表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スナイプ・ハント  作者: 柚希 ハル
決別編
16/74

16 ストーカーならお好きにどうぞⅢ

 


 大勢の大学生が詰める大教室の真ん中辺りで、圭は心ここに在らずといった感じで窓の外を見つめていた。前方の教壇ではおっとりとした教授がのんびりとした口調で長い話をし続けている。


 圭の周りに座る友達は、みんな突っ伏して寝るなり彼女とLINEするなりゲームするなりして各々退屈を凌いでいた。

 授業は残り一時間。と言っても初回は大まかな授業の説明だけだからどんなに長くてもあと三十分ほどで終わるだろう。


 つまんねーなぁ。


 窓から見える桜の木は穏やかに風に吹かれて、残りわずかな花びらをゆっくりと踊り散らしている。その動きに合わせて視線を落としていくと、窓のフレームから外れてすぐ隣で爆睡中の友達のリュックに行き着いた。

 持ち主に見離されたリュックはチャック全開で、スポーツブランドの財布が覗いている。


 ……いくらあるんだろう。


 そう思うと同時に本能が騒ぎ出し、心臓が躍動を始める。周りの誰も、圭を見ている人はいない。

 そろりそろりと手を伸ばす。出来るだけ自然に、まるで自分の荷物を取り出すかのように。


 全身の血が熱くなるようなこの感覚も、何事もないような自然な振る舞いも、全て陽一が教えてくれたことだった。


 田嶋陽一は今まで圭が出会ってきた中で、ずば抜けてクールで謎めいた、それでいて親近感を覚える人物だった。


 初対面は圭が高校二年の時。

 ちょっとした出来心で、今のようにクラスメイトの財布を盗ろうとしていたときだった。

 思えばよく似た場面だ。ただあの時と違って陽一はここにいない。

 あの頃も、普通の生活に退屈していた気がする。きっと魔が差すタイミングというのは決まっているのだろう。

 そしてその時も思ったのだろう。退屈な時に手頃な獲物がある。その財布は取ってくれと差し出しているようなもの、と――


 ダメだ。

 脳に制止がかかったのは陽一の声だった。


 昔の情景がフラッシュバックする。空っぽの教室で、友達の鞄に手を伸ばした圭を止める、見知らぬ一年生の力強い手。

 その瞬間は「ヤバい」と思ったが、彼は咎めるわけでもなく去っていったのだった。彼が田嶋陽一という転校生だということはその後すぐに噂で知った。帰る方向が同じらしく、いつ見かけても一人で孤独そうにいる陽一に妙な親近感を覚えたのを記憶している。

 それから詳しい経過は忘れたが陽一とつるむようになって、彼が盗みという犯罪行為に長けている一方で、人の情感に篤いという温かみを持つ、二律背反のような性格をしていることが何となく分かった。

 陽一から本格的に泥棒の仕事に誘われたのは、そのことに気付いた頃だった気がする。


 圭に『盗み』を教えてくれた陽一は、同時に絶対してはいけないことを圭に約束させた。

 身の周りの人間に悪事を働かないこと。

 それは身近な人を裏切ることになるからだ。裏切った人からは信用も同時に奪う。その不信感は最終的に自分に向けられ、いつかは自分が裏切られる。

 理屈っぽい。初めて聞いた時はそう思った。

 だがその言葉が正しいことは陽一と一緒にいるうちに分かるようになった。

 陽一はなんというか、立ち振る舞いが上手かった。敵も味方も作らず、薄く浮かべた笑顔の奥に泥棒という本性を上手に隠していた。でも本当に、その本性を除けば陽一はいいヤツなのだ。


 これからもきっと、少なくとも学生の間は、同じような日々が続くのだろう。

 松永の親父から依頼された獲物を陽一と協力して盗み、普段は大学生として平凡な時間をやり過ごす。


 次の獲物はなんだろうか。

 陽一と盗みの計画を話し合っているときが圭は大好きだった。その時の高揚感も、陽一の得意げな顔も。


 それにしても――圭は頬杖をついてリュックの反対側に顔を向けた。


 つい先日、盗みに入った時。


「尾けられてる」


 陽一がそう言って、珍しく神妙な顔をしていた。


 言われた瞬間はさすがに慌てた。警察かもしれないと言っていたが、もしそれが本当ならこの先の活動に影響してくる。今日はそれも含めて陽一の家に泊まりに行くつもりだった。

 一体何だったのだろう。メールで聞くのも躊躇われて聞けずじまいだった。


 何か来てないかなぁ、と手元のケータイに目を落とす。

 同じタイミングで、黒い画面に通知が来た。


『忘れ物!陽一くんに届けておいたよ』


 なんだか、中学生の兄がお弁当を忘れて妹に届けてもらうみたいな、新婚の夫が忘れた会議の資料を妻に会社の受付まで届けてもらうみたいな、そんな言い草だ。ちなみに前者は昔の実話。


 そして後者の例えに内心ニヤついていると、周りの友達がおもむろに起き、動き始めた。前を見ると教授が教壇からのんびりと降りるところだった。

 圭も慌てて荷物をまとめ、友達について教室を出た。

 これで今日は帰れる。早く陽一に会って、この間のこととこれからのことを聞きたい。


 そして思ったよりも早く、その機会は訪れた。


 圭が授業を受けていたのは校門から一番遠い建物だった。早く帰りたさに校門までの道のりをせかせかと歩いていると、ちょうど一号館の脇を通り過ぎたところでとある男子が視界に入った。

 彼は斜め下を見るようにして、圭とは反対側の道の端を歩いている。顔は見えなかったが、圭は何かが見覚えのある気がして、向こうから来るその男子をジッと見ていた。


 すれ違いざま、一瞬だけ顔が見えた。


「……よっち?」


 それは、授業終わりで門に向かう人の波の中、何か目的があるように颯爽と歩く陽一の後ろ姿に見えた。


 いや、間違いない。あれはよっちだ。

 ――でもなんでよっちが大学に?


 圭は足を止めて後ろを振り向く。

 陽一は脇目もふらずといった様子で歩いていた。その速さはもはや駆け足で走っているようで、周りの人達は速すぎて陽一に気付けていない、そんな感じがした。


 何してるんだろ。


 圭はその後ろ姿を追いかけようと走り出す。

 その時、早足の陽一がのんびりと歩いていた教授と正面からぶつかった。先ほどまで圭が受けていた授業の教授だ。

 陽一はすぐに体勢を立て直し、よろめいた教授を受け止めた。

 そしてすぐに、今度は普通の速度で歩き出す。


「よっち!」


 圭は走ってその後ろ姿に追いつく。もう一度名前を呼ぶとやっと陽一は振り返った。圭とすれ違ったことなど全く気付いていなかったようだった。


「よっち、こんなとこで何してんだ?」


 陽一は微かに驚いたように目を開いた。それから額に片手を当て、照れたような笑みを浮かべた。


「圭を探してた……つもり。全く気付かなかったな」

「ふっつーにオレの横通り過ぎてったけど?」

 ボケっとした陽一は珍しい。圭は吹き出した。

「笑うなよ」


 少し眉をひそめながら陽一が見覚えのある紙袋を差し出した。

「ほらこれ、忘れ物だと」


 それは沙保がよく買うブランドの紙袋で、沙保から連絡が来ていたことを思い出す。


「……こんだけのために大学まで来たの?」

「まさか。色々と話したいことがあってさ」


 そう言った陽一に、圭も安堵を覚える。きっと圭の抱えているモヤモヤを解決してくれるのだ。


 ここは人が多すぎる。秘密基地(トランクルーム)がいいな。


 そう言って何事もなかったかのように歩き始める。

 陽一は、フリーターだというのに不思議なくらい大学に馴染んでいた。よく考えれば陽一が大学に通っていないだけで、世間では大学一年生と同い年なのだ。学生ではない陽一が大学生に紛れているのはなんだか忍び込んでいるみたいで面白い。


 門の隣にある守衛室に立っている警備員も、陽一が部外者だなんて見抜けるわけもないだろう。

 暇そうにあくびを噛み殺す警備員を横目に、圭は少し得意げに門をくぐるのだった。



***


 陽一は中々話を切り出そうとしなかった。

 秘密基地(トランクルーム)へ向かう途中もずっと何かに気を取られていたり、気掛かりなことがあるようで、話しかけても上の空だった。


 しかし圭は気にしていなかった。陽一は今までにもそういう素振りを見せたことがあったからだ。

 一番多かったのは、仲良くしたての頃。ちょうど三年前くらいだ。遠くの空を見ながら寂しそうな顔をしていることがよくあった。

 それからも毎年この時期になると切ない表情を見せることがある。つい先日、盗みに入って追っ手から逃げた後もそうだった。


 理由は知らない。聞いてもいつも話を逸らされる。

 だからもう聞くのはやめた。

 話を逸らすのは話したくないからだろうし、無理矢理聞き出すのもよっちに悪い。よっちが話そうとしないなら俺は知らなくてもいいことなんだ。


 そう思って今日に至る。今隣にある浮かない顔もいつものやつだ。


 秘密基地に着き、深矢に続いて圭も部屋に入る。そして狭い室内で頭を突き合わせるようにして向かい合って座る。

 そこまではいつも通りだった。


 だが陽一の表情は、いつも盗みの計画を立てている時のような、得意げで楽しそうな表情ではなかった。

 むしろ、その正反対とも言える暗い表情で、それで話なんだけど、と切り出した。


 それは唐突にして衝撃すぎる提案、むしろ指示だった。


「裏仕事をやめようと思う」


 なんで?と疑問で頭が埋まるのと、さっき授業中に考えていたことが頭に浮かんだのは同時だった。

 『尾けられてる』

 そう神妙な顔をしていた、先日の裏仕事のことだ。

 圭は問いただしたいのを堪えながら、慎重に言葉を選んで質問した。


「……それって、こないだのと関係あんのか?その、尾けられてるって……」


 陽一が静かに頷く。圭を真っ直ぐに見つめるその表情は、いつも真面目な話をする時のものと同じだった。


「やっぱ……警察……?」


 恐る恐る聞くと、陽一はもう一度頷いてから少し笑顔を浮かべた。


「大丈夫、ただの安全策だから」


 どうやら緊張の走った圭を安心させようとしてくれたらしい。気付けば、手に汗がびっしょりだった。

 悪い事をしている自覚はもちろんあった。だから警察に見つかるとなるとやはり怖い。


 大丈夫、と陽一は小さく笑みを浮かべて繰り返した。


「多分、この間の地主の隠し金庫の仕事で警察が動いたんだ。で、捜査してる内に気付いた。隣町のあの一帯で盗難が多発してることに。遅いよな。俺らがあそこを餌場(フィールド)にしたの、三年も前なのに」


 陽一はそう言って笑いを誘う。圭も笑おうとしたが、上手く笑えなかった。

 それを見て悟ったのだろう。陽一は言い聞かせるように、穏やかな声で言った。


「……けど大丈夫だ。俺らと事件を結び付ける証拠なんてないから」


 だろ、と聞かれて頷く他はない。作戦の立案にしても実行にしても、いつだって陽一の言うことが間違っていたことはないのだ。


「だから警察の目はすぐ他に移る。今は変に動かないほうがいいんだ」


 陽一は圭の知らないことを知っていて、圭に見えない物が見えている。

 警察の動きだって、圭にはさっぱり分からないが陽一には手に取るように推測できるのだ。


 だが『裏仕事をやめる』のが正解だとしても、なぜその答えに辿り着くのか、その『解法』が圭には分からない。


「それだけ……ってのもおかしいけど、警察がオレらのこと忘れるのを待つだけなんだよな?仕事をやめんのは大袈裟なんじゃねーの?」


 すると陽一は言葉を掘り出すように一瞬視線を落とした。

 陽一の顔が照明の影になる。

 

「……圭、全くの犯罪者として生きる度胸と覚悟はあるか」


 陽一の顔には今の今までのような笑みは浮かんでいなかった。

 こんなにも真面目な陽一は初めてだ。今の陽一は少しだけ、怖い。


「度胸も覚悟もなにも……よっちと一緒に裏仕事してんだから、俺だってすでに犯罪者だよな?」

「けど、どっぷりはまってるわけじゃない。裏の人間にだって関わったことがないだろ」

「それって松永の親父のことか?あれはよっちが、会わせようとしないだけで」

「会わせたくないからな。奴らと知り合って、仕事で失敗でもしてみろ。脅しに使われるのは沙保だ」


 沙保、と言われて言葉が出てこなくなった。自分のせいで沙保が危険な目に遭うと考えると、恐ろしい。


 陽一は圭の反応を見てからさらに畳み掛けた。


「それにこの先裏仕事を続けていって、警察に捕まったらどうする?沙保は犯罪者の兄を持つことになる。沙保だけじゃない。家族にも、周りの人間全員に迷惑がかかる」


 反論はできなかった。陽一の言うことは全て正論だ。だがここにきてもっともな正論を言われても、頭が足りない自分は腑に落ちない。


 何か言おうと陽一の顔を見たが、その顔にはなぜか暗い表情が浮かんでいて、圭は戸惑った。

 淡い影に佇む陽一が遠い存在に思える。遠くて近付けない、近付こうとすると怖くなる。


 ――どうしたらいいんだ?


 このまま陽一の言う通りにしたら、一生の別れになる気がした。大袈裟にではなく、そんな直感だ。

 何か言わなくては。


「今がやめ時なんだ」


 先に言葉を発したのは陽一だった。

 切なそうな寂しそうなセリフに、やはり別れを告げられた気持ちになる。


「……裏仕事やめたとして、よっちはどーすんだよ。松永の親父に追っかけ回されるかもしんねーぞ」

「平気だよ。最悪、圭をだしにされても助ける余裕くらいある」


 そう言い切って不敵に笑う陽一はいつも仕事を持ち出す時の自信に満ちた表情だった。それでも、圭は心の隅にモヤモヤとしたものを感じていた。


 なぁよっち、とモヤモヤを探り出すように圭は唸った。


「……気のせいだと思うんだけど、裏仕事やめたらもう一生よっちに会えないとかって、ないよな?」


 陽一の反応を伺い見ると、陽一は一瞬驚いてから小さく吹き出した。


「なに可愛いこと言ってんだか」


 そう笑って、やや間を空けてから微笑んだ。


「……大丈夫だよ」


 ――よっちが言うなら、大丈夫だ。

 よっちが今まで言ったことに、選んだことに、間違ったことはなかった。だから今回だって正しい。絶対に。

 ――そう信じるしかないんだ。

 圭の納得したような表情を見て話は終わりと悟ったのか、陽一が腰を上げた。


「先に帰っててくれ。俺は郵便局行ってお金下ろしてから帰るから」


 そう言って圭に向かって家の鍵を投げ渡し、秘密基地から出て行く。


「おう、分かった」


 圭も直ぐに立ち上がり、その後ろ姿を追いかける。

 陽一が建物を出て右手に行ったのを見送り、圭は反対に左手へと進む。


 大丈夫だよ、という陽一の言葉を頭の中で繰り返しながら。


 なぜだろうか。いつもなら染み込むように頭に入る陽一の言葉が、いくら噛んで飲み込もうとしても喉につっかえる。

 すんなりと飲み込むには何かが足りない。何か大事なことを陽一は言い忘れているような――


 ひょっとして忘れてるんじゃなくて、何か隠してるのか?


 陽一は出会った頃から秘密が多い奴だった。家族のことも知らないし、どうして泥棒になったかも詳しくは教えてもらってない。

 話したくないことくらい誰にだってあるし、それが信用されてないと単純に結びつくわけでもない。

 けど――

 圭はモヤモヤし始めた心に、足りない頭を必死に動かして考えながら歩いた。



 ***



 そんな圭の背後に、着々と迫る黒い影が一つ。

 狙いを定めた猛獣のように、執着の強い亡霊のように、その影は圭との距離を縮めていく。

 圭がその気配に気付くことはない。

 そして辺りに人がいなくなった頃、影は圭のすぐ背後に迫った。


 気配を感じた圭が反射的に振り向く。

 そこには、真っ黒なスーツに身を包んだ見覚えのない男がいた。初めて見る顔だったが、一目で分かった。


 この男は、裏の人間だ。

 人を幾人も殺してきたような人種だ、と。


 頭にさっきの陽一のセリフが浮かぶ。

 全くの犯罪者として生きる覚悟はあるか。

 裏の人間にだって関わったことないだろ。

 脅しに使われるのは沙保だ。


 ――それは、怖い。

 よっちを、呼ばなきゃ。

 しかし、金縛りにあったかのように体が動かなかった。


 男は無表情のままこう言った。

「君が奥本圭くん――田嶋陽一の協力者、だな?」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ