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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
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以上の点をご理解の上、お読みください
夏樹夏盛はフィーバーギルドの副隊長である。実姉が隊長を務めており、両親は地元の地主。実のところ、自分はお坊ちゃまであると思っていた。恵まれていると信じていた。若い頃の話だ。
自分が狭い世界に生きていると感じて、姉より早く帝都ラガジに出てきた。地元ではお坊ちゃま、競争相手になるのは姉だけ。そして、姉から逃げ出すように地元から出たのだ。姉よりもっともっと優れた人に出会いたいと姉には告げていた。実のところ、姉さえ居ない場所なら自分は一番になれると信じていた。
現実はそうではない。姉より優れた人物に出会った。自分の世界が思っていたよりも小さかった。世界中の事を知りたいと情報屋であるフィーバーギルドに入隊した。苦労もしたが、自分が成長し上り詰めていくのを感じていたのに。
夏盛は姉を羨んでいた。情報の扱いも収集力も、そもそもの物覚えも、姉の方が優秀だったからだ。小さい頃は常に一つ上に君臨する姉が羨ましくてたまらなかった。大人と呼ばれるようになってもそれは変えられなかった。
「姉貴……」
熱にうなされる姉の為に、血液を媒体とする魔力供給に同意した。かなり大規模な手術になるらしい。血液を三分の一程入れ替えるそうだ。しばらくは夏盛自身も休養を必要とする。準備の為に今は病室で待機中だ。隣に姉がいる状況での待機は、夏盛の中にある小さなどす黒い感情を大きくさせるに十分だった。
「ずっとずっと姉貴が羨ましかった。なんでもこなして、おれより後に来たのに志佳隊長に先に認められて」
それでも、夏盛も怠惰に過ごしていたわけではない。努力もした、妬みにならないように姉を認めた、自分の技術を磨いた。情報収集力に繋がるだろうとハッキング技術や潜入捜査は姉を超えたと自他共に認めている。
それでも、こうやって姉が危機に陥り、自分が無事な時。どうしても思ってしまう。姉を助けるために大手術に参加するのは、自分をよく見せたいだけではないのか。本心からそれを望めているのだろうか、と。
「姉貴が自慢だった。フィーバーギルドの隊長にまでなっちまうんだもん」
フィーバーギルドは情報屋としてだけではなく、ギルド全体のまとめ役だ。その隊長とういことはギルド全体の代表でもある。ギルドを管理する軍人、東雲江里子に次ぐ権威者だ。自慢の姉だ。それは変わらないのに。
自分が姉より劣っていると、それを認めたくなかった。生まれを持ち出しても同じ両親から生まれた。環境だって二十歳そこそこまで同じ家に住んでいた。才能だと言われればそれを妬むようになりそうだった。
(自分よりできる人を羨むのは自然なことだけどさ……。それを口にしたら弱音になったり、その人を傷つけたりしてしまうだろ。黙ってきたんだ。一言も漏らさなかったさ。妬みにはしなかった。姉は姉、おれはおれだって)
姉は知っていただろうか。すぐそばにいた弟が、姉を助けることを戸惑うほどのどす黒い感情を抱いていたことに。それを妬みと認める事すらできていないことに。このままいなくなったらいいのにと、そんなことを考えるような嫌な奴だと。
こういうことがなければ自身の黒い部分を見なくても、なんとなく流して、なんとなく一緒に仕事をしていくことぐらいできていたはずだ。なぜ、倒れたのが姉なのだろう。なぜ、今、夏樹夏盛は倒れた姉の心配ではなく、姉を心の奥底から心配できない自分への憎しみに必死になっているのだろう。
「人ってこんな醜いんだよな。姉貴……」
姉にもこんな醜さがあるのだろうか。あってくれるだろうか。たとえば女に生まれたことを憎むとか。姉ほどの才能や能力がある者が女ではなく男であれば、もっと上だって目指せただろう。地元にいれば女でもそれなりの地位につけるが、この帝都ラガジは男女差別も激しい。男装をするのはその気持ちの表れだったりするのだろうか。
もし姉にも醜さがあったとして、姉はその醜さを夏盛には見せなかった。もう、それだけで夏盛は姉に勝てる気はしない。例えば、峰本連夜が何かに気づいていることに気づいた。情報を扱うものとして姉は追及するだろう。夏盛は追及できなかった。
(姉貴。許してくれ。怖いんだ)
峰本連夜と焔火キセトを初めて見た日、自分より上位の人間だとすぐにわかった。姉という上位の人間に対するコンプレックスが見極める目を与えたのだと思う。上位の人間にも欠点や夏盛と似ているところがある。峰本連夜は馬鹿だし、焔火キセトは人づきあいが苦手だ。
それでも上は上なのだと、夏盛は知っている。いくら姉が自分を立ててくれても、決して自分が上位になることはなかった。仕事での地位が下の峰本連夜と焔火キセトも、結局は上だった。
「おれより上位の姉貴が羨ましくて、いなくなればいいのにと思ってて。んでさ、いざ失うとなると怖いんだ。こんな形で姉貴を失って、その後に自分が生きていく姿を思い浮かべると、怖い。怖いんだ、姉貴」
多くの情報が夏盛の下に集められている。そして民が暴走しようとしているのもわかっている。情報屋としては八年前に羅沙将敬が崩御していることを証明できるような情報を上の人間に提出しなければならないのも、理解している。
峰本連夜を追求すれば現状が打開できるとわかっていても、動けない。そうしなければならないのだろう。人として、集団で生きる生物として。それでも、
「怖くて、動けない。だから早く目を覚まして、情けないって叱ってくれ」
医者が手術の準備ができたことを知らせてくれた。眠っている姉が苦しそうだ。苦しむ姉を見て優越感を持つ醜い自分も傍にいる。手術をしても根本的な解決にはならない。こんなふざけた事態を解決できるのはごく一部の上位の人間だけ。
手術が終わったら峰本に頼みに行こう。明津様に会わせてほしいと頼んで、会わせて貰って、せめて民の勘違いだけでも正してもらおう。事の原因は峰本を問い詰めて、吐かせてから考えるか。
「姉貴。許してくれ。姉貴のために必死になれないこと」
* * *
東雲高貴は羅沙明津の元騎士である。解雇された身ではあるが、騎士の誓いを立てた証を外したことはない。左耳で揺れるイヤリングは結婚指輪より長く東雲の身と共にあった。風呂も寝るときも外していない証。これは自分たちの誓いの証だ。明津が外したとしても東雲が外す理由はない。
それは騎士の任を解かれても、東雲が明津に従うことに理由がないのと同義。東雲は決められたから明津の騎士になったのではない。自ら希望した立場だ。
無作法にも主の家にアポイントなしに訪れ、厚かましくお願いごとをするなんて。東雲は自分のことを笑い、目の前に座る主に頭を下げる。綺麗に頭を床に付けて願いでる。
「お願いします。今一度、民の前へ」
「東雲、帰れ」
「………」
民が羅沙明津を持ち上げてありもしない理由を妄信するというのなら、東雲は明津に直談判するしかない。民を説得して欲しいと。羅沙明津は皇族籍から退いた。それでも民が慕うのならば、役割というものがある。それが羅沙明津が生まれながらに背負った社会的地位だ。
その地位を明津が嫌っていることは理解している。誰よりも寄り添ってきた。いや、今この家に共にいる不知火雫がその位置にいるのか。明津はあらゆる社会よりも家族を選んだはずなのだから。
「東雲。俺が出ていくのはいい。でもそれは今の皇帝ができる限りのことをしてからだ。最初から俺が出てたら意味ないだろ」
「わたしは既に騎士の任を解かれている身。奥方の前で失礼なのは承知しておりますが、言わせていただきます」
「言ってみろ」
従僕としての礼を解き、人を射殺すと言われた眼光で主を貫く。温厚な東雲高貴など、人受けを鑑みての繕った姿でしかない。峰本連夜や焔火キセトぐらいの年齢の時、東雲も夢見る青年でしかなかった。その時に明津とは出会ったのだから、これが明津の知る"東雲高貴"だ。
「明津。いつまでもガキみたいなことを言っているな。今動くべきなのはお前だ」
「高貴、俺は動かないよ。俺は俺が守りたいものを優先させたいんだ。イカイも無事だそうだし、皇帝陛下の勅令出ない限り、一人の民として過ごす」
「……動かないと言うのか。皇帝陛下のお言葉はこの国の神のお言葉も同然。何一つ確信が持てない今、陛下は動けない。それも分からないのか」
「確信が持てないままでは俺も動けないだろ」
皇帝陛下と自らを同列に並べるか、と東雲が怒鳴る。明津の体が跳ねた。東雲が騎士になって数年の間だけ、この横暴な姿をよく見た。東雲高貴だけが明津を正面から叱っていた。もはや反射で明津の体が竦む。
「わかった。信じていた。お前がおれたちの王だと。だが、違ったんだな。お前はもう子どもじゃない。失望し、見切る。見守ったりしないぞ。おれはお前の騎士でも兄でも父でもない」
イヤリングを外す。明津の右耳に同じイヤリングが揺れているのを見納めてからテーブルに置いた。手を離したらもう戻れない。手は離れない。
「これは返す。今のおれではこの誓いを果たせない」
「俺とお前の誓いを破る時は死ぬ時だぞ。騎士は解任しても誓いは破れないはずだろ」
「ならおれの主としての務めを果たせよ、明津。約束だっただろう? この国を守ってくれると」
「……俺は、手の届く範囲の大切な人を守りたいんだ」
「ならそうすればいい。おれたちの誓いははたせないまま、な」
テーブルの上、イヤリングから手が離れない。本当にいいのか、このイヤリングを手放していいのか。
大昔、明津の騎士になることが夢だと言ったルームメイトの顔が浮かぶ。初めて参加した戦争でその友は命を落とした。その友の夢のため、東雲は明津の騎士に名乗り出た。
こんな形で友の夢であり、自分の道と決めた騎士を自ら捨てることになろうとは。
(すまない)
「明津。本当に動かないのか。わからないのか。お前が必要なんだ」
「……俺は家族を選ぶよ、高貴」
ごめんなんて、そんな謝罪をさせたかった訳じゃない。同じ人の親として気持ちはわかる。家族を選ぶその気持ちがわかる。東雲も娘、江里子のために連夜を問い詰めて事の解決に挑みたい。だが、『羅沙明津の騎士』が問い詰めて原因排除に乗り出せば、峰本連夜が黙ることで守ろうとした相手を悪にしてしまう。社会的地位がある以上、好き勝手はできない。
「残念だ」
東雲高貴の手がイヤリングから離れる。それと同時に心も主から離れた。
東雲は死ぬまで主の傍に寄り添った上田榛呀を尊敬している。主が誰に嫌われていても憎まれていても、主を信じ敬愛し続けた騎士。そうなりたいとも思っていた。
そうはなれなかった。距離がいくら離れようと、主と騎士として繋がっていると信じていた。しかし、明津と東雲はそうなれなかったのだ。
「明津。動かないという選択肢はお前がどちらもいらないと言っているようなものなんだ。家族を選ぶならお前は連夜君のところに通い詰めるべきだった。社会を選ぶというのならこれが最後だった」
失望したとその言葉を告げるのはあまりに一方的だ。それは東雲の心を晴らすためだけの言葉になる。だから口にはしなかった。面と向かっているのだから、表情や仕草から十分に感じ取っただろうが。
一人で潜る家の玄関で、長く信じていた気持ちが奈落へ落ちていったように感じた。