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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第四部 ダストボックス争奪戦
31/47

黒山氏

 昭和ムードな休憩室。

 流し台になっているスペースの壁に、駅についているような丸い時計が設置されている。現在12時45分。


 (普通に考えて、昼休憩は13時までだよな)

 コチコチコチ。

 わたしは茶を啜る。さっき、黒山氏が淹れてくれた、美味しくないお紅茶だ。

 ティーバックが突っ込まれたままで、タグの部分がほっぺたに当たって煩い。だけど取り出す気になれないほど、薄いお茶なのだ――お湯がぬるかったからな!


 今、黒山氏はこちらに背中を向け、流し台に立ち、なにやらカタコトやっている。中年の哀愁が滲む後姿よ。背広を着ているから目立たないが、おそらく腰部分はぶよんとしているだろう。後頭部のバーコードが目立っていた。


 (このポットのお湯、いつ沸かしたもんだろうな)


 ちゃぶ台の上に乗っている、花柄のポットを睨んだ。

 古いせいでくすんだ印象だが、この休憩室は全体的にきちんと整理されている。お掃除はされているんだろうな。よく見ると、流し台のスペースの空いたところに、いかにも古そうな家庭用掃除機が突っ込まれていた。


 黒山氏がお盆を持って、ゆっくりと戻ってくる。

 ことっと穏やかな音をたてて、ちゃぶ台の上に茶菓子が置かれた。パンのキャンペーンでもらえるような白いお皿に、個包装の一口ヨウカンと、ばあちゃんたちが好きそうな一口ゼリーが盛られていた。


 「大したものもありませんが」

 と、菓子を勧めてから、黒山氏は自分も茶を入れた。ふちが欠けた、何かの景品のマグカップにインスタントコーヒーをぱっぱっと振って、あのぬるいお湯を入れた。そのままかき混ぜもせず、黒山氏はつつましく啜ったのである。


 


 「お時間大丈夫ですか」

 気になったから聞いてみたら、黒山氏は静かに言った。

 「昼休みはあとすこしで終わりますが、ここはわたし一人の支店ですから何とでもなります」


 滅多に電話もかかってこないというし、することといったら、本社から回ってくる下請けのような仕事を片づけ、それをメールに添付して送り返すだけだというから、間違いなく暇な会社である。そんなことで営業所として成り立つのかと、聞いているわたしのほうが危ぶんだ。


 「まあ、島流しみたいなもんですよ、あは」

 黒山氏は眼鏡の奥の目を細めて言った。わたしは黙って茶を啜った。ついでに、個包装のヨウカンの皮をむいて口の中に放り込んだ。


 甘い。昭和の味がする。



 (お湯を沸かすのを忘れちゃうんだろうな)

 マズイに決まっているぬるいコーヒーを、さも美味しそうに飲む黒山氏を眺めながら、わたしは思う。

 この菓子だって、自分で買い出しに行って流し場の棚に入れておくんだろう。自分が食べるためと、急な来客に備えるために。


 (入社はマジカルジョーク本社、だけど今では○○県の営業所にただ一人)

 

 ヨウカンの甘さが切なくなった。

 一体、何が明暗を分けるんだろう。大林や麻柄とは、頭の出来具合が違っているのだろうか。だけど、この人だって入社試験をパスして狭き門を通り抜けたエリートのはずだった。


 


 コーヒーで喉を潤してから、黒山氏は喋り始めた。


 「状況は、切羽詰まっています。当時の企画サンプルの状態のまま、あの異次元が放置されているのだとしたら、本社の開発部の連中ならば、半日もあれば、あっちの世界に入り込むことができるでしょうね」


 表情の乏しい黒山氏である。静かな口調からは、切羽詰まった感じが読み取れない。

 わたしは黙って、もう一つヨウカンを取った。


 膝の上ではビスクが目を見開いたまま「くう、くう」とアニメ声で寝ている。ふと思ったが、これ寝たふりではないのか。



 「大林さんと麻柄さんがマジカルジョークワールドに入り込むとして、その目的はやはり、あの異次元の管理権の略奪でしょう」

 淡々と黒山氏は語る。背後の時計は、既に13時を過ぎているが、電話の鳴る気配もない。静かだ。


 管理権。

 あの異次元を支配する権利と言う事か。現時点はプリンスがその位置にいるはずだが、奴らはそれをはく奪しようとしている。


 

 「目的は、プリンセスでしょうね。あの企画段階で、デフォルトプリンセスのモデルが彼らの趣味と合っていたらしいです」

 黒山氏は、とんでもないことを淡々と穏やかに語っている。プリンセスが目的というと、あいつら、あのデフォルトプリンセスになにをする気だ――考えるだけでも気持ちが悪いぞ。



 「彼らは、三次元の女性に飽きてしまっていますからね。だけど女が好きで好きでたまらない。女がいなければアイデンティティが保てないくらいの、女中毒だと聞いています」

 茶飲み話のように穏やかに黒山氏は言う。ずずず。コーヒーを啜る音が平和だ。


 「わたしが開発部にいたのは随分前の事ですが、その時、大林さんか麻柄さんかどちらか忘れましたが、三日以上女の人と無縁だったために、食べ物を受け付けなくなり、お腹が下り、原因不明の湿疹が出てきて、両手が震えて止まらなくなってしまって、休暇を取っていたことがありましたね」


 女休暇といいましょうか、あは。

 黒山氏は、淡々と「あは」と言うと、またコーヒーを啜るのだった。



 三日女とすることをしなければ、謎の症状が出る。相当重度な病だと思うのだが、開発部の人間は誰も突っ込まなかったのだろうか。


 ヨウカンの食べ過ぎで口の中が甘い。まずい紅茶を流し込んだ。



 聞けば聞くほど、大林や麻柄をマジカルジョークワールドに入れてはならない気がする。

 万一、あいつらが管理権を握った場合、あのか弱いデフォルトプリンセスはエライことになってしまう。

 そして、さんざんデフォルトプリンセスを思うようにした後、飽きたらそのままポイなんだろうな。

 


 (そんなことになっても、あのクソバカプリンスは何もしようとしないで引きこもっているんだろうか)

 それを思ったら、胸糞が悪くなった。戦えよ、いい加減、プリンスめ。




 黒山氏はマグカップを置くと、立ち上がった。

 ちょっと失礼しますと断って、休憩室を出て行った。間もなく、結構近いところから「ざー」と水を流す音が聞こえてくる。


 この営業所、トイレの音が筒抜けだ。



 やがて黒山氏は休憩室に戻ってくると、「さあ」と言ったのだった。

 その表情の読めない顔で、ネクタイを締め直し、背広のボタンを閉めた。そして、両手で革靴を持って畳に上がると、わたしを見下ろした。


 「行きましょうか、お嬢さん」

 マジカルジョークワールドに、わたしも参ります。さあ、一刻を争いますから。




 おっさん、簡単に言ってくれる。

 わたしは思わず背後のテレビを見た。ここから飛び出してきたんだが、帰りはどうするんだろう。そのうち空間が勝手に歪んで、マジカルジョークワールドに戻るんだろうけれど、今のところその気配はない。

 「おいビスク、もうあっちに戻りたいんだけど、ねえ、おい」

 膝の上のビスクをゆすってみたが、こん畜生、「くうくう」と目を見開いたまま、狸寝入りを続けているじゃないか。


 むかつく!





 その時、黒山氏がしゃがみこんで、わたしの膝の上のビスクの脳天にチョップを落とした。


 やわらかく、触れるだけのチョップであるが。



 その途端、狸寝入りを決め込んでいたビスクは「かっ」と白目を剥き、「ぱく」と口を開いて白い歯を見せた。

 そして、舞台がぐるっと回るかのように、辺りは一気に暗転し――気が付いた時にはもう、そこは古びた給湯室ではなかったのである。

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