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ムードよりも生活優先

「え!?」


 透子の心臓が、ドクンと跳ね上がった。

 あまりの衝撃で、手にしていたデザートスプーンがカチャン、と床に落ちる。

 その音が、更に周囲の視線を集めた。


「代わりをお持ち致します」


 流れるような動作で、すぐに現れたウエイターがスプーンを持ち去り、手持ち無沙汰になった透子は、コーヒーカップに手を伸ばす。

 だが、指が震えてカチャカチャとカップがソーサーに触れる音がして、零してしまいそうで諦めた。

 ウエイターが戻ってくるまでは、馨も話は待ってくれるだろうと思い、大きく深呼吸するが、馨はそんなに優しくはなかった。


「動揺してるってことは、俺のことを男として意識してるって自惚れていい?」


 その言葉に、周りの席の女性達もピクリと反応している。

 目の前の馨がそれに気付かないはずがない。

 周りの人が聞き耳を立てているのを承知で、言っているのだ。透子が逃げ道を作らないように……。


「じょ――」

「冗談でこんなこと言うわけないでしょ」

「ぐあ――」

「具合は悪くないよ。至って正常だ」

「どこ――」

「どこがって? 言って欲しいの? 気取らない所、一緒に居ると心が穏やかになるし、会いたいなーって思う。透子さんがお見合いしたら……って考えたら、余計なお世話かもしれないけど、ちゃんと恋愛して欲しいなって思ったんだ。あの日、透子さんの本音を聞いて、真っ直ぐで恋に不器用なこの人はどんな恋愛をするんだろうなって思って。で、実際に会ってみて、やっぱりお見合い……して欲しく無いなって思ったんだよ。ちゃんと恋愛して欲しいって。その相手が俺だったらいいなって思うのに、そんなに時間はかからなかった」


 ウエイターが、デザートスプーンを差し出すタイミングを計りかねている。距離からして、今の馨の発言は、聞こえているに違いない。――聞こえていない振りはしてくれているが……そこはプロだから当然だろう。問題は、周囲の人物達だ。


「ちょっと、俳優かしら? どこかにカメラとか?」

「あんな台詞、一度でいいから言われてみたい……」


 途中、馨の言葉を遮りたかったが、とてもではないけれど自分に向けて言われているのだと理解出来なかった。

 この恥ずかしい台詞を言わせているのが、なぜ自分なのかを透子は分からない。


「であ――」

「出会ってすぐだから信じられない? 時間ってそんなに重要かな」


 なぜこの人は、自分が言おうとしていることを先回りして答えるのだろう。

 透子は少しムッとして、眉根を寄せた。


「言いたい事がなんで分かるのって? ふふ、全部顔に出てるよ」


 ぱちん! と大きな音を出して両頬に手を添える。

 恋愛に踏み込めないもどかしさも、将来に対する不安も、両親の思いに応えられない申し訳なさも。同性の知り合いから向けられる、優越感に対する苦しさも、今まで顔に出さずに堪えてきたのに。

 今日、ロッカールームで鏡をチェックした時も、いつもと同じ自分がそこに居た。だからうまく立ち回れる。自分の心を守れると思っていたのに――なぜ、馨には分かるのだろう。

 周囲から見ると、きっと照れてのことだと見えただろう。

 ウエイターは、この隙にそっとテーブルに、デザートスプーンを置いて行った。

 しばらくの間透子はそうしていたが、せっかく持ってきてくれたデザートスプーンを、使う気にはなれなかった。

 どうしよう、何を言っても馨には読まれてしまう。ただでさえ恋愛ごとには慣れていないのに、どうやって断ろうかと、ぼんやりする頭で透子は必死に考えた。

 沈黙を破ったのは、馨だった。


「返事は急がないよ。でも諦めるつもりはないから」


 透子がこんなに動揺しているのに、馨の言葉には迷いがない。

 ハッキリと告げられたその言葉に、再び周囲がざわめき出した。

 そこで透子は、やっと周りが見えてきた。そうなるともう恥ずかしくて堪らない。穴があったら入りたいとはこのことだと思った。


「でもですね! 知り合って日が浅いのは本当ですし、馨さん私のこと、ちゃんと知らないじゃないですか。私だって馨さんのことよく知りません!」

「だから、ちゃんと付き合ってお互いをよく知ればいいじゃないか」

「なら友達からで充分じゃありませんか!」

「透子さんを、他の男に取られるのは嫌なんだ」

「……は?」


 透子は顔に熱が集中するのを感じた。


「友達とか生温い関係を続けて、その隙に他の男が透子さんを狙って現れたら? その時、そんなヤツと一緒のスタートラインに立つなんて、そんなのは嫌だ」


 途端にまた周囲がざわつく。その空気に透子が耐えられなかった。


「無い! 無いですから! そんな物好きな人っ、この35年間現れなかったのに、そんなホイホイ集まるわけないじゃないですか!」

「そんなことない。透子さんは、自分を過小評価しすぎてる」


 顔を赤くして、ふるふると首を振る透子の様子に、馨はやっと透子の居心地の悪さに気が付いた。

 逃げ道を閉ざしたのはいいものの、決して追い詰めて恥ずかしい思いをさせるつもりは無かったのに……。

 どうやら自分も余裕が無かったんだな、と小さく息を吐くと、「出よう」と声をかけて席を立った。


「――ごめん。大勢の前で恥ずかしい思いをさせるつもりは、無かったんだ。でも、連絡先交換してもさ、透子さん挨拶メールすらくれなかったでしょ。俺のこと、透子さんの中では相当小さいのかなって、正直ヘコんだ」


 無言で車に乗り込み、すっかり暗くなった街を走り出すと、徐に馨が話し出した。

 透子は知らなかった。まさか馨も不安に思っていたなんて、想像もつかなかった。

 きっと、馨は恋愛には慣れていると思う。だからといって不安になることも、悩むことも無いという思い込みは、間違いだった。


「あの……この前、付き合おうって言った時、うちの母親への対策だって言ってましたよね。だからてっきり……その……」

「あれを鵜呑みにしたのか……。かっこ悪かったけど、あれは口実。でもすぐ後悔したよ。あんな曖昧な言葉で関係が出来たとしても、結局俺にしてみたら単なる“知り合い”レベルと変わらない。そんなのは意味が無い。だから、ちゃんと伝えようと思ったんだよ。でもさ、好意を持ってなかったらあんな申し出、男はしないよ」

「――化石女が出るドラマでも作るのかと……だから、母に対して恋人役をする代わりに、取材対象になりますよって今日、言おうかと……」


 ふたりの視線は前を向いたままだ。

 視界の端を、ライトアップされた街並みが通り過ぎる。その様子に、透子はあれ?と振り返った。


「あの! どこに向かってるんです? うちと反対方向じゃないですか?」

「うん。もうちょっと付き合ってよ。夜景が綺麗に見える場所があるんだ」


 フルコースに夜景。これが若いお嬢さんならうっとりしてコロリと堕ちただろうが……。


「夜景ですかー。せっかく豪華ディナーで身も心もあったかくなったのに、寒空の下どうしろと……」

「ふふふっ。本当に透子さんは面白いね。俺、これでも今日のこと結構考えたんだよ? ディナーの後は雰囲気の良い静かな場所を、ゆっくり手を繋いで歩きたいなって思ったのに」


 夜景が綺麗でも、結局は人工物だ。本当に美しいのは満天の星空だと透子は思う。

 東北の田舎で育った透子は、怖いまでの夜の静寂と、零れ落ちそうな程の満天の星空を知っている。

 都会ではもう、天の川は見れないのだと言う。それと引き換えに人工物の明かりを楽しむのはなんだか寂しかった。

 ――と、思っていたのだが……。


「わぁ! すごい!」


 高台から望む街明かりは、まるで色とりどりの宝石をばら撒いたようで、透子の胸を高鳴らせた。

 ビル群の明かりも、その一つ一つは微妙に違う。暖かなオレンジもあれば、一際輝く白い明かりもあった。少し先は歓楽街だろうか。青、赤、緑とカラフルだ。

 馨がそっと手を繋ぐと、透子は驚いたように手を払おうとするが、馨はその前に素早く指を絡めて逃げられないようにした。

 怒るかと思ったが、透子は照れくさそうに微笑むと、すぐに景色に視線を戻す。それからは、手を振り解こうとはしなかった。

 さすがの透子も雰囲気にほんの少し流されてくれたらしい。


「ゆっくりでも、いいよ。透子さんの恋愛対象の枠に、俺を入れてくれるなら、もう少し位なら待てるよ」

「なんですかソレ……馨さんなら、選び放題でしょう。私なんかじゃ……」


 反論はするものの、先程までの勢いは無い。


「“なんか”じゃないよ。透子さんは、俺にとっては“なんか”で済ませられる相手じゃない。――俺が、信じられないなら、今はそれでもいいよ。透子さんさっき言ったよね。友達からでもいいじゃないか、って。透子さんの方はそれでもいいよ」

「――いいんですか?」

「うん。いいよ。俺の方は恋愛感情持ってるけど、それさえちゃんと分かっててくれたら、いいよ」

「それは……」

「いくら透子さんでも、俺の思いまでを否定する権利は無いでしょう? なら、自由に想わせてよ。俺は俺で、透子さんが俺に恋するように頑張るだけだからさ」


 なんだか、恐ろしい宣言をされたような気もする。だが、友達からでいいという言葉に、少しでも逃げ道の欲しかった透子はすぐに飛びついた。


「――分かりました。じゃあ、友達から……」

「ありがとう……。じゃあ、友達なんだから毎日ラ○ンで近況報告位は頂戴ね」

「え? ええ……」


 ちゃんと“友達”から始めてくれそうだと、ホッとした透子の手を引き、馨は上ってきた階段を下りていく。

 普通、異性の友達は指を絡めた、所謂恋人繋ぎなどしない。

 だが“友達”関係が作られたこの日、指を解かなかった透子は、それ以降ずっとこの日の行動を盾に、恋人繋ぎを強要されることになるのだが、勿論この時の透子は気付いていない。


「さて、じゃあ送るよ」

「え、いいですよ。駅まで送ってくれれば、そこから電車に乗って帰ります」

「ダーメ。もう21時過ぎだよ。さすがに一人で夜道を歩くのは危険でしょ」


 今までもっと遅い時間を一人で帰宅していた透子にしてみれば、この時間はまだ安全なのだが、馨は聞く耳を持たない。


「でも、ご馳走してもらって更に送ってもらうなんて」

「だって、透子さん最寄り駅はあの駅でしょう? なら一緒じゃん。方向どころか家の最寄駅も一緒なんだからいいでしょ」


 それを言われてさすがの透子も渋々頷く。

 話してみると、お互いの家は駅をはさんで反対側にあった。

 数年前に駅の東側は地域開発で一新し、シネタウンを備えた大型ショッピングセンターを中心に、図書館など様々な公共施設やマンションが出来た。馨はその際に今のマンションを買ったのだと言う。

 一方西側は地元の商店街が健在で、古ぼけたアーケード街を中心に背の低いハイツやコーポ、一軒家も多い。元々職人が多い街でもあり、西側には作業所や倉庫も立ち並ぶ。ふたりのお気に入りのカフェもその中にあった。


「じゃああのカフェは透子さんの近所なんだ。いいなぁー。あ、他どこか寄りたいところとか、ある?」


 馨の問いかけに、腕時計を確認すると、透子は「あ」と呟いた。


「ん? 何?」

「あのですね、買い物に付き合って欲しいんですけど……お願いできますか?」


 申し訳なさそうに、控えめに頼む透子の様子が可愛らしく、馨はにっこりと笑顔で頷いた。


「勿論だよ。東口のショッピングセンター?」

「いえ。ひとつ手前の駅近くにある大型スーパーなんですけど……馨さん、持つの手伝ってくれますか?」

「勿論。じゃあ行こうか」


 買い物をしたいのが流行の店が入っている東口のショッピングセンターではなく、大型スーパーというのが不思議だったが、透子の気に入りの店でもあるのかもしれない。それは是非行ってみないと、と思い、馨は車を走らせた。



 * * *



「ええと……透子さん、買いたかったのって、コレ?」

「そうですよ! 良かった! 馨さんが居たから助かりました。この量だと車じゃないと無理なんだもの……。でも、後部座席一杯になりますね」

「うん……そうだね」

「私ひとりだったら、1袋しか買えなかったです。さすがに電車に2つ持って乗り込むのは恥ずかしいですもん。意外と重いですしね」

「……役に立って、良かったよ」


 馨は乾いた笑い声を上げるが、透子は気付かずに、興奮気味にまくし立てた。


「今日セール最終日だったんですよ! おまけに一人2袋までっていう制限があったので……助かりました。なかなか無いんですよ。トイレットペーパー24ロール入りで324円! これで当分大丈夫です!」


 そう笑う透子の笑顔は、この日一番の輝きだった。


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