨てられた)
オカンが仕事に出て行って、一人の家のひとりぼっちの部屋で、わたしは傷だらけのリモコンを握ってテレビをぼうっと眺めた。
CMが延々と流れる真昼の部屋。
リモコンの傷。
それは、荒みに荒んだ心のままに、リモコンを壁にぶつけたり、机に叩きつけたりして出来た傷。
「いらない、いらない、いらない」
がんがん、べたん。
黒いプラスチックの角が割れ。
「いらないんだ、いらないんだよ、消えろよ」
どん、どかん、どん。
壁にも傷ができ、リモコンは畳の上に落ちて滑ってまた何かにぶつかる。
何もない部屋で、ちょうど手ごろな八つ当たり道具が、リモコンだった。
分厚い広辞苑とか辞書とかよりは、投げやすかったからね。
(こう、しくっと手に馴染んで、誠に投げやすい、叩きつけやすい……)
投げるためにデザインされたのに違いないよ、マジカルジョーク社のリモコン。
「うふっ、叩かれるの大好きっ」
今そのリモコンは、投げたら祟られそうな見た目の、目がゆらゆらするビスクドールになって、昼寝の枕元で微笑んでいるのだった。
「そういうわけですの。これから何でも案内しちゃうから、よろしくねえん、プリンセス」