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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第三部 ゴミはゴミ箱に
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プリンセス、開き直る

 朝である。

 あれからまんじりともできなかったので、どうもスッキリしない。目の下に隈ができている気がするが、それでも今日はやらねばならないことがある。


 メイドさんがモーニングティーを持ってくる頃には、ピンクとレースのプリンセスルームに、頭を振り回したい勢いのロケンロールが素敵な音量で鳴り響いていた。どぎゃばぎゃべきゃばりどどんどどんぱあんぱんぱあん。


 きっと、朝日が差し込むレースの大窓からは、庭園の小鳥のさえずりが優雅に聞こえているのだろうけれど、気合満点のハードメタルに掻き消されて、ここまで届きゃしない。ふわっとレースカーテンがそよぎ、その爽やかな風が頬を撫でるのを感じる。


 モーニングティーを済ますと、特に断りなしでトイレに立ってやった。メイドさんはトイレに今行くんですかとも、ぜひトイレに行って下さいとも、一言も口にしない。

 黙々と生真面目な顔で、メイクアップの支度をしているだけだ。


 (これが本来のメイドってもんだ)

 用を済ませながら思う。

 主人がいつトイレにいって何をしようが、口を出すなんて思い違いも甚だしい。プリンセスの生活はメイドが決めるもんじゃなくて、プリンセス自身がやりたいようにやるもんだ。


 それで、トイレのついでにばさばさとネグリジェを脱ぎ散らかしてやって、シャワーを浴びてやった。

 ちょうど昨夜、ここでプリンスが薔薇風呂に突っ込んだことを思い出す。

 誰がどう片づけたのやら――それとも、自動的に綺麗になる設定になっているのか――バスルームの中は綺麗に整っており、猫足のバスタブにも良い湯加減の湯がちょうどよく溜まっているのだった。




 (オハラショウスケさんみたいだな)

 思えばこれまでの人生で、朝に湯船につかったことなどなかった。

 学生時代、同級生の女子は朝シャンとかしてきたけれど、うちのオカンはそういうのが嫌いだ。


 「あんたっ、昨日風呂に入ったからいいんだよっ。水道代とガス代の無駄だよっ」

 色気づいてる暇があったら、勉強していいところに勤めて、自分のしたいことができるくらいの稼ぎを作んなっ。



 

 女手ひとつで育ててくれたオカンのことを思い出すと、せっかくプリンセスになっているのに、胸が重くなる。

 そうだ、帰らなくてはならない。確かに楽しい現実ではないし、戻ったところでヒキコモリニートの生活から立ち直るめどがついているわけでもない。


 でも、こんなところに永久にいられるわけがない――ほどよい湯加減の薔薇風呂に漬かりつつ、こりゃ最高だプリンセスやったねという思いと、こんなものが本物の生活であるわけがないという、妙に切羽詰まった思いがせめぎ合っている――リモコンビスクをいじったことで、マジカルジョークワールドの生活はどんどん良くなってゆくだろう、ここが居心地よくなる程に、わたしの中の焦りのようなものは大きくなってゆく気がする。


 (朝からなにしてるんだよっ、あんた今日こそハローワークに行きなっ、もうかーさん仕事行くよっ、ねっ、いいねっ)

 ……。



 風呂からあがったら、知らないうちに足ふきとバスタオルが用意されていた。

 適当に拭いていると、そっとノックされて、メイドさんが恭しく登場した。恐れ入りますプリンセスと一言断ってから、髪の毛にタオルを巻いてくれたり、背中をふいてくれたりする。

 ついでに湯上り用のガウンまで着せてくれた。


 バスルームから出てくると、既に支度が整っており、すぐさまメイドさんは着替えとメイクアップに取り掛かった。

 生真面目な顔でせっせとしてくれるのは昨日と同じだが、ドレスのウエストがほどよく広がっており、びろんびろんだった胸のところも、ちょうどよくなっていた。

 ついでに、色合いも薄ピンクと白ではなく、グレーと黒になっていたので驚いた。


 (普段着はだいたい、グレーのトレーナーと黒のジャージだもんな……)


 リモコンビスクをいじった結果だろう。何もかもわたし仕様になっている。

 ドレスは体型を隠すよう、裾がふわっと広がっている。かたちはプリンセスらしいのだが、両サイドに真紅のラインが一筋入っているのは、多分ジャージのズボンを表わしているんだろう。


 メイクも、ぱたぱたと基礎化粧をした後は、それほど塗りたくらずに済ませてくれた。

 髪の毛の方も、ドライヤーで乾かして適度にウエーブを付けただけだ。

 

 そうだ、これくらいがちょうどいいんだ。

 ナチュラルメイクと、出勤前に整える程度の髪の毛。

 最後にちょっと付けてくれた口紅はベージュ色で、ちょうどそれは、会社勤めをしていた頃、毎日使っていた色だった。


 (会社……)


 マントルピースの上のごてっとした銀の時計は、七時半を指している。もう少ししたらうちを出る時間。

 駅までの道のり、グレーのパンツスーツ、ローファのかかとがかつかつ音を立てる。


 今日はあれとあれの工程を進める。あの仕事は明日までに再校に出すから、今日の夕方までに校正チェックしなくてはならない、外注さんに電話して進み具合を確認しなくては。そうだ、色校正しなくてはならないやつもあったから、あれをまず先に済ましてしまった方が良い。あの印刷会社さんだったら、肌色がきつくなる癖があるから、そこをよくチェックして。


 頭の中はめまぐるしくて。

 息をすることも忘れるほど。

 駅について、改札を済ませて、電車が来て。

 戦いに行く。今日もやる……。




 「切り捨てた。いらない。不要。特に重要ではない。別に何も感じていない。ごみ」

 

 


 息を飲んだ。

 今、わたしはどこに行っていた?

 さらさらと髪の毛を梳かしてくれるメイドさんは背後に立っていて、わたしは目を見開いて鏡の中を見つめている。

 

 呼吸すら忘れる充実感、ちょっとの余裕もない時の刻み方。

 心が折れそうな切羽詰まった仕事と、できない子は辞めてゆくしかない厳しい現実。

 一度、逃げてしまったあの生活が蘇って、生々しく音や香りや感覚が迫っていた。

 「がんばってるな、凄いよ、このまま突っ走れ」

 優しい笑顔であったかい手の平て、頭をポンポンしてくれた彼。

 ごはんを奢ってくれて、いろんな仕事の話で盛り上がって、大事にしてくれると思っていた彼の、穏やかでゆったりとした、温かなあの声で。


 切り捨てた。ごみ。

 ……。


 (実際に言われたわけじゃないけれど、あの仕打ちは、そう言ったのも同然だよな)

 鏡に映った顔は、あの頃よりふくっとしている。

 口紅の色があの頃のおなじだから、妙に蘇ってきたのかな。深呼吸した。

 

 今は、昨日の夢のことを確認しなくては。もしかしなくても、すぐにでも現実世界に戻ることができるかもしれないんだ。



 それでも、おなかは空いている。

 昨日、夕食を取れなかったことを思い出した。メイドさんがメイク道具を片づけ、そろそろ朝食ですと言った瞬間、腹が派手な音を立てた。


 バックミュージックのハードメタル「食物連鎖~俺の死体は燃やすなそのまま腐らせろ~」の間奏に合わせたような、重々しく大きな音だ。ぐりゅりゅりゅ。


 


 (そうだ、今日からのりしお味じゃなくなったはずなんだ……)


 昨日は一日ポテチと炭酸飲料責めだったからな。

 あんな思いを味わう位なら、今後一生、ポテチとさよならするほうがマシだ。



 さて、どんな朝食だろう。

 この城に相応しく、フランス料理とか。

 

 ドレスや髪型もわたしの好みに合わせてくれているのだから、きっと食事もわたしの好物になっているだろう。

 イタリアンとか。いいな!


 


 トントン。

 ノックされた。お迎え係君が、昨日と同じ姿で腰をかがめている。

 喜々としてわたしは朝食に向かった。


 えんえんと続く長い通路。両サイドに並ぶ両開きの扉を無意識に数える。

 違う。デフォルトプリンセスのいる「ダストボックス」は逆の方向だから、こっちにはないはずだ。


 朝ごはんはなにかなとウキウキしていると、お迎え係君が、生真面目な顔で言った。


 「朝食には女王陛下も同席されます、プリンセス」


 うん分かってるよ。昨日もそうだったもんね。

 女王陛下、オカンと同じ顔の……。



 そこまできて、ようやくわたしは、自分がどんなに呑気なのか思いしったのだ。


 昨日の素行。

 オカン女王陛下は大層お怒りのはずだ。

 「濡れ場」とか怒鳴っていたしな、あの状況を見て。



 (オカン女王から、めたくそな叱責を受けるに違いない)

 現実のオカンの怒鳴り声や鬼の形相を思い浮かべると、げんなりした。

 オカンの叱り方と来たら、どんなにネチネチとしつこいか……。



 オウフ。



 (いやあ、どんなに怒鳴られたって、せっかくのお食事、きっちりと味わわせていただきますとも)

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