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狙うもの

 マリアをどこに寝かすか、という話になった。育ち盛りだからきちんと横になって寝られるようにすべきだし、また寝ている間に転移魔法が働くかもしれないから見張りを置くのがよいし、何なら自分の部屋に持っていきますよ、と側近は言った。どういう風の吹き回しだか分からない。時価5億魔界円相当の魂云々とか言ったのもこの男だったはずだが、かくれんぼとかおにごっことか「ぐらしゃ・らぼらす太郎」読み聞かせとかしているうちにその気はなくなってきたらしい。幼女はすごい。逆に危ない。


 「ねむたくないもん」

 「いや健全な発育のために寝てもらうぞ」

 「しかし見張ると言っても、お前も粗忽だし」


 今日の魔王は辛辣だ。


 「でも魔王さま、お疲れでしょう。後は風呂入って寝るだけって恰好ですよね」

 言う通り普段は見せない肩まで出ている、要するにタンクトップ姿である。薄着になると、彼の肌には鱗が敷き詰められているのがよく分かる。毒棘の生えた太い尻尾もそのまま投げ出されている。これが身長2メートルほどで筋肉質で歯はギザギザで、幼女もよく泣かないものである。

 「まさか一緒に寝るとか言わないですよね」

 「その発想がなかった」

 「いいよ!」

 幼女は親指を立てて承諾したが、毒棘持ちなので添い寝をするのは危険だと思われる。それに下手すると寝返りで潰す。


 「俺は夜も得意ですから、でも心配なら誰かと交代ではいかがでしょう」

 「人間の子どもを取って食わない程度に忠実でうつつを抜かさない奴がいいな。アルメニに任せたいが」

 「あいつは子どもが嫌いです」

 「子どもも嫌いだろう」

 ついでに言えば彼女は忠実だが積極的に魔王の首を狙っている。


 「ああ、あいつらでいいじゃないか」

 いたではないか、「俺もマリアちゃんと遊びたい」とか抜かしていた奴らが。


 「どうもどうも、覚えていただき恐悦至極感激に堪えません」

 「お話は伺っております、自分の宵っ張りぶりは書庫セクションいちとの呼び声高いですから安心なさってくださいませ」


 部屋の前、控えの間に呼べば、驚くほどの速さで駆けつけてきた。期待していなかったが案外忠義に篤いのかもしれない。こいつらも相当粗忽そうだが、三人も集まれば何とかなるだろう。幼女の応急処置見張り役のふたりは、自分の職務をさぼりがちなことでは定評のある駄目悪魔筆頭である。「でも三人寄ればテスカトリポカの知恵って言うし」妥協であった。


 短足な悪魔は名前をクリネラ・クリムゾン・スプラウト、もう片方はネベロ・ブラスマ・マーデウスと言う。クリネラは短足だが金髪碧眼の天使じみた端正な顔立ちの、生物研究者である。ネベロは中肉中背山羊角で、重たげな黒髪に眼鏡が特徴の書庫管理者である。ちなみにクリネラは「短足」と呼ばれがちで、ネベロは「メガネ」と呼ばれがちであり、ここで紹介した立派なフル・ネームはあまり出番がない。


 魔王の私室は魔王城の奥に、鬼ごっこができるくらいの広い空間が採られ、続く控えの間では魔王直属の近衛兵たる狼獣人が番をしている。今は眼帯の「三番」が直立不動で目を光らせていた。マリアは側近に任せることに決め、魔王は「今日はもう休む」と告げると、狼は軽く頭を垂れた。その隙に幼女が後ろへ回り込んだ。


 「しっぽふわふわー」


 誰より狼が驚いた。例え幼女であれ後ろを取らせるつもりはなく、しかし動揺を噛み殺し無表情のまま尾を揺らしてやる。幼女の顔に当たり「きゃあ」と声を上げた。


 「お前にも()()()()()()があるか」

 「さて。尾は勝手に揺れるもので」

 狼とて魔王の前で体裁を繕うのは無意味だと分かっていたが、この場に居並ぶ能天気そうな若者たちには多少意味はある。


 そのとき能天気な妖魔どもときたら(ふわふわいいなあ)と思っていた。特に短足悪魔は(あ、やっぱりふわふわだったのかあ、強面のガチムチおじさんなのに体毛ふわふわとかギャップ萌えなのかあ、シャンプー何使ってるのかなあ、尻尾洗う時ってボディソープなのかなあ)と個性的な感性が刺激されていたが三番狼は全身牛乳石鹸で洗っている。


 「くすぐったいよう」

 「……ガゼルロッサ、用心して怠らぬよう」


 初めに考えていたよりも随分と厄介かもしれない。言外に匂わせて魔王は去った。

 「まおうばいばーい」


 さて、側近の私室も城内に設けられているが、ここ主塔ではなく西塔にある。

 「マリア、ほら、行くぞ」

 「おじちゃんばいばーい」

 三番狼はこんな時にっこり笑うのが苦手だったので、無表情に手を振った。短足の個性的な感性に響いた。


 「どこにいくの」

 「俺の部屋」

 「ガゼルのおへやにいくの?ふーん。ガゼルのおへやどんなおへやなの」

 「魔王さまの部屋の4分の1くらいの部屋に必要最小限の家具を、白を基調として揃えている。ゴミが見やすいと評判だ」

 「ふーん。だっこして」


 ガゼルロッサは幼女を抱きかかえた。言うことを聞いたのではなくその方が早いからである。程なくしてマリアは大人しくなり、やがて眠りに落ちた。


 「人間の5歳って」

 広い城内、複雑な繋がりの城内を最短コースで行きながら、

 「自分らで言えばいくつってことかな」

 山羊角のネベロ。

 「単純計算40歳」

 答えて短足のクリネラ。

 「でも5年しか生きてないから、魔族の40歳よりは絶対に幼い」

 そうかそうかと頷くメガネ……ネベロ。

 「絵本は気にいるかな」「好きだと思う。さっき魔王さまの部屋で読んでやった」「そうか、文字は読めないか」


 側近がはた、と歩みを止める。悪魔たちがどうしたどうしたと振り返り。

 「そもそも、言葉……」

 言ったきり沈思する側近、しばらくして短足悪魔が察して言葉を継いだ。

 「なるほど、魔族言語で会話できる人間、いるか。俺はいると思うけど5歳児ではありえないと思う。時々人間と会話する必要があれば俺たちの方が魔法なりで合わせてやってるでしょ。そもそも人間の言葉だっていっぱいあるしさあ、魔族の方も色々だし、そういう翻訳魔法とか使うの当たり前過ぎて逆に俺も気にせず遊んでたわけよ、でもよく考えたらそれ使ってなかったな。アルメニ殿が子供と話そうとするわけないじゃん。俺その魔法知らないし、メガネお前も知らないやろ」

 「せやな」

 全部言った。


 「いやあ、しかし、俺たちしょうもない悪魔代表が気付かないのはまだしも、魔王様や側近殿がうっかりされるとはうっかりだな」

 「魔王さまも変だ」

 側近の呟きはいつもの悪い癖である。

 「だって幼女に『何者だ』はない」

 「あの時は幼女は見た目だけで、誰かが化けていると思われていたのでは」

 マリアと地下牢で魔王自ら接見した時のことだとすぐに短足は気付き、また無意識に思考をだだ漏れさせていた側近はむしろ「よく分かったな」と驚いた。ただのサボり癖悪魔ではないようだ。さておき、

 「確かに会う前から罠と疑っていたけど。こんな見た目に『何者だ』って言いづらいと思ってさ、余程確証を得ておられてなら別として」

 「うん、でもそれは難癖の類だろう側近殿」

 「言葉が通じていたから、魔性のものと確信なさったのか……俺にはひとこともなかったけど」

 側近は確かならざる違和感を抱え、その根源は彼の腕の中で深い眠りの中だったが、

 「『何者だ!』って言って、『フハハ!よくぞ見抜いたな!』って敵が正体を現すベタな演出、魔王様案外好きだと思う」

 メガネの言うような真意ではあってほしくないものだ。


 側近ガゼルロッサの部屋は簡素だった。魔王の部屋の4分の1はある部屋なのに、主だった家具が寝台と文机くらいしかない。

 「お前さんよくこれで家具を揃えた、なんて言い回ししますね」

 メガネが「食堂の椅子は今こそ必要だったのでは」と、食堂のものではないその辺の椅子を持ってきて何とか見張り番の居場所ができた。数少ない家具の寝台にマリアを横たえ、囲むように座る面々。


 「吸血鬼の方々は貴族趣味というか、派手好みと聞きましたけど。そもそも白で揃える魔族ってあんまりいないですよね」

 「確かに俺のは吸血鬼趣味じゃない、実家の感じ嫌いなんだ。魔王さまにお仕えしたのも実家嫌いだから」


 見張ると言って黙っていては寝てしまう程度にやり慣れていないため、カードと会話をしながら、暢気である。「修学旅行みたいだねえ」と短足。


 「そういえばメガネって名前何だ」

 「ネベロです」

 この失礼なやり取りも慣れているのが哀しい。

 「歳、いくつ」

 「にひゃく……」

 「ああ、やっぱり。年上じゃないか。畏まらないでいいよ、そっちの短足みたいに」


 ガゼルロッサは184歳、魔族の年齢感覚は人間のそれとは当然違うのだが、具体的には城内では大方の魔族より年下になる。あまり敬意を払われるのもこそばゆいくらいであった。そして短足は、

 「俺は5歳かな」

 「訊いてない」

 「合わせても32歳だ」


 魔界には大きく分けて二種類の悪魔がいる。生まれながらに悪魔である生粋の魔族と、転生し魔族と成った者。ふたつをあえて隔てず「悪魔」と呼ぶのは、彼らの価値観に強く根を張る実力主義からであろう。その価値観は悪魔のみならず、魔界のあらゆる場所で年齢をあってないものにする。とはいえあまり生意気な態度をとっていると無能な年長者が手段を選ばず貶めにかかる、魔界は闇深い場所なのである。


 「では遠慮なく、側近殿」

 「もう」

 名前が呼ばれない点では皆似た者同士だ。


 「修学旅行と言えば恋バナなんだよ!」

 「どうした藪から棒に、マリアちゃん起きちゃうだろ」

 短足が声を上げる、これは手札が酷すぎてゲームを放棄する構えだ。

 「俺は三番狼さんが好きだ」

 「誰だよ」

 「さっきのひと」

 眼帯の狼獣人。

 「男じゃないか」

 「おっさんじゃん。狼じゃん」

 「魔界じゃ、そういうの、関係ないって、聞きました」

 「好きなだけなら勝手だろうけど」


 魔界の恋愛観もまた人間には理解しがたいところがあるが、悪魔の青年が狼獣人の男に恋慕するのは魔界基準でも「好き者」扱いではある。もっとも、同性であろうと異種であろうと禁忌ではなく、色欲に貪欲に溺れる姿はむしろ悪魔らしさとして歓迎されることでもある。相手に受け入れられるかはまた別の問題だ。

 「側近殿が言えることか」

 「勝手だろ、好きなだけなら」

 少し目を逸して側近、枕カバーのことは後ろめたい。いやむしろ、魔王の寛大な処置が恐ろしい。無関心は愛情から沸騰海を隔ててかけ離れた距離にあり、我欲のまま生きる魔族も(だからこそ)愛情が欲しくない訳ではない。


 「好きなだけでよいというのは、魔族らしくないね。側近殿はやっぱり変わっている」

 「どうだろう」

 「最終的には奪い取るのが悪魔の持つべき欲だ」

 メガネに見合わず過激とも言える持論に一同は驚いた。とはいえ驚く方が奇妙なことであるのかもしれない、魔の中の魔、魔王の臣下である。むしろ修学旅行の恋バナやろうとしている妖魔の方がマイルドに過ぎていた。


 「相手が魔王陛下であろうと、優秀な側近殿ならいずれ力で捻じ伏せるも、無謀な野望ではあるまいに」

 「お前の素ってそんな喋り方なんだ」

 「優秀とはまた買われたものだなメガネ殿」

 「煽るねお前も」


 ガゼルロッサの脳裏にはアルメニが浮かんでいた。同じく側近と呼ばれる女悪魔、誰が言い始めたか誰も知らぬが、「魔王の首を狙う方の側近」のアルメニ。彼女はただただ、力で捻じ伏せるために魔法を磨いてきた。絶対に魔王になると心に決めているのだ。「隠そうともしないのか」訊けば、「小細工や闇討ちが通用する相手じゃあない。それに運だけではいけない。魔王っていうのは、圧倒的な、力の支配だから」魔王はその力の傲慢と矜持でアルメニを飼い殺している。ガゼルロッサは揶揄して「魔王の尻を狙う方の」と言われているが、この状況を放置しているのは魔王の怠惰かもしれない。


 「生憎、力で手に入るのは玉座、魔王さまじゃないのだ」

 側近は宣言した。

 「ウノ!」

 「なんだとお、ストレートフラッシュじゃないか」

 魔族なのでどういうルールのゲームであるかは人知の及ぶところではない。詳しい説明は割愛する。

 「うわあ2000文じゃないか」

 「おい、メガネ誰が好きか言ってない」

 「君ってばまだそれやるの」

 「どうせ役がカスなんだろ」

 カス札10枚で1文ぽっきりということだった。


 「じゃあ負けた順に寝ることにしよ」

 「それは狡いんじゃないか」

 「お褒めにあずかり光栄、後か先かで損得はないはずだろ、とにかく順番さえ決まれば」

 じゃあ、と言って短足は寝た。椅子の上での仮眠は手慣れた様子である。

 「あいつ勤務中に技を鍛えたらしい」

 「なるほど。研究室長にチクらなければ」

 墓穴を掘った。しかし当の本人は寝入っている。


 「やれやれ、ババでも抜くかねメガネさん」

 「おい、側近、見ろ」

 ネベロは慌ててガゼルロッサの顔をカードから上げさせた。それは穏やかに寝息をたてる幼女の上、空気の揺らぎ、ガゼルロッサが一度は見逃した魔法の予兆だった。


 「こんなにも穏やかだと?」カードで誤魔化していた眠気は吹き飛んだ。「この魔王城でこんなにも静かに魔法が行われていたなどと、笑わせてくれる」そして頬は引き攣っていた。これは脅威だ。

 「阻止すべきだろうか」

 「いやネベロ、アルメニの結界を易々無視をして行われる魔法に、不良悪魔が太刀打ちできると思うな」

 「しかし何もしないというのは」

 「ではとりあえず寝こけている馬鹿野郎を起こしてくれ」

 寝こけている馬鹿野郎クリネラ・クリムゾン・スプラウトは寝入って5分で起こされた。

 「ほお、これはこれは」

 起きるなりクリネラは言い放つ

 「勇者軍の侵攻かね」

 「やめろ馬鹿。……何か、出る」


 ガゼルロッサは血色の短剣を構え、ネベロは固唾を飲み、クリネラは「何が出るかな」と歌った。転移魔法は純白の布を吐き出すと例によって静かに消え去ったのである。臆せずクリネラが異界より来る布をつまみ上げる。


 「パンツだこれ」


 「パンツか」「何だパンツか」ほぼ間違いなく幼女用の純白のパンツと肌着のセットだと分かると、ガゼルロッサはカードを配り始めた。


 「意味が分かんねえよ!」

 「おいおい、マリアちゃんが起きちゃうだろ」

 「構うかよ!」

 良いノリツッコミだったね、と短足。

 「なぜ危険を冒してまで幼女の着替えを転送する、何の意図があるのだ、これは」

 「幼女に快適に過ごしてほしいから」「危険を冒しているつもりがないから」ネベロの回答はガゼルロッサの答えでもあった。「強大な力に弄ばれている」呟く顔はベルゼブブ御大が中年男性を噛み潰したようだ。

 「きっと朝までには朝食の林檎が降ってくる。その前に、アルメニを今から叩き起こす」

 「寝ているアルメニ殿を起こすだと」「無茶はよせガゼルロッサ」悪魔たちの制止も聞かずガゼルロッサは部屋を飛び出した。悪魔たちのここ100年ほどの伝統でそれは自殺を意味したのだ。


 魔王には枕が変わるとなかなか寝付けないというナイーブな一面もあった。微睡みの中では思考も冴えない。侵入者マリアの件を反芻していたが、記憶に何らかの不備がある。(歳か、認めたくはないものだが)遙か千年昔の記憶は鮮やかであるのに、ほんの数時間前はこうも朧気なものか。流石に魔王でも自嘲する。


 否、である。魔王は覚醒していた。もはや眠るどころではない。この靄がかった己の記憶こそ魔法の痕跡、記憶の改変――直感だったが確信していた。けして歳を認めたくない訳ではない。

 しかし、魔王に気付かれず魔王に魔法をかける、魔法において魔王よりも高位の何者かがいる、という事象を是とするのもまた認めがたい。魔王より高位の存在は勿論いるが、それは地の奥にお隠れになっている古の魔神であるとか、天の上にある仇敵、天使たちや神……。


 「それだ」


 魔王は何を忘れていたか思い出し、長衣を羽織った。――丁度その時だった、西の塔から威勢のいい爆発音が轟いたのは。


 勿論、アルメニ・アートス・ウルティナスの火炎の魔法がガゼルロッサ向けて炸裂した音である。幸いにもガゼルロッサはこの特大の火球を避けることができた、伊達に魔王の側近はやっていない。

 「何時だと思ってんの」

 「急を要する」

 睨み合いが続いた。

 アルメニは火球を放ち、ガゼルロッサは血の霧となり避けた。「あの幼女だが」「あ?」「転移魔法が続いている」「あたしが結界張ってんだぞ」「だから急を要するって」火球ドッヂボールの合間に何とか会話を試みるガゼルロッサ。


 「パンツ来た」「ナメてんな」「そうだろ」「お前だよ」「嘘じゃねえ」「何をやれって?」「朝までに絶対にまた起こる。見れば分かるだろ、アルメニ様なら」「買いかぶりすぎ」

 そしてガゼルロッサとアルメニが落ち着いて会話を始めた頃に、魔王は焼け焦げた廊下を見て舌打ちしていた。


 アルメニや魔王はガゼルロッサの簡素な部屋に初めて入った訳ではなかったが、それでも何かひとこと言わずにおれない雰囲気があるらしい。「テレビでも置いたら」「天界の懲罰房がこんな感じだな」

 「魔王さまはどうしてまたお出でになったのですか」

 「なに、己としたことが呪いに嵌められておったわ」

 ええ、何それこわい、と下っ端の悪魔たち。魔王はむしろ呪いの根源であろうに。

 「ふ、魔王様を呪えるのは始祖様以外におりませぬ」

 いずれは私、とアルメニは臆面もなく言うが。

 「では祝福と言い換えることにしよう。この娘が聖なるものから受けた加護、己を敵意から隠す祝福よ」

 魔王は言い切ったが、つまり、

 「つまり魔王さま、正体は分からないってことですね」

 「物分りが良いな」

 だが、看破したことに意味はある。正体はけして分からぬのに探ろうとすれば、判断を誤らせ歪んだ記憶を掴まされる。もう探らなければよいのである。

 「でもそれじゃやられっぱなしですわ」

 「転移魔法に集中しろ」


 折しも側近の期待通りに空気が揺らいでいた。あるいは何等かの意思が魔王たちを見下ろしているためかもしれない。

 アルメニを起こしたのは良い判断だ、と魔王は思っていた。もう少し静かに起こしていたら、ガゼルロッサにそう告げるところだったほどに。アルメニは特別な娘である。なにしろ特Aランクを遥かに超える弩級の魂を悪魔に転生させた、魔界開闢の戦争以来となる魔界の誇り、彼女は始祖ルシファーやベルゼブブ御大の系譜に連なる生粋の堕天使。無論、もはや魔神である彼らとは比べるべくもないが、魔の穢れの中から生まれた魂とは一味違う。


 「()()

 何の躊躇いも驕りもない静かな揺らめきの向こうから林檎が、

 「これは、魔法ではありません、魔王様、『奇跡』です」

 

 堕天使アルメニは震える指で揺れる虚空を指した。


 「天界の門」


 じゃあ俺が齧ったのは知恵の実か、とガゼルロッサは独りごちた。魔族には今更意味のない代物だ。その神聖な朝ごはんが幼女の体の上に優しく置かれる。

 空が仄白く光っていた。日の光差さぬ魔界の朝である。

 魔界の朝は遅い。暗がりで活動する者が多いからである。さらに言えば、朝から活動が始まるという概念も薄い。そして多くの魔族は一日眠らずとも平気であった。アルメニが眠るのは趣味である。魔王が眠るのは竜だから。

 幼女の体内時計はよほどしっかりしていたとみえ、この陰鬱な朝日とともに目を覚ましたのだ。


 「おはよう!」

 起きるなり囲まれているので元気に挨拶をする、模範的な幼女である。

 「魔王様こいつ、魔族言語喋ってる、中央語で喋ってる」

 「アルメニ、やっぱりお前、知らなかったんだな」

 取り乱す堕天使様の様子に、ガゼルロッサは確信する。


 「魔王さまはお気づきではなかったのですか、ちなみに俺は全然気にしてませんでした」

 「そこから異常だ、アルメニもガゼルロッサもらしくないぞ、貴様ら何故取り立てられたと思っているのだ」

 「『何者だ』と問われたときには、魔王さまは不審に思われていたのですね。そしてあろうことか、そう思ったことさえ忘れておられたと」

 「どうにもそうらしい」


 この時に至ってもその事実は忘れたままであった。しかしそれは魔王の超常的な力に対する並外れた耐性であってさえも、ということであって(むしろ思い出せない記憶の違和感があるだけ命拾いだったのかもしれぬ)、他の妖魔たちは疑問に思うことすらなく意識を歪められていた。アルメニにしろガゼルロッサにしろ若くて経験が浅いなどという言い訳は通らない、魔王の側近なのに、である。


 「魔王様、マリアちゃん、どうするんですか」

 クリネラが幼女のパンツ(新品)を被ろうとしながら言う。ネベロが「おい馬鹿やめろ」と必死の形相で止めていた。

 さて、と魔王、さすがにいい案は浮かんでいなかった。『適当に安全な場所に送り返す』可能だがそれでは状況を解明できない、何者が何の意図で幼女を魔王城に送り込んだのかが分かるまで安息はない。同様に『亡きものにする』のは全くありえないし、おそらく出来もすまい。無意識のうちに彼女を傷つけぬよう思考が操作されるはずだ。こうして彼女の処遇を思案しているうちにも確実に影響しているだろう。翻って今まで起こったことを挙げれば、最高のセキュリティ付きの幼女が現れたということ、幼女のための物品が運ばれたということ、幼女自身は寝て食って遊んでいるだけ(驚くほど聞き分けが良い)ということ、大いなる意思の目的が何やら皆目見当もつきそうにない。こういう窮地にあるとき、魔王の母竜は幼い息子によく言い聞かせていたものである。「フィーザちゃん、気持ちで負けちゃ、メ☆」ウインク付き。


 「遊ばせておけ」

 魔王らしい不敵な笑みを添えて。

 それだけで「魔王さまも変だしやばいやつだこれやばいやつだ」と不安げに呟いていたガゼルロッサが落ち着いたのだから、親は大事に思っておくものである。魔族としては置いておく。

 「いいんですか、それで」

 林檎をウサギに切りながらクリネラ。

 「いいだろう、遊ばせるなり、罠を仕掛けさせるなり、我が首を狙わせるなり、いかに護られていようと幼女ひとりが簡単に魔王は落とせんぞ。手ぶらで帰すよりは余程良い」

 「彼女が本当に幼女ひとりなのかも分からんのですよ」

 「さすがに放っておくつもりはないぞ」

 魔王は心底厭そうな顔をした。心底厭だったのだ。


 「この際、始祖様のご助力を仰ごう」


 悪魔一同の驚きを伝えるために人間流に訳せば、23世紀に「もう地球の資源が底を尽きつつあるんだけどガンジーを再現したAIに戦争がどうやったら無くなるか聞いてみよう」くらいの感じだ。「始祖さまと接触するだけでリスクです」と側近も苦々しい。


 「天界とやりあった魔族は現役を退いておられる、ややもすれば二度目の戦争なのだから、それに、まあ、悪い御方ではない」

 「いや、()()御方でしょう」

 「()()意味で」

 ガゼルロッサはやっぱり少し不安だった。


 「まおう!クいネラがリンゴうさぎさんにしてくれたよ!」

 まだ舌っ足らずの幼女は果たして恐れるほどの怪物なのか、恐れる以上の脅威か。


 「のうマリア」

 「はーい」

 魔王の城まで辿り着いた勇なる人間をもてなすときの口調で、

 「今日一緒に遊ぶのに、こっちの目つきの悪いお姉さんと、こっちの顔色の悪いお兄さん、どちらがいいかね」

 「うーん」

 マリアならずも迷うところである。彼女から見ればこの場にいる大体の者は目つきが悪いし顔色も悪い。


 「ガゼル!」

 御指名を賜った側近は悪い顔色を更に悪くし「俺じゃ見張りの意味なかったじゃないですか!」と魔王に抗議するも、幼女の意思を尊重させることはもう決定していた。さもなければ選ばせることはない。

 「そういえばお前、この件にはアルメニよりも冴えているし」

 「え、そうですか」

 「おお、我が不調を見て取り警戒を怠らず、アルメニを呼んできたのも良い判断だ」

 「えへ、お言葉ありがたく頂戴いたします」


 魔王は、ちょろいな、と思った。引き合いに出されたアルメニが言う。「あんたもう少し魔王(様)に警戒したら」

 とんでもないことである。ガゼルロッサが欲しいのは玉座ではなく魔王なのだから。


 「ほらマリアちゃん、お着替えお着替え」

 ところで甲斐甲斐しく転移魔法で幼女の世話を焼く見知らぬ大いなる何者か、幼女の着替えを悪魔が手伝っていることはどう考えているのだろうか。何もかも謎である。あまりの不気味さに魔王の側近も震えるほどだ。不審な点は他にもある。

 「食事が林檎だけって栄養バランス考えてないだろ」

 「よくお前は健康を気にするな」

 「実家の連中は酷かったのです!」

 側近の妙なトラウマを掘り当てたことに魔王は不安になった。

 「朝から晩まで、血、血、血の滴る肉、血の色のワイン、鮮血のトマトジュース」

 「なぜかトマトジュースで健康的に感じるが」

 「俺は、トマトジュース嫌いです」

 ありがちである。

 「ああもう、生臭いのばっか、マグロの漬けとか。ケルピーの馬肉ユッケと魚肉ユッケ対決とか。俺、炭水化物と揚げ物が食べたい」

 「若いな」

 栄養バランスの話からずれているが、元々の話題が話題なので微笑ましさを感想で述べるに留めた魔王である。ケルピーの肉はどちらの方が旨かったのか訊いてみたいところではある。


 「リンゴおいしいよ」

 「林檎だけじゃダメだろ」

 「炭水化物と揚げ物思想も危険っしょ側近殿」

 クリネラがたまらず突っ込みを入れた。

 「皆さん、そろそろ仕事にかかった方がよろしいのでは」

 ネベロがたまらず状況に突っ込みを入れると、魔王とアルメニは始祖の呼び出しへ、ガゼルロッサは幼女と遊びに、悪魔ふたりは「マリアちゃんと遊ばせてくんねえかなあ」と言いながら持ち場へと赴くのだった。魔界の就業規則は粗雑なのだ。

側近、生トマトは食べられるみたいです

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