プリンス登場
ぱらっぱ、ぱっぱらー。
ラッパのファンファーレが鳴り響き、でかい声で「プリンセスのおなーりー」と叫ぶおっさんがいる。
どれくらい広いのか見当がつかない位の大広間は、床は鏡面のようにつるつると磨き上げられ、銀色にてかっている。
広間の四方には関ヶ原の野営陣かと思いたくなるような、原始的な松明があかあかと燃えており、そのくせ天井からは凄まじくきらびやかなシャンデリアが、ぼん、ぼん、ぼんといくつも下げられているのだった。
(カオス)
こと照明に関していえば、その一言に尽きる。
シャンデリアか松明か、どっちかにしてくれい。
(恐らく、いろいろなアニメの場面が混乱しているんだろうな……)
一口にプリンセスと言っても、いろいろだからな。
中世のプリンセスなら、男以上に肝が据わっていて、物静かなくせに、ぐっと芯が太くできているような気がする。そんな中世のプリンセスが主役の場合は、ややくすんだ色味のドレス――染めもの技術がまだ進んでいないからだ――や、暗い石造りの城の中、燃え盛る松明、肉汁が滴るような豪勢な食事が出てくるだろう。
美しい壁紙や煌びやかな装飾、ヴェルサイユ宮殿を思わせるような見た目は、近世以降のプリンセスイメージだろうな。
このマジカルジョークワールドの創造主であるプリンスの頭の中では、きっと史実なんかどうでも良いのだろう。
それに、うろ覚えだが、アニメの「レイチェル」では、確かにこんな、色々混じったカオスな風景がえがかれていたような気がするんだ。
下手したら、ヨーロピアンな装飾の中に、突如中華が出てきたりしなかったか。
ダンスパーティ会場には、入り口からずららっと赤じゅうたんが伸びていて、わらわら動き回っているモブの人たち――みんな同じ真面目顔だ――も、そのじゅうたんだけは踏まないようにしているようだ。
お迎え係君はと振り向くと、両開きの扉の外で頭を下げたまま動かない。彼の役割はここまでというわけか。
変わって、でっぷりと太った体つきに、豪華な刺繍の短い上着に、ぴっちぴちの白いタイツを合わせたおっさんが――ちなみにこれもモブ顔である。違和感極まれり――プリンセス、女王陛下がお待ちですと恭しく言った。
どいつもこいつも、顔つきだけはメイドさんやお迎え係君と同じ、生真面目な細面である。首から下だけが挿げ替えられている。
声だけは違うが、どこかで聞いたものばかりだ。
アニメで出演している声優さんの声かもしれない。だから、喋り方もアニメ的で、大仰である。
ちょっと手を取っただけで「んぼっ」とか、わけのわからない感嘆詞が聞こえてくる。
おっさんに手を取られて、わたしは赤じゅうたんの上を進む。
メイドさんが整えてくれたと言っても、きつくて歩きにくいドレスだ。優雅に歩こうと努めたが、どうしてもべとんばたんとぎこちなくなる。
べとん。ゆっさ。
揺れるのは髪とショールだけじゃない。大ぶりの飾り帯の中で、ベルトでしめあげられて上にはみ出した腹肉が踊るんだ。
(出てきそうだ)
ばたん。ぐぐぐぐっ。
おまけに、ただでさえ胃もたれしていた腹から、なにか塩っぽいのが込み上げてきた。
(のりしお味が、暴れ始めている)
こんな時に。
ポテチよ。これまであれほど愛顧してやったというのに。
おまけに、炭酸飲料のガスが効いている。
実は今、わたしの腹の中は戦国時代ばりの乱れっぷりだ。ぷおおーおーおおー、腹のどこかで戦い勃発を告げるホラ貝の音が鳴り響いているんだ。
プリンセスルームから、ダンスパーティ会場に至るまでの長い道のりの間に、適度な運動のせいで腸がやる気を出したらしい。ごぶっ、ぼすっ。しめつけられた腹の中で、炭酸ガスがブレイクダンス。どすんべすんと歩を進める度に「アハイ、オイエ、いけいけいけいけダ、ダダダ」と、掛け声も元気に大運動会だ。
わたしの手をとってリードしてくれるおっさんは、こういう時に限って、「プリンセス、ところでトイレはいかがでしょう」などと聞いてくれたりもせず、ただただ満面の笑顔である。
そして広間に集った近代ヨーロッパの貴族みたいな恰好をしたギャラリーたちは、同じ生真面目な顔でこちらを凝視し、ひそひそと賛美の言葉を呟いているのだった。
「なんてお綺麗かつ可愛らしいプリンセス。柳のようにすらっとしていらっしゃる」
「なんて細いお体なのでしょう。繊細なドレスがよくお似合いだわ」
「マジカルジョークワールドのジュエリーと呼ばれるのも納得ですわ」
柳のようにすらっとしているなら、腹肉がぶるんぶるん騒ぐわけもなく、腹の中でブレイクダンスが始まるはずもない。
このモブ共の会話も、デフォルトのままなのだろう。
三段くらい上ったところに、豪華な椅子が三つ。
真ん中にオカン女王がでーんと座っており、満足そうな目で会場を見下ろしている。こんなに大盛況なんだから、ダンスパーティ主催者としては喜ばしい限りだろう。
女王陛下の両隣の椅子は空いている。
たぶん、一つはわたしが座るものだろう。だが、もう一つの椅子はだれのだ。
モーツァルトだろうか。
甘くて優雅なヴァイオリンが会場に流れているが、演者の姿が見えない。
(ステレオか、有線か)
多分、そこまで考えられているまい。深く探求すればカオスの沼に沈む。
べとん。ぼこぼこっ。
オウイエエブリバディレッツダンダンダンス。
腹はいよいよ大混乱の模様だ。
わたしはちらっと横のおっさんを見る。頼む。壇上にあがり、女王の隣に座る前に。
頼むから今こそ、トイレはいかがと聞いてくれ。
女王陛下の御召し物は、赤と黒が基調のエリザベスカラードレスである。
ついにおっさん、トイレのトの字も言わないまま、壇上までわたしを導きやがった。わたしは女王の右隣に座らねばならぬ。
(座ったら、余計に腹がきつい……)
逃げようのない腸内の炭酸ガスと脂肪が、もりもりもりーんと前に横にとせりだすが、ところがどっこいカッチカチのドレスが締め付ける。かわいそうなわたしの腸。風船みたいにあっちこっち膨れ上がっているのに違いない。
奴らは外に出たがっている。苦し紛れに目指す先は、当然ひとつ。
いかん。今はダメだ。
ここが現実ではなく、仮想空間だとしても、それはあんまりだ。
肛門よ締まれ。
肛門。
肛門様。
ぐぶっ。
胃から塩っぽい気体が静かにあがってきて、口から微かにポテチの香りのげっぷが逃れた。
隣の女王は見向きもしない。気が付かなかったのだろうか。
その時、またしても高らかにラッパが鳴り響き、隣国のプリンスのおなーりー、というでかいおっさん声が怒鳴った。
ギギ。
ここから見ると、遙かに遠い両開きの扉が、ゆっくりと開かれる。
二人の扉番の兵士に脇を護られて、ほっそりとした長身の姿が一歩踏み出した。
扉の松明が強烈すぎて、赤い逆光になっている。プリンスの姿全体が影になっていて、よく見えない……。
「プリンセスや、わかっておろうな」
ジュリアナかと思う程の凄まじい扇を口元にあて、女王陛下がひそひそと言った。意地悪い目つきをしている――オカンの顔で、そんな悪い顔すんなや。
「隣国からわざわざおいでだから、特別の席を用意した。ダンスの相手をしていただくことになるだろうが、間違っても……わかっているな」
こつこつ。
供のものもつけないで、単身、赤いじゅうたんを踏んでこちらに向かっているのは、隣国のプリンス。
つまり、「プリンス」。このマジカルジョークワールドの創造主だ。
現実世界では、ぶくぶくの体に汚いジャージを纏った汚部屋の主。
だが、ここでは誰もが恐れ入る、隣国のプリンスというわけか。
「素敵……」
「凛としていらっしゃるわ」
「わたし、ダンスのお相手を申し込まれたらどうしましょう」
またしても、ひそひそと賛美の声が聞こえてくる。
(これ、全部自分が作り込んだ世界だと思ったら、痛いにもほどがあるな)
こつこつと着実に近づいてくる男を見下ろしながら、わたしは思う。
逆光の影響は去り、今プリンスは、すっきりとした姿を露にしている。
さらっとした短髪は爽やかである。黒縁の眼鏡をかけているが、その知的な容貌を損なうものではない。
澄んだまなざしと引き締まった口元、やや痩せすぎに見えるが、黒っぽい礼服がよく映えていた。
(これが、マジカルジョーク社のエリートだった頃の、プリンスの姿)
(それにしても、隣国のプリンス)
国の名前が未定のままか。
いよいよプリンスが華麗な動作で階段をあがる。
女王陛下の前で深くお辞儀をし、ダンスパーティへの出席を許してもらったことへの礼を述べた。
かっこいいシーンなのだと思う。
なんたって、プリンスの登場シーンであり、プリンセスとの出会いの場面だからな。
ぼこっ。
わたしの腹の中は、かっこいいどころではないんだけどな!
(くそっ、ポテチ。もうお前の顔など見たくもない)




