カフェインの復讐
お紅茶が終わったら、お召替えだ。
メイドさんに促され、わたしは薄ピンク総レースの天蓋付きベッドを降りた。
素足を包み込む、毛足の長いピンクの絨毯だ。
(猫の背中を踏んづけたら、きっとこんな感じだろう……)
薄ピンクのネグリジェ姿で鏡台に座る。その鏡台も、これでもかという程のプリンセス仕様。
いわゆる「姫系」なコが通販で買うようなデザインだけど、お品が良いので蓮っ葉な感じはしない。
高貴さに溢れている。
姫、姫、これでもか、姫!
ところが、鏡台の白い観音開きの扉を開いたら、そこに映っているのは、姫とは程遠い、くすんだ肌をしたアラサー女が座ってやんの。
枝毛だらけの伸び放題の黒い髪の毛。
ヒキコモリニートのぐうたらな日々のせいで、たるみ切った体。
品のある姫ネグリジェが、似合わないことこの上ない。
それでもメイドさんは、髪の毛を懇切丁寧にブラッシングして、シュシュと良い匂いのスプレーをかけて、ヘアメイクしてくれるのだった。
パサパサボサボサのセミロングが、リボンとカールとシニヨンで飾りまくられて、キラキラまで――ふんだんに使われているけれど、このキラキラ多分ダイヤだ――髪の毛に付けられて、こんな髪の毛でよくぞここまでと思う位に美しくまとめ上げられた。
メイドさんは真面目な顔だ。
無表情を装っているが、髪の毛を仕上げた瞬間、勝ち誇ったような顔をした。
「どう、こんなクソ髪の毛だって、アタシの手にかかれば見た目姫になるのよ」
と、語っている――ような気がした、卑屈なわたしの目線では。
次は化粧か。
メイドさんは丸椅子を持ってきてわたしの横に座り、失礼しますプリンセスと丁寧に頭を下げた。
シュシュシュッ。
顔全体に、良い香りのする化粧水をまぶされ。
ペタペタペタッ。
これまた良い香りかつ肌馴染みの良い乳液がふんだんに塗られ。
化粧下地も丁寧に。
これまた気が遠くなるようなメイクアップタイムである。
筆やらなにやら色々使って、頬やら口やらまつげやら、いろいろと申し訳ない位に念入りだ。
(終わらんか、まだ終わらんか)
生真面目な顔の無表情メイドに顔をいじくられ、どれほど経つか。
確かにメイドさんの技術は素晴らしいのだろう。
ちらちらっと横目で鏡を見ると、あのヒキコモリニートの冴えない顔が、それなりに姫らしくなっているじゃないか。
(天才かもしれない、このひと)
現実世界なら、引っ張りだこになるほどの腕前かもしれない。
そして、メイドさんにも自覚がある。
堂々と、自信満々に。
だから、威圧的と言うか――されてるこっちが、萎縮するのだ。
やりづらい。
特に、朝、たっぷりとお紅茶を飲んだ後は。
「まだ終わりませんか」
と、恐る恐るきくと、メイドさんは無表情かつ丁寧に
「もう少しお待ちくださいませプリンセス」
と答える。真剣勝負の顔だ――黙ってろや姫のくせに、てめえは姫なんだから黙ってされるがままになっちょれや――内心の声が聞こえてきそうだ。
いや、すごく丁寧で、真剣で、申し分のないひとなんだけど。
「あの、トイレに行きたいんですが」
朝起きてカフェインを取ったら、必然的にそうなるだろう。
勇気を振り絞って言ってみたら、メイドさんは一瞬、信じられないものを見たような顔をした。
(お姫様はそもそもおしっこをしない生き物であるはずなのに、このお姫様はトイレに行きたいと仰せである。これは今までにないことである。自分はこのイレギュラーな事態に、どう対応するべきか)
というような、心の葛藤が聞こえてきそうだ。
「プリンセス、お食事の後がおトイレタイムです」
「今出ます」
出るもんは出るんだよ。
プリンセスというものは、便所に行くタイミングすらご都合主義なのか。
モーニングティーとか飲むくせに、プリンセスはトイレしないとか。
馬鹿な。
(じゃあなにかい)
尿意に耐えながら、生真面目なメイドさんの凝視を跳ね返す。
わたしはぐっと拳を握りしめ、内またである。耐えろ。垂らすな。耐えろ。
(トイレタイム以外でトイレに行きたくなったら、隠れてそのへんでしろと……)
メイドさんは慎ましく引き下がった。
わたしは鏡台の前から立ち上がると、足にからみつく面倒くさいネグリジェをたくしあげて、部屋の隅にあるバスルームに飛び込んだのだった。




