リレー式
扉の前に恭しく腰をかがめて立っている、お迎え係さん。
紺の衣装は金ボタンや刺繍で豪華なヴィクトリアン調。きゅっとすぼまった膝丈のズボンと純白のハイソックスをはいている。
ところが、その顔を見て、わたしは唖然としたのだった。
(なるほど、モブ……)
マジカルジョークワールドでは、モブのキャラクターは皆、同じ顔をしているということか。
衣装と性別、髪の色などは異なるが、お迎え係の小姓君の生真面目な無表情顔は、部屋のメイドさんとまるきり同じなのだった。
(デフォルトとはこういうことか)
やはりここは、コンピューターが作り出した異空間らしい。
小姓君が先導して食堂まで案内してくれる後を歩きながら、なにかヒヤリとした感じを抱いた。
廊下はまことに重厚で豪華である。
花模様の壁紙が続き、金の取っ手があつらえられた、重たそうな両開きの扉が規則正しく連なっている。
さっき出て来たプリンセルルームの扉は、薄ピンクに銀の淵飾りが施されていて、取っ手の形は薔薇の花だった。宝石や真珠がちりばめられているし、一目でここがプリンセスルームだと分かる。
だけど、廊下に連なるあまたの扉は全て、重厚で豪華だけど、まるで個性のないものばかりだ。
見分けがつかない。
ふと思った。
この扉の中のどれかに、元のプリンセスが収納されているのではないのかと。
つまり、この中のどれかが、「ダストボックス」なのではないだろうか、なんて、わたしは思ったのだった。
(まさかデフォルトプリンセスの顔も、こいつらと同じじゃないよな)
こつこつと静かに歩く小姓君の背中に向けて、わたしは、あのう、と遠慮しながら声をかけた。
小姓君は足を止めて振り返り、恭しく膝をまげて腰をかがめ、頭を下げた。
「なんなりと、プリンセス」
(なんか、やりにくい)
聞きたいことは取り留めもなく山のようにあるが、とりあえず今は差し迫った部分からだ。
「一番目。この扉の中には何があるの」
相手がコンピューターの創作物ならば、手っ取り早く回答できるよう、こっちも質問の仕方を考えなくては。
「二番目。こっから現実の世界に戻るには、どうすればいいの」
マジカルジョーク社のリモコンを手慰みにいじって、たまたまそれが破棄されたはずの異次元テーマパークの扉を開く暗号と合致した。だから、わたしは唐突にプリンセスになってしまった。
だとしたら、元の世界に戻るのにも、暗号的ななにかがあるはずだ。
(いやあ、別に現実に戻りたいわけじゃないけれどさあ)
湿っぽく閉ざされた、暗くてごたごたした自室を思い出すと、溜息が出そうになる。
毎日出勤して行くオカンの気配と、苛々と悲しみと絶望を混ぜ合わせたような罵声。
ねえアンタ、母さんもいつまでも元気で頑張れるわけじゃないんだから、いい加減地に足をつけて、何でもいいから仕事に就いて、頼むから安心させてよっ……。
万年床の中の、安心できる自分の匂い。
その中だけが安全で落ち着ける場所で、そこから一歩でも出たら、見たくない聞きたくないものばかり。
(何もいいことなんかあるもんか……)
正直、唐突にマジカルジョークワールドに入り込めて、ああこれで誰も知った人がいないところに来れた、と、喜んでいる部分がないわけではない。
プリンセス結構。
豪華なベッドに寝て、紅茶が出てきて、ヘアメイクやら化粧やら着付けやらしてもらえて――トイレに行くのが面倒だが――恐らくごはんだって、豪華なものが出てくるのに違いない。
ふっさふっさと盛り上げられた髪の毛やら薄ピンクの可愛いドレスやら。
それに、この建物の瀟洒な造り。
自然、食べ物に対する期待も膨らむというもの。
(腹減った。はよ飯食わせえ)
だけど、現実に帰ることが全くできない、アナタは一生なにがあっても、ここの世界から逃れられませんというのと、現実に戻る気がなかろうと、戻る道筋を知っているのとでは、何かが決定的に違う。
(答えてくれるかなあ小姓君)
小姓君は生真面目に質問を聞き届けてから、長いまつげを伏せたまま、淡々と答え始めた。
「一つ目の質問ですが、これらの扉の中には確かに部屋がございます。我々はこの部屋を、プリンセスのお棺と呼んでおります」
プリンセスのお棺。
物騒だな。
「お棺というと、プリンセスの亡きがらが入っているの」
聞いてみた、ぞっとしないけれど。
華やかな光を放つ花びら型のランプが、規則正しく壁に取りつけられた、長い豪華な廊下。
ずらっと並んだ無個性で立派な開き戸達。その中に入っているものは。
小姓君はふるふるとかぶりを振った。
「いいえ、プリンセスは一人もお入りになっていません。なぜなら、マジカルジョークワールドは正式にオープンされないまま、破棄されることになったので。つまり、あなたが最初で、恐らく最後のプリンセスなのでございます」
分かったような分からないような。
「じゃあ、正式オープンして、続々とプリンセスになりたい人がここに入って来たら、その人たちは最終的にお棺に入ることになっちゃうってことなの」
それじゃあ、人食い館じゃないか。この城は?
小姓君は静かに顔をあげた。
長いまつげの下の瞳が冷たく澄んでいる。わたしは後ずさりたくなった――ドレスが重くて自由にならん、おまけに靴が文字通りガラスの靴だから、無理に動いたらヒールが折れそうなんだよ!
「一度、ご利用になったプリンセスのボディは、現実にお帰りになる度にお棺に収納されるのです。またこちらに戻られた際、お棺からお出ましになり、再びプリンセスライフを楽しんでいただく仕組みになっております」
なるほど分かった。
それにしても、お棺という表現はどうかと思う。死体じゃあるまいし。
じゃあ、今この扉たちは、どれもこれも空のお棺と言うわけだ。
お棺と言うより、収納庫か。にわかプリンセスどもの収納庫だ。
何か、感じ入ってしまう。
思わずぼうっと無数に並ぶ扉を眺めた。
小姓君は次の質問の回答に移る。
「二つ目の質問ですが、プリンセスは基本、空きが出るまで順番待ちです。プリンセス役はリレー式となっておりますので、他のプリンセスにバトンを回すことができたら現実世界に戻ることができます」
それだけ言うと、小姓君はばちんと口をつぐんだ。
リレー式。バトン。
わたしはしばらく考えた。
小姓君の言ったことを何度も頭の中で反芻して、考えた。そして。
さあっ。
一気に、血の気が引いた。
プリンセスはリレー式。
順番。
次のプリンセスに、「はい、次はあなたの番よ」とバトンを渡せば、現実に戻ることができる。
じゃあ。
じゃあ、今のわたしの状態って。
「えっと、今ここに、次のプリンセスになる人って」
「もちろん、いませんね」
その時、小姓君ははじめてにっこりと愛らしく笑ったのである。
(なんだこのクソシステム……)