回避不可能
誤字脱字等あれば教えて貰えれば幸いです。
俺――上代岬――は小さい頃、猫に命を救われたことがある。まあこれは7歳位の時の話なので夢であったのかもしれないが、俺は実際にあった出来事だと信じている。
確かそれがあったのは小学校からの帰り道だったはずだ。その時俺はまだその小さな体には身に余る大きさのランドセルを背負り、いつも通り一人で帰宅していた(別に友人が居ないわけではないのだが、道が友人たちとは逆方向だった)。
家に帰るには森を横切らなければならないのだが、そこを通ろうとした際、唐突に強い雨が振り始めた。その日は朝から快晴で、雨が降るなんて微塵も考えていなかった俺は折り畳み傘すら持っていなかった。困り果てた俺は雨宿りのため、森の一本の木の下に逃げ込んだ。ただの木なので雨を完全に防ぐことはできなかったが――そのまま雨の中を歩いているよりは幾らかマシだった。
木の下でしばらく雨宿りしていると、どこからともなく一匹の犬が俺に近づいてきた。当時の俺はと言えばその犬に首輪が付いていないのも気に留めず、暢気に犬を撫でようと手を伸ばした。
その瞬間だった、犬は小さな唸り声を上げながら俺の腕へ飛びついて来た。間一髪噛みつかれずに済んだのだが、直ぐにもう一度今度は俺の体に向けての体当たりを仕掛けてくる。
犬の余りの勢いに押し倒された俺は半ば無意識のうちに何とか犬の首を抑え、一心不乱に俺の喉笛をかみ砕こうとしてくる犬の猛攻を防ぐことに成功していた。しかし悲しいかなそこは少年の細腕である、限界はすぐそこへと近づいてきていた。
限界を迎える寸前、横から飛んできた何かが犬を横薙ぎに吹き飛ばした、まあ吹き飛ばしたと言っても1、2メートルだったのだが、その時の俺からすればとんでもない距離を犬が跳んでいったように見えたものだ。未だ状況を理解できていない俺だったが、なんとなく犬が飛ばされた方向へと顔を向けた。
犬は大型犬とも言える大きさではあったが、それよりもはるかに小さな猫にその犬は圧倒されていた。そのうちに繰り出された猫の爪は犬の肉に食い込み、小さく出血させた。子猫に怪我を負わされたことに余程驚いたのか、犬はきゃいんと一回鳴いて直ぐに逃げ出した。
犬に勝利した猫は一瞬、俺を見たかと思うと犬とは逆方向へと走り去った。
その時には既に雨は上がっていたのだ。だが俺はしばらくの間そこで立ち止まっていた、そんな俺の頭の中を支配していたのは猫が一瞬犬に攻撃するときに見せた『爪』だった。
そしてその日、俺は爪に心を奪われた。
今の話は既に何十年も前の話だが、今でもその感情は途切れておらず、むしろ時間が経つことでその思いは強くなっていった。
野生の獣の爪は研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、そしてその鋭さによって草食動物の肉をいとも容易く切り裂く……そんな爪に今では俺は崇拝にも似た感情を抱くようになっていた。
金属を削って爪を作ってみたり、金に物言わせて実際の動物のあらゆる爪を集めてみたりしたこともあるが、なんとも物足りない。
そのうちに気付いたのは、やはり自身の手から爪を生やすことができなければ俺の欲求を満たすことは絶対にできないだろう、と言う事実だった。
数年前、日本のある男が一つの手術を考え出した。それは単純な外科手術ではなく日本の最新技術をふんだんに使って行われるもので、単純に言えば動物の遺伝子を別の動物の遺伝子に組み込むというものだ。
少し前、『サルの遺伝子改造に成功』と大々的に各メディアがこぞってその手術の成果を報道した。その時テレビに映っていたそのサルは以前の姿とは打って変わって綺麗な犬になっていた、そのサルには犬の遺伝子が埋め込まれたらしく手術の後から犬の姿とサルの姿を行き来しているらしい。
理論上(テレビの受け売りだが)、その手術に成功すると任意で動物になったり、体の一部を獣化させることができるようになるというのだ。
そんな夢のような手術の存在を知って、俺はその手術を受けたいと心から思っていた。だが安全性の問題であったり、その他にも様々な要因によって人間に対してその手術を受けさせることは硬く禁じられていた。
そんなわけで俺はその手術のことを完全に諦めていたのだが……ある日、俺のもとに電話が来た。それは遺伝子改造手術を受けないか? という友人からの誘いの電話だった。
彼は医療系の機関に勤めているらしいのだが、詳しい内容を聞いたところ最近あの手術を考え出した医者が人間の被験体を探しているらしく、そこで爪のことを愛している俺のことを思い出して俺に連絡を取ってきたらしい。俺さえよければ直ぐにその手術を受けることができるらしい。もちろん、非合法だ。
もちろんのこと俺は二つ返事で了承した。
組み込む動物の遺伝子はこちらで自由に決めて良いとのことだったので、俺は二日ほどかけてじっくり考え、ライオンに決めた。理由は単純、かっこいいからである。
電話があってから数か月が経った今日、手術日当日である。
どうでも良いことだが手術日前日には興奮して眠れなかった。受付に向かい、そこにいた女性に声をかける。あらかじめ決められていた文言を告げると、受付嬢は足早に奥へと消えていった。
それからしばらくして、一人の白衣の男が近づいてきた。
「君が上代岬君か?」
「え、あ、はい。そうです。……貴方は?」
「ああ、私は――」
話を聞いたところによると彼は例の手術を考えた張本人のようで、どうやらこの手術を俺が受けることに非常に喜んでいるらしい。
「いや、これまで話を持ち掛けた奴らは安全か分からないから、なんて理由で断る腑抜けばかりだったものでね。君が受けてくれるという話を聞いたときは比喩でなく飛び上がったものだよ」
まあ確かにそいつらは腑抜けかもしれない、少なくとも俺の価値観で言えばこの手術が受けられることは人生で最も幸運である。安全か分からない? そんなものはこれからの人生で一生夢が叶わないことに比べたら些細なものだ。むしろこの手術で死んだとしても俺は本望だ。
「なるほど、意気込みは十分のようだ。それならすぐに手術を始めよう、善は急げと言うしね。まあ急いては事を仕損じるともいうが……」
そして医者に袖を引かれながら俺は手術室へと入って行った。中は良くテレビであるような手術用の器具が置かれているわけでなく、むしろ手術台と幾つかの機械があるだけで他は何もないと言っていいだろう。
「さて、まずはこれを吸ってくれ」
酸素マスクのような物(恐らく麻酔だろう)を口にあてがわれた、俺は言われるままに息を吸う。そしてすぐに瞼が重くなってきた。
「次に目を覚ましたら君は立派な獣人となっていることだろう……」
俺の意識は深い闇へと落ちて行った。
目が覚めると全身を覆う布の感触があった、それは目と口、そして鼻を除いてほぼすべての場所に巻き付けられている。
「あ、目が覚めましたね。今先生を呼んできます」
近くにいた看護師の女性は目を開けた俺を見て直ぐに立ち上がり、去って行った。
俺に手術を施した医者が来るのにさほど時間は掛からなかった、時間にして3分程度だろうか。
「……さて、君には最初に謝らなければならないことがある」
一体なんだろう? 俺はこうして生きているし、人型もちゃんと保っている、一体どこに謝る点があるのだろう?
「まあ包帯を外して見れば全て分かるはずだ。君、包帯を外すのを手伝ってやってくれ」
「はい、分かりました」
俺が困惑していると看護婦の一人が顔の包帯をクルクルと丁寧に巻き取りだした。完全に顔を覆っている感触がなくなると頭頂部に妙な違和感を覚えた。
「これを見たまえ」
そう言って差し出されたのは小さな手鏡だった、そしてそれを手に取り鏡を覗き込んだ。
「な、ななななな……!」
俺は鏡を見て声にならない声を上げた、こんなことになるなんて……!医者も微妙な顔をしているし、この現象は恐らく想定されていなかったのだろう。
「全くこんなことになるとは思ってなかったんだがね、サルの時は美味く行ったのだが……原因は遺伝子採取の時に元となったライオンにあると思われるのだが」
本来ならばどんなことになっても俺は後悔はしないつもりだったのだが、こればっかりは多少なりとも後悔せざるを得ない。なぜなら――
「なんで俺が、ケモミミ少女になってんだあああああああああ!?」
――俺は自分が少女に変わるなんてこと、全く考えてはいなかったのだから。
プロローグなので短いです。




