異次元プリンセス
出すもん出して落ち着いてから、メイクやら着付けが終わる。
メイドさんは完全にプロの顔だ。冷たい位に真剣な表情で、丁寧に素早くドレスを着せ込んで行き、皺のたるみひとつに至るまで修正した。
(なんだか機械みたいだよな)
メイドさんの動きの正確さ、目つきの冷たさに、人間離れした何かを感じてしまう。
やがてドレスが完成すると、メイドさんは深々とお辞儀をして部屋の隅に下がった。彼女の仕事はこれで終わったらしい。
「えっと、ごはんに行けばいいんですか」
聞いてみた。
メイドさんは頭を下げたまま、お迎え係が参りますのでお待ちくださいと答えた。
なんだ、お迎え係って。
コチコチ。
暖炉の上の時計が音を立てている。少し時間がありそうだ。
窮屈に絞められた薄桃色のドレスを崩さないように気をつけながら、首だけ回して室内を見回す。誠に豪華で瀟洒、まさにプリンセスルームだ。
壁には絵が掛かっている。
思わず声を上げそうになって、むぐっと口をつぐんだ。いかんいかん、メイドが反応するじゃないか。
壁に掛かった絵は二つ。
多分これが女王様だ。何故分かったかと言うと、その重厚な油絵の肖像画の顔が、どう見てもうちのオカンだったからである。
(オカンが谷間丸出しのドレス着てやがる)
表情だけは女王様で、眉をあげお上品なご様子で、口をきゅっと結んでおられる。孔雀みたいな扇子がお似合いだ。オカン何やってんだこんなところで。
そして、オカンの絵の右横には、これまた可愛らしいプリンセスの絵がかかっている。
薄ピンクのドレスを着て、すらっと小鹿みたいな体つきで、微笑んでいる。
どうみてもわたしではない。
「その肖像は、プリンセスの絵ですよね」
思わず聞いてみた。
メイドさんは顔を上げて、わたしの指さす方向を見つめた。生真面目な無表情のまま、答えた。
「申し訳ありません。修正が追いついていないようで、こちらの絵の更新まで終わっておりませんでした」
は、と聞き返すと、メイドさんはまた頭を下げた。なんだ、修正やら更新やら。
「お食事が終わるまでは、現在のプリンセスの絵に更新されますのでご安心くださいませ」
コチコチコチ。
少し考えた。どうにも意味が分からないが、今のメイドさんの言葉をそのまま受け取るとすれば。
わたしは再度、問いかけてみた。
「現在のプリンセスって、わたし」
左様でございます、プリンセス。
メイドさんは腰を下げてお辞儀をする。
「じゃあ、前のプリンセスが、あれ」
左様でございます、プリンセス。
メイドさんはまたお辞儀をした。
薄桃色のドレスを纏った、綺麗なひと。
青い瞳を見張って、純粋無垢な微笑みを浮かべている。
白魚のような手を前に重ねて、首を少し傾げて。光差す部屋を背景に。
「前のプリンセスって、今どこにいるの」
聞かずにおれなかった。
メイドさんは顔を上げずに、なんの感情も籠らない声で答えたのである。
「ダストボックスでございます、プリンセス。入れたものは定期的に消去される部屋でございますので、時が来れば自動的に消滅します」
「ダストボックス……」
パソコンの、デスクトップにある、ゴミ箱。
その絵柄が頭に浮かんだ。定期的に消去される。まるで巨大なコンピューターの世界にいるような。
「立ち入ったこと聞くけどいい」
「なんなりと、プリンセス」
いちいちお辞儀するメイドさん。腰が疲れないだろうか。
ぐるぐるする頭を一生懸命整理しながら、わたしは言った。
「わたし、昨日までプリンセスじゃなくヒキコモリニートだったんですよ。何がどうなって、こんなことになったんだろう。一体ここはどこなんだろう。こんなことを聞いて、変に思われるかもしれないけれど」
メイドさんは静かに顔を上げた。
生真面目な顔で、じいっとわたしを見つめている。そして、いいえプリンセス、何でもお聞きくださいと言った。
「ここは、マジカルジョークワールドでございます、プリンセス。マジカルジョーク社が創り上げた異次元テーマパークの試作品でございまして、過去に失敗作として破棄されたものが残っているのでございます」
異次元ワールド。
電化製品のマジカルジョーク社、斬新なアイデアを形にする大企業だけど、まさか異次元にテーマパークを造ろうと考えていたなんて。
どういう理屈でそれが可能になるのか。アタマの良い人の考える事は理解できない。
その、破棄されたはずの企画が、未だに残存している。
失敗作、ということは、この世界には何らかの欠陥があると言うことか。
(それにしても、異次元にテーマパークを作ろうだなんて、マジカルジョーク社、考えることが違うな……)
夢の世界にいつでも行ける。
そこでは、アナタはいつでもプリンセス。
適当なキャッチコピーが浮かんでは消えた。
この素っ頓狂なアイデアを企画にして、異次元を作り上げることができた人が、マジカルジョーク社にいる。
失敗とされて企画は落とされてしまったけれど、それでも確かに異次元ワールドを作り上げることに成功しているじゃないか、その人は。
凄え。そんなことが可能なのか。どうやって作るんだ、異次元なんか。
「全てはメインコンピューターと繋がっております、マジカルジョーク社の製品は」
メイドさんは言った。
「このような仮想次元を作り上げることも、コンピューターを操作すれば可能なのです」
ほう。
コンピューターを。
メイドさんは続けた。
「プリンセスは昨夜、マジカルジョーク社製のリモコンを操作されました。ボタンを押す順番、速度が、暗号と一致したのでしょう」
暗号。
「マジカルジョークワールドに入場するための暗号でございます。プリンセスはこちらの世界にお入りになり、同時に前のプリンセス――いえ、正確に申しますと、デフォルトプリンセスは――差し替えられましたので、ダストボックスに運ばれたのでございます」
コンコン。
その時、扉がノックされた。
お迎え係とやらが来たか。
メイドさんは口をつぐむと、また頭を下げた。