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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
6/74

6 ようこそ、梟へ

 

「皆様、ご入学おめでとうございます――」


 都内の洒落たキャンパスに華を添える桜の木。着なれないスーツを身に纏った、浮ついた表情の若者達。勧誘に必死になる人の群れ――


 難関大学に名を連ねる志岐大学の入学式も、他の大学と何ら変わらない一般的なものだった。

 少し違う所と言えば、華の大学生活を夢見る新入生の中にやけにつまらなさそうな目で壇上の大学長を見上げる者が混じっていることくらいだ。


 その人物は、記念撮影の列に並ぶわけでもなく、次のオリエンテーションに向かうわけでもなく、むしろ人波から外れるようにして入学式の行われた講堂から敷地の中心部にある一号館に移動していた。

 道中、サークルの勧誘にしつこく声をかけられながら。

 そんなのどうでもいい、大学なんざただのカモフラージュだ――そんなことを毒づきつつ悉く無視するのであった。


 そんな人物に、背後から近付く人影がいた。


「お前が本部とは予想外だな、茜」


 そう皮肉っぽく声をかけて隣に並んだ男を、茜はキッと睨みつけた。


「あんたこそ、まさか自分が地味な内勤勤めなんて願ってなかったんじゃないの?」


 言い返してやると、冴島海斗はムッとして顔を顰めた。


 二人は同じ高校の出身だった。

 私立青嶋学園。存在は知られていないが、志岐大学の付属校の一つである。

 といってもただの高校ではなく、そこで学ぶのは英語に加えた十ヶ国語や古代から現代にまで渡る暗号の解読方法や変装術など――表の世界で生きるには必要のないことばかりだ。

 もちろん他の付属校でこのような授業は行っていない。関東奥地の山に囲まれた要塞のような青嶋学園だけの特別カリキュラム。

 それらは全て、志岐大学の本当の姿に通じている。


  『SIG』

 それは平和主義国日本の影に存在する政府非公式の情報機関であり、青嶋学園はそこに所属する工作員(スパイ)の養成所なのだった。

 そこの生徒――SIG内では候補生と呼ばれる彼らは、卒業後すぐに任務を与えられ日本各地だけでなく世界各国を飛び回りスパイ活動をすることになるのが大半だ。

 残りの少数は本部内でエージェントから集められた情報解析や開発業に勤しむことになる。


 茜も海斗も、前者を選んだはずだった。

 命の安全が保障される内勤ではなく、命の危険と隣り合わせの中、自分の能力一つで任務を遂行する。それは工作員(スパイ)を目指すなら当たり前の選択である。むしろ後者は落ちこぼれが行く末路だ。

 なのに卒業試験後、試験官から渡された指令には『本部行き』と告げられていた。


 何かが間違っている――そう思わずにはいられなかった。

 茜も海斗も学園では上位の成績を修めてきたし、それだけの力量があると自負している。

 だが組織の指令は絶対だ。

 組織の采配が不満でも、指令に背くのは裏切りとみなされかねない――そのために二人とも悶々としながら今日に至ったのだった。


 入学式特有の雰囲気で賑わうキャンパス内をくぐり抜け、一号館の学生課に辿り着く。

 他の新入生が違う建物に向かっているせいか、学生課の前は閑散としていた。


「どうかしましたか?」


 学生課の職員に声をかけられ、茜と海斗はもらったばかりの学生証を見せた。


「明日は晴れますか?」


 そう尋ねると、穏やかに微笑んでいた職員の表情が一変した。

 入学式が終わったら、学生課で学生証を見せながら明日の天気を尋ねる。

 これが本部に行く手筈だ。


「学生証はすぐ出せる所にしまって下さいね」


 職員はそう応えながら、学生課のすぐ隣にある扉へ腕を振った。『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉だ。


 二人は言われた通り、学生証をジャケットのポケットにしまってからその扉の前に立つ。


「本部がどこにあるのか、茜は知ってるか?」


 そう聞いてきた海斗の声は、少しの興奮が混じっていた。

 意にそぐわない指令でも、組織の本部に入れることに浮かれているのだ。


「いいや、知らない……地下と地上ならどっちだと思う?」


 自覚はなかったが、本部に入れるのが楽しみなのは茜も同じようだった。


「俺は地下だと思うね」

「あんたがそう言うなら、きっとそうなんだろうな」


 海斗の嬉々とした声に答えてから、茜は目の前の何の変哲もない扉に手をかけた。


 

  ***



 扉の中は、小さな小部屋になっていた。小さい物置のような、暗い小部屋。

 しかし足を踏み入れた感覚で分かった。

 これはエレベーターだ。


「地下は確定したな」


 海斗が満足げに言ったのと同時に、天井から赤い線状の光が降りてきた。それは茜達の体を調べるかのようにゆっくりと降りていく。


「警備が厳重なこと」

「間違って一般生徒が入ったら大変だからだろ……うおッ?!」


 身体検査が終わるなり、エレベーターは動きを開始した――急降下だ。

 普通のエレベーターよりも強く浮遊感を感じる。喋りながらでは舌を噛みそうだ。

 しばらくすると動きが止まり、チーンとお決まりの音がなった。

 音もなく扉が開く。

 そこに広がっていたのは――


 真っ白に囲われた空間。一面のガラス張りと、その向こうに整列してある何台ものコンピュータ。その間を八方に延びる真っ白な廊下。

 とても大学キャンパスの地下深くにあるとは思えない光景だ。

 茜と海斗は思わず立ちすくみ、目の前の空間をただ眺めた。


 すると、正面から一人の女性がツカツカと歩み寄って来るのが目に入った。

 黒スーツを着て、長い黒髪を後ろで無造作に一つにまとめている。

 誰だろう。

 見返すと、つり上がった目と目が合った。睨まれた気分になる。


「冴島に茜崎ね?」


 その女性は二人の目の前で止まると、手元のファイルに目を落としながら、睨み上げるように二人を交互に見やった。その視線は蛇のように鋭い。


「初めまして。あなた達の直属の上司になる朱本よ」


 それだけ言って踵を返しスタスタと歩き始める。

「案内するからついて来なさい」


 きっと、口数が少なく無駄口が嫌いなタイプだ。

 その判断は海斗も同じだったらしい。二人は顔を見合わせてから、無言でその後ろに付いていった。


 ここが本部か――茜は真っ白な廊下を歩きながら、癖で辺りを見渡し、志岐大学の地下に隠された極秘施設に目を走らせた。


 エントランスというべきか、茜と海斗が着いた空間はエレベーターを中心にした八角形の部屋で、四枚のガラス壁の間から放射状に通路が伸びている。一面タイル張りの床の上を資料を抱えた職員が忙しなく行き来していて、ガラスで仕切られた部屋の中でモニターに向かって指示を飛ばしたり何台ものパソコンを一人で操ったりしていた。

 アメリカの映画でよく見る、CIAの建物内の様子とよく似ている。

 人が多くて忙しないが、活気があるわけでもなく粛々としていた。


「ここは大学敷地内の警備や、本部を出入りする構成員を管理する部署。今日は入学式だから部外者が学内にいたり、あなた達みたいな新入りがいる分、不審者のチェックや間違って本部に入り込む馬鹿の対処で忙しいのよ」


 午前中だけで何度、不審者侵入の警報を聞いたことか、と朱本がため息混じりに吐き出す。

 それに呼応するよう、警報が突然響き渡り、赤い警告灯が廊下を照らした。


 ……こういうことか。


 耳をつんざくような警報音の中、前を歩く朱本が頭に手をやった。


「これが六回目よ!立ち入り禁止区域に入らなければ警報なんて鳴らないのに。馬鹿な大学生は扉の文字も読めないのかしら!」


 朱本の苛立ちの声に、叱責されたように警報が鳴り止んだ。


「……この警報、今日だけであと十回は聞くことになりますよ」

 ポツリと呟いた海斗は朱本に無言で睨まれた。


 海斗の言うことは大体当たるが、今の予言は明らかに余計だ。

 あんたも馬鹿な大学生の一人だよ、と心の中で言っておく。


「……まあいいわ。あなた達はこっちよ」


 警報で苛立った様子の朱本は海斗を無視してツカツカと歩みを進めた。


 そして立ち止まったのは、一つの黒い扉の前。

 他は壁に合わせた白い扉だったせいか、その部屋だけは明らかに放つ雰囲気が違っている。


 さて、この中でどんなつまらない任務を言い渡されるのだろう。

 茜は異彩を放つ黒い扉の前で考えを巡らせた。

 後方支援で武器保管業務ならまだマシだ。一日中デスクワークでもないし、何せ武器商人と知り合えるかもしれない。少なくとも大学内警備よりはずっといいはず。


 隣の海斗も同じことを考えているらしく、今まで耳にしてきたSIGの噂話の詰まったその頭をフル回転させながら、黒いドアの向こうの景色を予測しているようだった。

 しかし情報不足だったのか諦めて頭を振る。


「あなた達、本部の仕事は全て内勤もしくは後方支援だと思ってるのね」


 朱本がその鷹のような視線だけを茜達に向ける。

 どういう意図の言葉だろう。

 二人がその言葉の真意を探り出す前に、朱本は扉を開けた。



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