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戦え! プリンセス  作者: 井川林檎
第二部 プリンス
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地雷踏んだ

 マジカルジョーク社は世界に名高い有名企業。

 本社の開発部のエースと言えば、注目の的のはずだ。


 そこそこイケメンで、頭脳明晰。仕事もできる。

 しかも――ここ重要――独身の若い男性ときたもんだ。


 まさにプリンスだったことだろう。

 


 


 わたしは大息をつきながら便器と壁の隙間に体を押し込めて辛うじて立っており、その様を眺めていた。

 純白の浴槽に金の猫足のバスタブには、薫り高い湯が滔々と満たされており、プリンセス風呂らしく赤薔薇の花びらが優雅に浮いている。


 間抜けにもそのプリンセス風呂に頭から突っ込んだプリンスは、ごぼごぼぶわあと悲惨な音を立てながら身を起こし、しばらくぶるぶるぶるぶる震えていた。

 さらさらのイケメンヘアだった頭は、見事にぬれねずみであり、赤いバラの花びらを何枚もひっつけている。

 黒い礼服の上着は肩から大きく裂けており、純白で清潔感漂うワイシャツの腕が見えている。


 湯で濡れそぼったシャツから腕が透けているんだけど、残念な程に貧弱なんだ!





 (アタマは良いけれど、その他の点では全然ダメ夫君……)


 ぜーぜーばーばー息を切らしながら、わたしはプリンスについて、そんな評価を下した。

 今、このマジカルジョークワールドに現れた姿こそ、プリンスの最盛期の姿のはずだ。現実の彼がマジカルジョーク社を辞め、ヒキコモリニートになり、レイチェル人形に囲まれて汚部屋暮らしとしているとしても、今、ここにいる彼は――バスタブに突っ込んで濡れているけれどな――かつて名声を欲しいままにした、マジカルジョーク社のエリートのはずなのだ。



 

 「キャーッ、プリンスと目が合っちゃった」

 「ほら見て、プリンスのお姿の写メ撮っちゃったの。待ち受けにしちゃお」

 (かつて、栄光の座についていた頃の奴の姿が目に浮かぶ)


 マジカルジョーク社が採用するのは、有名大学のお坊ちゃんお嬢ちゃんだろう。

 華麗なるお嬢様方が、毎朝プリンスが出勤するのを見て、きゃあきゃあとハートを飛ばして色めく中、さっそうと彼は歩いたのかもしれない。

 (キラキラとサラサラヘアを輝かせたりしてさぁ……)


 お仕事にしても、先輩方をさしおいて、ぐんぐんどんどん注目を集め、ついにエースと言われるまでになった。

 (こんなマジカルジョークワールドを企画しちゃうくらいだもんな)

 常識を超えた知能と、そうきたかと息をのむような発想力。


 恐らく、誰も彼には叶わなかったんだろうな。


 


 そんなことを一瞬のうちに深く考えてしまう程、マヌケなぬれねずみになったプリンスの激昂はすさまじかった。

 後姿だと、余計に体型の貧相さが際立つのだが、本人は多分、自分が貧相だとは思っていまい。

 両手をグーにして、ふるふるぶるぶる全身を震わせて――その無言の空気は、このワタシがこんな屈辱を受けていかに怒っているのかを語っているのだった。


 

 

 わたしは片腕に抱いたビスクをちらっと見た。

 ビスクは例によって、ただの人形のふりを決め込んでいる。

 創造主の前なんだから、別に取り繕う必要などないと思うのだが、そうプログラミングされているなら仕方がない。


 

 「君、どうやってここに来たんだ」

 

 なんとか怒りを飲み込んだらしいプリンスが、背中を向けたまま言った。

 べちょべちょになった髪の毛を手ぐしで直している。


 わたしは答えなければならないようだ。


 「マジカルジョーク社のテレビのリモコンを適当にいじっていたら、ここに来れちゃったみたい」


 

 

 ぽちゃん。

 プリンセス風呂の天井から滴が垂れてバスタブに落ちたようだ。

 澄んだ音はやけに響く。


 プリンスはゆっくりと振り向いた。

 ずぶ濡れになった眼鏡を外し、手の指で拭きとっている。

 近視特有の鋭い眼光が、この人の場合は返って謎めいた魅力になっているのだろう。

 ぐっと真正面からこちらを見たプリンスは、確かにイケメンなのだった。


 (首から下を、他のパーツにすげかえたい)

 顔が良いので、なおさら濡れた体の貧相さが残念でならぬ。

 この人、エリートだった頃は着ている服で体型をごまかしていたんだろうな。


 

 プリンスは唖然としていたが、すぐに何かを理解したらしい。

 ふん、そういう偶然もありえるな、滅多にないはずだが――ぼそぼそ呟くのが聞こえる。

 

 プリンスの髪の毛から、ひっついたバラの花びらが、ぶらぶら垂れ下がって踊っていた。

 その情けない姿で、プリンスは再度沈黙に落ちる。こちらを見ているようで見ていない。

 なにか、大長考に入ったようだ。


 

 ぽちゃん――風呂水の音。

 ぐぶっ、ぼすっ――未だ荒ぶる、わたしの腹のブレイクダンスの気配。



 

 「現実に帰りたいんだけど、方法を教えてもらえませんか」

 ついに、ストレートにわたしは言った。

 これ以上待っていたら、服が湿ってきそうだし、今にもお腹が暴れ出しそうだ。ここは必要なことをさくっと話し合って、速やかにトイレに籠りたいものだ――わたしは目の前のプリンスを、息を詰め乍ら凝視する。


 はやく、なんとか言え。

 答えろ。



 なのにプリンスは、未だに口を開こうとしない。

 視点の合わない目つきで、ぐずぐずと何かを考え続け、先に進もうとしないのだった。


 「デフォルトのプリンセスを取り戻したいなら、わたしを現実世界に戻すべきだと思うのですが」

 

 ついにわたしは、もう一言言った。

 そうだ、プリンスはデフォルトプリンセスとの逢瀬を楽しむために、このマジカルジョークワールドに入り込んで来るのではないのか。

 

 あの、庭園の噴水の向こう側で、ひっそりと口づけを交わし合っていた姿。

 きっと、同じ場面を何度も何度も繰り返し繰り返し、演じてきたのだろう。

 敵対する国のプリンスとプリンセスの禁断の恋。そのシチュエーションが、彼の性癖なのだろうな。


 

 デフォルトのプリンセスのことを言った時、プリンスの表情が苦しそうに崩れた。

 それでもまだ黙っているので、ついにわたしはもう一言追い打ちをかけたのである。


 「デフォルトプリンセスはダストボックスの中なんでしょう。定期的に削除されるって聞いてるから、早くしたほうがいいんじゃないんですか」


 

 ダストボックス。ゴミ箱の中。

 このままでは消えてしまう。

 いや、もう既に消えてしまっているかもしれない。




 

 その時、大きく崩れたプリンスの表情を、わたしは忘れることができない。

 イケメン面が、病み崩れた瞬間である――ああ、これが本来の彼なのだ、こういう自分を常に隠しながら、整った姿を保ってきたのか――あああああ、おおおおお――悲鳴のような咆哮のような、とにかく生理的に受け付けない声を上げると、プリンスは両手で自分の頭を抱えた。凄まじいヘドハンである。


 ぶるんぶるん。うおおう、うおおう。

 

 濡れた髪と服から飛沫が飛び散る。

 そのうち風呂場の壁にすがりつくと、キツツキが木をつつくように、自分の額をごんごんがんがん当て始めたのだった。


 「ちょっ、アンタ」

 思わずわたしは身を乗り出した。

 

 デフォルトプリンセスがダストボックスに入れられた事実を口にした瞬間、この乱れっぷりである。

 この人が創ったマジカルジョークワールドだから、この仕組みを知らないはずがない。


 デフォルトは、本物のプリンセスが入って来た時点でゴミ箱行き。

 そして、プリンセスは更新制。

 次のプリンセスが入って来たら、古いプリンセスはお棺に入る。

 

 (一体、なんでこんなに乱れるんだ)


 

 目の前のプリンスは、どべしがごんと額を壁に打ち据えており、なんだか血しぶきまで生じているようだ。

 自傷行為に及ぶ錯乱ぶり――眺めているうちに、わたしは何となく理解した――そうか、プリンスはこういう人なのだ、自分に取って望ましくないことが起きたら、それを認められない人なのだ――ああそうだ、その精神的な薄さのために、どこかで破綻をきたして、マジカルジョーク社を去らなくてはならなくなったのに違いない。


 ご都合主義がそのまま現実になり、トントンと思いのままに人生を歩むことができてきた彼。

 だけど、ある時ストンと足元が落ちるようなことがあった――マジカルジョークワールドの企画がボツにされたことだよ――多分それだ――そして彼は、現実を受け入れることができずに落ちて行ったのかもしれない。




 そうだ、すべてはわたしの想像だ。だけど、だいたい合っているのではないかと思う。

 目の前で自分の頭から血を流しながらごんごん壁を打っている彼。

 うおおきえええ。奇声を発し、近づくこともできない。


 現実を認められない。見据えたくない――もどかしい、腹ただしい、いい加減にしろ。

 「いやだからね、アンタがなんとかしさえすれば、デフォルトのプリンセスも無事に救出できるわけでしょうっ」


 わたしは怒鳴りつけていた。





 がちゃがちゃっ。

 その時、バスルームの扉が開き、メイド顔の兵士たちに護られて女王陛下が現れた。

 このありさまを見て、んまあと甲高い声をあげている。


 「このような濡れ場、許せようか」

 とか言っているが、ああそうだな、確かにある意味濡れ場だよ。


 プリンスぐしょ濡れだからな!

 


 「お母さま、これは違……」

 一応プリンセスらしく取り繕ろおうとしたのは、わたしの精一杯の思いやりだったのだけれど。



 「んああああーっ」

 どうやら、駄目駄目プリンスには、そんなもん伝わらなかったらしい。

 プリンスは「もうだめだ、おわった」と吠えた。

 

 次の瞬間、赤いバラの花びらが洪水のように天井から降ってきて、ハリケーンのようにプリンスの体を包んだのである。

 両手を顔にあて、天を仰ぐ絶望ポーズのプリンスは、真紅の花びらにくるまれ――やがて花びらはぼろぼろと床に零れて行き、そこにはプリンスの姿はきれいさっぱり消えていたのであった。


 



 「あーあ」


 小さくアニメ声が聞こえた。

 腕に抱えたビスクが、こっそりと目を動かし、わたしにだけ聞こえる声で、そう言った。

 

 「地雷踏んだ」

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