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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第四部 永遠のまほろば
41/47

ノックアウト

 うさぎの穴に落ち込んで行くアリスは、異様に冷静にあたりを観察していたっけ。

 わたしもまた、女王陛下と昼食のテーブルと、おまけにメイドさん三名と執事さんまで、頭上から追いかけてくる様子を眺めていたのである。


 (ずいぶん年季の入ったアリスだ)

 と、自分のことを腹の中で揶揄している間も、頭上の女王陛下はオカンそのものの罵声をあげている。

 

 「これ、待ちなさい。テーブルにおつき。デザートを残さず味わうのだ。プリンセスよ、聞こえておろう」


 (デザートを残さず食ったら、そりゃあエライことになりますがな)

 ジャージドレスはゆったりサイズ。だけど、マジカルジョークワールド滞在中に、更に太ったらもっともっとサイズアップしなくちゃならないことになる。

 

 困るんだよ。

 だって、あの古いリクルートスーツにまた腕を通して、就職活動を一から始めなくちゃなんなくなるんだから!


 


 (就職活動か)

 ジャージドレスをぶわさぶわさとパラソルのように膨らんでいる。

 下降している。下の方に、ぽっかりと明るい穴が見えているが、それがどんどん近づいてくる。


 そうだよ。

 現実世界に戻るってことは、就職活動をするってことだ。

 オカンは、早くハロワに行って社会復帰するか、適当に見合いしろと言っている。

 見合いなんか到底無理だから、選択肢は就職一択。


 (あのリクルートスーツか)

 押入れにかかっているはずの。

 (黴てなきゃいいけどさあ)

 サイズの問題も切実だが、十年近くカバーをかけたまま放置しているんだ。

 カバーの中に仕込んだナフタリンも、とっくの昔に切れているだろう。

 

 (スーツ新調するのは嫌だな……)

 せめてサイズはなんとかしないと。

 オカン女王が力づくでのりしおとコンソメとクズキリとパンケーキを喰わせようとするのなら、こっちも全力で抵抗してみせる。

 

 




 下の方で、ぽっかりと空いた穴から覗く、ぬるい光。

 

 あそこにプリンスがいるんだ。

 現実世界のプリンス。

 マジカルジョークワールドで見た、あんな貴公子みたいな姿じゃなくて、現在の、ぶよぶよで汚くて臭い、ヒキコモリ中年の姿のプリンス。


 どんどん穴に近づいて、ぼすんと落ちた。

 ぱっと視界が明るくなる。出た。現実世界だ。


 ごふんげふんと咳き込んだ。埃っぽいったらない。ハウスダストの溜まり場である。

 どうやらわたしは天井から降ったらしい。がちゃんがらがらと痛々しい音が背中で聞こえた。ごつごつと痛い感覚がある。

 

 あああっ、うわああああっ。

 だみ声の絶叫が耳に痛い。

 あああああ、あああああっ。

 一体なんだ。



 

 わたしは固いものの中に埋もれていたのだが、あっぷあっぷと掻き分け、ようやく足が床に着いてから、自分がフィギュアの海の中に落ち込んだことを知った。

 下着姿の金髪っ子。

 水着姿の金髪っ子。

 レイチェル、レイチェル。あれもこれもみんなレイチェル。


 レイチェルフィギュアのごみ溜めの中で、わたしはけろけろと見回した。

 青白い光が見える。PCの画面の発光か。

 最初、明るい場所だと思ったが、実はそう明るくはない。カーテンが閉め切られている。

 真昼のヒキコモリの汚部屋だ。ふよふよと、空中を埃が浮遊していた。


 「あああーっ、なんてことを、あああーっ」


 さっきから喧しいんだよ。

 PCの前に座り込んでいたらしい、丸っこい男が半腰になって、涙目になって、ぎゃあぎゃあわめいている。

 どうやら、わたしを責めているようだ。天井から降って現れたわたしが、レイチェル人形を破損したことを、憤慨している。


 こいつが現実のプリンス。

 ぼよんとした顔に、牛乳瓶底のメガネ。無精ひげが汚らしい。床屋に何か月もいっていなさそうな髪の毛は、もさもさぼうぼうとしているが、頭頂部だけ肌が見えかけている。フケだらけだ。

 黒っぽいジャージの上下は、相当大きなサイズだろうけれど、それでもぱつんぱつんである。

 特に腹回りがすごい。ぶよんぶよんぶるんぶるん。スライムみたいなんだろうな、ジャージ脱いだら!


 あの、貴公子のような面影は見えなかった。

 ただよキモデブである。我ながら酷い言い草だと思うが、他に表現のしようがない。あるいは、もっと具体的に、「汚いキモデブ」と言うべきか――酷い、なんて酷いんだ、わたし。



 そのキモデブは、わたしがいきなり現れたことについては、疑問を抱いていないようだ。ただひたすら、レイチェルの海に落ち込んだことを怒り、嘆いている。

 汽笛のように叫び続けているので、近所迷惑だろうと思った。

 落ち着かせようと思ってなにげなく片手をあげて、「あのう、ちょっと」と言いかけたが、その手に「ぽろん」と細いものがひっかかってきたのである。


 「あああああ、いいいいい」


 ひきつけを起こしたかのように、デブプリンスは目んたまをひんむいた。このまま白目になって卒倒しそうだ。

 見ると、わたしの手にひっかかってきたのは、もげ落ちたフィギュアの腕である。また、見事な曲線美、ほっそりとした優雅なお手て……レイチェルの腕がもげた、レイチェルになんてことを、うおおおおお。


 ……うるさい、変態オタクが。

 

 頭振り回して叫ぶジャージ中年を、わたしは茫然と眺めた。しょちなし。

 好きなだけ叫ばせておくほかないのか。しかし、奴の混乱はおさまる気配がない。


 (時間の無駄だよ)

 いらいらしてきた。

 むっちんぱっつんぶよんぶよんの、汚いジャージ男の取り乱しっぷりを見ていると、どんどん言いたいことが沸き上がってきた。


 「あのさ、あっちの世界ではデフォルトプリンセスがねえ」

 言いかけても、デブプリンスは「うおおー、レイチェルが、レイチェルが殺されたあ、レイチェルの大殺戮」などと叫んで、話にならない。


 (いいかげんにしろ)

 もはやこれまで。

 一言も人間らしい会話をしないまま、一発決めて、卒倒したところをマジカルジョークワールドに持ち帰るしかない。


 わたしは、レイチェル人形の山に埋もれているもう片方の手を引き抜いた。

 そこにはエクスカリバー――ただのシュロぼうき――が握りしめられている。

 こいつでひっぱたいて、不意を狙って、ほうきの柄をみぞおちに叩き込むんだ。ぶよつく分厚い体だが、筋肉はなさそうだから、簡単に仕留められるに違いない。


 わたしの殺気にまるで気づかず、デブプリンスは両手を頬に当て、ぶるるんぶるるんと髪を振り乱して叫び続けていた。




 「やっちまうか」

 と、思ったその時、事態はデブプリンスによって、更に悪化することとなった。


 どすんばたんどきゃばきゃべりぱりがちゃがちゃぼきん!


 「こぉれプリンセスっ、デザートを最後まで味わうのじゃあっ」


 ばらばらと舞い散る、のりしお味とコンソメ味のチップスたち。

 華麗なるレイチェル人形の山に破片が降り注ぐ。

 テーブルごと落ちて来た女王陛下とメイドさんたちだ。


 ぼきんばきんぽろーん!



 金髪美少女のかわいいお顔が首ごともげて、ころりんちょと山から飛び出した。

 人形の生首が、デブプリンスの目の前を弧を描いて飛ぶ……。





 「あー」

 デブプリンスは低く呟くと、そのまま後ろへ倒れた。

 PCを避けて倒れたのは本能か。

 

 どすんと嫌な音をたてて、プリンスの巨体は床の上に伸びた。

 (戦わずして勝った……)



 こんな地獄絵図の中でも、オカン女王はお紅茶をすすっておられる。

 メイドさんも執事さんも、レイチェル人形の中に埋もれたテーブルを囲み、丁寧にサーブし続けている。


 「これプリンセス、こっちに来るのだ」

 オカン女王がもごもごと言った。



 (こいつらみんな、ここに置いて帰りたい)

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