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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
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以上の点をご理解の上、お読みください
愛塚亜里沙。彼女は物置のように埃まみれで、小さく、且、人らしい生活ができない環境で育てられていた。亜里沙自身は己の事情を理解していなかったのが、それが亜里沙と亜里沙の母にお似合いの場所と定められていた。
誰に定められていたのか。それは父だ。血の繋がった亜里沙の父がそう定めていた。
最低限の衣食住は整えられている。それを亜里沙は恵まれているとすら思っていた。そして不思議なことに、亜里沙は愛塚であったのに、母は愛塚ではなかった。父ですら愛塚ではなかった。「シラヌイ」が一族の名前らしい。ただ、誰に名前を尋ねてもシラヌイと名乗ったのでそれが不思議でたまらなかった。
「あのう、なぜ、わたしはあいづかなんでしょうか?」
いつも食事を運んできてくれる、亜里沙より綺麗な服を着た年上の女性に尋ねる。その女性は、亜里沙と会話すること自体を戸惑っている様子に見えた。
「旦那様のお嬢様ですから」
短く、小さく返された言葉の意味が分からない。父は愛塚ではないのに。
「お父様は愛塚なのですか? シラヌイって言っていたわ」
「不知火の愛家の当主様ですもの、愛塚様ですわ」
使用人の言葉が自然と長くなる。亜里沙の中でこんがらがっている何かに気づいて、解きほぐそうとしてくれているのだろう。
「わたし、お父様に愛されたいの」
「ではお嬢様……、不知火に尽くされることですわ。我らが鴉様のためにすべてを尽くすことですわ。不知火本家の方々に尽くすべきですわ」
そう言った使用人は、いつもは閉めていく鍵を閉めずに母屋へ帰って行った。この日、初めて亜里沙は物置の外の世界を見た。とても大きな平屋が隣にある。そこで父が見知らぬ女と並んで食事をとっていた。そこには亜里沙が見たことのない男の子も座っていた。
(あれが、「愛塚」なのね)
直感だったのだが、それが事実だったとのちに知ることになる。亜里沙の母は、愛塚の当主の遊び相手にすぎなかった。ただただ、血筋を重んじる不知火の伝統が、亜里沙にチャンスを与えただけだ。
亜里沙に流れる不知火の上流の家柄の血が、亜里沙を今まで生かしていた。保護を与えていた。
それでも、亜里沙の中に湧き上がった感情は激しい怒りだったのである。
(愛なんて家族には必要ないのね)
亜里沙は紛れもなく愛塚である。あそこで愛にあふれた食事の場を共用する権利はないが、あの場に居るものたちは亜里沙の家族なのだ。しかし、この間に愛はない。
(でもお父様、わたしは誰かに愛されたいの)
あなたではなくてもいい、とは言えないのよ、と小さな声にした。心で思うだけでは何も変わらない。
(わたしを愛してくれないお父様に苛立っているわ。それでも、愛されるために、努力するわ。それが家族でしょう?)
亜里沙の隣で蹲るしかできない母も、亜里沙を見捨てもしない代わりに見もしない父も、よく知らぬ父の妻と子も、亜里沙の家族だ。
(「愛しているわ」、お父様)
それが家族のあるべき姿だから。
* * *
長い月日の中で、枠組みしかなかった亜里沙の愛は急激に冷めていった。
母はみじめな者にしか見えず、父は冷徹な者にしか見えず、言葉を交わしたこともない父の妻と子は存在すら記憶しないようになった。亜里沙の中にあったのは、不知火の中でそれなりの地位を手に入れなければ自分を保つことができない焦り。まともな教育も受けられず、亜里沙にできたのは無駄に大きな庭に出て体を動かすことだけ。
それしかできないのだから、と亜里沙は家を飛び出して働くようになった。まだ十代前半の女子を雇うようなところも少なく、日々を食いつなぐのに必死だった。そんな頃、軍の入隊試験に十代の合格者が出たとの噂を聞いたのだ。それも一人だけではないらしい。
「そのお話、詳しく聞かせてほしいの」
「あ? あぁ……、一人は訳ありらしいぜ。詳しいことはわからん。もう一人は、ほら、楼のおぼっちゃまだとよ」
「楼? 楼って、御三家の?」
石家、楼家、愛家が不知火の御三家ともいえる名家である。亜里沙も自分の「家族」がそこに名を連ねているので少しぐらいは知っていた。
「あぁ。そりゃ試験は公平にされたって言われてるけど、子供が受かるんじゃ、軍も落ちたとした考えられんさ」
家の力だな、と男が笑う。
家の力。愛家と同じように御三家に挙げられる楼家の力。なら、愛家の力も。
(「家族」なんだもの、一生に一度ぐらい、名前を貸してくれてもいいと思うわ)
亜里沙は幼く、そして自らの環境を不幸としていなかったため、「家族」が快く協力してくれて当然だと思った。嫌われていたのではないか、など思ったこともないのだ。愚かな母も冷たい父も、亜里沙を「愛している」と思っていた。互いに家族なのだから。
亜里沙の両親への「愛している」は冷めてしまったけれど、両親は亜里沙を「愛している」。それは変わることがないのだと、盲信していた。
亜里沙は飛び出した家に戻り、父に告げた。軍に入りたいと。軍にさえ入れば愛塚に一切の迷惑はかけないから、と。公平な試験でなくともいい。軍に入りさえすれば、犯罪でもなんでもすると。愛塚が力のある家だとは分かっている。裏からねじ込む力があることも分かっている。犯罪の一つや二つ、もみ消せることも。
そして亜里沙は疑わない。父が自分のためにその力を使ってくれることを。なぜなら、父は亜里沙を「愛している」のだ。
「それにね、お父様。妾の子といえ、誇り高い不知火軍に所属すれば少しは扱いやすくなると思うの。家からは追い出せるし、追い出すにも愛塚が汚名を被る必要のない形になるの。裏では色々してもらうことになるかもしれないけど、今回だけだから」
私を愛しているんでしょう? と傲慢にしか聞こえないセリフを亜里沙は父に投げかける。
「お父様。軍に入ったら亜里沙は二度とお父様にもお義母さまにもお義兄様にも迷惑をかけないわ。関わらなくていいわ。だからお願いよ」
私を軍にねじ込んで。
こうして、不知火キセト、不知火在駆に続いて不知火亜里沙は不知火側シャドウ隊の入隊試験を受けるに至った。その条件が、「不知火キセトを試験中に殺害する」という、無理難題だったのだ。愛塚の当主は、亜里沙を追い出すのではなく処分することに決めた。罪を犯させて裁かせて、ついでに目の上のたんこぶだったイレギュラー、不知火キセトも消してしまおうと。
それが、キセトと亜里沙の出会いになってしまうとも思わずに。
* * *
殺すのだと、それだけだった。絶対に殺すのだと。
部屋に入って押し倒すまでなら簡単だった。ターゲットは一切反応できていなかったのだ。完遂したと確信していたのに。ターゲットの隣に座っていた別の試験官に阻まれてしまった。
「は~、最近、キセちゃん命狙われすぎ。流石に副部隊長はやりすぎだったんじゃ……」
「だが実力重視の階級制をとっている手前、そいつを一般兵にする訳にはいかないだろうが」
「東さんがそう言うならそうしますけどね。で、この女……の子はどうします?」
東と呼ばれた男が黒獅子であることは亜里沙も知っている。隣の男もそれなりの地位にいるのだろう。終わったと思った。無理だったのだ、と。愛塚の力と黒獅子の力。それは比べられるものではない。黒獅子に命令できる立場にいるのは、この不知火において統領だけだ。
「即戦力でしょう」
意外だったのは、自分より下から聞こえてきた声だった。ターゲットがそう言ったのだ。亜里沙のことを。
「えっ、キセちゃん本気?」
「身体能力もまだこれからという時期です。期待の新兵ではないでしょうか。能力を測定するための試験です。受験者からのアピールの一つだと思います。能力を測定する側がそれに敗北するなら、それほどまでの能力だと素直に認めるべきです。余裕があるのなら軍学校に入れてから再入試という形が最善でしょうね」
「あーずまさん、この子本気で言ってるんですかね?」
「キセトが冗談を言うとは思えないな」
「試験期間内のアピールの一つにしか見えませんでした。あえて課題を見出すとすれば、あれが本気の殺気だというのなら甘すぎるということぐらいでしょう。それは場数を重ねるしかありませんし、合格した場合はこちらの責任で育てるべきことです」
「まっ、いっか。幸いこっちも怪我人もいないし。試験は続行。能力が認められれば合格する、それだけの話だからな」
黒獅子から放たれた許しの言葉を聞いて、やっと自分が許されたのだと理解した。
だが亜里沙の中にあったのは安堵などというものではなく、
「お前に私を許す権利なんかないんだ!」
ターゲットに対する怒りだった。なぜこのような子供に自分が許されるか許されないかの立場になるのか。
亜里沙は選ばれた家に生まれた子なのだ。いくら妾の子といえど、その階級は変わらない。使う後ろ盾の一つや二つ当然のようにある。何一つ持たない、身一つの子供が上司であることも、試験管であることも、殺しきれなかったことも、許されたことも、許せなかった。
* * *
彼女が本当に有能かどうか、キセトには評価する必要はない。こんなことを言えば試験官の仕事から降ろされるかもしれないが、キセトにはそう表現する他ないのだ。
「なるほど」
読んでいた本を閉じ、キセトは結論を出した。自分の身に起きた初めての現象にどのような名が名づけられているのか、キセトは調べていたのだ。
「……これが恋愛、か」
再び「なるほど」と呟く。自分に恋愛感情があるということにキセトは戸惑ったが、自分の症状と書物に書かれた症状を比べて理解はした。
キセトは自らの小さな手を見つめる。恋愛ができるような大人の体ではない。人工の毒が巣食ってからというもの、キセトの体は成長を放棄していた。どう見てもキセトの体は十歳前後の子どもなのだ。キセトが相手を思い浮かべる。書類に書かれた年齢はキセトより下だったが、身体だけ見ればどう考えてもキセトの方が「子ども」だった。
扉を開ける前から殺気を隠せていない誰かが居ることは感じていた。それは同じく試験官だった東や鈴一も同じはずだ。さて、何が起きるのだろう。そんなふうに楽しんでいたのかもしれない。キセトは、本物の戦場で味わう殺気とは比べ物にならない甘ったれた殺気を、試験官として評価しようとしていた。
扉を開けて見えたのは、女の子だった。キセトが言うのもおかしいが、軍という組織に似合わない子どもだった。そんな人が自分に刃を向けている。キセトの異常なほどに死を拒絶する身体の前ではおもちゃ以下の耐久度しかないものに今更怯えることもなく、又、怯えを感じる心もキセトは持っていなかった。ただ相手の身体のこなしを見て、試験官としての責務を果たそうとしたのだが。
(………あっ)
自分を組み敷いて、自分に刃をつきたてて、女の子が笑う。その顔にあったのは、誰かに対する好意的な感情だった。亜里沙の家庭環境や亜里沙の心を理解した者ならば、それが亜里沙なりの捻じ曲がった家族への愛情だったとわかっただろう。キセトを殺せば父は亜里沙を軍にねじ込むと約束してくれた。キセトを殺せば、亜里沙は父に愛を示してもらえる。そのことに対する喜びに溢れていたのだ。
キセトのことなど重視せず、キセトのことなど踏み台にしか考えておらず、キセトをどこにでも居る者と同じように扱ってくる。それどころかキセトに刃を向けてくる。
それは、ずっとキセトが求め続けてきた対応だった。
不知火鴉もキセトへの対応は厳しいものだったが、それはキセトを特別視していたからこそのものだった。キセトが望む対応を、何も言われずにも行った女性。刃を向けてきた人。
キセトはその瞬間から、自分ですら理解しないまま、恋というものをその身に宿すようになったのだ。
* * *
連夜が扉を開けた時にはキセトが少女に押し倒されている場面だった。次々の場面が変わり、キセトが本を閉じた場面ではじき出されるように「キセト」の元に戻されてしまったのだが、起きたことは大体理解できた。
「キセトは一目惚れ、亜里沙さんはキセトのこと好きじゃなかった、と」
「そうだなぁ……、そうなるね。それでさ、告白したらさ、『私より背の低い人は嫌だ』ってそれっぽいことで断られちゃって。大人っぽくなろう、成長してやろう! って思ったんだよ。言葉遣いも大人っぽいけど堅苦しいわけじゃないものを目指してね! 食事も玲につきっきりで管理してもらって……。懐かしいなぁ、めきめき身長伸ばしたんだよ。亜里沙も無事に合格して~、なぜかわからないけれど、合格した後は亜里沙も俺に対して優しくなっててね」
どうしてなんだろうね、と「キセト」は淡く微笑む。とても嬉しそうだった。化物を人間らしくしたその恋に浸って、嬉しそうに笑ってる。
「聞いたこと無いのか? なんで亜里沙さんの態度が変わったのか」
「あるけど、理解出来なかった。『ずっと欲しかったモノをくれたから』って。俺、何もあげてないのに」
何一つ理解していない様子で、それは連夜の友達に少し似ている。何も分からないまま、人を助けたり人を傷つけたりしていた連夜の友達。「キセト」と同一人物でありながら、似ていないところだらけのレンヤの友達。
「オレなら分かるけどな。愛されたかったんだよ、きっと。お前が亜里沙さんを愛したから、亜里沙さんも嬉しかったんだよ」
亜里沙が幼少の頃から望んだ無償の家族愛。「助けたかったら」。それだけで亜里沙に手を差し伸べた瞬間から、亜里沙もまた、キセトに望んでいた全てを貰ったのだ。その時から、亜里沙もその身に恋を宿した。
恋をしたキセトにとっては当然過ぎて記憶するにも値しない出来事で、恋に落ちた亜里沙には何を忘れても忘れたくない出来事。ただただ、キセトが亜里沙を守ったというだけの、それだけの出来事に過ぎなかった。
もちろん、キセトの記憶を見ているだけの連夜はその出来事を知らない。それでも、おそらくそうなのだろう。それが勘か、経験からの予測か、連夜自身にも判別付かないけれども。
キセトと亜里沙の出会い編です。
前半の亜里沙の記憶は、キセトも連夜も知るところではありません。亜里沙だけがもっている、亜里沙だけの記憶です。亜里沙の過去は誰にも話していません。キセトも知りません。現在では亜里沙と愛塚家につながりはありませんが、亜里沙は両親からも愛して欲しいと未だに願っています。なので、「愛塚亜里沙」と名乗っています。その関係に愛がないとしても、いつかそこに愛が生まれるのではないか、と未だに思うから、繋がりを切れないのです。