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この小説には、連載を通して性的表現(同性愛含む)・グロ表現・鬱展開・キャラクターの死等を含みます
これらの表現・展開を含んだ記事には、頭に注意書きを載せます
ですが、その記事を飛ばされた場合、その内容についての上記の表現を避けたまとめなどは用意いたしませんので、ストーリーが分からなくなる場合があります
「続きが読みたい!」とのせっかくの声を頂きましても、どうしようもございません
なお、著作権は放棄しておりません
無断転載・無断引用等はやめてください
以上の点をご理解の上、お読みください
時津嵐という男は、現在の役職について、自分には過ぎた地位だと思っている。その理由を説明するためには明日羅という国の形から説明しなければならないだろう。
明日羅帝国という国は古代文明の初期に見られた絶対王政であり世襲君主制の形を取っている。しかし、違う考え方もそこに混ぜられているのだ。王の僕は各領地を治める領主や帝都に直接屋敷を構える貴族たちだけである。国民というものは領主の配下にあるだけであって皇帝を直接君主とはしていない。各領地という小国が集まって出来た集団を明日羅と呼んでいる形になっている。
よって、一つの領地の領主であった時津嵐は、自分が治め守るべき土地を離れての高官の地位など身の丈に合っていないと思っていた。このような、民の顔が直接見えないところでの仕事は自分に向いていない、と。皇帝と民を繋ぐ領主の仕事は上手くこなせたとしても、皇帝陛下や皇族の方々の身近で、彼らに尽くす仕事をこなせるわけがない、と。
そう思って既に六年が経った。二年前には死んだと思っていた娘が加わり、自分なりには上手く出来るようになったとも思っていた。それを平穏だと感じていたのだ。
「……静葉」
生き残ってくれていたことが嬉しかった。それは嘘ではない。二年前、顔を直接見た日。驚いた顔で自分の父を見ていた娘。あの時、嵐も嬉しかったはずなのだ。
持ち出してしまった書類を幾度となく見る。途中で文字列が変わり、真実が現れないだろうかと。だがそんなことは起こらない。このありのままの文章が事実なのだと。
「形……、お前はそうだろうなぁ。復讐を途中で止められる奴ではないだろう。私はそれを知っているさ」
上田形という男を嵐はよく知っている。自分付きの護衛だった男で、幼い頃から常に行動を共にした友人だ。だからこそ、形が復讐を途中で止めるような人物でもないと知っていた。芯からの戦闘種で黒白はっきりさせなければ気がすまないタイプだった。
「だが、なぜ、なぜ……。生き残れたのにな」
そう生き残ったのだ。街を飲み込んだという炎から。彼らは生き残っていたはずなのだ。今ここに、それこそ昔からそうだったように、嵐の隣でそう言われても、と困ったように笑っていてもおかしくなかったのに。
息子も友も死んでしまったと記された書類が、急に憎く感じる。この書類はその事実を嵐に伝えてくれた唯一のものでもあるはずなのに、こんなものさえなければ、とすら思ってしまうのだ。
「お父様。その、お話の続きをしたいそうです」
「……わかった。行こう」
「お願いします」
目の前には自分を気遣ってくれる娘が居る。愛しい娘でありながら、知らぬ間に殺人という罪を犯した娘。友人の死を招いた人物。それでも、憎むことが出来ない存在。
連夜たちはその娘に不知火への同行を求めていた。聞きたくないと耳を閉ざすことは簡単だが、そうすればまた、嵐は知らぬ間に何もかもを失うことになると思えた。
だから聞こう。決めるのは当事者たちだけれども。それでも話を聞いて、自分の意思を持とう。
「お父様?」
「静葉、不知火へ行くのかい?」
「! そ、そうですね。分かりません……。何のために私が必要なのかも分からないですし、話を聞かないかぎり、はっきりはお答えできません」
「そうだろうね。でも、やはりお前は私の娘。行くのだろう」
「……反対なさらないのですか?」
「反対したところで、私の言うことなど聞くまい。時津の女はみんなそうさ。私の姉もそうだった」
時津嵐の姉、時津理紗。その名を静葉は違う人間から聞きたかった。
時津理紗は炎楼在駆の実の母親にあたるらしい。らしいとしか言えないのは、それを知っているはずの者たちが口を揃えて、確証がないと言ったからだ。
「姉上が不知火へ行くと言い出した時、皆止めたものだ。特に父上は渋っていた。それでも姉上は意見を貫き通したんだ。怪我人の世話を姉上に任せたのが間違いだったと父上がよく零していたよ」
「やはり最初の出会いは、怪我をしていたアークのお父さんを伯母様が世話をしていたことなのでしょうか」
「それしかないだろう。姉上は小さいころから人の心に敏感でね。言い方は悪いが相手の間合いに入るのが上手かった。気づけば皆が姉上に心を許していたんだ。駆我も怪我をしているくせに我々に近寄ろうともしなかったから、姉上が適任だということになったんだが……」
「人の心に敏感、ですか……」
静葉はここでキセトを思った。あの、人間の心と言うものについて何の理解も出来ていない化物のことを。
(借り物の心だと言っていた……。人の心に敏感な伯母様の心がキセトの中になるのなら、なんであんなふうになっちゃったんだろう)
静葉はキセトが心無き化物であるとまでは思っていない。その考え方は僅かにすら理解出来ないとしても、キセトに心と言うものがあるとは思っている。
それは静葉がナイトギルドで過ごした二年で確信していた。表に出すのことは苦手でも、彼は感情や心というものを持っている、と。それが本当に借り物で、時津理紗のものならば時津理紗の心が静葉には理解出来ないものだったのだろうか。
「お父様。伯母様はどのような方でしたか?」
「姉上か……。気が利いて優しい人だった。一人で居る者を放っておけないタイプでよく誰かを誘って団体で行動していたな……。そのくせ自分勝手なところもあり、周りを振り回していた。……不思議と見切られることはなかったが。人を振り回す人だったが、人の懐に入り込むのも上手だったからだろう」
「懐に入り込むとはどういうことですか?」
「言葉の通りだ。振り回されている立場を心地よく感じたり、知らぬ間に相手の弱みを握っていたりする人だったんだ」
(……全然キセトには似てない人だったのね)
あの人の心が全く分からなくて、それが辛くて、生きていく中でそれを苦痛に思うほど苦しんでいて。そして、静葉の目の前で涙を流していたキセトと静葉の伯母は似ていない。
静葉と嵐が連夜たちが待つ部屋に入った。なぜか連夜は不機嫌になっていて、英霊がそんな連夜を気にしてちらちら見ている。晶哉もその二人を不思議そうに見るばかりで原因を知っていそうにはない。
「ちょっと篠塚。これどういうことなの?」
「部屋に戻ってきたらこの様子だったんだ。おれが知るかよ。それに、話に直接は関係ない二人なんだ。話自体は続けさせてもらうからな」
「私に不知火へ行けって話? それより時津の街のことをもう少し話しなさいよ」
「それにも関わってくるんだよ。そもそもなんで羅沙が時津の一族に拘ったと思う? 明日羅の街の一つだ。羅沙がわざわざ手を下した理由は?」
「私にわかるわけないでしょ」
静葉に理由など昔から不必要だった。敵が何で、どうすれば倒せるのか。それが静葉に必要なことだった。復讐もまたそうだ。なぜ時津の街を選んだのかを知ったとしても、知らなかったときと同じ選択をするだろう。静葉は自分をそう理解している。
「……楼家に嫁入りした時津理紗。不知火の楼家の役割を知ってるか?」
晶哉が席に座って話し出す。長い話が必要だと判断したらしい。静葉は苛立ちを隠さず、短い言葉で返すだけ。
「知るわけないわ」
「不知火は葵と陸地の国境を共有する国だ。だが、逆に言えば葵との国境以外はすべて海。陸の国境は石家が守る。海の国境は楼家が守っている」
「だから何よ」
「……楼家さえ落とせば、羅沙は海から不知火を攻めることができるんだよ」
だから何になるのか。静葉が同じ問いを繰り返そうとしたとき、連夜が割って入った。
「楼家に国外の身内ができた。その身内を人質にして不知火に攻め入ろうってなったわけだろ」
「………実際、時津の街のことが起こったとき、まだ理紗さんが生きていたら戦争になり、不知火は攻め込まれていたかもしれない。駆我さんは本気で好きだったはずだからな」
時津の街が焼失したのは今から六年前。時津理紗が死んだのは二十二年前。時津の街の事件があったときはすでに時津理沙は過去の人だった。
「羅沙は伯母様が亡くなっていたこと、知らなかったの?」
「知らなかっただろう」
「伯母様が嫁いでからかなり時間が経ってからの計画なのね。だたの推測に過ぎないんじゃない?」
「そうだな、推測だ。ついでにもう一つ推測を話してやろう。時津の街の件、羅沙皇帝の知らないところで行われたことだろう。事件の二年前の羅沙は皇帝が代替わりしている。羅沙敬将の元では皇帝の賛同がない計画など実行できずにいたが、羅沙鐫になると少しはやりやすくなったんじゃないのか? 羅沙鐫は『自由』主義だったから」
羅沙全土を把握し支配下に置いたといわれる愚皇帝、羅沙敬将と。
羅沙全土を見放し解放したといわれる操り人形の皇帝、羅沙鐫と。
どちらの元のほうが秘密の計画を実行しやすいかなど明らかだ。
「連夜、あんた鐫様の騎士だったんでしょ? 何か知らないの?」
「オレが騎士になったのって時津の街の事件と同じ年なんだよなー。事件の後だったか前だったかよくわかんねーけど。だいたい、羅沙皇帝が時津の街のことに羅沙人が関わってるって把握したのが殺人鬼ミラージュの事件のときだし。それが事実なのか、鐫様がそう見せかけてたのかはオレも知らねーよ。あの人なら『やりたいことはやらせておけばいい。それも一つの自由でしょ』とか言いそうだし」
「羅沙と不知火の敵対に巻き込まれたのが原因? そんなことのために、皆は……」
燃え尽きていく家、街。漂う悪臭。静葉の体に残る火傷。
復讐を決意した仲間たちが倒れていく光景。軽やかに銀が舞う。
「ね、連夜。形は最期になんて言ってたの?」
「は!?」
「何か言ってなかったの?」
「ん、あー……。なんだっけ? 言ってた言ってた。『やっと会える』だったかな?」
上田形を始めとする殺人鬼ミラージュを殺した男、峰本連夜。彼なら上田形の最期の言葉を知っているはずだと静葉は思った。父の右腕を奪った娘として、父にせめてできることはこれぐらいしかない。
「形……。お父様のことはもう少し待っていて。お兄様には会えた?」
静葉が天を仰ぐ。死人には言葉を贈るぐらいしかできない。それが当然で、そのせめてもの行為で生きる者は気持ちを整理しなければならない。
視線を下におろすとき、静葉の瞳から押し出されるように一滴の涙が落ちた。何か、あと一歩ずつでも違えば。そうすれば、ここにはもっと多くの者が立っていたのかもしれなかった。
「それで、私が不知火に行くって話とどう関係あるのよ」
「今、おれたちはキセトのために不知火へ入りたい。楼家は在駆先輩の家だ。不知火に入ろうとすれば在駆先輩と鉢合わせることになるだろう」
「つまり、だ。オレたちはオレたちで『時津』を不知火潜入のために使いたいんだよ」
連夜はあえて晶哉が避けた表現を選んだ。時津の街が滅びた原因と同じ理由で、静葉を不知火へ誘う。それも、静葉が嫌悪感を抱いたキセトを助けるために。それでは静葉がうなずけるはずもない。
連夜は静葉を見た。不機嫌だったからかその目は笑っていない。
「……交渉に来てくれるだけ羅沙よりマシなのかしら?」
「それを決めるのは静葉だな」
いまだ不機嫌そうな連夜は席に座りもせず、静葉の前に立った。今決めろ、とその視線が言っている。
「石家の晶哉もいるし葵出身の連夜もいる。葵から陸路で行けばいいでしょ」
静葉としても連夜の頼みを断りたくない。だが、自分が選ばれた理由も、キセトを助けるという目的も、静葉には喜べないものばかり。断りたくない、とうなずきたくない。二つの思いが静葉の中で思考を乱す。
「それもできるけど。オレはアークと静葉を合わせたい。お前ら、知ってるか? 人は簡単に死ぬ。このままでいいのか? オレはキセトを助けろとか甦らせようとか、お前にそれを手伝えとか言わねーよ。ただ、時津静葉。お前は炎楼在駆とこのまま永遠の別れを迎えていいのか」
連夜が静葉に手を差し出した。戻ってこい、と。
「キセトのことは本当に手伝わなくていいのね?」
「あぁ」
「在駆とゆっくり話、できるかな?」
「お前次第だ」
「……そうね」
時津静葉は、峰本連夜の手を取った。
また、物語の中に戻ってきたのだ。