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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
風が吹いていた。ある方向に連夜を導くように、連夜の後ろから前へ。風に押されるがまま歩く先に黒い黒い影が居る。あまりにも不安定に見えるその影は、空を見上げていた。黒の上に雪が落ちたが、溶けずに黒の頬に留まっている。
「お前さ、どうなりたかったわけ?」
亜里沙が死んだ時、連夜にはキセトが壊れたように見えた。それでも、彼は「不安定に見える」程度にまで自分を持ち直している。もちろん自分自身が亜里沙を再び生かす生贄になれたこともあるだろう。だが、それでもやはり、「自分のせいで最愛の人が死んだ」後にしては気丈すぎた。
「……エモーション、これまでの全ての記憶を見たならわかるはずだ。『俺が何になりたかったのか』」
黒く黒い影は連夜に刃を向ける。黒獅子の象徴である刀身まで黒い刀から迷いは読み取れない。
亜里沙を殺した不知火に尽くす理由がわからない。
蘇らせてしまうほどに愛していた亜里沙と遠く離れた土地で過ごす理由がわからない。
そして、自分が亜里沙を生かしているとわかっているのなら、連夜の知るキセトがどうしてあそこまで死にたがったのかもわからない。
わからないことだらけだ。
「わからんな」
連夜が刀を気にせずに進むものだから、刃が連夜の喉にあたった。どちらかが動けば喉を裂く。そんな状態でどちらも動かない。
「何も知らないくせに――」
その続きはなんだったのだろうか。連夜が知るところではない。
ここ数日の間、キセトのことを知るために動いたといっても過言ではない。連夜は不愉快な記憶も受け入れている。それもキセトの一部なのだから、と。なのにこいつはそんな連夜に何も知らないなどと言ったのだ。
連夜はその一言で目の前の黒く黒い影を攻撃対象とし、自らの喉を裂かせるかわりに相手の右腕を吹き飛ばした。会話をしに来たのではなく、倒しに来たのだと眼だけで語る。
(キセトは助けてやる。だがその前に黒獅子は消す)
ぼたぼたと地面に血が落ちる。連夜の血でもあり、黒獅子の血でもある。口の中に湧き出た鉄臭さを吐き出して、連夜は言った。もう連夜の体のどこにも怪我はない。再生能力を最大限に使った戦い方は銀狼時代のものであった。
「何も知らないかどうかは、後で聞いてやるよ」
連夜が跳ぶ。その手に刀を持って。黒獅子の象徴が黒い刀ならば、対象の存在銀狼の象徴は白い刀。戦闘に特化された鞘にすら装飾品のない黒い刀とは違い、ところどころに銀の装飾品が見て取れる。
連夜がその人生で出会った、最高の刀。連夜の力の前でも武器としての本分を全うする、連夜にとって戦闘に欠かせない得物。
連夜の一薙ぎをキセトは左腕で受ける。激しく血しぶきが宙を舞った。刀に滴る赤を振り払って次は胴に。切り落とされた右腕と傷を負った左手。
知らぬ間に連夜の口から笑い声が漏れる。当時もそうだった。初めて黒獅子と出会った時もそうだった。
とても、楽しかった。
目の前に居る黒獅子は連夜の知る彼ではない。元より分割された記憶体の一つでしかない。それでは「万全」だったキセトと比べようがないのだ。他の者にとっての「万全なキセト」も、目の前の欠片に過ぎない黒獅子も、化物並に強いのだろう。連夜以外からすれば。
同じ化物と称された連夜にとって、その差は嫌々でも体感すること。自然に漏れ出すほどの楽しさがすぐさま失望に変わっていくのがわかる。
「……こんな弱くなるもんなのか?」
黒獅子は連夜の攻撃を避けることが出来ていない。再生能力で治しているが追いつてもいない。連夜が銀狼として戦ったかつての強敵は、目の前にいる黒獅子ではないのだ。連夜の首はとっくに治っているのに、黒獅子は右腕すら完治していなかった。
連夜が振るった刀を腹で受けた黒獅子はよろめいてその場に膝を付いた。あっけなさ過ぎる勝利が連夜にもたらされる。連夜を見上げる敗者の眼光だけは、連夜の友人に似ていた。諦めていない、むしろ目の前の者をその眼光だけで貫こうとしているような、強い光。
「何も知らないくせに」
黒獅子は吐き出すように叫んだ。まさか連夜がキセトの記憶を全て見てきたなど思っても居ないのだろう。珍しく感情的な黒獅子を前に、連夜はゆっくりと事実を告げる。
「知ってるさ。"椿"も"エイス"も"不知火キセト"も」
過去を見てきたぞ、と。何を感じたのか、ちゃんと見てきた、と。分からないことはある。それでも何も知らないと言われる筋合いはない、と。それでも黒獅子は叫んだ。
「それで全てだと思っているから、お前は何も知らないと言ったんだ! 何も知らないくせに! 何もしらないくせに!!」
まるで子供だ。崩れ落ちる瞬間もすぐにやって来た。寸前のところで保たれていた相手は、何かを切欠に崩壊していく。
「俺の大切な人を、喪いたくないんだ」
それがエモーション・黒獅子の最後の言葉となった。連夜には見慣れた、記憶体が宙に浮いている。
(『それが全てだと思っているから』?)
全てだ、間違いない、と連夜は自分に応える。辻褄は合っているのだ。術士として育ったから人間に馴染めなかった。戦争のときに奴隷として羅沙に渡り、晶哉とであった。逃げ出すチャンスがあったが、不知火を故郷と思えず羅沙に利用され毒病に侵された。幼少のころに世話になった自称世界一の医者と再会し、毒病の治療を受けつつ不知火の軍人になり、亜里沙と出会った。そして、その最愛の人を喪い、黒獅子となり、連夜と出会う。そしてその後、連夜と共に羅沙鐫に仕えることになるのだ。どこに欠けたものがあるのか。
それもこの記憶を見れば分かるのだろうか。それとも、今までの記憶がそうだったように、この記憶を見てもわからないままなのだろうか。
「これが最後だ。もうちょっと待っててくれ、キセト」
お前を蘇らせるかどうかはまだ迷っている。
それでも、お前を救うことはもう迷いはない。