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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
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以上の点をご理解の上、お読みください
不知火の大地を進むに当たって、まず二名が早いうちに脱落した。雪に慣れない静葉と英霊である。英霊は晶哉が肩車をしてやることになり、静葉には連夜から「頑張れ」というありがたい言葉を貰っていた。
「どうしてこんな歩きづらいのにあんたら平気なの!? これって慣れとかそういうものじゃないと思うんだけど!」
「オレは不知火の土地勘ないから知らないけど、そう歩かないはずだから頑張れって」
「なんでそう言えるのよ! その医者の先生が言うには頭領が……元頭領だった人が住んでる場所に行くんでしょ! 港から歩いていける距離にそんなご立派な家があるとは思えないんだけど!」
「あっそっか。君は明日羅の人だから北の森の魔力的現象について知らないんだね」
男か女か一見では区別出来ない、自称世界一の医者が静葉を振り返った。短パンという気温に合わない格好と、長めの白衣が雪に当たって濡れているのにすら気にかけていないことから、静葉は彼が温度を感じない体なのだと決め付けていた。いや、服装を言うなら、大きめのニットを着ていて片方の肩を晒している晶哉も、七部袖の上に薄い長袖の上着を着ているだけの連夜も、平気そうにしているのはおかしい。
静葉は船から明日羅では真冬に着るコートを持ってきていた。英霊もコートを着ている。だというのに、不知火、または葵出身者たちはいつもの格好で静葉の目の前に立っている。膝ほどまでに積もっている雪をものともせずに早足で歩いているのだ。
「信じられないわ……。その魔力的現象がなんであれ、信じられないのよ」
「まぁ、説明は暖かい屋根の下でしようね。とりあえず進んで。もうすぐだから。ほら、元気出して」
自称世界一の医者が森の木々の向こうを指差す。木々に遮られた陰ではなく、その方向には光が見えた。少なからず、そこに開けた空間があるのは間違いなさそうだ。
静葉は日が当たる場所なら少しは雪も融けているだろうと男たちを抜いてその場所に出た。静葉の勝手な行動に在駆が眉をひそめたものの、港で武器を預かったことを思い出し言葉を飲み込んだようだった。
「お屋敷?」
「そう、今の鴉様のお住まいだよ」
「で、でも! 港から数分しか歩いてないのよ!?」
「説明は屋根の下でしよう。ぼくたちだって寒くない訳じゃないんだから」
さっさと屋敷に入っていった(いくら招かれているからと言って元頭領である人物の屋敷に入るにしては馴れ馴れしすぎるほどに気軽に)自称世界一の医者に続いて、最低限の格式を守ってから在駆、晶哉と続く。連夜はわざととしか思えないほど乱雑に挨拶をして入り、戸惑いを隠せない静葉の腕を引っ張った。
ここが客間ね、と自称世界一の医者がふすまを開ける。まるで我が家のように振舞っているがそれでいいのだろうか、と静葉は在駆を見た。不知火の礼儀について知っていそうなのは在駆か晶哉のどちらかのはずだ。
だが、在駆もその医者に従ってその畳の間に入室したため、静葉もそれに倣う。
「さて、鴉様が来る前に説明だけしとこうかな。お嬢さんの頭の中におかしな不知火の地図が浮かばないうちにね。質問しないでね、面倒だし。大体ぼくは医者であって学者じゃないんだから詳しいことは知らないんだよ。本当に、不知火人や葵人が一般的に知っていることぐらいしか知らないんだ。まぁ、北の森の民が最低限の知識として知っていることを教えてあげる訳だし、学者じゃないぼくでもいいよね?」
「まぁ、分かれば、いいけど?」
この時点で、静葉はこの医者と性格が合わないと察していた。こうくどくどした言い方が嫌いなのだ。元から勉学が得意ではない静葉は、簡潔な説明を好む傾向があった。
「まぁ、簡潔にしてあげる。北の森、というかこの全世界の『森』と称される場所には聖域があるのを知ってる? まぁ知らなくてもいいけど、あるんだ。聖域っていうのは大体中央に湖があって、その湖の水が濃高度の魔力を秘めている。だから聖域は大体空気中魔力が高いんだよ、とっても」
「でも北の森全域が聖域な訳じゃないでしょ? それに空気中魔力が濃いのと、港のすぐ近くに重要人物の屋敷があるのと関係あるの?」
「慌てないで。確かに北の森全域が聖域な訳ないよ、そんな訳ない。だいたい聖域は術士が守っていて人間が立ち入るのを嫌うからね。もし北の森全域が聖域なら、ここは人間の住めない土地になってる。で、なんで聖域の話をしたかと言うと、聖域から吹く風に乗って、魔力の篭った水蒸気が北の森の全域に広がるんだ。聖域じゃないけど、擬似的な聖域のような場所になる。風の良く吹く場所と吹かない場所で、魔力の濃淡ができるんだ。その差はね、光の屈折で時々幻を生むように、その濃淡の差が空間に現象を生む。魔力の濃い場所同士を一時的に繋げちゃうんだ。同じ水から生まれた魔力だから、互いに引き寄せあう性質がある……んだけど、そういう説明こと学者がすることだね」
「魔力の濃い場所同士が繋がる……っていうのがキーワードでいいのよね?」
「そうそう、それでいいよ。なんで連夜君がそんな不思議そうな顔してるの? 君は葵出身でしょ? まぁいいや、だからその場所さえ知っておけばね、近道になるんだよ。まぁ、自分が利用する場所さえ覚えておけばいいだろうけど。風は気まぐれだから、自分の記憶に自信を持ちすぎると痛い目合うよ。キセトなんてそれで五回は違うところに飛ばされてるからね! 普段から記憶力に自信がある人ほど、風の気まぐれに振り回されるもんなのさ」
さっきの門はぼくが港に行くときに使ったやつだから、そこにあるって確信があったんだよ、と静葉の前で医者が笑う。その笑みのまま医者は立ち上がって、それじゃ、と別れの言葉を口にした。突然すぎる別れに惜しむべきなのか喜ぶべきなのか判断する前に、ふすまとは逆の縁側の廊下側の障子が開いた。そちらに視線を奪われると後ろでふすまの閉じる音がする。
目の前にすればすぐに分かった。あの医者はこの男から逃げたのだ。紹介などなくても、初めて出会う静葉と英霊ですら分かった。今、入ってきたこの男が不知火で最も影響力を持つ「王」で、不知火鴉だと。その絶対さというものは少しキセトに似ている。だがそれもおかしいことではない。不知火鴉はキセトの実の祖父だ。
「なるほど、そちらが時津の……いや、いくらなんでも不躾だった。不愉快な思いをさせたのなら謝罪すべきだろう。私が不知火鴉。今となっては引退したただの老いぼれに過ぎないが、皆が私に寄せてくれる信頼が、未だ私に能力があるように思わせてくれている。その信頼に答えるためにも、港で不知火の民の命が無数にも散ったなどと皆に知らせずに済むよう、私の命で玲に仲介させに行かせた。楼の在駆よ、私の命だったというのは事実だ。不知火や不知火に住まう民たちを想うからこそ、疑い、ここについてきたのだろう? 日常に戻るべきだと思えば戻れば良い。だが、駆我の許可も事前に貰っている。この小事に関わりたいのであれば、この場に留まることを許そう」
在駆は部屋を出なかった。だが強い決意というより、迷いつつも動けないと言った様子だ。静葉も、連夜も晶哉も、そんな在駆を責める言葉は持っていなかった。在駆の言葉がどんな意味を持っていたとしても、その心の中で、彼が自分の過去と決別してないことは誰の目にも明らかだ。
この場に残った在駆を見る鴉の目は優しかった。ここで連夜と静葉、英霊が気づいたのだが、鴉の目が赤い。目を腫らしていたという意味ではなく、瞳が赤い。黒髪黒目が不知火人の象徴であるにも関わらず、その目は炎のごとく赤い。優しく在駆を見る、異常な色の目が連夜たちの印象に強く残った。
「では、話を聞こう。……いや、石の一族の者、お前から聞く気はない。言い争いをしたくないがための処置であると理解して欲しい。私は、不知火の民と言い争う気も、不知火の若者を厳しい言葉という武器で叩きのめす気もない」
晶哉が口を開きかけたが、鴉は優しい言葉としなやかな動きの手の抑制を示した。
ここまで優しい言動が続くと、不知火鴉という人物が優しいだけの男のようにも思えた。視線が動き、鴉の紅の目が連夜を捉えたときに、それが誤解だともすぐに分かったが。
「それで、銀狼。説明を貴方にお願いしたいのだが?」
鴉の今までの声が「不知火の民」に対する特別なものだったのだと示す台詞だった。言葉の端々に敵意が込められ、棘が言葉を降りかけられた連夜に刺さったことだろう。連夜がそんな些細なものに気づいたかどうかは別問題だが。
「オレは銀狼じゃないけどな。おっと、もう銀狼じゃない、だ」
連夜が不愉快そうに返す。北の森という大地では未だ連夜は銀狼と言う一つの記号としてしか捕らえられていないことが不愉快なのだ。
「それで、説明をお願いしたいのだが、していただけるのでしょうな?」
「まっいっか。キセトのエモーションに会いたい。会えば自分たちで何とかする」
晶哉が連夜のわき腹を小突いたが連夜は言葉を止めなかった。鴉から優しさというものが一瞬で抜け落ち、初めてだから仕方が無いとばかりに説明する。説明の前に呆れの溜息を忘れはしなかったが。
「元銀狼よ。貴方の言う『キセト』というのは八年前から六年前まで、約二年間この国で黒獅子であった存在のことだろう。一度だけ言うが、私はそれを『キセト』として認めていない。他の者から聞いていなかったのか、私は戸惑いや呆れを隠す努力すら忘れてしまったぞ。私がこの口でキセトと言ったときに指し示すのは、二十六年前に死んだ我が孫だけである。そうだ、死んだのだ」
「どうでもいいね。オレはオレの友達がキセトと名乗ったからキセトと呼んでるだけだ。あいつに違う名前があって、あいつがそれを名乗るならそっちで呼ぶ。あいつが自分自身をキセトと呼ぶ限り、あんたや他の誰に何を言われようが、オレもあいつをキセトと呼ぶだけだ」
そうか、と鴉が連夜から視線を逸らす。誰にもその表情は読めなかったが、確かにそこには喜びが混じっていた。喜びの理由を知るものもここにはいないのだが。
「立ち入り禁止区域の案内に楼の在駆をつけよ。シャドウ隊関連の場所に立ち入る場合は東に許可を求めよ。しかし、エモーションの捜索も明日からのほうが良い。本日は楼の屋敷に泊まるが良い。これもすでに駆我に話を通してある。駆我のほうからは何人か迎えをよこすとのことだ。迎えがくるまではこの部屋を使うといい。エモーションの件が済み次第、即刻不知火の領土から出ることとを条件とする」
それでは、と鴉は立ち上がってさっさと部屋を出て行ってしまった。なぜか在駆が言い訳のように、忙しい方だから、と連夜たちに向かって呟く。鴉の態度に、晶哉はともかく、連夜たちなら苛立ちかねないと思ったのだろう。
だが、在駆の予想に反して、連夜にとって鴉は好印象だったようだ。
「じゃ、在駆。一晩よろしく」
それどころか、連夜の言葉によって遅れて在駆が理解した。連夜たちの目的が達成されるまで、在駆が彼らと一緒に行動しなければならないということを。