女王大好物
一体この城は、何階建てなんだろう。
どれくらいの広さで、どんな部屋があるのか。
まだ一日も過ごしていない……というだけではなく、やけに行動範囲を制限されていて、城の規模がまるでつかめていない。
(一歩も外に出ていないもんな……)
渡り廊下から庭園は眺めたが、外から城の外観を見たわけではない。
こつこつ。
お迎え係君にリードされて、わたしはひたすら歩く。
リモコン人形は、流石に部屋に置き去りだ。できれば連れてゆきたかったが、プリンセスがダンスパーティに出るのに、お人形同伴はあり得ない。
廊下の高い天井は、今は照明でオレンジに照らされており、明かりとりの窓に嵌め込まれたステンドグラスは昼間とはまた違う味を出している。
建築様式やアートには詳しくないが、元編集プロダクション所属だから、広く浅い知識は持っているつもりだ。
この城は、いろいろなものがまぜこぜになっていて、「プリンセス」というものが住むのに相応しい豪華さやきらびやかさをバランスよく詰め込んだ感がある。
ヴィクトリアン調の重々しさ、仰々しさと、アールヌーヴォーのお洒落で軽やかな感じ、ロココ調の繊細さ。
そして、スパイスを効かせる役目を果たしているのが、時々ちらちら覗く、近代のグロテスク調。
このステンドグラスなんか、それだと思う。
真昼の光では柔らかな色彩を見せてくれたが、夜の照明の中では、原色が異様にくっきりと光を反射し、壁や床に映し出されている。
真紅の翼を開いたドラゴンのようなものとか、ぎょっとするほど青い目をしたユニコーンみたいなやつとか。しかもこいつら、やけに彫が深い顔立ちをしている。
モチーフはメルヘンなんだが、まじまじと見ると、まるきりホラーである。
(プリンスがプロデュースした城だから、やっぱりこれ、プリンスの趣味なんだろうな)
マジカルジョーク社の元エリートは伊達じゃない。
わたしはそれほど深い知識があるわけではないが、この城のあちこちを眺めてみて、やはりプリンスは学識が豊かで才気に溢れ、鋭い知性の持ち主なんだろうと思う。
(そんなに頭の良い人が、どうしてあんなことに)
でぶっとした背中。腐臭漂う暗い汚部屋。溢れかえるレイチェル人形。
まあいい。プリンス個人のことは、どうでもいい。
とりあえず、現実世界に戻る方法が知りたいんだ。
「もう少しで会場です。ところでプリンセス、トイレはいかがでしょう」
お迎え係君の言葉を黙殺して、わたしは思考に耽る。
えんえんと両脇に並ぶ、同じ見た目の両開きの扉たち。高い位置に着けられたステンドグラスの窓。壁に取り付けられた華麗な証明。
足下ではドレスの柔らかな影が、二重三重にふわふわと揺れ動く。
つけ髪がくるくると躍動するのを目の端で追いながら、わたしは色々と思いを巡らす。こんなに頭を使ったのは、久しぶりかもしれない。なんたって、ヒキコモリは何も考えたくないからヒキコもってるんだからな!
お迎え係君の制服の肩のふさ飾りが動いている。
わたしの思考はいつしか、プリンスの人物像の予想から、昼のお茶会の女王陛下――オカン――の様子を隅々まで思い出し、考察する方向へ走っていた。
そうだ、昼のお茶会。
のりしお三昧だった、胸やけのするお茶会の席で、オカンの顔をした女王陛下が、品よくポテチタルトを口にしつつ、今日のダンスパーティについて、こんなことを言った。
「プリンセスや、ソナタはダンスパーティで婿殿を探さねばならない。このマジカルジョークワールドは、ソナタとソナタが選んだ婿が治めることになるのだ」
わかっておろうな?
現実のオカンの口調に直せば、
「姫子っ、あんたもうイイトシなんだから見合いでも合コンでもなんでもして早く相手見つけて安心させなっ。アタシャ老後が心配でかなわんわ」
……という感じだろうか。
マジカルジョークワールドでは、モブ役はみんな同じ顔である。
つまり、女王陛下はモブではないらしい。
(オカン女王が、今後どんな役を果たすやら分からんが……)
現時点のマジカルジョークワールドのトップがオカン女王。このヒトの言う事は絶対なんだろう。
わたしとオカン女王のみのお茶会のテーブル。
周囲に立つ給仕のメイドさん達――みんな同じ生真面目な顔――に向かい、女王陛下は、このジャガイモはまことに宜しいから、今後、「女王大好物」と名付けるが良い、と言い出した。
それで、今日からのりしお味のポテチは、この世界では「女王大好物」と呼ばれることとなった……。
(シュールすぎる圧倒的権威力)
その女王陛下が、お茶会の終わり頃、最後に出て来たのりしおポテチのミルフィーユケーキを平らげたあたりで、目を鋭く光らせて言った言葉が気になっていた。
「ところでプリンセスや、分かっているはずだが、隣国のプリンスなど、間違っても目をくれてはならぬぞ」
隣国は、いわばマジカルジョークワールドの敵国。
本日のパーティは、妙齢の良家の男子は誰でも拒まず入場できることになっているが、噂では隣国のプリンスが紛れ込むつもりらしいとか。
見ているだけで胸やけがしそうなケーキを、わっさわっさ喰いながら、女王陛下は仰せになった。
真っ赤な唇がもんぐもんぐと誠に旨そうに食っている――のりしお味がこってり挟まった、ミルフィーユケーキを!
(おうふ。思い出すだけで込み上げる)
塩っぽい味が胃から逆流しそうになるのを堪えながら、わたしはこつこつ歩く。
思考に耽っている間、お迎え係君は一体何度「トイレはいかがでしょう」を繰り返したものやら。
ヒキコモリ生活で鈍っていた頭だが、少しずつ回転を始めてきたようだ。
ボウッとすっとばして、のりしお味責めのことばかり記憶に染みついていたお茶会の風景。
なんということか、重大なキーポイントがちりばめられていたではないか?
隣国のプリンスは、すなわち件のプリンスだろう。
マジカルジョークワールドの敵国のプリンスとして、奴はこの世界に登場するらしい。
何となく、シナリオが読めて来たような。
昼の自由時間に見た、噴水の向こう側の茂みの幻影を思い出す。
デフォルトプリンセスと、プリンスの逢瀬――あれは、敵同士の禁忌を乗り越えた逢瀬だったんだ。
つまり、プリンスの描くシナリオとは、まるきり「ロミジュリ」。
(一体、どんなふうにラストを持ってくるつもりなんだろうね、プリンスは)
あるいは、ラストなど存在しない、永遠の恋の遊び場なのかもしれないけれど。
そしてお迎え係君は、巨大な両開きの扉の前で足を止める。
扉の両脇には、これまた同じ顔の兵士みたいな人が槍を持って守っていて、わたしの姿を見てびしっと敬礼した。
「着きました、プリンセス」
恭しくお迎え係君は腰をかがめて言う。
本物の松明が赤々と燃え盛っている――扉の両脇には。
(このあたり、中世ヨーロッパが舞台の映画っぽいな)
兵士さんが扉をゆっくりと開いてくれた。
ギギギイ。




