ぐるぐる思考とポテチ
それさえあれば事足りる、と思う程好きなものがあるとして、どこを見てもそればっかり、右に曲がっても左に曲がってもそればっかり、空を見てもそれ、下を見てもそれ――という、飽和状態が提供されたならば、果たして幸せになれるのか。
(なれるわけがねえ)
どうも、心の声が、どんどん柄悪くなっている気がする。
まだ、このマジカルジョークワールドに迷い込んでから一日も経っていないのだけど。
メイドさんはくそ真面目な顔で、めいっぱい豪華なメイクアップを施してくれながら、五分おきくらいに「プリンセス、トイレはいかがですか」と聞いてくる。
(くそっ、空き時間の間に、リモコンビスクを操作し直して調整しとけばよかった……)
メイクされ、頭に付け髪をくるくるセットされ、ピカピカの飾りを絡みつけられ。
今わたしは、夜会服を着せつけられているところである。
さぞかし重労働だろうと思うが、さすがメイドさんはプロである。真面目な表情をひとつも崩さず、汗ひとつかかないまま、ドレスのサイズを調整する難しい作業を続けているのだった。
(胸が余っていて、ウエストが異様にきつい……)
つまりこれは、デフォルトプリンセスの仕様なのだろう。
薄ピンクの上品なドレスは、そのままではとても着られたものではなかった。胸は詰め物をされたり縫い縮められたりして、なんとか恰好がついたが、問題は腹回りだ。
(なんか見たことがある……)
プリンセス仕様の華麗なドレッサーに映る己の姿を見て、ぼんやりとわたしは思い出した。
数年前まで勤めていた編集会社の飲み会で、必ず乾杯は全員生ビールのジョッキだったもんだ。
トクトクトク。
チーフ、お疲れさまでーす。
えー、ちょっと、もういいよ、やっやっ、溢れちゃうじゃなーい。
(ジョッキから溢れた、ビールの泡に似ている……)
くびれたドレスのウエスト部分から、モリモリになって溢れているソレは、ビールの泡ではなくて無駄肉である。
どうにもならん。
さっきまで破れる寸前のドレスのウエストのせいで、息がほぼできない状態だった。
メイドさんがなんとか手直しして、少しずつサイズを大きくしてくれたらしく、とりあえず今は呼吸できる。後ろで締め上げられるヒモが背中に食い込む感も、ちょっとはマシになった。
だが、どう頑張っても、ムチムチモリンとした見た目は変わらない。
仕方がない、ごまかしようがないドレスなんだから、これは。
メイドさんは最後に、すっぽり二の腕から腰まで覆う品の良い白のストールをかけてくれた。
そのうえ、ウエスト周りにゴージャスで幅広な、飾り帯まで結んでくれた。
さすがである。どうにか恰好がついた。
(デフォルトプリンセスは相当スタイルが良かったんだな)
ぼんきゅっぼん。ロリ顔でエロいスタイルの「レイチェル」そのまんまなんだろう。
件のプリンスは、「レイチェル」のことしか考えていない超絶オタッキーだと思われる。わたしのことを多少でも「レイチェル」に重ねて心を開いてくれるだろうか――まあ無理だ。
「プリンセス、トイレは……」
「今はいい」
メイドさんの丁寧な言葉を断ち切って、わたしはしばし呆然とする。
リモコンビスクは、ちょこんとベッドの上にお座りして、青い目をぱっちり開いて、ただの人形のフリだ。
プリンスを攻略する以外に、現実に戻る方法を知る術はないと、奴は言う。だが、わたしは、果たしてそうかな、と、やや挑戦的な気持ちで考えていた。
だって、プリンスにとってデフォルトプリンセスは恋人。わたしがこのままここに居座っていたら、永遠にデフォルトプリンセスはダストボックスから出てこられないのではないのか。
プリンセスはおひとりさま限定みたいだし、わたしをここから追い出さない限り、プリンスの恋人は消滅したままである。そのうちダストボックスから消去されてしまうのだ。
(マジカルジョーク社のエースだった男が、これくらいの理屈を理解できないわけがなかろう)
いかに、「レイチェル」に狂って、汚部屋にレイチェル人形を氾濫させていたとしても、そんなことちょっと考えれば分かることだと思うのだ。
なのでわたしは、ダンスパーティでプリンスを見かけたら、速攻で話し合いを持ち込むつもりでいる。
わたしに興味があるかないか、そんなことは全く問題がない。こっちはただ、事情を説明してお願いするだけだ。
(果たして、そんなに簡単にいくでしょうかぁ)
リモコンビスクの呟きが聞こえたような気がした。
メイドさんは最後の仕上げで、寂しい胸元に豪華なブローチを付けてくれる。完成らしい。
部屋の隅に立ってお辞儀をして、メイドさんは言った。
「プリンセス、トイレはいかがでしょうか」
もはや、返事をする気もない。
それにしても、だ。
ダンスパーティは立食式らしいけれど、一体なにが出るんだろう。
もたれそうな胃を持て余しているのだ、実は。
ティータイムはバルコニーに白いテーブルがセットされ、そこでお紅茶と軽食が提供される――と聞いていた。確かに。
パイにタルトにサンドイッチにキッシュに……。
メイドさんはすらすらとメニューを暗唱したではないか。
それで、ちょっと期待していたのだが――出てきたのは、どれもこれも、のりしお味であった。
愛らしいパイ。だけど、ぎっしり隙間なく詰め込まれ、バラの花びらのようになっているのは、ポテチ。
サンドイッチ。中身はポテチ。
キッシュ。中身はソースを吸って、ションボリしなびたポテチ。
(ポテチの可能性を見た……)
どれもこれも意外な組み合わせが驚くほどマッチして、癖になる味である。城のコックは凄腕なのだろう。
スープの具材に砕いたポテチ。サラダの中にポテチ――これもポテトサラダと言って良いのか。
徹底していた。
大好物、それさえあれば生きていられると信じていた、愛するのりしお味が、これでもかとばかりに盛られ盛られてテンコモリ。
最初は喜んでいた。
今日は、朝食から始まり今に至るまで、ポテチしか食っていない最高。
このマジカルジョークワールドにいる限り、ポテチを思う存分堪能できるシメシメと思っていたのに。
(どういうわけだろう、もう、のりしお味の顔も見たくない)
ヒキコモリ生活をしていた時は、あれほど焦がれたポテチ。
近所のコンビニに行くたびに、必ず買いだめしていたポテチ。
しかし今は、この気持ち悪い胸のもたれが全てである。
もう、一枚も、入らない。
(ポテチしか出ないというなら、一刻も早くここから出たい)
切実に思う。
かつて愛した彼――ポテチ――を、憎悪しないうちに、早く。
これも、リモコンビスクのどこかを押せば、なんとか解決する問題なのか。
「プリンセス、そろそろお迎え係が参ります。トイレはいかがですか」
メイドさんが恭しく言った。
静かにノックされる。
甘やかな夜がレースのカーテンから透けていて、僅かに開いた窓から夜風が忍び込んだ。
メイドさんと同じ顔のお迎え係君が、恭しく頭を下げて入室した。
「パーティの準備が整いました、プリンセス。ところで、トイレはいかがでしょうか」
(おまえまでそれを言うのか)




