3 三年Ⅱ
その日見た夢の中で、陽一は霞の中にいた。
燻んだ白い世界で、立っているのか寝ているのか、逆さになっているのか、それすらも分からない。
ただ、其処にいた。
「……い、おい」
霞の向こうから声が響く。
「おい、***」
どの名前で呼ばれたのかは分からない。
だが、自分を呼んでいることは分かる。
「……誰だ?」
質問に呼応するよう、霞の中から人が現れる。
自分だった。
「お前、いつまで『普通』でいるつもりだ?」
目の前の自分は、どの自分なのだろう。
「……俺は『普通』に生きなきゃいけない」
答えると、自分が皮肉を浮かべて嗤う。
「泥棒なんかに成り下がった奴がが、よく言うよ」
「それ以外に俺の居場所なんてない」
「諦めろ。お前の居場所は陽一にはない」
「やめろ!」
圭との日常を否定された気がして、嫌だった。
すると自分は何も言わず、ただ皮肉を浮かべたまま後退り、霞の中へ紛れていく。
慌ててその姿に手を伸ばした。
「待て……待てよ!」
霞の中を探る手が、ふと、温もりを感じる。
「待てって!」
その温もりをしっかり掴んだ、その瞬間――
「いてててて!」
やけにリアルでデカい声がして、目が覚めた。
「よっち痛いって!びっくりしたー」
見ると陽一は左手で圭の腕を掴んでいた。
「……なんだ、圭か」
自分のベッドに、窓から射し込む日光で明るい部屋。そして泊まりに来ている圭。
いつも通りの風景だ。
……あれ、何の夢を見てたんだろう。
「なんだよそのガッカリした反応は?!」
「圭こそ何覗き込んでんだよ。夜這いか?」
「ちっげーよ!なんか苦しそうだったから……」
「楽にしてやろうと」
「だからちげっつーの!」
隣でギャンギャン吠える圭をあしらい、窓へ目を向け太陽の位置を確認する。
高さからして昼過ぎといったところか。いい時間だ。
「圭、お前今日はどうする?」
「帰るよ。夕方に沙保と買い物行くんだ」
よっちは?と圭があくびを噛み殺しながら聞いてくる。
その口が閉じられる時には、既に陽一は着替えを済ませていた。
「隣町まで行ってくる」
そして手に昨日の黒いポーチを持ち、圭に向かってニヤリと笑ってみせた。
「昨日の報酬を貰わないといけないからな」
***
午後三時。陽一は待ち合わせ場所に来ていた。
陽一と圭の『雇い主』に、獲物を渡すためだ。
「……今回の仲介役はお前か?」
事前に指定された時間通りに、指定されたカフェの席に着く。
背中合わせに座る男が今回の仲介役なのだろう。
「見ない顔だな。新入り……には見えないけど」
「……数秒違わぬ時間ぴったりのご到着、気味が悪いな。聞いていた通りだ」
「いい癖だろ。時間に遅れる奴よりは」
雇い主が送ってくる奴は頻繁に変わる。
前回までの奴は時間に遅れることが多かったし、加えて何かと目立つ格好だった。
こういった作業はいかに地味に行えるかが重要だ。だから真昼間の公園に真っ黒なお堅いスーツで現れた時は帰りたくなった。
「前の奴よりは格好にこだわりがないようで安心したよ」
今回の使いは、きちんとカフェという場をわきまえた格好をしている――前の奴に比べれば。
滲み出る厳つさはヤクザの手下特有のものなのだろう。
そう、陽一達の雇い主は、松永組という小さな暴力団の会長だ。
「無駄話は要らない。獲物は」
催促され、椅子の下で一つの鍵を手渡す。
「駅のロッカーに入れてある。そちらで取りに行ってくれ」
後ろ手で受け取った男は、馬鹿にするように鼻で笑いながら席を立った。
「会長から聞いてはいたが、随分と用心深いな」
「普段の清廉潔白なイメージを壊したくないんでね」
陽一の用心深さは圭の為である。
独り暮らしでフリーターの陽一と違い、圭は家族がいて大学に通う普通の大学生だ。裏仕事が露見しては表の生活に支障が出る。
この場に同行させないのも、圭を松永組の奴ら裏の人間と一線を記するためだ。
まあいい、と男は通りすがりに陽一のテーブルに封筒を落とした。
「報酬だ。それと会長から、お前が欲しがる情報も入れてあるそうだ」
「それは嬉しいな」
男が店を出るのを見届けてから、封筒の中身を確認する。
万札の束一つと、写真が一枚。
今回盗った金貨相当額の十分の一しか入っていない。
しかし残りの価値を埋めるほどの価値が、この写真にはある。
これが陽一の欲しがる情報――三年前の事件、『組織』に関わる情報だ。
写真は、大きな門を通る、一人の頼り無さげな男性にピントが当てられていた。
「この男が、ね……」
じわじわと湧き上がる興奮を感じながら、神妙な面持ちで写真を眺める。
それは三年もの間、陽一が松永組と手を組んでやっと手に入れた、『組織』に繋がる大きな手がかりだった。