048
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
連夜は将敬の腕から飛び降りて、彼を振り返る。しかし、そこに広がっていたのは次の記憶だった。炎の記憶のはずなのに、そこに炎はいない。
連夜に取っては懐かしい人である羅沙鐫とさっき会ったばかりの羅沙将敬、そして記憶の中でしか見ていない上田榛呀がいるだけだ。将敬と鐫は何か重要な事を話しているのか、二人の表情は硬い。
「鐫」
「嫌だ」
「……なぜ、とは聞かない。わかりきっていることだ。だからこそ、私はこう言う。私の後を継げということではないと。お前はお前のやり方でいい」
「僕が王になれると本当に思うの? それなら炎のほうがずっとずっと向いてるよ」
「炎は駄目だ。鐫が継がないというのであれば明日に。明日が継がないのであれば驟雨に。驟雨が継がないのであれば、民の優秀な者に。誰が次の王になろうとも構わない」
「でも、炎は駄目だと」
「そうだ」
「わけわかんない。……でも、そうだね。僕は僕のやり方でいいというのなら皇位に就いてもいい。でも、僕はこの国を壊すために動くかもしれない。それでもいいっていうの? 貴方が人々からの評価も想いも、その人生も捧げて一生懸命守ったこの国を、僕は壊すかもしれないのに?」
「それが鐫の選んだ道ならば。私は人からの評価も想いも自らの人生も、この国の民に捧げることが望みだった。だから皇帝という立場を利用して望みを叶えた。私はこの国を民の国にしたかったのだ。皇帝が支配する未来無き国ではなく、民が歩んでいく進化する国に。そのために、民には皇帝などという存在を軽んじてほしかったのかもしれない。皇帝と言う存在そのものが、この国にとって害悪なのだと知ってほしかったのかもしれない。しかし、それこそ私の選んだ道だっただけのこと。鐫が選ぶ道と同じになるはずがない」
「……わかった、わかったよ。父さんに何かあったら僕が皇帝になる。貴方が目指した姿を目指すことはできないけど、僕は僕なりに頑張ってみる。貴方が期待したほど、僕はこの国の民に期待なんてできない。だって、結局皇帝を追い詰めたのは病だ。その病を持ち込んだのは炎だ。羅沙の民じゃない」
鐫は将敬の目の前に跪いた。実父を貴方と呼び距離を置いていた息子は、父の手を取り自らの願望を心の中で唱える。
(この人に死んでほしくないなぁ)
しかしそれも鐫の身勝手な願いであって、目の前の羅沙将敬という人間はその願いには応えない。皇帝という立場を利用したというが、将敬はまさに皇帝であろうとして命を懸けたのだと鐫は思う。
(羅沙という国のためにならば王をも捨てる。その決断をこの国で一番早くしたのがその王様だったっていうだけなんだろうな……。民の国か……。そんなものこの世にはないのにね)
羅沙だけではなく、この世界にある国と呼ばれる組織は絶対の王がその頂点に君臨している。皇帝と呼ばれていたり頭領と呼ばれていたりする違いはあるが、それだけは変わらない。先見の明がありすぎた羅沙将敬という賢人は次の在り方を見つけてしまったらしい。そして、実際にその次の在り方の為に自らをないがしろにするように仕向けてきた。
鐫もそれを知っていて止めなかった。父が意図的に作った流れに誰かが気づくように仕向けたりもしなかった。鐫は自らの自由を優先するように、父の自由も重視したかったからだ。その結果、羅沙将敬という男は命尽きた後の話を息子に平然とするようになったのかもしれない。
「貴方は病で死ぬ。それで、それを悲しむ可愛い息子になればいいのかな? それとも平然と父の亡骸を見下す息子になればいいのかな?」
鐫は連夜の知らない顔で尋ねた。連夜の知る鐫は何種類もの笑みを使い分ける人だったが、その時は苦しそうに、悲しそうに、泣き出しそうにしていた。将敬は硬い表情のまま無理やりに笑みを作り、その不器用な笑みのまま鐫の頭に手を伸ばす。
「鐫のしたいようにすればいい。愛しているよ」
すまない。
その言葉はその光景が消えて後、暗闇から聞こえてきた。炎の出てこない記憶に連夜は首を傾げる。
「なあ、今のなに? なんで炎がいない記憶がここで見れるんだよ?」
案内役の将敬に尋ねるが、それもおかしいことだと連夜は気づく。なぜ炎の記憶の案内人が炎ではないのか。今までの記憶は最初の椿以外は本人が案内をしていた。椿の時は連夜と共に術士のセインが記憶に侵入しそのまま案内をしてくれたが、それは術士の力あってこそだ。目の間の羅沙将敬はそうではない。
「なんでここに『羅沙将敬』がいるんだ?」
今更の質問に、目の前の影はにやりと笑う。
「それには答えたはずだ」
その案内人は、人々に見せていた偽りの笑顔で答えたのだった。
記憶の中の将敬は一貫して暖かく、優しかった。唯一冷たい目をしていたのは炎が文字を覚えた時だけだったはずだ。そんな将敬の突き放すような答えに、連夜の心が冷えていく。
だが、連夜は冷たさに怯える子どもではない。あまり背丈の変わらない将敬を睨む。将敬は連夜を優しく見つめ返すが、あの冷たい返答を変えるつもりはないらしい。黙って、もはや子どもとは言えない外見――本来の連夜の身丈――を見ている。
「別れは必要だ」
その言葉と共に周囲ががらりと変わり、執務室になった。炎の記憶の中で幾度となく背景を務めてきた部屋だ。鐫が皇帝だった時は皇帝の私室扱いになっていた。
優しい目をやめ、冷酷な目をした愚皇帝と呼ばれた男が連夜を突き飛ばす。不意打ちの張り手にバランスを崩ししりもちをついた、ような気がした。衝撃と言う衝撃はなく、連夜が手をついた床が回転扉のように回る。世界が回転する。連夜が案内された部屋は先ほどと一ヵ所しか変わらない執務室だった。馬鹿でもどこが違うか、すぐにわかる。この執務室には案内人の将敬がいない。
(逃げたな……)
そういうところがキセトと似ている。聖人君子と見せかけて都合の悪いことからはさらりと逃げる。キセトは逃げているという自覚がないのか、それとも罪悪感か、逃げ方が下手の一言に尽きるが、将敬は手慣れているようだ。いや、彼が見せかけたのは聖人君子などではなく「愚皇帝」なのだが。
記憶の中の光景には人が増えている。将敬、榛呀、炎、そして玲だ。将敬は侵入者である玲と榛呀を挟んで対峙しており、炎は将敬の陰に隠れているようだ。玲は将敬を前にして少し調子を崩してはいるようだが、それでもあのひょうひょうとした態度だ。
「風の噂でね? あの羅沙皇帝が病と聞いてやってきたんだけど、そんなに警戒することないでしょ。あはは、そんなにピリピリされるとちょっと怖いかも。ぼくは治したいだけ、嘘じゃないんだ。治療さえさせてくれるならお代もいらな……な?」
口数の多い女のような男、不知火玲は将敬を観察しているうちに、彼の足を隠すための装飾や布にしがみつく小さな手に気づいたらしい。羅沙国民ですら知らない皇帝の病を嗅ぎつけてやってきた玲でも炎のことは掴んでいなかったのだろうか。炎は首を傾げて、やっと将敬の陰から顔を出した。
炎の記憶にある玲と大きく変わっているはずだが、思い当たる節があったのだろうか。ちなみに連夜はわからなかった。記憶を見ている時には気づいたはずなのだが、現実世界では一切気づかなかった。連夜の落ち度ではなく、それぐらい変わっているのだ。
「玲?」
そうだよね? と炎は体も将敬の陰から出す。羅沙明津だと言われても信じる容姿の子どもが自分の名前を呼んでいる。炎が四歳の時に分かれたのだからわからなくて当然、なのだが。
「えっ、嘘。生きてる?」
炎に駆け寄ろうとした玲だが、それは将敬に阻まれた。皇帝の身を挺した行動に思わず玲も数歩下がる。そんな玲の首筋には後ろから榛呀が剣を突き付けた。侵入者を排除しないのは、炎が知り合いである玲に嫌悪を示していないからだ。だがそれも、返答次第。
「待って、おじい様。玲は僕に言葉を教えてくれた人なの、悪い人じゃない」
将敬が炎を見た二秒。
炎が将敬を見つめ返した二秒。
将敬の視線が玲を向けられてからの二秒。
その六秒で話は済んだようだ。将敬が騎士の名を呼び、警戒が解かれた。
「玲、おじい様を治しに来たんでしょう?」
玲に駆け寄ることを許された炎は、服の裾を引っ張りながら玲に聞く。そうだよ、と玲は炎を撫でながら答えた。戸惑ってはいるが、炎に対する好意は余すところなく表現されている。
それを見る将敬の視線は冷たかった。自分の陰から自分の意思で出ていった炎。自分ではない誰かに駆け寄る炎。そんな炎に送る視線。
驚き、戸惑い、冷たさ、思考、納得、そして暖かい視線に変わる。一度瞼を閉じて開くと諦めに。
「炎」
これまでよりも気持ちを込めて、優しく、あるだけの愛情を伝えるために、名前を呼ぶ。
「無名の医師よ、貴方の治療を受けるつもりはない。私の治療よりも、優先して欲しいものがある。炎、お前はその先生と一緒に羅沙を離れなさい。ここにいることは許さない」
玲と炎の驚きの声が重なる。騎士は無言で主を見守っていた。
炎が将敬の元へ戻ろうとするが、将敬はそれを止めた。ゆっくりと首を横に振る。
「炎、私から離れる時は来る。別れは必要なものだ。別れがお前を確固たる個体にしてくれるのだ。お前は私に依存せずとも生きていけるのだから、そうすべきだ」
わかるな、ともう一度念押しされ、炎は頷いた。頷いたが嫌だとその顔は告げている。
「医師、先ほども言った通り私の治療は必要ない。その代わりと言ってはなんだが、炎を任せていいだろうか。ここまで見張りに見つからずに来たのだ、帰りもそのつもりなのだろう? 炎は聡明で身体能力も申し分ない。連れて行っても城を出るのに問題は発生しないだろう。無理だというのなら護衛をつけて堂々と城を出れるように取り計らってもいい」
「いや、この子一人ぐらい、平気だけど……」
玲が頷き、将敬は満足げに頷き返す。
将敬がすべきことは最後の念押しだ。
「炎。お前は私から離れても大丈夫。それは私が保証しよう。お前に知識と文字を授け、お前自身を愛した私を信じなさい。お前はどこに行ってもお前であればいいんだ、愛しい子よ」
さようならをしよう、と将敬は微笑む。優しい笑みだ。連夜が見た最期の鐫に少し似ていた。
※ 話の区切りの関係上、本来の049のお話を追記にて048に付け足しました。