033
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
※注意※
R18Gほどではりませんがグロい表現があります。
死人が出ます。
残っていたシチューにまた手をつけて、連夜は「キセト」を眺める。
変わったのは笑顔だけではなかった。その身体が急成長を遂げていた。ほぼ連夜が知っている年齢に適した身体になっている。身長が伸びて、声が低くなっていて、顔つきも子どもと呼べたものから青年というのに相応しいものになっていた。
「なーんか、その顔で笑ってると気持ち悪いわ~」
「んんっ、それじゃ、話し方も変えよう。必死に大人ぶって、亜里沙の前で男らしくなろうって努力した口調に」
「努力してあの口調になったとか、お友達の意外な一面すぎて嫌だわ……」
「まぁ、そういうなよ」
どこにでもいる誰かのように「キセト」は微笑む。この記憶の中で見慣れた表情にもなったが、連夜にとっては四年、黒獅子銀狼の時代も含めるならば六年、共に居ても数えるほどしか見なかった表情だ。当然のように微笑む姿がなによりもキセトらしくないと思う。
「次の記憶……。そうだな、日常的には大きな事件も無かった。だから、『事件』を見てもらおう」
「事件ってどんな事件だよ。痴話喧嘩とか見せんなよ」
「痴話喧嘩もあるが、もっと気持ち悪いことだ」
連夜には見慣れない姿ばかり見せる「キセト」は口調と共にキセトらしさを見せるようになった。瞳の中に闇、そしてその闇の向こうの無。なにより、連夜が気に食わないと思っていた自己犠牲の考え。
見てくれ、と悲しい笑みを携えた「キセト」は自分の胸を叩いた。すると悲しみを具現化させたような、心に重苦しいものを発生させる光が漏れ出てくる。その光は、「キセト」を破壊して、連夜に記憶をもたらした。
* * *
ぐらぐらと地面が揺れている。連夜の周りには常に悲しいあの光が漂っていて連夜の気分を沈ませた。
キセトにとって最悪の記憶なのだ。この場に踏み込めばそれが分かる。覚えていたくない、だが忘れることもできない。常に悲しみと共にキセトに刻まれた記憶。
不知火亜里沙が死ぬ記憶。
その悲しみの記憶は四人の男とキセトが面接しているところから始まっていた。
『――――という、―――に――が……』
男たちがなんと言っているのか、聞き取れない。そればかりか情報も曖昧で連夜の中に流れてこない。ただ何もかも曖昧な記憶の中で、四人の男の顔ははっきりとしていた。一人は不知火鴉だ。連夜が会った鴉よりも少しだけ若い。その右隣に座る男は在駆に似ていて鋭い目つきをしていた。左隣は晶哉に似ていてブレスレッドに付いた大き目の水晶が光を反射して光る。離れたところに座った亜里沙の面影がある男は終始自分の優勢を喜んでいた。
『鴉様、認めていただきたい。鴉様の御孫様は私の娘を選んだのです』
亜里沙の面影のある男がにやつきながら言った。不知火鴉は頷かない。
『愛塚よ、自惚れるなよ。不知火本家の血を繋ぐというのなら、個人の感情など優先するに値しない。これは政治なのだ』
晶哉に似た男が釘をさした。
『篠塚の、愛塚の、どちらもそう争うな。楼としては嫁にやる女も居ない。まさか本家の者の嫁に分家を出すわけにも行かない。楼は降りる。そう焦らずとも確立は二分の一だ』
在駆に似た男は溜息をついて不知火鴉を伺った。
『そもそも、私はソレを孫とは認めていないのだがな』
不知火鴉が前提を覆した。
「………」
全てを聞いて、それでもキセトは黙る。
不知火キセトに感情が――特に恋愛という感情が――存在しているということが判明した。キセトは不知火本家の長男だ。恋愛という感情があるのなら、女性に対する性欲があるというのなら、軍に入れておくだけではない使い道がある。厄介な羅沙との混血の世代など無視してしまって、不知火の血が濃い跡継ぎを。そしてその跡継ぎにはぜひ自分の家の血を。
とても単純な欲望にキセトは巻き込まれていた。
『―――ということで……』
また声が遠のき、キセトが連夜を振り返った。連夜を見ているはずが無いのに、その瞳がむけるまっすぐしたものに連夜は戸惑う。
「子どもを望まれている」
キセトが連夜に話しかけているのか。いや、違う。連夜が振り返ると四人の男は消えて変わりに一人の女性がキセトの前に座っていた。キセトの袖を掴んで駄々っ子のようにキセトの言葉に首を横に振る。
「亜里沙、愛している。本当だよ。本当なんだ。君と家族を築きたい。それでも、今は駄目なんだ」
「嫌よ!」
「今、家族になろうと思ったら、君を傷付ける」
「傷付けてもいいから!」
「俺が嫌なんだ」
二人が望んだ子どもは、今生まれてきたら、二人の手の届かないところへ行ってしまう。キセトはこう続けた。最低の言葉だった。
「亜里沙じゃない女の子どもなんて俺は要らない。どうなってもいい。例え俺の血が流れていても。今だけ、今回だけ許してくれ。君とだけ家族になりたい。君がいいんだ。今回は家族を作るんじゃない。政府の道具を作ってくるだけだと思ってくれ」
「駄目よ、そんなこと言ったら」
きっと、亜里沙もそうだった。父にとって、亜里沙もそうだった。
正式な妻の子供ではないから、自分の娘でもどうでもよかったのだ。キセトが愛した女性の子供ではない子をどうなってもよいと言ったように。
それは亜里沙にとっても悲しい言葉だった。
「ねぇ、キセト。私ね、全部、欲しいの。キセトの全部が欲しいの。だから、私が生むわ。私を選んで。毎回、いつでも、私を選んで。あなたの傍に居たい。そのために傷付くのなら構わない。キセトの遠くで幸せになるぐらいなら、キセトのすぐ傍で不幸になりたいの」
連夜の足元で床が音を立てた。壊れているのだろう。この記憶と言う世界そのものが。
「好きよ、キセト。あなたが好き」
「……俺も、好きだよ、亜里沙」
若者二人の依存しあった決意を最後に連夜は何も無いところへと落ちた。
温かいところだ。暗くて周りは見えない。水のようなものに囲まれている。狭い。
出なければ、と思った。ここから出なければならない。ここはとても安心できる場所だけれども、それでも外にでなければ。
「外」に連夜が這い上がると、そこにはまたキセトと亜里沙がいた。ぐったりした様子の亜里沙と、そんな亜里沙に付き添うキセト。どちらも嬉しそうにしていた。二人ともとても大切なものを愛でていた。
二人の温かい視線の先に小さな小さな命があった。連夜はその子を知っている。会ったこともある。焔火龍道だ。
東がキセトを外に呼んだ。キセトは龍道に笑いかけ、亜里沙の頭を一度だけ撫でてから病室を出て行く。
連夜はこの先に起こることを知っている。見たくないからと言って見なかった記憶もある。同じように目を閉じればいい話ではないのか。
それでも、連夜に見てみぬふりは出来なかった。あの暗い場所以外で常に付きまとう悲しみの光がそれを許してくれなかったからだ。
キセトが廊下に出た瞬間だったように思う。病室内からガラスの割れる音がした。キセトはすぐに病室の中に戻ろうとしたのだが、東がそれを阻止する。腕を掴むなどと言った生半可なものではなかった。最初から刀を抜いて、キセトを床に叩きつけた後に刀で腹を貫いて固定した。迷うことなく刀を回し、キセトを抉る。再生能力は脅威だ。しかし、再生能力さえなければ貫かれた痛みも抉られた痛みも一度きりで終わらせられただろうに。
東が抉った腹部がある程度治ったのを確認してから、また東は同じところを抉る。いつもの使い慣れた得物ではなく、使い捨てのものを持ってきていた。
「わりぃ、仕事でな」
キセトも亜里沙も子どもを手放すつもりは無い。なら、奪え。
黒獅子である東ですら従う命令。つまり、不知火頭領が出した命令だということだ。キセトは初めて、人を恨んだ。
血反吐を吐きながらキセトは上に、東の方に手を伸ばす。震える手がどのような凶器に見えたのだろうか、東は顔を真っ青にして飛びのいた。出来れば自分の得物を回収しておきたがったがそんな余裕もない。
結果、取り残された刀はキセトに触れられて砕けた。東の身体でも同じように破壊されていたのだろう。
腹の傷も気にせず立ち上がったキセトは怒っていた。東は飛びのいたといってもプロだ。病室への扉の前を陣取っている。東を無視して病室に入るとすれば、壁を破壊するしかないが、中に居るのは生まれたばかりの赤子と出産直後の弱った母親だ。破壊した壁の破片が彼女たちにどのような害を与えるか分からない。かといって、東と戦っているような時間も無い。東はキセトにとっても強敵である。
対キセトのためだけに、不知火最強である黒獅子:不知火東がこの役に抜擢されたのだろう。がたがたと病室から撤退の足音が聞こえた。キセトが少し悩んでしまった間に、すべて終わってしまったのだろうか。
「終わったみたいだな」
東が臨戦態勢を解いた。扉の前を空けて、現実を見せ付けるためだけにキセトを呼ぶ。
不知火に逆らうな。例えキセトであろうとも、国にたてつけば無事ですまない。
東は今回、キセトに知ってほしかった。いくらお前が特別であろうとも、個人には限界というものがあるのだと。付き従うと決めたものには従うしかないのだと。かつて実力主義の不知火に絶望した東は、それをキセトに教えたかった。
「だめだ、それは」
連夜の呟きが聞こえたはずがない。だが、東も数秒遅れて似た言葉を発することになった。
「キセト、駄目だっ!」
キセトは扉を開けなかった。ただ触れて、扉を破壊して進んだのだ。本人は取っ手を掴んだつもりだったのだろう。キセトの指先に掠めたもの全てが破壊されて形を失っていた。自覚できていない怒りが、キセトの力を暴走させている。
キセトを追って病室に入った東は、赤子を奪われて呆然とする母親を見た。こちらを振り返っている。つまり、生きている。キセトの背から安堵が感じられた。もう一度東は駄目だと言うべきだった。連夜は思わずキセトの肩に手を伸ばす。過去だと分かっているが、これ以上進ませてはいけない。
キセトが亜里沙を抱きしめた。誰の制止も間に合わず、キセトが亜里沙に触れた。目を閉じてその温かさを感じている。その温かさを生きていると思って安堵したからか、または亜里沙の死を感じ取って失われていく温かさだと理解していたのか、キセトは亜里沙を抱きしめながら泣き叫んだ。
連夜も東も言葉を失う。キセトの力に亜里沙が耐えられるはずがない。
キセトの最愛の人は不知火が殺したのではなく、キセトが殺した。キセト自身の行き過ぎた力が、キセトの平凡過ぎた心と釣り合わなかったが故に。
キセトはそれを理解しているのだろうか。最愛の人にとどめをさしたのは自分だと、分かっているのだろうか。今更キセトに手を伸ばしたとしても手遅れである。遅かれ早かれ亜里沙が死んだという事実はキセトも理解するのだ。
突然だった。おそらく、キセトが亜里沙の死を理解した瞬間だったのだろう。あの悲しい光が増し、ただでさえ不安定な世界が揺れる。もうそこに壁も床も天井も無かった。東の存在ですら消えて、徐々に冷めていく腕の中の肉塊と自分しかいない。
そこで記憶は幕を閉じた。そこからの事実に意志などなく、キセトは記憶していないのだろう。ただただ暴走した感情に任せて暴れたのだろう。
再び記憶が再会したのは、あの暗闇の牢獄の中だった。松明が一つだけ灯っていて、床に座る鴉と、東・鈴一・弦石といった不知火の実力者上位三人に抑えられているキセトが照らし出されている。鴉以外は傷だらけで、少ない灯りが痛々しい姿を浮き出させていた。
「私にはソレの子など要らぬ」
鴉がキセトを指差して言った。少し悩む素振りを見せて、キセトをまっすぐ見つめ、初めてキセトに対して話しかけた。
「オマエはあの子が欲しいのか? あの女性を本気で愛しているとでもいうのか?」
キセトの頭を床に押し付けていた東が少し力を緩める。片手で頭を、片手で首を抑えていたからだ。力を緩めなければ返事すら出来ない。肺か喉か、どこかに溜まっていた血を吐いてキセトは考えた。未だ世界は揺れている。まだキセトは力に呑まれかけている。そんな状態で、必死に考えた。
(俺は亜里沙を愛していたのか。亜里沙が好きだったのか。そして亜里沙との子を愛していけるのか)
連夜も鴉の隣に座ってキセトの答えを待った。キセトの内の声も確かに届いているが、それでもキセトが口に出すのを待った。
(コレが愛かどうかは分からない。他人の言う恋愛とか家族愛とかではないかもしれない。それでも、俺は訳のわからないなりに――)
「亜里沙が好きです。……今も、好きです。決して失いたくなかった」
血反吐か、嗚咽か、分からないものを吐き出して、鴉を見上げる。連夜も鴉を見た。連夜を含め五人分の視線を受けて鴉は小さく頷いて見せたのだった。
「亜里沙という女性とその子どもは不知火籍を剥奪する。不知火の如何なる権力も思想も彼女らに干渉しないと、私の名に懸けて誓おう。それがどういう意味か分かるか」
「もう、亜里沙は死にました……よ?」
悲しい光に、僅かに希望が混じり困惑の色が強く出る。鴉が何を言いたいのか、キセトは理解できない。
「遺体ならくれてやろう。そこからどうするかはオマエ次第だ。それより、私の誓いの意味がわかるか?」
「……不知火は亜里沙に関わらない?」
鴉が首を横に振る。それだけではないのだと。
その姿は大人が子どもに何かを教える姿だった。鴉はこの状況に置いてもキセトを教育しようとしているらしい。
「不知火の援助無しに生きていかなければならない。干渉しないということは援助もしないということだ。オマエを不知火は手放せない。よって、オマエもまた、彼女たちに関わることは出来ないだろう。オマエの手の届かない場所で、目に見えない場所で彼女たちは自分たちだけで生きていけるほど強いのか?」
「………」
強いはずだ、彼女は強い人だ。
キセトの内がそう言う。しかし、口にできない。鴉の目が訴えている。それがどういうことかわかっているのか、と。誰かの手の内でしか生きたことの無いキセトに、誰の手の内でもない場所で生きていく厳しさなど、わかるはずが無かった。
「彼女たちは子どもに過ぎない。子どもが子どもを生み、守っていく強さも身についていないのに手放したくないと駄々を捏ねた結果がコレだ。もう既に、あの赤子は他より辛い人生を歩みだしている。責任も取れない子どもが、何をできるとほざくのだ」
「し、不知火がっ……」
「不知火が悪いというならば、もう一度戦うか。オマエが不知火に逆らうたびに、オマエの後ろにしか居場所がない彼女たちの立場が悪くなるとわからないのか。既に被害も出ている。私の出した案が非情に聞こえるならば、オマエもまた、まだまだ子どもだということだ」
鴉の言うことは正しい、のだろう。だが、その正誤は連夜にもよくわからなかった。
ただ不知火に置いておく事が出来ない者に対し、ただ追い出すだけではなくその後の心配をしているあたり、不知火鴉という者の優しさなのだろう。
「それでも、彼女は死にました。彼女が生きていれば迷う選択だったかもしれません。でも……」
「オマエは恵まれただろう。今の今までオマエが振るった力はどういうものだ?」
羅沙の皇族の魔力で亜里沙が蘇ったこと。
だがそれは生まれたときから魔力と向き合っていた明津ですら一番に思いつく選択ではなかった。キセトは誰からその方法を聞いたのか。自分の力と言うものに向き合っていないキセトが自分で思いついたのか。
「オマエがどうしてもというのなら方法はあるだろう。賢者の一族は化物なのだ」
不知火鴉がキセトの耳元に顔を寄せる。東にも、鈴一にも、弦石にも、聞こえないように。
「賢者の一族なら、死人を呼び戻せる。そういう力なのだ」
くらくらする。キセトの意識が途絶えようとしているのか、キセトが覚えていないだけなのか。
不知火鴉が離れていく時の顔は見えなかった。東も鈴一も弦石も感じられない。ただただ、キセトの前には亜里沙の笑顔があるだけ。呼び戻したいと、本気で願ってしまったのだ。