化石発掘調査開始
テーマ、というには薄い内容ですが『化石になりたくてなってんじゃない』です。
「化石っすか」
いつもとは違う、雑居ビルの中の小さな喫茶店の隅、原稿を広げるスペースも無い小さなテーブルを挟んで、目の前の相馬はニヤリと笑った。
面白い物を見つけた、そんな目だった。
「らしいよ? 干物女の進化形だってさ。相馬さん知ってた?」
「初耳っす」
あの日電話で、干物女を勘違いして『腐女子』だと馨に教えたことは、寝ぼけていたのか覚えていないらしい。
その相馬は、馨の殴り書きのキャラ設定メモを、楽しそうに読んでいた。
「干物はなんだかんだ食べれるってことらしいよ」
「確かに! 化石は……歯が立たないっすね。お手上げっす。物好きな研究者が発掘するまで、遺跡共々土の中っすかね」
「発掘……か。上手い事言うね、相馬さん」
相馬の言葉に顔を上げ、馨は感心したように言った。
馨自身、思いつかなかった発想だったが、駅で母親の姿を見た途端繋いでいた手をスッと抜いた透子が思い出された。
その行為は、開きかけた扉がまた固く閉じられたような、そんな気分にさせた。
「化石はさ、発掘されるのを待ってるのかな」
「さて。それはどうっすかね。そのまま埋もれていた方が幸せな場合もあるでしょ。ただ、どれも望んで化石にはなってないんじゃないすか?」
「――だよね」
思わず馨は頬を緩める。その様子に、今までの打ち合わせとは違う空気を感じ、相馬はおや、と目を丸くした。
持ち前の好奇心が疼くが、まだ時期ではないと無理矢理胸の奥に押し留め、相馬は本題を切り出した。
「ところで、ドラマの打ち上げには顔出してくださいよ。今回のドラマも好評だったし、上も是非参加して欲しいって言ってるんすよー!」
すると途端に馨の表情が曇ってしまった。相馬はしまった、と思ったがもう遅い。
「そういう場は苦手だって言ったじゃないですか。以前、ちょっと店の外で話しただけで、ツーショットが週刊誌に載りましたからね。勘弁してください」
「でも――」
「それに、クール一位取れなかったじゃないですか。俺、肩身狭いですよ」
「あぁーっ、それは……仕方ないっす! 人気シリーズの刑事モノ、人気俳優が新レギュラーで出て来たんすもん。さすがに一位はあれだろってそれは上も言ってたことっすから!」
とは言うものの、あわよくば一位を狙っていたのは、間違いないのだ。だから話題作にぶつけてきた。もしも視聴率が上回ったら、局をあげてのお祭り騒ぎとなっただろう。
だが結果は惨敗。
あちらは平均25%で、馨が手がけたドラマは平均18%だった。
それでも善戦した方だ。他は良くても10%だったし、ヒロインを演じた女優は話題となり、ファッション誌にも特集を組まれた。CM本数も増えたそうだし、上層部はお礼のひとつも言いたいのだろう。
けれども、馨は自分の作品がいいように利用された気がして、正直面白くない。そんな世界だと頭では分かっていても、望まれていた結果が出せなかったことは悔しかった。
「相馬さん、悪いけど――」
「あ、メールっすか?」
再度断ろうと口を開くと、テーブルの上のスマホが震えた。
苦々しい思いで、スマホを手に取った馨だったが、眉間に刻まれた皺は一瞬で消えた。
「相馬さん、悪いけど打ち上げはパス。上手く言っといてよ。俺ちょっと用事あるから……」
急にそわそわし出した馨は、腕時計を確認すると、相馬の手元からメモを奪い取った。そのまま乱暴に鞄に突っ込むと、腰を浮かしかけて、思い出したように伝票に手を伸ばした。
「えっ? マジっすか! ほんと無理なんすか? 今日予定無いって言ってたじゃないすかぁ!」
「急に出来たの。ホラ、化石の発掘調査依頼が入ったからさ、誰かに掘り出される前に行かないと。ここ、俺払うから」
相馬の返事を待たずに、馨はさっさと伝票を取り会計に向かう。
その後姿を見て、相馬重之は冷めてしまったカフェオレに口をつけ、ひとりごちた。
「発掘ねぇ……。果たしてそれを作品化する気があるんだかどうだか……」
俺の出世は更に遠のくのか――そう内心嘆きながらも、相馬は思う。
エステ通いが普通という、自分磨きを怠らない、所謂世間が言うところのイイ女しか知らない神馬馨。そんな彼が見つけた化石とは、一体どんな代物だろう……と。
誰が見ても美女だと思う女性より、自分だけがその価値を知る、そんな存在を見つけ出したら、否が応にも彼の作品は変わるだろう。
「それまで待つかぁー? あーあ、俺ってお人よしだなぁ」
よっこらしょ、と立ち上がると、相馬もまた店を出た。
それでもいいか、そんな馨を近くで見る楽しみには変えられない。そう結論付けると、凝り固まった首をゴキゴキと鳴らしてパーキングに向かう。
結局、相馬は馨の書く物、人間が好きなのだ。鬼嫁の愚痴を耐えられる位には。
* * *
「モノカキ、ねぇ……怪しくない?」
久しぶりに共に早番勤務となった日、透子は明日香とロッカールームに居た。
エプロンを外し、コートを羽織るだけの透子とは違い、明日香は仕事用のジーンズとロングTシャツを着替えると丁寧に畳んだ。
書店員とは思った以上に汚れるし、体力を使う仕事だ。棚の整頓や、返本のために荷捌き室に篭りきりで、ダンボールと格闘することもある。
(私が仕事着でそのまま帰るようになったのって、いつだったかなぁ?)
明日香は、素早く着替え終えると、ロッカーの内側の鏡でメイクを整えた。それをなんとなしに眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた透子は、明日香の言葉を聞き逃してしまっていた。
「ねえ、聞いてる?」
「えっ? 何?」
「もう……モノカキって、なんか怪しくないかって言ったの! 新手の結婚詐欺とかさ。大体、透子のこと知りすぎてるって怪しいじゃない。モノカキって言っても色々だけど、この辺りにそんな人がいるって、書店に勤めてて聞いたこと無いし。詐欺かヒモ目的なんじゃない?」
「そうねぇ……。あ、もう出れる? 行こうか」
それでも気の無い返事をする透子に、明日香は呆れたように嘆息し、透子について事務所を出た。
「そうねぇ……ってねぇ……。心配してるのよ?」
「分かってるわよ。でも実際今のところ被害は無いんだもの。それにこれから先お金の話されても、無いものは無いしねー」
「そんなの関係無いんだって! 好きになっちゃって、どっぷりハマった時に正常な判断できる? ああいう人達は無いとこからだって絞り取るのよ!」
「それって、やっぱり相手が私だと、本気じゃなくて詐欺だとかからかってるんだとか、そういうことになるの?」
すると、明日香の歩みがピタリと止まった。
「え? 何?」
「ううん。何でもない。大丈夫だよ、もう会わないと思う。連絡先も知らないしね。お母さんには少ししたらフラれちゃったーって話す予定だから」
心配してくれているのは分かっているが、正直すぎる友人の言葉は時に透子の胸を抉る。
確かに神馬馨は人目を惹くイケメンだ。そんな人物と釣り合わないのは透子自身分かっていたし、それで自惚れる程自意識過剰ではない。
「――そこまで言われると、誘いにくいんだけど……」
「うひゃ!」
突然自分の上に影が出来たかと思うと、苦笑まじりの声が降りてきた。
「馨さん? 買い物ですか?」
「ううん。透子さんをご飯に誘いにきたんだよ。もしかして、この後二人で約束してた?」
馨が透子と明日香の顔を交互に見ると、明日香は気まずそうに顔を赤らめて目を逸らした。
「曖昧な言い方した俺が悪いよね。モノカキって言ったけど厳密に言えば脚本家。実際書店で扱っているような書籍は出していないから知らなくても当然だと思うよ? でも透子さんに興味を持ったら騙そうとしてるとか、からかいだと言うのは、透子さんに失礼じゃないかな」
その顔は微笑みを浮かべているが、眼鏡の奥の瞳は笑っていない。静かな怒りが感じられ、明日香は先程の自分の発言にハッとした。
「えっ……ごめん! 透子、そんなんじゃないよ?」
途端に慌て出した明日香に、透子は「わかってるよ」と言って宥めると、馨に向き合った。
「明日香とは特に約束はしてませんけど……何かご用ですか?」
「うん。種明かしがてら、ご飯でもと思って」
“種明かし”――その言葉に透子が頷くと、なぜか明日香が少しホッとしたようで、「じゃあお疲れ様!」と言うと足早に去っていった。
そんな明日香に透子が笑顔で手を振ろうとすると、その手は馨に取られてしまった。
「さ、行こうか」
けれどもその手は、透子によってすぐに外されてしまう。再度取ろうとしても、今度は避けられる始末。
「なんで? この前は繋いでくれたのに」
「あれは……慰めてくれたんでしょう?」
両手でしっかりと鞄を抱え、その仕草は馨のそれ以上の接近を拒否しているようにも見えた。
透子の母を交えた食事会で、透子はだいぶ打ち解けたと思っていたのだが、少し間が空いた今、また距離が生まれてしまったようだった。
化石は固い固い地盤の下――でも、手っ取り早くツルハシで掘ろうとすると、土と一緒に壊れてしまう脆い化石のようだ。
ここで面倒くさいだの諦めようという考えは、馨には全くなかった。
「でも、私も気になることが多いので、今日はお付き合いします。どこに行くんですか?」
「うん、すぐそこだから」
手が繋げないことを思いのほか残念に感じながら、馨は歩みを促した。
「いらっしゃいま――あれ。二人知り合いだったの?」
白髪交じりの短く刈り上げた頭に手をやり、馴染みのカフェのオーナーは驚きの声を上げた。
2メートル近い身長と、100キロを超える巨体を持つオーナーは、自らが寛げる空間をということで、この倉庫カフェを開業した。
ゆったりと配置された家具は、実はこのオーナーがテーブルにぶつからずに歩くためである。
「こんばんは。クマさん、いつもの席空いてる?」
ちなみに、クマさんと呼ばれたオーナーだが見た目からついたあだ名ではない。熊埜御堂という立派な苗字を持つのだが、立派すぎて長いため、常連は皆「クマさん」と呼んでいる。
「え? え?」
ふたりのやり取りを見て透子は目を丸くしているが、馨はそれに構わず透子の両肩に手を置くと、軽く押して店の奥に進んだ。
いつもの席で足が止まりかけた透子を更に先に促すと、辿り着いたのは一番奥の馨の指定席。
「ここ、俺の指定席なの」
「えっ?」
馨はいつもの定席である奥側の席に透子を座らせ、「クマさん、俺も透子さんもいつものね!」とカウンターに声を掛けると、透子の向かいの席に腰をかけた。
「透子さんはいつも、この隣の席に座っているよね。つまり、その……俺は透子さんの会話をたまたま聞いてしまったんだ。それから透子さんのことが気になって……。あ、でも書店で会ったのは、偶然。ホント。それまで声しか知らなくて、書店で声を聞いて透子さんだって分かったんだ。今まで黙っているつもりは無かったんだけど……」
「えっ! 私そんな大きな声で話してました!?」
「え、そこ? それは……大丈夫だと思うよ。透子さんはいつも壁に向かい合って座るでしょ。俺は反対に壁を背に座るんだ。だからだと思う。でも、ごめん。結果的に盗み聞きになっちゃったから」
「はぁ……でも、だとしてもどうしてですか? それだけで――」
「あ、まずはコレね」
そう言うと、透子の隣に移動しスマホを取り出すと顔を寄せてきた。
驚き身体を引く透子の目の前でカシャリ。と音がすると、馨は何事も無かったかのように席に戻り、なにやら操作している。
「なっ、何なんですか? 私が話した内容を知ってるのかは今の説明で分かりましたけど! でもどうしてシフトまで知っているんですか?」
そこにクマさんがコーヒーとドーナツを運んで来た。
「あ、透子さんもここでドーナツ頼むの? さ、まずは温かいもの飲んで落ち着いて。砂糖は……いらない? 俺と一緒だね」
「ええ、甘いドーナツとはブラックが合うから――じゃなくて!」
危うく馨のペースに乗せられて、まったりコーヒーブレイクするところだった……危ない危ない。透子は慌てて居住まいを正した。
「それは、コレ」
馨は手に持ったスマホを見せた。画面には【送信完了】とある。透子は訳が分からなかった。
少しすると、【送信完了】の文字は消え、別の画面が現れた。どうやらメールの返信をしたらしく、現れたのは元の受信メール画面だ。
読んでいいものかどうか迷ったが、見るようにとの意味なのだろうからと思いなおし、本文に目をやり――叫んだ。
「ナニコレ!」
店内の視線がふたりに向く。が、透子はそんなことにまで気を使うどころでは無かった。
「なに……『二人お付き合いはどうですか? 気になるのでたまにはデート写真などが見たいです。そうそう、透子はちゃんと話を聞いてくれないから、馨さんから伝えてください。お見合いは断りました。けれど先方は保留にしたいそうです。二人に何かがあった時、この話は再び動き出します。実はお見合い写真は透子の部屋に置いてきました。だって大きいんだもの。あ、馨さんは気にしないでね。でもね、このお見合いが発動するのは二人次第ですから』って……何これ?」
「それで、今ふたりの写真をお母さんに送信したんだよ」
「母の連絡先なんていつ交換したんですか?」
「今度はそこ? 初めて会った時の居酒屋でね。透子さんがお手洗いに行った時に交換したんだよ。透子さんが早番の日も教えてくれてね」
「私もあなたの連絡先知らないのに?」
すると馨は、とうとう声を上げて笑い出した。
「だから、そこなの?」
透子は自分の言葉の何が、馨を笑わせたのかが分からずに、困惑気味だ。
「そこそこって、何? 私はこんなにあなたを巻き込むつもり無かったのに……今母に写メ送った事といい、どうして自ら巻き込まれるような事をするんですか?」
「こうなったらとことん、巻き込まれようと思って」
「は?」
馨は身を乗り出して、眼鏡の奥の瞳を輝かせながら手招きする。
その様子に訝しく思いながらも、透子もまた身を乗り出した。
目は――とてもではないが見詰められず、馨の飲みかけのコーヒーカップを見詰めている。
「透子さん、俺と付き合ってみない?」
「……は!?」
避けていた視線を思わず上に向けてしまい、にっこり微笑む馨の瞳にぶつかった。
瞬間、カーーッと顔に熱が集まるのが分かった。
「お母さんがお見合いを諦めるまで、でも良いよ。透子さんさ、ここで言ってたでしょ、『ぱんつ脱ぐのに妥協できない』って。あれがココに突き刺さっててね。透子さんには本当、妥協して欲しくないんだ」
言いながら自分の左胸をトントンと指す。
それをぼんやり見詰めながら、透子は馨の言葉をじっくり噛み締め、クスクスと笑い出した。
「あ、そういうことですか。そうか、そうですよね」
付き合うというのは、あくまでも仮の恋人として母の目を誤魔化す間だけ付き合ってくれるということなのだ。
勘違いをして赤くなった自分が恥ずかしくて、透子は笑って誤魔化すしかなかった。
少し前に、明日香に自惚れる程自意識過剰じゃない、と思ったばかりなのに。
「じゃあ、改めて連絡先交換しないとね。はい、これ俺の連絡先。読み取って」
「え? は、はい」
差し出された馨のスマホには、画面に大きなQRコードが出ている。
今までのアナログぶりは何だったのだろうと思う位簡単にピロリン、という機械的な音だけで、ふたりは繋がれた。