とりあえず、お紅茶
プリンセス、起きてくださいませ、本日はダンスパーティの日でございます。
お紅茶の香りがふわっと漂う。
そうっと、壊れ物を触るような遠慮がちな手が触れる。なんて優しい起こし方だろう。
目を開くと、薄ピンクのレースの世界が広がっていた。それと、ヒラヒラとリボンのついたキャップをかぶった、真面目そうなメイドさん。
「どうか、お支度を、プリンセス」
ゆさゆさそうっと体をさすりながら、メイドさんが申し訳なさそうに言っている。
どう考えても、プリンセスというのはわたしのことだ。一体なにが起こったか。
体を起こすと、メイドさんはするすると下がった。
なんだなんだこれは。
薄ピンクのレースカーテンに覆われた天蓋付きのベッド。
枕も布団もなんでもかんでも、これでもかと言わんばかりに薄ピンクとレースとヒラヒラが付けられている。
おまけに、着ているパジャマまで凄まじい。
なんだなんだ、これは。
いかにも優雅でクラシカルなお盆に乗った、薔薇の花びらみたいに綺麗で繊細なカップと紅茶のポット。
ベッド脇の、これまたアールヌーヴォーなちっぽけなサイドテーブルに乗せられて、贅沢な香りを漂わせているじゃないか。モーニング・ティーか。
「プリンセス、朝食用のドレスをご用意しております。お茶がお済みになりましたら、お召替えを」
メイドさん。
えんじ色のワンピースに純白のエプロン、フリフリのキャップ。絵にかいたようなビクトリア風。
いやこれ、夢じゃなかろうか。
だって、うちは築20年建売り。
わたしの部屋は四畳半の和室で、布団にくるまって寝てたはず。
ごてごてフリフリなピンクと白なお部屋の中は調度品で一杯だが、あかあかと燃えている暖炉の上でカチカチ動く時計を見れば、朝の8時とな。
一階では仕事に行く寸前のオカンが、犬の遠吠えのように罵声をあげる頃合い。
「これーっ、アンタいつまでぐずぐずしてるのよっ。もう母さん面倒見きれないからねっ。いい加減にしないと、そのうちアンタ、着の身着のまま、外に放り出すからねっ」
母さんだっていつまでも元気で働いていられるわけじゃないんだからっ!
だが、今は、薄ピンクのレースに繊細なカップとポットのお紅茶だ。
ヴィクトリアンメイドさんに、なんだか知らないがダンスパーティの支度だと。
一体、なにがどうしてどうなったら、こんなことに。
豪華なベッドで身を起こすと、メイドさんがカップに紅茶を注いでくれた。
薫り高い。
ちと熱いが目覚ましには最高である。
その、優雅な紅茶を飲み下しながら、わたしは想いを巡らす。
訳の分からない状況に至るまで、一体何があったか。まずは昨夜寝る前に、一体なにが。
万年一日のように、だらだらと変わらないヒキコモリニートの生活だ。
なにもあるはずがないけれど。
(いつもと違うことがなにかあったとすれば)
漠然と思い出す。
自室にある、ちっぽけな古いテレビ。
深夜のアニメにも飽きた。
そうだ、わたしのお相手はいつだってテレビ。
だけど、もういい加減飽き飽きしていたんだ。
なにか、変わったモノが出ないかなあ。
そうだ、例えば話しかけたら答えてくれるナニかが画面に出てくれるサービスとかさ。
今は優れた技術がいろいろあるんだし、隠れサービスで、そういうのがあるかもしれないじゃん。
いつだって頭の中はご都合主義。
そうなったらいいな、という妄想が決して現実に繋がらない。
分かっているのに、飲み込めない。それがわたし。
埃がボタンの隙間に詰まった汚いリモコンで、適当にポチポチやってたら、ザー、ザー、と画面が砂嵐になって、やっぱりいつもの番組に戻そうとしても、なかなか戻らなくて。
そのうち、寝ちゃったんだ。
汗くさい、ぺったんこの、万年布団の中で。