044
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
年老いた男の一声で城まですんなり通れてしまい、少し拍子抜けだと感じていた。二年前に東雲に連れられてこの城門を真正面から通った時の方が緊張していただろう。あの時はキセトが居たから自覚するまでもない、かすかな緊張感だっただけだ。
相木の弟子だと言う男が城内の案内をかって出てくれた。名前は篠塚晶市。連夜が自己紹介するまでもなく、彼は連夜の事を知っているらしく、連夜が話し出そうとしても首を振って拒否される始末だった。
「オレってそんなに有名?」
連夜がとぼけて訪ねてみた。石家の人間の枠をはみ出さないように見張るべきという考えはそのまま連夜に向いている。連夜の名は、人間の枠をはみ出た者として、排除リストの一番上に輝いていることだろう。知っていて当然なのだ。
「私たち石家からすれば……。それにぼくは、その、弟が貴方と親しいと聞いています」
連夜に覚えが無い。石家には晶哉を始め、多くの知り合いがいる。晶哉の兄だという不知火玲も知り合いに入れてしまってもいいし、晶哉に姉が居るとも聞いている。不知火玲といいマスターといい、石家には性別と言うものを越えた者が多いので、目の前に居るのが晶哉の姉という可能性も――。
マスター。羅沙の石家。魔法で姿を女性に変えてるとはいえ性別は男。兄から見ればマスターは弟になる。連夜が大好きナイスバディの少々派手とも言える、連夜の友人。
「ああ!? マスターの兄貴かよ? 似てねぇーな」
「よく似ていないって言われます。と言っても弟が男の姿をしている時間が短過ぎて似てる似てない以前の話でもありますけれど……。弟は常に……その、女性の姿を魔法でとっていますから」
目の前の生真面目そうな男性。しかも皇帝の担当医。白衣こそ着ていないが、城に出入りするものとしてそれなりに服装が整えられているといえた。貴族や皇族たちの目に止まらないように地味目に纏められている。
「美人だよな、マスター」
派手なマスターと地味な晶市は似ていないという念押しのつもりだった。しかし晶市は嬉しそうに連夜を見つめ返してきた。
「貴方様にそう言って頂ければ弟も喜びます」
晶市の態度は連夜が知る石家のものとは違う。連夜たち賢者の一族を目の敵にしている者ばかりであったが、晶市や相木親子は連夜たちにへりくだっている。相木老人が言っていた「主を持つ」ということなのだろうか。
(そう考えたら晶哉は主にキセトを選んだってことなのかねー。ならキセトのためにっていう目的のためにあそこまでするのもわかる気がする)
人生を、自らを全て捧げる相手。賢者の一族に仕える立場。不知火の石家の特命。
マスターも不知火の石家は特別だと言っていた。なら、連夜が出会ってきた石家が特別だったのであって、相木親子や晶市の態度が普通なのだろうか。それとも相木老人の言う時代の変化に晶市は置いていかれた者なのか。
「んで、城まで来て後はどうすればいいんだ?」
考えてわからないことは後回し。
連夜のそういうところは変わらないようで、考えても無駄なことは時間の無駄だ、と割り切っていた。
「師匠から話は聞きました。こちらへ。エモーションと思われる子どもの居場所を知っています。貴方様のような、賢者の一族の中でも特別なお方の役に立てるなんて、夢のようです」
割り切ったとしても慣れない態度であるのに変わりはない。むず痒い思いをしながら、次にはサインでもせがまれるのではないか、と恐る恐る晶市から求められた握手に応えた。
「陛下より既に許可は頂いています。空中庭園へご案内いたします」
二年前もこうして城を歩いた。キセトが空中庭園を見上げて、羅沙将敬を想った。連夜は、そう、人影を見たのだった。見るはずの無い人をその庭園に見た。
「……眩しい」
同じように庭園を見上げれば懐かしいあの人に会えると思っていたのだが、連夜の勘は外れてしまったようだ。空に溶け込む羅沙ローズが咲いている。二年前に見た人影などなく、花だけが風に揺られている。
「眩しいのに見上げるの? Mなの?」
会えると思っていた連夜に姿を見せず、声を一番に届ける。そういう人だ。連夜が仕えると決めた人は、そういう人。
「太陽は眩しいものだし、太陽を見上げるだけでMとは酷過ぎないか?」
声は後ろから聞こえたのだから後ろを向けば彼が居るはず。連夜の勘は外れたけれど、連夜の期待には応えられた。後ろには確かに連夜の主、羅沙鐫が佇んでいた。死人らしく、宙に浮いて半分透けている。
「なんで死んだのに現れてるんだよ、あんたはキセトか」
それか亜里沙さんか。
心の中で泉のように湧き上がる喜びを押し留めながら振り返る。視界には驚いたように連夜の後ろを見る周囲の姿も映っていたはずなのだが、連夜の脳までは届かなかった。鐫だけで連夜の脳の要領は一杯一杯。それ以外など認識する余裕はない。
「ん? あぁ、僕? 僕はね、化物だよ。キセト君ではないけど」
「難しい理論?」
「難しい理論だね。幽霊だとでも思っておいて。地縛霊って知ってる? 僕は神様ではないから、それぐらいが適切だと思うな」
どうして姿を現したのか、尋ねたがる周囲を無視して、羅沙鐫は連夜にだけ笑みを向ける。「難しい理論」という言葉だけで鐫の存在を連夜が受け止めたことを喜んでいるようだ。満足気に自らの臣下を見下す鐫を連夜が見上げる。
鐫の下に居ることは(連夜にしては珍しく)嫌ではないのだが、全てお見通しだと言わんばかりの鐫の表情にほんの少し反抗心が芽生えた。
「あんた、オレの夢に出てきただろう。二年前に」
「二年? あれー、二年前っていつぐらいだっけーー。僕はこのお城に住んでる幽霊だから君の夢のは範囲外なんだけどーーーー」
間延びした音がわざとらしい。話すつもりは無いらしい。
鐫はある方向を指差した。進めば? とありがたいお言葉つきである。
「空中庭園ってそっち?」
連夜が鐫が指差した方向を指差して晶市に確認を取ると、晶市が頷き返す前に鐫が間に割り込んだ。歩くというより滑り込むといった様子で、一定方向を指差している。前皇帝自らに道案内してもらっているのだから道を間違うはずはない。なにせ、家の主が自分の家の中を案内するようなものなのだ。それも鐫は自由主義などと言われていたが独占したいという欲求は強い。自らの住まいなら城だろう莫大な敷地だろうと、全て把握しているだろう。
「そうそう。早く進んでよー。僕の愛しくて可愛くて最高の子どもたちに会えないでしょ。お庭で待っててくれる予定なんだから」
「幽霊だって言うぐらいだしいつでも会えるもんじゃないの?」
「んー……」
素直に進みだした連夜の肩に座り込むようにして幽霊が押し黙った。浮いているのだから自分で進むぐらいすればいいのに、と連夜が零したが黙殺されてしまう。連夜の肩に生き物の温かさも重みも感じられないのが残念で仕方が無かった。
「難しい理論で会えないんだけど、説明しなきゃ駄目?」
「いや、いいよ。どうせわからない」
「ふふっ。連夜君みたいな馬鹿好きだよ」
偉いねと繰り返しながら鐫は連夜の頭を撫でる。圧倒的な力を示した連夜を子どものように扱うのは過去にも未来にも鐫だけだった。その証拠に前と後ろを進む石家の二人はありえないものを見る目でその光景を見ている。
「連夜君、髪伸ばさないの?」
「あんたが切って欲しいって言ったんだぞ」
「何年前の話? 出会った頃でしょー。古い古い。現代を生きてるくせに古いよ」
「そっちは死んでるくせに……」
「そうだねー」
石家の二人は、鐫がいつ怒るかひやひやしながら、自分たちに飛び火しないように必死だった。一般人には操り人形という蔑称までつけられた人物だが、城に出入りするものなら知っている。彼は操り人形に徹していたが、その糸を辿って操り手たちを操っていた側だということに。
「自由主義」を謳った彼自身が最も自由だった。言い換えれば我侭だったのだ。彼の逆鱗に触れたという理由で貴族階級を剥奪された家もある。そしてそんな横暴なことを行っても彼はこの国を治め続けていた。
連夜の言葉は乱雑で彼に対して敬う気持ちが無いように聞こえる。いつ鐫の幽霊が怒ってもおかしくない。だが、鐫は楽しそうに微笑むだけ。
「僕は死んでいる。死んでいる者の意見など無だよ。君の耳に入れるにも値しない。それでも君は僕の言葉を聞き、当然のように会話をし、僕に触れようとしてくれる。優しいね、君は。僕が撫でるフリをしただけなのに、まるで本当に触れられているように対応してくれる。僕が生身ではないことを悲しんでくれる。君がどうしようと、それこそ僕の存在を無視しようと、それは自由なのに。連夜君は自分で僕を認識することを選んでくれる。とても、優しいね。死んでいる奴なんかに君は構ってくれるんだ」
「死んでる奴だから構う訳じゃない」
「僕だから? 流石、僕の民。言うことが違うね」
鐫は終始嬉しそうだ。
晶市は現皇帝の羅沙驟雨を主人と定めた石家の人間である。羅沙鐫が皇帝だったころも皇子の担当医として彼を間近で見ていた。乾いた笑みを顔に貼り付けて、逆鱗に限らず触れてくるものを叩き落す人だ。彼が愛していたのは娘と息子だけ。皇帝の激務の中で子どもたちとの交流を一番の楽しみにしていた。
ある時から彼は騎士を侍らせるようになった。二人の騎士は、それぞれ仮面に犬と猫と書かれていて、それぞれ適応した耳がついたパーカーをすっぽり被った騎士。顔も髪の色も一切公表されなかった騎士。その片割れが峰本連夜だったと打ち明けられたのは二年前。
「師匠。賢者の一族の方々同士、通ずるものがあるのでしょうか……。驟雨様もやはり、賢者の一族の方の方がいいことも……」
「……関係ないだろうさ。峰本連夜は主に羅沙鐫を選んだ。それだけでしょう」
石家云々ではなく、一人の人間として仕える相手を選んだ。
連夜にとっての生涯の主は羅沙鐫。そして鐫もまた、それを受け入れていたというだけだ。自分の領域に踏み込む全てを拒絶していた羅沙鐫が、自分の子どもと同等に連夜ともう一人の騎士を認めていた。
だから今も、失礼を通り越した物言いを許しているのだろう。
「はいはいよ、っと。到着だね。まっすぐ進んでね」
ふわりと重さを感じない動作で鐫は連夜の肩から降りる。入り口は石レンガで覆われていたが、鐫が通り抜けると同時に石レンガも透明になって消えていく。晶市は外に残り、連夜と相木老人だけが庭園へ進む。
まず連夜の視界に映ったのは老人。見たことがある人物だ。思い当たる節は一つだけ。写真で見た、羅沙将敬。写真より歳をとってはいるものの、相木老人以上の品位が感じられる。そもそも比べていいのかすら怪しい。
厳格そうな無表情で佇んでいて、目は少し釣り目気味だった。羅沙の皇帝の服装は美麗な装飾品が少ないと連夜は考えていたのだが、鐫がそうしていただけなのかもしれない。羅沙将敬の頭には少ないにしても髪飾りが。服には様々な権威を示す勲章のようなものが。何よりどのような細かいところにも高級品と見て取れるものが使用されている。
だが目の前の羅沙将敬が「本物」であるこの気迫はそんなものから出ていない。高価な飾りなどでは誤魔化せない、本人の高邁さだ。彼を馬鹿にした言葉を公式な書類として残す羅沙が馬鹿馬鹿しく思える。直接見れば、すぐにわかる。彼は優秀だ、と。連夜が会っただけで認めるのだ。余程だろう、と連夜自身は思う。
「初めまして」
連夜の瞳を捉えた眼がきらりと光る。何も感じていなかった心に優しさが灯るのが見える。
羅沙将敬が連夜に微笑んだ。
その微笑みがキセトそっくりで、連夜はとっさに何も言葉にできなかった。目を見開いて、キセトにとって亜里沙以上に大切だろうと予測した人物をまじまじと見つめる。
キセトと羅沙明津は確かに同じ顔と言ってもいいほどだった。しかし、表情が全く違った。しかし、顔のつくりが全く違う羅沙将敬はキセトと同じ笑い方をした。笑っているのかどうか疑わしいほど僅かにしか動かない口角。愛おし気にほんの少し細められた目。伝わるか伝わらないかではなく、ありったけの心を込めようとする意志の瞳。
キセトが連夜に数回だけ見せた、心底幸せだと言いたげな、あの笑みだ。
「羅沙将敬という。どうぞ、よろしく」
連夜が考えていたよりも砕けた挨拶と握手を求める手。差し出された手は手袋が外されていたが、もう片方は手袋がされたままだった。つまり、握手のためにわざわざ外したのだ。元皇帝ともあろう男が、羅沙に置いてはただの軍の下っ端に過ぎない連夜に。
実は育ちのいい連夜は、求められた手に対して羅沙式の礼を尽くして返した。自分より優秀なだけではない。鐫のように、上に立っていても見下されていても、認める者は認める度量があるのだ。そして、連夜は今のところ認められている。真っ向から連夜という個体を見ている。それは連夜の中の判断基準の一つである。
「峰本連夜です」
「では、峰本君と呼ばせてもらおうかな。まず始めに言っておくが、君がキセトと呼ぶ存在を私は炎と呼ぶ。それだけは君がなんと言おうと変えない。了承してくれるね?」
「まぁ……いいですよ」
目の前に居るのが幽霊だとか、死人に過ぎないだとか、連夜には関係なくなっていた。支配者としての彼に全く興味が湧かなかった。それは当然かもしれない。彼の本当の魅力は向き合わないとわからない。皇帝としての彼しか求めない者たちにはわからないのだ。
「ははっ。いいよ、普通に話してくれれば。峰本君は鐫の騎士なのだろう? それに炎の友人でもある。今、君は炎のためにここに来た。私の家族のために。私が君に感謝する理由はあるが、君が私に敬意を払う理由は無い」
鐫の幽体と違って彼には足があった。ゆったりと歩いて連夜に近づいてくる。身長は連夜とさほど変わらないようだった。
あの笑みが近づくにつれて、連夜に考える余裕が無くなる。何をされるのか、自分は何をすればいいのか。歩みが遅いからこそ、連夜の中がそれだけで満たされていくのがじわじわと感じられる。
「ちょっと」
連夜の前に鐫が滑り込んだ。連夜には背を向けていて表情は見えない。
鐫は自らの父に向かって、駄目だよ、などと言っている。
「父上、連夜君は駄目」
「目を合わせただけで催眠術でもかけられるものか」
「父上はかけられるでしょ」
連夜君もね、と鐫が振り返る。騙されかけてるんじゃないよ、と説教までされる始末だ。
「いやいや、素直そうな子だからつい……。炎の選んだ友人だ。いい子なのはわかっている」
将敬の亡霊は連夜から距離を取り、庭に設置されている空色の鉱石から作られたガゼボに姿を消した。鐫に手招きされて連夜もそこへ近寄る。中に入る前に覗き込むと、ベンチに将敬と十歳ぐらいの子どもが座っていた。鐫はテーブルを挟んだ反対側に腰掛けてまた連夜を手招きしている。
「記憶を見る間は眠るでしょ。座ったほうがいいよ。それに外は風強いからね。高い場所に設けてあるってだけなのに。君が眠っている間は僕が見ていてあげよう。安心するでしょ?」
鐫の言葉に頷いて彼の隣に腰を下ろした。触れられないのが惜しいほど近い。
「じゃ、頼む」
寝転がる十歳児の肩を将敬が抱き寄せた。空いた手で連夜を呼ぶ。連夜が立ち上がった時、確かに違和感があった。足元を確認するが子どもの足が見えただけ。変なものは見えない。将敬の隣に腰掛けて不思議に思った。明らかに自分の方が低いのだ。ここに居た子どもと同じように連夜の肩を将敬が抱き寄せる。やけに力強く感じた。連夜の肩に対して手のひらが大きく感じる。
「それでは始めようか」
連夜の視界で手を振る鐫がぼやけた。『キセト』が佇んでいたあの暗闇に似た黒が場を包み込む。自然に連夜は瞼を閉じていた。耳から伝わる幽霊の鼓動が、安らかな眠りにしてくれる気がしたのだ。