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007

 この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます

 これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます


 ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります

 「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません


 なお、著作権は放棄しておりません

 無断転載・無断引用等はやめてください


 以上の点をご理解の上、お読みください

 風が冷たくなった。足元には白く冷たいものが蠢いている。連夜が蹴ると蠢いている雪は散り散りと去っていった。

 

 「北の森。人間の刻で表すと二十年ほど前になる」


 ため息交じりに南の森の術士の王・セインは言う。ありもしない空の椅子に座ってセインが笑った。


 「冬の夜……。そうかお前が冬夜か」


 話だけは聞いた、とセインがこぼす。連夜のことを冬夜として術士に話すなど、そんなことをするのはたった一匹だけだ。連夜の師匠だった、あの人魚だけだ。


 「思い出してくれてありがとう。で、なんで二十年も前の北の森なんだ?」


 「椿の記憶。椿が我々術士の家族になった日から、我々の下を去った日まで」


 セインが木々の間を指し示す。その先に小さな荷物を持って走る男がいた。

 男はある女性の前にたどり着くと小さな荷物を見せつけるように縋り付く。


 《北の森の術士の王(テノス)様! この小さな子を救ってください。人間の子といえど命です。同胞に捨てられただけの生きるべき命です》


 ごく自然に言葉を理解していた。もしかしたらキセトの視線になっているのかもしれない。だが連夜の視点も確かに残っていて、小さな荷物だと思っていた小さな命を冷めた目で見つめる。声ひとつあげず、身じろぎひとつせず、死のうとしているように、連夜は思っていた。


 「あの赤子が椿、冬夜がキセトと呼ぶ者だ」


 「生まれてすぐに捨てられて、そのあとに術士に拾われた? だからキセトは術士の言葉がわかるのか?」


 「”モート”と呼ぶ。椿にとって母語になる言語」

 

 連夜が再びキセトに、椿と北の森の術士の王に名付けられたばかりの赤子に視線をやる。与えられた名を喜んでいるのか、赤子は産声を上げていた。

 そしてしばらく、術士たちが『椿』を愛でながら育てていく光景を眺めた。連夜が数秒見ているだけで数日が立ち、連夜が数分に感じた時間で『椿』は立ち上がり歩くようになった。そして人間ではなく術士としてモートを話し、術士の兄や術士の師と共に成長していく姿を、見えていないはずの連夜に見せつけるように笑っていた。同じ頃、縺夜として人間の中で見えもしない鎖に縛られていた過去を持つ連夜の前で笑っていた。


 「家族そのものじゃねーか。あいつは愛情を知ってたんだ。あんなに心が分からないとか散々言っておいて、知ってたんだ」


 「知らないふりをしなければならないと思っていたのか、それとも人間と術士の差を埋められなかったのかもしれない。術士の家族を知り、そして失った家族の愛情を、奪った人間には重ねられなかったのかもしれない」


 「失う、ね」


 連夜の視線の先で椿がまた笑う。幸せそうだった。


 「辛い記憶の前に、あの幸せそうな顔を見てやって欲しい。確かに椿はここで笑っていて、幸せを知っていたという事実をなくさないでやって欲しい」


 セインも幼き子供へ視線を向ける。雪と戯れ、魔術の訓練に励み、兄や師、王と笑う幼子。


 「愛らしいだろう。我々は椿に笑っていて欲しかった」


 セインが空の椅子から立ち上がり、地に足をおろす。


 「笑っていてくれると信じていた」


 ピリッと空気が変わったのを連夜の肌が感じ取った。反射的に連夜の視線がセインに吸い寄せられる。空気を変えたのは間違いなくセインだ。

 微笑ましい光景を背にし、セインは連夜に向き直る。ゆっくりと腕を上げ、手を上げ、指を上げ、連夜を力強く指差した。セインの瞳には激情が籠っている。風が怒りを含んでいる。


 「人間は椿を幸せにすると信じて」


 セインの指示なのか、それとも記憶の持ち主である椿(キセト)の意思なのか、連夜に雪が纏わりつく。幼い子供と戯れるような優しい面ではなく、人を殺す恐ろしい面を露わにした雪は連夜の動きを制限し、連夜の視界を黒く塗りつぶした。

 しばらくじっとしていると手足が自由になったのを感じた。雪が連夜を解放したのかと思ったが視界は黒いまま。まるで真っ黒の世界に落とされたかのように変わらない。自由に動けてもそこは黒さしかない。またしばらくたって弱い光が黒の中に刺した。色あせた光景が光と共にあらわれ、連夜は直感で過去を映し出しているのだと知る。椿の記憶の中でも過去のもの。椿自身がどうしようもなかった、後から知ったことなのだろう。


 《北の森の術士の王として名付けた。私はこの子を後継者に選ぶつもりだ。この子は、術士だよ》


 額に大きな一本角を持った美しい女性は、眠る幼子を抱きしめてそう言う。だが他二者はそれを受け入れがたかったらしい。


 《気持ちは分からなくない。たとえ南の森で同じことが起こっても僕は、南の森の術士の王として同じことをしたと思う。それでもこの子は人間の子で、人間が求めるのなら返すべきだろう。求めているというのに酷い扱いにはされないはず。それは北の森へその子を迎えにきた人間の女性が証明したのだろう?》


 《テノス、母として子を心配する気持ちもわかるが、その子は人間として生きなければならない。お前の後継者であることを反対しているのではないよ。お前の後継者として、術士だけではなく人間でもあれる子を選んだのだろう? ならその言葉通り、その子は人間でもあらなければならない。人間ならば人間として人間の中で暮らす経験も必要だろう。賢い子なのだから、人間として経験を積んだと判断すれば自分で帰ってくるだろう》


 だから、とまた二者の声が重なる。テノスはそっと目を閉じ、愛しい我が子を手放す決意を固めているようだった。

 連夜がそっとその光から離れる。色あせた光景とは別に、鮮明な、鮮やかすぎる赤が占める光が連夜の目の前に刺した。


 《どうして、皆に酷いことするの!?》


 今まで愛でられ、守られ、思われるだけだった幼子が叫んでいた。その叫びは人間には届かない。人間はモートを理解できない。

 幼子は必死に手を伸ばす。帰っておいでと言ってくれる自分の家族の手を掴むために。それでも、その手は届かない。いくら手を伸ばしても、伸ばしても、幼子の体は人間に囚われていて、一歩も家族に近づけない。

 そして幼子を取り戻そうとする家族たちは、術士たちは近づく者から斬られていった。


 (あれは、死んだな)


 連夜はこの記憶に存在していない。真横で斬られる術士を横目で見て、そして目の前で家族が傷ついていくことを見ているしかない幼子に視線を戻す。


 『××××××××××××××××××××』


 幼子を掴んで離さない人間が何かを言った。これはあくまでも椿の記憶。人間の言葉は椿に届かない。だが、連夜にはそれがどういう意味の言葉であるか分かった。椿も直感で分かっていたのか、第三者の連夜だからか、それは分からなかったが。


 「おとなしくしていろ、化物め」


 静かに復唱して少し悲しくなった。おそらく、キセトが初めて化物と呼ばれたときだったのだろう。ほかの人間の言葉は記憶にないというのに、その言葉だけ、意味の分からない音の羅列を覚えているのだ。

 バチッと音がした。連夜が何もない宙を振り返るが、そこには何もない。また振り返るが鮮明な赤の光も消えていた。何気なく地に目をやると影ができている。光源を見ると扉がほんのわずかに開いていた。そこから漏れた光が、地に影を作っているらしい。

 そっとその扉を開けた。連夜は自分がいつどうやって近づいたのかわからなかったが、この扉の先を見なければならないと思ったのだ。


 『ことばがわかるか?』


 『………』


 幼子は黙ってうなずいていた。美しい空色の髪は黒く染められていて、同じ空色の瞳は開けられることのないように上から包帯を巻かれている。そして、幼子は笑顔を失っていた。


 『めのまえにあるものがなにかわかるか?』


 長身の男が質問し、幼子が答える。幼子は視界を封じられているにも関わらず部屋の隅々まで理解していた。ただ人間の文化の疎さが表れているのか、人間の文字というものに関しては「絵」があるという認識らしく、現実とは違うだろうものが机に散らばっている。

 あくまで連夜が見ているこの部屋は、幼子が視覚以外の方法で知った世界であって現実ではないのだ。


 『すこし、そのままでまっていてくれ』


 そういって長身の男が部屋を出ていく。足音がやけに大きく聞こえた。幼子の優れた聴覚が聞かずにはいられなかったのだろう。男の足音も消えると、世界は部屋だけではなく外への興味を表した。部屋の中は曖昧になり、窓の外が鮮明になる。未知を探求しようと、ただの絵だったものが文字の形を取り始める。幼子は自分の置かれた世界を知ろうとしていた。


 「こんな時からの探求心かよ……」


 連夜は男が座っていた椅子に座る。幼子と向かい合うようにされていて、やけに低い椅子がうつむく幼子の表情を見るためのものだと気付いた。


 『ごめんなさい』


 「オレに言ってるのか」


 そんなことはありえない。これは過去という事実であって、連夜は傍観者だ。事実、連夜はここにいなかった。


 《ごめんなさい。みんな、僕のせいだ》


 目を覆うように巻かれた包帯が濡れている。


 「そうか、お前、最初から正して貰えなかったんだな」


 連夜は幼子の頭を撫でた。はじかれたように幼子が顔を上げる。これはもう過去を映している場面ではない。これは、この過去を踏まえて生きていたキセトが、この過去に下している自己評価だ。キセトは、このすべてを踏まえて謝罪すべきものだと思っているのだ。


 「お前のせいじゃないよ」


 包帯を取って涙を拭いてやった。連夜ができる限り優しく、連夜ができる限り丁重に。

 空色の瞳が連夜の瞳を映す。


 「お前のせいじゃない。お前は笑って生きていた。これからだって、それでいいんだ。邪魔する奴は正面からぶつかっていけばよかったんだ」


 ――オレがそうしたように。


 目の前で泣いているのは本当に幼子なのだろうか。この涙はキセトが流せなかった、キセトの苦しみなのではないだろうか。


 「俺のせいでは、ないのかな……。俺はまた、術士の皆と笑い合ってよかったのかな」


 「よかったんじゃねーのか?」


 「人間でなくなれば俺の帰るところはないと思っていた。術士の皆にも俺は、拒絶されると思っていたんだ。人間であるしか、居場所がないと思っていた」


 「馬鹿じゃねーの?」


 「そうか、よかったのか。俺は、よかったんだ、戻っても」


 そう言って、連夜も見慣れた姿の青年は微笑みながら涙を零す。


 「ありがとう、連夜。やっぱりお前が友達で嬉しい」


 そう言って、彼は、椿は、幼子は、キセトは笑っていた。



 椿としての記憶を忘れないであげてください。

 確かにキセトが生きた一瞬でもあるのですが、椿という名前の子供が過ごし失った時間でもあります。


 BNSH2はこの後も続きますが、BNSH2の始まりにしてキセトの始まりの記憶を忘れないであげてください。

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