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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
連夜が目を覚ましたのは、黒を基調とした味気ない個室だった。そこに布団が敷かれていて、すぐ横に不知火東が座っている。書類に目を通していたようだが、連夜が起きたのことに気付いて書類を畳の上に置いて、起きたか、と短く連夜に挨拶する。
北の森の建物では滅多にないガラスの窓がある造りの部屋だった。寒さ対策に二重窓になっている。薄いカーテンがあったが閉められていなかった。外はもう暗くなっている。むしろ空は明るくなろうとしているようだ。
「……気持ち悪い」
「快眠には見えなかったからな」
連夜が着てきた服のままだったが、汗がじわりとまとわりつく。気分もよくない。
東から見れば、化物並に強い連夜が弱っている姿は物珍しいのでそのままでもよかったぐらいだ。しかし、連夜は鴉が認めた客人で、現頭領のイカイもそれを認めている。楼家も客人として迎えて一泊させているのだ。不知火の上位たちが揃って認めているものを無視もできない。不知火の軍服になるが、着替えも用意してある。
「キセトの、えもーしょん? とやらが消えたと思ったらお前が倒れたんだが、何があったんだ?」
連夜は着替えを受け取って着替え始める。汗をかいた服のまま、不知火で過ごせない。ここは極寒の地だ。幸い、客人対応で部屋は暖かくしてあるようだ。
質問の返事もせずに着替え始めた連夜を東は律儀に待ってくれていた。着替え終わっても黙って待っている。連夜としては進んで返事をしたいことではないのだが、それで振り切れる相手ではない。
「……別に、と言いたい。あれだ、記憶、見てた。キセトの」
キセトの記憶。そして弱っている連夜。それだけで東も察したらしく、あー、と低いよく響く声を出した。連夜がなぜ答えたがらなかったのかもわかったらしく、悪いな、と曖昧な謝罪がされる。
「黒獅子の記憶も見るのか?」
「たぶんそうなるだろうが、オレは知ってるしな。その時に会ったんだから」
「そういえばそうだったな、銀狼。そう思うと銀狼が不知火の軍服着てるのって違和感を感じるべきところなのか」
「別にいいんじゃねーの、これ温かいな」
動きやすい服だ。それに防寒対策のほとんどは上着にされていて、動き回って暑くなった時のことも考えられている。
「葵の軍服だって似たようなもんだろ?」
「いや、オレ、葵の軍服着たことないし」
嘘をついておいた。覚えていないだけだ。
案の定、東は怪訝な顔をしたが敢えては尋ねてこなかった。
「黒獅子のほうのエモーションもおれが案内するが……、明日にするか? といってももうすぐ夜も明けるだろうが……。この部屋は朝まで自由に使ってくれて構わないから」
「英霊はどこにいるんだ? オレと一緒に不知火に来た子供」
静葉は在駆の家だろう。晶哉は自分の家もあるし、玲のところでもいいはずだ。英霊もまだ玲のところにいるのだろうか。正直、不知火の寒さに子供の体温は捨てがたい。
「おれは見かけてないぞ」
あっそ、と聞いておいて冷たい言葉を返して、連夜は考える。保護すべき英霊も居ないのなら夜だろうと昼だろうと連夜には関係ない。連夜は今目覚めたばかりなのだし、これからが活動時間だ。一日二日ぐらい時間感覚が変わってもなんともないだろう。
「よし、そのまま黒獅子のほうに行く」
「そうか。ならついてこい」
東に連れられて部屋を出た連夜を待っていたのは多くの視線だった。不知火側シャドウ隊の隊舎だったらしく、連夜と同じ軍服を着たものがたくさんいる。銀の髪を物珍しげに見る目と、時々聞こえてくる銀狼という言葉で、何を噂されているのかはわかった。好奇の視線を投げてくる者の中には自分の得物に手を添えて、元銀狼に挑戦しようとしている者たちすら居たのだが。
「血の気が多い奴らでな」
黒獅子代理がひと睨みすればそんな者たちも散って行った。
「カリスマ的だな~、あんた」
「そのカリスマ性というやつと歳だけがおれのキセトに勝てるところだからな」
「あー、確かに。キセトは好かれそうにない」
カツン、と東の靴が音を鳴らす。鉄が仕込まれているに違いない靴は威圧感のある音を絶やさない。東が歩く度に音が鳴り、その音に憧れや恐れの視線を集められているのだ。おそらく、キセトや連夜が同じ音を鳴らしたとしても、そこに集まる視線はもっと冷たいものだけになるはずだ。
なにより、強者であることを求める不知火軍人たちが築く集団の中で、自分の強さを悪に部類分けしているキセトが馴染むわけがないのだ。
「なぁ。銀狼のお前から見た黒獅子時代のキセトはどんな奴だったんだ? おれたちは戦場で戦うキセトに哀れみすら抱いていた訳で、そのままの姿を見ていられたとは思えないんだよな。あいつは、どう見えた?」
「どうって、バカみたいに強い馬鹿だよ。最近までは再生能力頼みの自暴自棄な戦い方をする奴だと思ったし、それもただの死にたがりだったって認識に変わっただけだ」
「それだけか? おれは、可哀相だと思っていた子どもが戦場で笑っているのを見た時に、その目の前に居る狼を見て、おれたちが力不足だっただけなんじゃないかと衝撃を受けたんだが」
連夜も過去を振り返るが、なにせ八年前ものことだ。暴力的な強さを誇る機械のような無表情の黒。連夜の目の前に現れたのはそういう男だった。危うさを感じたものの、全てを打ち消す強さがそこにはあった。
それだけは覚えている。しかし言い方を変えればそれしか覚えていない。戦場でしか会わない存在で、自分と対等に戦う物珍しい存在ではあったが、日常的な存在ではなかった。
「八年前は互いに『最強』に自信があったから衝突も多かったけどよ。今のご時世、平和主義の奴らばっかりだ。葵との闘いも少ないのが普通だ。多いっていわれてる八年前ですらそう小まめに会ってたわけじゃねーつーの」
連夜がキセトについて詳細を知ったのは羅沙に渡ってからのこと。
もしかしたら、連夜が自分と同等の存在に出会えて喜んでいたように、キセトも喜んでいたのかもしれない。その喜びが東から見れば笑みとして目に映ったのかもしれない。
しかし、連夜はキセトが笑ったことなどないと自信がある。あの悲しい笑みを見せたのも羅沙で新しい関係になってからのはずだ。キセトは戦場で決して笑いはしなかった、はずだ。
「別にいいけどよ。それで? エモーションは?」
東の靴の音が止む。二人が前で立ち止まった扉は連夜にも見覚えがあった。葵側シャドウ隊の銀狼の仕事部屋の扉と同じデザインである。例のごとく、色だけが白と黒で逆転していた。つまり、ここは黒獅子の部屋ということだ。
今は不知火東が黒獅子代理についている。キセトの前任の黒獅子であっても「代理」と名乗るのは、不知火の能力主義の世界がそうさせるのかもしれない。キセトという黒獅子以上でないかぎり、不知火で黒獅子を名乗ることは許されない。
なら現在この部屋を使っているのはどちらなのだろう。代理として仕事をしている東か。黒獅子として存在しているエモーションなのか。
「監禁場所が違うだけで、変わりない。鎖はつけても無意味だから部屋の中なら自由ってことにしてるけどな」
東が扉を開けて連夜を室内へ促す。黒獅子のシンプルな黒いロングコートを着た、連夜の記憶にもあるキセトが窓辺に立っていた。背筋を伸ばし、その視線は窓の向こうを眺めている。明けていく夜の全てを逃すまい、と瞬き一つされない。連夜たちが部屋に入ってきたことはわかっているはずなのに、こちらを見なかった。
「よっ!」
「………」
返事はない。無感情な視線がゆっくりとこちらに向けられる。連夜の記憶通り危うい雰囲気を纏っていて、全てに絶望でもしているといいたげだ。
エモーションを見た後の連夜は知っている。絶望しているのだ。愛しい人を奪った不知火にも、守れなかった自分にも、愛しい人が居なくても成り立っていく世界にも。
「オレのことも知ってるだろ」
「銀狼……」
「そうそう。ちなみに未来のお前の友達な」
「友達?」
語尾を上げられて疑問の意は示されているにもかかわらず、感情といったものは一切その声に籠っていない。そして表情にも変化はない。
それでも、連夜は彼の友人なのだ。その声に不思議そうな色を見出していたし、その表情に「こんな男が友達?」とでも言いたげな戸惑いが見える。
「なんで友達になったとか話すのも楽しそうだけどな。でも、ゆっくり昔話をする相手はお前じゃない」
「そうか、そうだよな。銀狼は俺の友達ではなく、未来の俺の友達なんだ。幸せなことに、大多数の誰かのために命を捧げた奴の」
キセトの最初のエモーション、椿は連夜の友人のことを「あいつ」と呼び、悲痛な生き方しか知らないと言った。そして激しく拒絶していた。
黒獅子のエモーションは幸せだと言った。命を捧げるその行為を幸せだと。
「でも俺は死にたくない。ここは不知火だ。力で決める場所だ」
窓際から一歩、連夜のほうに歩み寄った。連夜を真っ直ぐ見て、連夜に真っ直ぐ歩み寄って、寸前のところで止まった。互いの吐いた息すら感じられる距離でキセトの視線は逸らされない。
「俺は戦う。それしかないから」
瞬き。連夜を見ていた空色の瞳は、再び瞼が開いた時には逸らされていた。連夜がそれを指摘する前に、キセトは部屋を出て行ってしまう。
人を真っ直ぐ見ている癖に、見つめ返されると逸らすのだ。キセトはそういう奴だ。人に馴染もうと努力して、人になろうと努力して、それでも手を差し伸べられると怖くなって逃げだしてしまう。
人のことは見ている癖に人に見られると逃げ出してしまう。そんな弱さを持った奴なのだと。
「実力主義の不知火か」
その弱みを見せてはいけないと思ったのだろうか。それともそれを自覚していないのだろうか。キセトは自分が逃げ出した直後に、力をちらつかせて相手を去らせる。決して自分が逃げたのだと悟られないように。
最強の黒獅子が何かから逃げ出すことは許されない。だからキセトが逃げ出したのではなく、相手が去ったのだとそう見せて。そんなことをしていたせいで、自分が何から逃げ出したかすらも気づいていないのだろうか。
「じゃ、あいつのあと追いかけて戦うわ。オレ、あいつから逃げ出すほど弱くないし」
――オレはあいつから逃げ出さない。
蘇らせることには反対している。それは連夜の中でも変わらない。
二年前、キセトは連夜からも逃げ出した。普通ならそれで皆キセトから遠ざかっていくのかもしれない。だが、連夜は逃げ出したからという理由でキセトを逃してやるような奴らとは違う。
「んじゃ、お前は見てろ、弱者」
キセトから逃げ出した弱者。
その癖にキセトの力の恩恵を切り捨てられない弱者。
キセトを殺そうとしたくせに、失敗したら失敗したで、エモーションとは共に生きようとする弱者。
その癖に、その癖に。
「誰か一人ぐらいはあいつを助けようとしてやれよ……」
キセトを助けようとしない弱者。
黒獅子が待つ所へ急ぐ。連夜はキセトを蘇らせたいのではない。やっと人間らしく死ねた友人を蘇らせて何になるのか。しかし、連夜は友人を救ってやりたいとは思っている。かつて部下と呼んだ者たちの過去を清算させてやりたいと思ったように、キセトのことも救ってやりたい。
雪の積もった運動場のような場所で、黒獅子は待っていた。窓辺に立っていた時と同じ姿勢で雪の中佇んでいる。
連夜が救うべき、連夜の友人が待っているのだ。