024
この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
静葉に策があった訳ではない。ただ話もしないままでは何もことが進まないと、事実だけを認識していただけだ。在駆は静葉を避けて自室に引き上げてしまっていたし、それは明日以降も同じことだろう。それは気に食わない。
「たのもー!!」
叫んだあとで夜中だということを静葉も思い出した。流石にうるさすぎただろうか、と心配になったが、少し間をおいて障子が開けられる。顔が半分ほど見えるだけ開けられた障子は、静葉に在駆の全貌を見せてはくれなかった。表情も暗くてよく見えない。
「夜這いはもう少し大人しくするものですよ」
あざ笑う声がした。暗くてよく見えないせいもあり、目の前に居るのが在駆ではないように思える。在駆はこんな声を出さない。静葉は知っている。静葉の妄想などではなく、在駆はそういう人物であると。
「夜這いだと本気で思ってんの? なら殴るけど」
「いいえ。ぼくに話すことはありません。与えられた部屋に帰ってください。では」
障子が静葉と在駆を区切ろうと滑り出した。また逃げられてたまる物かと静葉は手と足を同時に隙間に突っ込む。こんなとき、少し乱雑に育った自分を褒めたくなりそうだ。
「私には話があるの。入れて」
「……裸足で、そんなもの一枚で。本当……、馬鹿ですね」
楼家で準備してくれたお風呂に入ってから服も与えられたものを着ていた。その服には靴下が付いていなかったから履くものがなかっただけだ。布一枚に見えるものを前で重ね合わせ、上から帯で留めているだけの服で、確かに寒い。
だが静葉は自分の中に満足感という暖かさが広がるのを感じていた。在駆の最後のけなし言葉には、静葉の知っている在駆が居たからだ。呆れつつも優しい声だった。
どうぞ、と在駆が障子を開けた。静葉が完全に室内に入ったのを確かめて障子を閉める。消していた部屋の照明をつけると思いきや、古典的な蝋燭に火をつけるという灯りを在駆は選んだ。ぼんやりと照らされる両者の顔が少しだけ温かく感じられるような灯りだった。
「羽織りも貸すように言ったはずですが」
「羽織り? あぁ、あの布? あんなのでこの寒さがどうにかなると思えないし、寝る前だったから置いてきちゃった」
「風邪をひきますよ」
在駆は静葉に座るように促し、座った静葉に自分の羽織りを着せた。静葉には見慣れない暖炉のようなものに火をつけ、静葉の向かいに座る。
「それで、話があるのでしたね」
「そう、だけど……、部屋の中で焚き火してるみたいね、これ」
「庵といいます。元々この部屋は居間でしたから。板間でしたが無理に畳を敷いて個人の部屋にしたんですよ。ぼく、庵、好きなんです」
「分かる気がするわ。部屋の中で火をつけるのって、慣れればいいと思うし。そのまま眠れないのが痛いところかしらね」
「起きていても危ないですがね」
パチッと火がはじける音と同時に火の粉が在駆側の畳に飛んだ。小さな焦げを作った火の粉は少しの間呼吸して二人の視線を受けてから静かになった。
「私は慣れられないけど」
「そうでしょうね」
静葉は忘れもしない。故郷を焼いた炎を。この暖かさを生み出す根源が大好きなのに、何かを焼くこの根源が大嫌いなのだ。
「ねー、在駆。私は貴方が好きよ。でも、今まで好きでもあり、嫌いでもあったの。好きだと思えるはずなのに、嫌いだという思いも捨てられなかったの。その理由が、やっと分かった気がする」
在駆の焦げ茶の瞳が静葉を真正面から捉えた。火の明るさで色を飛ばされた瞳は静葉と同じ色に見える。髪もそうだった。日の本でならあの髪は確かに焦げ茶なのに、今は静葉と同じ茶色に見えるのだ。
「知ってたんでしょ? 在駆が私と従兄妹にあたるって。知ってて、黙ってたんでしょ?」
「……知っていましたよ。知っていて、黙っていました」
同じ言葉の繰り返しに思えたが、二人にとって在駆が口にすることが重要なのだ。静葉は微笑んだ。自分でも怒るだろうと思っていたのに、在駆の素直さに微笑むしか出来なかった。
「じゃ、在駆が正しいわね。私たちの関係を恋とは呼べないじゃない。ただ母親が居ない貴方と、家族を失った私が、互いに互いを同情していただけよ。私は失ったお兄様やお父様を貴方に重ねていただけで、貴方は母親と私を重ねていただけ」
在駆は憎々しげに炎を睨むだけだった。まるでその炎が時津の街を焼いたとでも思っているかのように。
静葉も炎を見下げた。パチパチと音を立てている炎は、静葉が嫌ってきた姿ではない。暖かく、静葉を応援しているように見えた。
「黙ってるってことは同意なの?」
「同意しか……ないでしょう」
「馬鹿はそっちじゃない!」
この男はその人生で何を見てきたのだろうか。自分の根源たる親が片方存在を証明できないことはもちろん苦しいだろう。だが、その先を作り出すのは自分だ。根源がないことで自分自身すら見失って無意味に生きてきたのだろうか。
いや、そんなはずはない。炎楼在駆と名乗っていたあの時期だけでも、彼は彼の意思で生きていた。
「私はアーク、あんたが知ってて隠してたのがムカつくのよ! 言えばよかったの! なら私が言ってやったわ! 『関係ない!』 私はアークの告白を受け入れた。あんたが告白したのよ。あんたが告白したくせに一線引いてるからイライライライラしたんだわ! 私も大概うじうじしてたけどあんたもあんたよ!」
静葉に策などなかった。今まで悩み続けていたことでもあった。
だからこそ今たどり着いた答えが全てに当てはまり、間違いないとも思ったのだ。
(私はアークが好きだ。男として好きなんだ。告白されたあの日からどんどん好きになってたんだ)
慣れない服を着るのは難しかった。帯など連夜に手伝ってもらわなかったら結ぶことすら出来なかっただろう。それでも、解くのは驚くほどに簡単に出来てしまった。
驚きの表情で固まっていた在駆に動転の色が混じった。咄嗟に手で視界を覆おうとしたせいでバランスを失って後ろに崩れている。
「私はアークが好き。今夜、夜這いでもいいって思えるぐらいにいは」
魅惑たっぷりの女じゃなくてごめん、と目の前の愛しい人に心の中で謝罪する。口には出せなかった。はだけた着物を正さない女が何を言うのかと言われるかもしれないが、流石に気恥ずかしかったからだ。
「目の前の女が脱ぎだしたら、男なら喰うもんですよ」
在駆は視界を片手で覆ったまま、全く落ち着きのない声でそんなことを言う。静葉の口から自然に返事が滑り出た。
「目の前で母親が脱ぎ出したら誰だって止めると思うわ、アーク。認めなさい。あんたは私を女としてみている。母親としてじゃない。だから、私に感じた全ての感情は、女の私に向けたものなのだと、認めなさい。母親に向けたものじゃない」
あんたが私を女だと言ったのよ。
その言葉が静葉の優勢の最後の言葉だった。
在駆が立ち上がったときには無表情だった。じっと静葉は在駆を見つめる。在駆の手が静葉の肩に触れたときに、自分はただの女ではなく目の前の男の女になったのだと実感した。肩に炎が触れたのではないのだろうかと思うほど熱い。自分の意思ではない力で畳に寝転がされ、その事実を受け入れている自分と恐怖している自分とを同時に感じながら相手の唇を受け入れた。
最初は軽い触れただけのキスで、ぎこちなく離れていく。いつの間にか目を閉じていたらしい。再び開いた世界には茶色い髪が見えた。
「好きです……。貴女が、女性として。ですが、忘れないで下さい。ぼくが母を追い求めているのも事実だということを。ぼくは、心の奥底から貴女を思うこの気持ちの純粋性を保障できる日など来ないでしょう」
静葉の肩に顔を埋めて在駆が呻いた。悲痛な声だった。呼吸のたびに静葉の肌に熱い息が当たる。男女の熱ではなかった。在駆の苦渋が熱を帯びているのだと静葉には分かってしまった。
在駆が自分の母親のことを背負う気持ちを理解してあげたい。それは極めて難しいことだろうがそれでもそうしたい。少しでも在駆の重荷を理解して軽くしてあげたい。
「余計なことだったらすぐやめるからさ、言ってね」
静葉の急な申し出に在駆はちらりと視線を送っただけだった。静葉の肌を感じられる距離に居るだけで満足げな彼は楽な体勢に変えて静葉の次の言葉を待っている。
「私、お父様から伯母様のこと、在駆のお母様のことを聞いたわ」
「覚えてっ……、覚えて、居るのですか!?」
「うん。昔のこととか懐かしそうに話してくださったもの。もしかしたらだけど、キセトの魔法で皆忘れてしまったのなら、明日羅に居たお父様までその魔法は届かなかったんじゃないかしら? だから、お父様は伯母様のこと、覚えていられたんじゃない?」
「……そうか、母を覚えているのはぼくと副隊長だけじゃないんですね。それどころか、ぼくらが知らないような母の姿を覚えている人が海の向こうには居るのですね」
それから在駆も静葉も無言だった。しばらくしてから在駆の泣き声がしんしんと雪のように音もなく存在しだす。
「そっか、在駆。怖かったのね。在駆のお母様のこと、在駆が主張し続けなければ皆忘れてしまうんじゃないかって。在駆のお父様ですら覚えてないのなら在駆が覚えているしかないものね。母は居ないのだと主張することで逆にその存在を保っていたのね。頑張っていたのね」
静葉は女だ。在駆の母ではない。だが、今だけは、静葉の中にある母性の全てを込めて在駆の頭を撫でた。一瞬泣き声が止み、在駆の視線がまた静葉を見る。在駆がキセトを追う理由もそうだったのだろう。キセトは在駆が主張しなくとも在駆の母親の存在を忘れたりしない人たちの内の一人だ。そして、在駆にとっては唯一だった。
「在駆、エモーションとかのこと全部終わったら、お父様のところに一緒に行かない? お父様に伯母様の話をしてもらうの。私も一緒に聞く。在駆のお母様で私の伯母様なのよ? 私も一緒に聞くから。在駆のお母様を居なかったことになんかしないから」
「……そうですね。一人で行くのは怖いですし」
在駆が静葉の視線に答えてクスクスと笑った。暗い中では明確ではないが涙は止まっているように思える。
「母の話よりも先に、娘さんを下さいが先ですかね」
それまでは取っておきますね、今更なことを言ってと在駆は体ごと静葉から引き下がった。丁重に静葉の着物を整えて、静葉が投げ捨てた帯を拾うために立ち上がっている。静葉を立ち上がらせ、きっちりと着物の帯を締めてから布団を二式押入れから引きずり出す作業にかかっていた。
「あ、わ、私、一応向こうに布団……」
「嫌です。向こうは晶哉君や隊長が居るのでしょう。この部屋で寝てください」
にっこり笑った在駆は、ナイトギルドに居た炎楼在駆そのものだった。静葉の傍で、静葉に何かを隠しながらもずっと近くで微笑んでいた彼そのものだった。