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スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
18/74

18 闇に葬られた事件の『被害者』


 それから丸三日。

 深矢の牽制が効いたのか、海斗が圭や沙保の周辺を嗅ぎまわる事はなかった。


 しかしその代わりと言うべきか、深矢への監視(ストーカー)はエスカレートしていた。

 昼間、大学生として振舞わなければならない時間帯を除いては事ある毎に何か仕掛けてきた。

 牽制をかけた次の日には、アパートの部屋のドアに小さな監視カメラが設置されてあったし、深矢が遅番のバイトを終えて帰ってきた日には部屋の中に誰かが侵入した跡があり、三箇所に盗聴器が仕掛けられていた。(念の為に裏仕事に関する物を秘密基地(トランクルーム)に置いてきたのは正解だった。)


 極め付けは、深矢がシェルフでシフトが入る度に毎回来店し、深矢の目の前で毎回同じチキンカレーを食べることだった。

 ランチの時間も夜の時間も。ここまで大っぴらに監視されてはただの嫌がらせだ。


「最近よくうちに来るねぇ、海斗くん」


 ついに不思議に思ったのか、団長がその日の夕方の開店前、隣に来るなり不意に尋ねた。その時深矢はキッチンで仕込みをしていたから驚いた。フロアにはいつも通り作業する圭がいる。不用心な気もしたが、団長はちょうど圭が店の反対側、深矢からは一番遠くにいる時を狙ったようだった。


「昼も夜も毎日来てくれるよねぇ。そんなに気に入ってくれたかな?チキンカレー」

「……そうだといいんですけどね」

「おや、常連さんに知り合いが加わったのが嬉しくないのかい?昔話もできて楽しいじゃあないか」


 わざとらしく目を見開く団長の仕草は、その正体が工作員(スパイ)と知った今、ただの演技にしか見えなくなっていた。


「海斗はただ、俺を監視したいだけですよ」

「へーぇ、人気者だねぇ」

 鼻歌を歌いながら、何てことないようにカレーの大鍋を掻き回す団長。

「そういえばそろそろ洗剤の買い置きがなくなる頃だったかなぁ」

 そして背後のシンクで洗い物をする深矢を振り向いて言った。


「圭君には例の話したのかい?」


 はい、と深矢は二つの問い掛けに同時に答えた。


 圭はいつものようにせっせとテーブルの上を布巾で拭いている。例の話というのはもちろん、圭に足を洗わせることだ。あの話をした当日こそ、圭は納得できていないような、話を飲み込めていないような様子だったが、それもおそらく時間が解決してくれるだろうと、深矢は踏んでいた。


「早く、とは言ったけどね。急ぎ過ぎは逆効果だよ」


 団長は姿勢を戻しながら呟いた。


「この手の問題は煙草や麻薬と同じだよ。急に止めたら禁断症状が出る」


 それはきっと、犯罪によって快楽を得られる人間に当てはまることだ。圭はまだその域には達していない。


「圭は中毒患者じゃないですよ」

「まだ、ね……どうかな?犯罪は底なし沼だからねぇ」


 団長の意味深な呟きにどこか皮肉めいたものを感じ、深矢は顔を上げて何とも言えないその背中を見つめた。


「圭くーん」


 その団長の視線は圭に向いているようだった。背後にいる深矢にはその視線にどんな感情がこもっているか伺うことは出来ない。


「何すかー?」

「悪いんだけれどおつかい頼まれてくれるかな?洗剤が切れそうなんだよ」

「はーいっ」


 圭がキッチンに戻り、エプロンを棚のフックに掛ける。


「あとついでにそこのゴミも捨ててきてくれるかい?」

「これ二つっすか?」

「そうそう~」

「おっけーっす!いってきまーす」


 圭が時計を見て少し慌てたように、二つのゴミ袋を背負って裏口から出て行く。


「あはは、急がなくていいよー」


 開店まであと十分を切っていた。なのに悠長に手を振って圭を見送る団長。


 しかし裏口の扉が閉じてきっかり五秒経つと、さて、とコンロの火を消して深矢の方に向き直った。


「任務の進捗状況の報告といこうか。手短に頼むよ」


 深矢も皿洗いをしていた手を止め、手元のタオルで手を拭く。


「順調ですよ。社長秘書のメールから武器商人とのやり取りと思われるメールを発見して、そこに次の取引の日時も記されていました。あとは取引の証拠を掴むだけかと」

「それは素晴らしい。ちなみに久方ぶりの面子はどうだい?海斗くんとは仲良くしてるみたいだけど」

「……さぁ。海斗にしろ茜にしろ、俺の登場を怪しんでるのは確かですね。まぁそこは俺にだって分からないことだけど」


 ちら、と団長の顔を覗き見るも、団長は口元だけに笑みを浮かべた表情で何も読み取れない。

 一体団長は何の目的で深矢をSIGに、梟に入れたのだろうか。


「さーて深矢くんの報告は聞いたから、あとは海斗くんと茜崎くんだねぇ。さぞかし首尾よくやってるんだろうなぁ」

「団長、一つ聞いてもいいですか」


 んー、と曖昧な返事をしながら団長はちらりと壁にかかった時計を見やった。余計な話をする時間はない、という合図だ。しかし深矢は食いさがるように続ける。


「どうして、」


 その時、団長の合図を助長するかのように、店の入り口の鈴が鳴った。おや、と団長が一瞬目を丸くさせ、泣き顔のような笑みを浮かべる。


「悪いけど、その質問に答える時間はないみたいだね。残念」


 深矢はタイミング悪く来た客を追い返したい気持ちを抑えながら、仕方なくキッチンから出た。開店時間にはなってないが、数分の誤差で客が入ってくることはよくある。


「いらっしゃ……」


 深矢は思わず言葉を止めた。そこにいたのが普通の客ではなかったからだ。


「よう……って他に客いないのか。もしかして開店前?」


 不機嫌そうな表情の茜の姿を見た瞬間、深矢の頭に海斗の懐疑的な表情が浮かんだ。

 茜も深矢の監視をしにきたのだ、おそらく。それが海斗の差し金かは分からない――が、茜が興味を惹かれてわざわざ来るとは思えなかった。


「海斗のおつかいか?」

「チキンカレー頂戴」


 茜は深矢の問い掛けには答えず注文だけして、カウンターの一席に座った。そこは、ここ毎日海斗が座る席だった。


「……言わずもがなって感じだな」


 ったくさ、と茜は居酒屋で管を巻く親父のように、手元のコップに水を入れながら不機嫌な声を出した。


「あいつに何言ったんだよ。何か知らねぇけどあいつ開き直ってこれからは正々堂々監視するつってたぞ」


 深矢は思わず笑いを漏らした。茜は昔から工作員(スパイ)という生業にそぐわず明け透けな言動を取る。腹の探り合いというのが似合わないタイプだ。


「そりゃあ困るな。お前だってこんなボランティア嫌だろ」

「当たり前だよ。何が悲しくてストーカーの真似事しなきゃならないんだっつの。あたしはあんたがこの三年間何してたかなんて心底どうでもいい」


「あっはは!茜崎くんは分かりやすくていいね!」


 団長がからから笑いながら、カウンター越しにカレー皿を出した。


「団長、それ嫌味っすか」

「褒めてるに決まってるよ!男共の面倒なストーカーごっこに巻き込まれず流されずどうでもいいと突っ撥ねるその正直さ!とても工作員(スパイ)とは思えないね!これを褒め言葉とせずして何と言う?」

「全然褒めてないっつの」


 団長に臆せず呆れ顔をした茜はカレーを一口食べてその不機嫌面を少し緩めた。

「カレー食べんの久しぶりだな」


 そんな茜を見てニヤリと顔を歪ませた団長がカウンターに頬杖をついて向き合う。


「ところで、朱本くんに報告はできたのかい?」

「あぁ、しましたよ。なんか怒ってたけど」


 朱本くんはいつも怒ってるからね!と団長は笑った。深矢は構わずカレーを食べ続ける茜に聞いた。


「何かやらかしたのか?」

「いや何も」


 淡白に答えた後で、茜が何かを思い出したようにスプーンを動かす手を止めた。


「そうだ、明日ヒマ?」

「おや、デートかい?」


 はぁ?と無言でガンを飛ばしてから、茜はまた食べ始めた。


「任務の話。取引止めさせるには社長か会社ごとド突くのが一番手っ取り早いと思うんだけど、やっぱ詳しいことは実際潜り込んでみないと分かんないからさ。敵の根城行けばネタなんていくらでも転がってるだろうってことで、明日どう?」


 つまり、例の貿易会社に闇取引の証拠を見つけるために潜入しよう、という誘いらしい。

 単純明快だし、なにより深矢向きの仕事だ。人様からモノをくすねるのはここ三年間深矢が裏仕事としてやってきた本業である。しかし――


「それ、明後日でもいいか」


 明日は先に予定が入っていた。こればかりは外せないし、誰にも知られてはならない――青嶋学園長暗殺事件の案件だ。


 茜は断られたのが意外だったのか、少し驚いたような反応を見せた。


「へぇ、まぁいいけど」


 そしてカレーを食べながら、凄みを利かせるように深矢を睨み上げる。


「時間取らせるんだから腕戻しとけよ。足引っ張ったら容赦なく見捨てるからな」

「そりゃあ大変だ」


 その必要はないけどな、と心の中で呟く。


 すると茜は満足したのか、残りのカレーを掻き込むようにして平らげ、水を一口飲んですぐに席を立った。


「ムカつくから海斗につけといて。どうせ明日も来るだろうし」


 そしてまるで何かから逃げるかのように颯爽と店から出て行った。

「ごちそうさま!」


「いやぁ、茜くんは見てて清々しいね。しかも勘が良い。野生の勘かな?」


 手をヒラヒラと振っていた団長が、舌を巻いたような口調で呟いた。それと同じくして、外から「えっ開いてんのかよー」という大学生の声が聞こえ、なだれ込むようにして数人が入ってきた。


「いらっしゃいませー」


 普段の調子に戻した深矢はその定型句を唱えながら、入り口のドアにぶら下げてある『closed』と書かれた小さな看板の存在を思い出す。


「ひっくり返すの忘れてたのか」

「いいじゃないか。いいタイミングで茜崎くんと話せたよ」


 団長が一般客には聞こえないよう、すれ違いざまに深矢に耳打ちした。

「それと、さっき言いかけてたことだけど……」


 団長は声を落として、しかし深矢にはっきり聞こえるように言った。


「君は渦中の人間だ。敵と味方は見極めておくべきだね。それだけは覚えておくといいよ」


 真意を聞こうにも、そんな隙間はなかった。一気に客が増えて忙しくなった店内を駆け回らなければならない。ランチタイムの店は忙しいのが常だった。


 そして数十秒後、開店時間に間に合わなかった圭が走って帰ってきた。圭はどこか怯えたように、店内に入って荷物を置くなり深矢に駆け寄った。


「今さっき店から女の子出てくんの見たけど……美人だなって思ってたら思いっきし睨まれた!すっごい怖かった!ヤクザとか元ヤンとかだよ絶対、俺目ぇつけられたかな?!」


 それが茜だと理解するまで一秒もかからなかった。


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