2 三年
月日が経つのはあっという間のことで、気が付けば青嶋学園を抜け出してから三年が経っていた。
高校一年になりたてだったのが、今では高校を卒業しフリーターという身分だ。
そしてもう一つ変わったこと。
もう、自分は秋本深矢ではないということだ。
田嶋陽一。
青嶋学園を抜け出してから、ずっとそう名乗ってきた。
普通の人間として、普通の高校に入り、数は少ないが友達もできた。頭が良いからテストに悩むことはなかったが、目立たない程度に優秀な成績を残し、普通に卒業した。
卒業後、大学にはいかず(各方面から勿体無いと言われたが)、高校時代からお世話になっているバイト先でほぼ毎日働いている。そして現在――
全速力で走っている。
***
現在時刻は午前三時を過ぎたところ。
真夜中のど真ん中だ。起きている人はまずいない。
寝静まった街を、陽一は必死になって走っていた。
大通りの騒々しさは全く無く、陽一の息遣いが夜空にこだましている。
どうして走っているのか。それは陽一の背後五十メートルにある。
それは陽一との距離を縮めたり伸ばしたりしながら、止まることなく陽一の後についている。
つまり、追いかけられているのだ。
狙いは恐らく、陽一の抱えるこの黒いポーチ。
もしくは、他人の家に忍び込み金目のものを盗んだ『空き巣の現行犯』。
そう、陽一は今晩、高級住宅街と言われる区域のとあるお宅に侵入し、家主が持つ記念金貨を頂いてきたのだ。
平凡な日常を送る普通の男の子、田嶋陽一の裏の顔。それは泥棒だった――が、今は余裕がないため、詳しい話はまた今度。
取り敢えず、追手を振り切ることが最重要課題だ。
繁華街が見えたため、咄嗟に角を曲がり、店が立ち並ぶ細い道に入る。
繁華街と雖も今は真夜中のため、恐ろしいまでに静まり返っていた。
そんな細い路地裏をくねくねと曲がりながら、陽一は一つ疑問を抱えていた。
追手は一体何者だ?
警察ならば、既に応援が来て大事になっているはず。だとしたら、個人で雇われたボディガードか?それとも獲物を横取りしようとする同業者か?
いずれにしても、今回の目標は少々面倒らしい――と思ったところで、ふと変化に気付く。
店裏の狭い小道に飛び入り、息を潜めて気配を探る。
……消えたか?
恐る恐る物陰から通りに顔を出し、辺りを見渡す。周囲には誰もいなかった。
どうやら追手は巻けたようだ。
陽一はフッと安堵の息を洩らし、物陰から通りに出た――その途端。
「あ、いた!よっち!」
聞きなれた声が、静寂の街に響いた。
陽一は瞬時に声の主を認識し、振り向きざまに手持ちのポーチをその頭めがけて投げつけた。
「バカ!声がデカい!」
イッテテ……とその男は額をさすりながら、えへへと笑ってみせた。
ひょろりとした長身のその男は、名前を奥本圭という。
陽一の数少ない友達であり、泥棒業の際のパートナーだ。
「圭、追手はちゃんと巻けたのか?」
「おう!っていうか、すぐにどっか行っちゃったけどな。よっちは?」
「俺ももう大丈夫そうだ」
「よかった!でも『尾けられてる』って言われた時はビビったー」
圭は興奮覚めやらぬ、といった様子で両腕を掲げた。
その手にはそれぞれ黒いポーチが握られている。片方は今しがた陽一が投げつけたものだ。
「それで圭、収穫物は?」
聞くと、圭は自慢げにもう一つのポーチを開けて見せた。
「……無事、目標達成だな」
陽一が持っていたのはダミーで、盗んだ獲物は圭に持たせていたのだった。
「帰るか。随分と時間かけちまったしな」
「走ったら腹減っちゃった。ラーメン屋とかないかな?」
「さすがにこの時間はないだろ」
どうでもいいことを言い合いながら空を見上げると、下の方から明るくなり始めていた。
ふと、三年前のあの日に見た同じような空を思い出す。
――田嶋陽一に生まれ変わってから三年。
陽一は自分なりに普通の生活を送っていた。
三年前に抱えていた、あの鬱屈した怒りや恨みが消えたわけではない。今でも時折思い出しては、あの理不尽を晴らしたくなる。
しかし秋本深矢に戻ることはない。
とはいえ、あの事件の真相を知りたい気持ちもとても強い。
陽一はこの三年間、心の奥底に静かな葛藤を抱えながら生きてきたのだった。