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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第三部 ゴミはゴミ箱に
22/47

美味しい朝ごはん

 なんでもかんでも翌日になるとリセットしちゃう機能があればいいなって思ったことがある。

 良いことはその時限り、嫌なことはいつまでも反芻して、忘れちゃいけないとばかりに、ずーっと覚えている癖があるからかな。


 学校に行っていた時も、元職場に勤めていた時も、わたしの中は嫌なものでいっぱいだった。

 仕事のドライな感覚が好きで、だからこそバシバシ頑張ることができたのだけど、それでも職場の人間同士、ちょっとした目つきや態度の差、あいさつの時の声色等、些細な事でも埃のように積もってゆく。


 イヤダイヤダイヤダ。


 

 こんなわたしだから、実は相当ストレスが溜まっていて、あとちょっとのところで何とか踏みとどまっているなんて、誰にも――会社の憧れのあのヒトですら――分からなかったんだ。

 そうだ、自分自身ですら、この積もり積もって息をするのも辛いくらいの重たいものが、ストレスだって認められないうちに、それは取り返しがつかないくらい大きく育ってしまって、ある日、人から見たら理解できない位のささやかな出来事で、あっけなく崩壊した。


 (ヒキコモリニートなんて、ちょっとしたことで、いつでもなれてしまう)




 プリンセスと女王陛下の、朝のお食事時間。

 広い食堂には窓がいくつか並んでいて、そこから庭園の爽やかな風が邪魔にならない程度に吹き込んでいる。

 品の良いレースのカーテンがひらひらと揺れ、高い天井から下がるシャンデリアが朝の陽ざしを受けて静かに光っていた。


 そのシャンデリアの下に、細長くテーブルがセットしてある。

 一体何人座ることができるのかと思う程のでかさだが、実質、座っているのはわたしと女王陛下の二人だけ。


 シャンパンゴールド色のテーブルクロスがかけられた朝食の席では、最上座にオカン顔の女王陛下がお座りである。

 わたしは女王陛下から向かい、角を挟んで左側に座らせられていた。


 メイドさんたちがカラカラと食事の乗った銀のワゴンを運んできて、黒い燕尾服の執事――顔はメイドさんと同じだが――が、わたしと女王陛下の間に立った。絵にかいたような執事である。左手の腕に手拭きやらタオルやらわからないが、とにかく布をかけており、生真面目な顔で立っているのだった。


 

 

 「おはようプリンセスや」

 オカン女王である。

 

 顔はオカンであるが、首から下は女王陛下だ。純白で豊満なお胸は黒と金のドレスのチラリズムの元、適当に包まれている。いかにもクイーンらしい豪華な首飾りはダイヤがまばゆい。これは重そうだ。


 つっかえながら、おはようございますと会釈をしてみた。

 どんなに小言を喰らおうと、ご馳走だけは味わい尽くすと意気込んでいたけれど、実際、女王陛下を前にしたらビクビクする。女王ってだけで迫力があるのに、オカンの馬力や威圧感がプラスされていて、もはやこの人は、無敵である。


 (昨日のことをさぞかしネチネチと言われるに違いない)

 と、覚悟していたけれど、それは呆気なく覆された。


 オカン女王は優雅に頷くと、流し目で窓の外を眺めて溜息をつき、庭園の風にうっとりしているようだった。

 これほど麗しい朝じゃ、相応しい曲を奏でるが良いと息を吐き出すように呟いた。早速執事が首を曲げ、女王陛下から離れた位置でスタンバッていた、宮廷楽師たちに合図を送ったんだよ。


 

 「爽やかな晴れた庭園、薔薇の花びらに落ちるプラチナの滴。喜びの風がうたうような、そんな調べを奏でるが良い」

 と、女王陛下は陶酔したように言った。楽師たちはサッと楽器を構え、注文通りの曲の演奏に取り掛かるのだった。

 

 ……。


 ……生魚を顔にグリグリ、泥棒猫に負けやしない、熱い血潮が騒ぐのさ……。

 

 は?

 開いた口が塞がらないわたしの前に、静かに朝食の皿が置かれる。非常に良い匂いがする。

 流れる曲にアングリしつつ、視線を下に下げた。更にわたしは唖然とした。


 プリンセスの朝食は、白米、豆腐の味噌汁、カニカマの酢の物と、焼いたししゃも三匹……。

 (これ、だけ)

 

 しかも、このメニューである。



 「ふりかけでございます」

 横からメイドさんが、お弁当用の一食用ふりかけパックが盛られたお洒落な籐の籠を置いてくれる。ピンクのレースのリボンが持ち手に飾られていて、なるほどプリンセスっぽいが――ふりかけ――グウと、腹の虫が素直に鳴いた。


 

 

 「今朝の出汁はよく取れておるな。コックは誰じゃ。褒めて遣わす」

 オカン女王は、極上のワインでも飲むかのように、素朴な和食の朝ごはんを堪能している。ごてっとしたドレスと髪型をしたクイーンが、鳥さんがプリントされた可愛いお箸を持って、お茶碗を片手に、ししゃもを食いちぎっておられる。



 バックミュージックも相当である。

 これは、マイナーなロックバンド「アバズレッツロック」のナンバーである。

 この曲は確か「泥棒猫には魚の骨をくれてやる」のはずだ。ずががが、べきゃばりどどどんだどどん、どかーんどかーん、いえあいえあ、きゅいいいん――どうして、ピアノとヴァイオリンとヴィオラとチェロとフルートの楽師が、こんな曲を奏でることができるのか。


 (わたし仕様になったということか)

 素朴な和食。そうだ、こういう食事をわたしはしていた。

 学生時代も、仕事をするようになってからも、毎日こんなごはんを食べて、しゃきっとして出かけて行ったんだ。

 ついでにイヤホンをつけて、好みのハードロックを聴いたりして、ようし今日もやるぞと闘志を燃やした。


 実に健康的でアグレッシブ。有意義な一日の始まりらしい朝。

 ハードロックを聴きながら、そっと味噌汁を飲んでみた。胃が温まり、途方もない満足感が体中に駆け巡った。


 ふりかけを一つ選んでごはんにかけ、噛みしめて食べる。

 美味しい。旨い。これを食べたかった。


 多分、ずっとわたしは、これを食べたかったんだ。



 オカン女王が昨夜のことを話すことはなく、朝食は平穏に終わった。

 「プリンセスや、今日はどのような予定か」

 ナプキンで口を拭きながら女王陛下が仰せになり、わたしは適当に、城内を散策し、適度な運動をしたいと思いますと答えておいた。実際、これから歩き回るつもりだから、あながち嘘ではない。


 左様か、良きかなと女王陛下は目を細め、ご機嫌のようである。どうもおかしい。


 お迎え係君が迎えに来てくれたので朝食の席を立ち、食堂からとっとと退室した。

 楽師たちは相変わらず「アバズレッツロック」のナンバーを演奏しており、女王陛下は食後の番茶を啜りながら、うっとりと耳を傾けている――ああそうか、デフォルトなら、ここは優雅なクラシック音楽のはずなんだと気が付いた。


 


 こつこつ通路を歩きながら、慎ましく斜め前を歩くお迎え係君に聞いてみることにした。

 「あのさ、もしかしたら、女王陛下は昨日の怒ったこととか、全部お忘れになっていらっしゃるんでしょうかね」


 「左様でございますプリンセス。マジカルジョークワールドでは、お小言や悪感情は一晩たてばリセットされます」

 ですから、例えばプリンセスがこの城の誰かを殴ったとしても、翌日には、殴られた相手は、自分がされたことを忘れる仕組みになっているのです。


 お迎え係君は、生真面目なメイド顔をちょっと振り向かせ、静かに会釈してから答えた。

 (人間関係に怯えて挙動不審になっちゃうような人が、泣いて喜びそうな設定だな……)

 わたしは思った。


 なんて居心地の良い場所か。一瞬、それならいつまでもここにいても良いなと思ったが、いやいやまてと自分の手綱をしめた。




 お腹の中は食べた朝食で心地よく膨れており、体はほどよく温もっている。

 未だ味噌汁の香りが漂うようだ。

 

 (わたしはこんなごはんを、ずっと食べたかった。そうだ……)

 そうだ、わたしは、ずっと戻りたかった。


 ストレスに苛まれながら、勝手にボロボロになって苦しんでいた。だけど、バシバシ仕事をこなし、どんどん突き進んで行き、一日が終わる頃にはくたくたに疲れていても、ああ今日もやったんだ、仕事をしたと思えるような日々に、また戻りたいと思っていたんだ。


 

 昨日、ちょっと仕事の件でギスギスしたあの人と、今日はまた顔を合わせる。きっとわたしに対して嫌な思いを抱いているだろうなあ。でも、酷い目にあったのはこっちだし、わたしは何ら間違っていない。ああ面倒くさい、あんな人、辞めればいいのに――通勤中、決まってぐずぐずと昨日のことを思い出して重くなる。だけど行く。行って、また戦う。仕事自体は好き。絶対に奪われたくない。


 だけど、朝、オカンが作ってくれるごはんを食べて、それが力になっていたような気もする。

 美味しかったんだ。ヒキコモリニートになる寸前から、なぜか朝ごはんが欲しくなくて、何も食べずに会社に行っていたけれど。



 

 (朝ごはんを食べて頑張りたい)

 と、自分の心のどこかがそう願っていることを、わたしは知ったのである。決して、全身全霊でそう願っているわけではないけれど、心の一部が、あの多忙な日々を懐かしんでいるのだ。


 あんなごはんを、しかもオカンの顔を見ながら食べたものだから、居ても立ってもいられない気分になった。





 (やはり、現実に戻らないと。戻らねばならない……)

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