038
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
キセトの目が覚めた。テントの中が大きく変わっている。時も進んでいるらしく、前回と同じように戦仕度をするキセトの動作には慣れが見て取れた。それに今回は一人ではないらしい。キセトの仕度を、キセトの寝具を陣取って見守る男が居る。自称世界一の医者、不知火玲だ。
「おはよう、キセト。体調はいかが? いつもより少し体温が高めだったんだね」
「おはよう、玲。悪くない。体も熱くは感じない」
「そう」と短い返事で会話は終わった。玲が立ち上がり、乱れているキセトのコートの襟を直す。あのね、と玲はキセトに微笑みかけた。キセトが戦うことを良しとしてないらしい。連夜にすらそれが表情で読み取れるのだが、キセトは分かっているのだろうか。
「なんだ?」
「君が生きやすい場所を見つけられたら、無理して帰ってこなくていいんだよ」
「帰ってくるなということか?」
「違う違う。細かい違いをくみ取って。ここに居てもいいし、居なくてもいいってこと」
玲の突然の言葉にキセトは驚いたようだが、連夜はこの先を知っているので驚かずにすんだ。玲は勘当されたとはいえ石家の長男だ。この先に起こることを知っていたのかもしれない。それでも、送り出したのなら。
(随分と甘い奴だな)
戦場では連夜とキセトは当然のように一対一で戦った。その時だけは互いにお互いの国のことなど忘れていたのかもしれない。連夜は確実に忘れていた。タイムリミットの夜まで全力で。時には地形を変えるような大技も繰り出したが、双方に大打撃を与えるに至らなかった。
この日は違ったのだ。まず一撃目から連夜の攻撃がキセトの右腕に入った。ここからずれたのかもしれない。利き腕を奪われて、だらしなく垂れ下がった右腕をかばいつつの戦闘になったキセトの姿をよく覚えている。
途中から普段との違いにも気が付いた。ふらつきからの足場間違い、そして足場の雪は踏むところを間違えば簡単に沈み、動きを鈍らせる。キセトと連夜の均衡した戦いでそれは致命的だ。それが何度も起こっている。すぐに補うとはいえ致命的なミスを繰り返すのはキセトらしくないと、当時の連夜でさえ思ったものだ。
自然に普段よりもキセト側に負傷の多い戦いとなった。そしていつもの終わりの時間がやってくる。
(夕日が沈む時だったんだな)
連夜はもう夜になっていたと記憶していたのだが、違ったらしい。
不知火軍も葵軍も進展なしのいつも通りの戦果をもって撤退し始めていた時だ。突然キセトが屈んだ。口を手で押さえ、何かに耐えるように動かない。
「おい、どうした?」
連夜の質問にも答えない。ただここは戦場だ。手を差し出すわけにもいかず、連夜も手を貸すなどといったことは思いつきもせず、キセトを担いだ。抵抗するかと思ったが、それすらもない。
銀狼の奇行に最も早く気付いたのは弦石だった。敵に自分たちの頂点が連れていかれようとしている。弦石は暴れている様子のないキセトに、毒病のことや最悪の場合のことが瞬時に頭をよぎったのだろう、沈みきった夕日を無視して刀を連夜に向け、攻撃しようとしたのだ。
「玲!」
それを阻んだのは葵の兵でもなく、連夜でもなく、不知火玲だった。
白衣は目立つ。連夜も知らない白衣の女(のちに女に見える男と知る)のことを見つめ、ジワリと滲む血にも気が付いた。
「ねえ、銀狼。その子、よろしくね」
今のうちに行けと、白衣の背が語っていた。場はそこで暗転している。
銀狼が勝利した。誰が見てもそれは明らかだったというのに、連夜はこの件を勝利をしなかった。顔色には出ていなかったとはいえ、キセトの体調不良であって、連夜の実力ではない、と。
負けた不知火からは知らぬ存ぜぬを通すべき案であり、厄介者だったキセトなどきりすれてればいい話だ。次の黒獅子にも東を戻せばいい話である。勝った葵が主張すべきところだというのに、連夜は一切を口外しなかった。自分自身でも、振り返ればただの意地だったと思う。
過去の自分と、過去の友人と、現在の自分。また場が明るくなると、そのようなおかしな三人で一部屋に詰め込まれていた。
銀狼の私室ではない。実家の連夜の私室だった。布団を二組敷く余裕もなく、壁を背もたれに眠る連夜の足が布団の上に被っているほどだ。そのような部屋でキセトは目覚めた。本来ここには居ない連夜も、なんとなく空いた空間に縮まって座った。
キセトの視点で自分の部屋を見ると、それはそれは奇妙な空間に思える。青も赤も緑も、夕日も、銀も、黒も、色など関係なく小物が置かれている。規則性はないものの棚には小奇麗に飾られていた。銀狼なら戦場に居る期間も長いだろうに、埃の一つも見えない。
キセトが上半身を起こすが、すぐに右手を抑えながら崩れ落ちた。黒獅子の再生能力は葵側でも認知されていたので、「治療など必要ないだろう」と包帯の一つも巻いていない。キセトの右腕の一部は、何にも隠されることなく、どす黒く濁った色を晒していた。
「おい」
(あっ、起きた)
自分のことだ、連夜にはわかる。キセトがかけた一言目で目覚めてはいた。目も開けず、身じろぎもしなかっただけだ。もともと自分の領域には敏感な連夜が、私室に他人を入れた状態でうたた寝できていたほうが不思議なくらいで。
だが、反応がないためキセトはまだ眠っていると思ったらしい。また同じ声掛けがされる。
「おい、寝てるのか?」
「………」
「おい!」
「………」
二度目からは面白がっていた。我が事ながら幼稚である。
「もういい」
体を起こすことすらできず、敵地(としか思えない)場所で横たわっている者の言い方ではない。手短にそういうとキセトも目を閉じた。相変わらず、目を覆われても閉じても、周りのことは把握しているらしく、曖昧にはなったものの部屋の中の様子は見えている。
「拗ねたのか?」
「起きていたのか」
またすぐに目が開けられ、過去の連夜も同じタイミングで目を開く。にやりと笑って、連夜はキセトを起こしてやった。乱雑ではないことを意外に思われていたらしい。
(ま、妹ちゃんの世話してたとかキセトは知らねーもんな。意外に思うか)
「………」
「どうした?」
「いや、なんでもない」
表情にも出ず言葉にもされないことになど、この頃の連夜が気付くはずもない。あっそ、と受け流してしまっている。キセトが自力で上半身を起こし続けられるように、そのあたりにあったもので背もたれを作ると、それもまた意外にもたれ心地がいい。
自力では起き上がることも姿勢を保つこともできない状態だが、それでもキセトは黒獅子だ。確認すべきことは山のようにある。
「ここは葵なのか? お前……本当に銀狼か?」
質問されている途中だというのに部屋の主がお茶を淹れだすものだから、キセトも困惑しているようだ。今見ればその表情が困っているものだと分かるが、昔の連夜には分からなかったらしい。湯呑を差し出した姿勢のまま首をかしげている。なにを言い留まったのだろう、と連夜の表情は読みやすかった。まさに顔に書いてあるというやつだ。
「葵だし一応オレは銀狼だ。で、オレの質問に答えてくれよ」
キセトがお茶を受け取ろうとした時(今思えば、いくら目の前で淹れられたものだからといってキセトがお茶を受け取ろうとしたことも珍しいことだった)、湯呑みを掴んだキセトの手を連夜が掴んだ。今となって振り返れば、この時にキセトが右手を使ったことも珍しいを超えて奇跡的なことだったのだろう。この時点からすれば未来となる時、キセトは実の息子を抱き上げるのですら左手しか使わなかったのだから。
「お前、毒病なのか?」
連夜は目を閉じた。意識的に自分のことを思い出そうとしたためだ。キセトの記憶を見るのではなく、自分の記憶に思いを巡らせる。
連夜の初恋相手。連夜の実の妹。彼女もまた毒病だった。生まれた時から体が弱く、そこに血縁的に続く毒病を発症させてしまった。もともと見えなかった目に加えて足も次第に動かなくなっていった、らしい。四つん這いになるより早く足が使えなくなったため、天性のものかそうでないのかの判断は素人の連夜にはできなかった。そもそも、その頃は妹という存在に興味すらなかった。
父親に言われてしぶしぶ見舞いに行った日。初めて連夜が妹をまじまじと見た日、弱々しい妹が連夜の心を貫いた日。連夜はどうしても、妹に生きてほしいと願うようになり、毒病を治せる可能性を探した。当時は自称世界一の医者の存在など知らず(彼がすでにそう名乗っていたかも怪しい)、連夜が行き着いたのは人間ではない存在。術士だった。
葵縺夜。当時十歳。家庭教師にもらった名前、冬夜という名で術士と出会い、妹を助けてほしいと懇願した。天才の名を好きなようにしていた、自分よりも優れた存在を知らない子どもは生まれて初めて頭を下げた。かの家庭教師にすら下げなかった頭だった。自分より強い者はいても自分より優れたものはいないと、本気で考えいた子どもは、妹に生きて自分を助けてほしかった。
《お前の才を代償とする》
どこかで見た術士がそう言った。この術士は、赤ん坊だったキセトを抱いて王に縋った術士のようだ。十歳の連夜には関係なく、現在の連夜にも関係ない、しかし、キセトにとってはとても大切な術士。
後日、妹の病室に現れた術士はあっという間に難病を完治させてしまった。早い行動が幸運を呼んだらしい。しかし、その日から連夜は生まれ持った才を失った。学習能力が著しく低下したのだ。今までは聞けば真似をし、見れば完成させる天才は、何度教えられても学ばない愚者になってしまった。
誰もが葵の後継者として縺夜に期待しいたのに、後継者にも慣れない妹のために自分の有能性を捧げた兄を、いつしか『愚か者』をまで呼ぶようになっていた。
「なぜそんなことを聞く」
連夜が再び瞼を開けると、掴まれたキセトの右手の変色部分が晒され、否定しようのない事実としてそこにあった。YESというキセトの返答は省略されたらしい。
連夜も、治せる段階ではないと知っている。実の妹は初期段階だから完治できただけで、皮膚上に症状が現れる末期の毒病が妹と同じ手段では治らないと知っていた。毒病にだけは、詳しいのだ。曽於祖父と祖父はともに毒病で亡くなっており、連夜も発病していないだけで毒病予備軍だろう。妹だって毒病に侵された過去がある。キセトの腕が随分とひどい状態であると、連夜は知っていた。
「お前さ、手加減してたわけだ」
「なぜそうなるんだ」
わずかにキセトの表情に不愉快さというものが現れた。連夜もキセトも、互いの存在を喜びにしていたし、互いに全力であることが楽しかった。だからこそ、手加減されていた側も手加減しているなどと言われた側も不愉快になるものである。
「いくらお前が本気だって言っても、利き手は右手なんだろう。片腕使えない病人の本気なんて、本気じゃねーよ」
「それは……、そうだな。そうかもしれない。そうだとするのなら、お前のいう本気とやらに、俺は二度となれない。すまないな」
簡単に謝罪の言葉を口にしたキセトに、連夜はそうか、と言葉を返しただけだった。普段ならここで激昂していてもおかしくないと、自分で不思議に思いながらも納得していたのだ。
「……レンヤ、だったよな。名前」
「おう、縺れる夜と書いて"れんや"」
「俺はキセトだ。表記にこだわりはないからなんとでも」
「じゃ、キー君でいこう!」
「やめろ」
将来、キセトは年下の女性にそう呼ばれるようになるとは知らない。連夜はしつこくレー君でいいぜ、などと言っていたが、キセトは知らないふりをした。ここでキセトが構わなかったせいで、未来で瑠砺花が二人をそう呼ぶことになるのだが、やはりそんなことは知らないのだ。
「………」
「………」
そして、互いに友達がいないことを無言で露呈していた。もはや二人の頭の中に互いの地位のことや国のことなどなく、友達を招いた経験や友達に招かれた経験がないための無知を互いに沈黙で示すしかない。
「お茶出した! オレ、お茶だした!」
「飲めないのだが」
まだ連夜がキセトの右手を掴んでいるせいだ。しずしずと手を放す。キセトもぬるくなったお茶を飲んで、再び沈黙した。
また連夜の方から、今度は静かに話しだす。キセトが戦場で倒れた時のことをだ。不知火玲のことは話しておかなければならないことだ。
「そうか、玲が送ってくれたのか。なら、俺は選ぶべきなんだろうな」
不知火玲は連れていかれるキセトを連れ戻すべき側だったのに、キセトを逃がそうとした。そしてその結果として重傷を負った。キセトは玲が死んだとこの時思ったに違いない。
帰るべきか、帰らないべきか。連夜の頭の中にもその選択肢が浮かぶ。キセトが何を悩んでいたのか、それは明かされなかった。どの道を選んだのかは、連夜も知っている。
「ほんの少しの間、葵に置いてくれないか。頼む、縺夜」
そういって、連夜の初めての友達は連夜に頭を下げて頼んだのだった。




