見合いに対する彼女の考察
テーマは、「先入観は時に鎖となる」です
とある平日の昼下がり、神馬馨はお気に入りのカフェのお気に入りの席に座っていた。
一番奥まったその席は他の人の目につきにくい。だが、反対にその席で壁に背を向けて座るとそこそこ店内の様子が見えるのだ。人目につかないことは打ち合わせに最適であり、人の目を気にせず人間観察するにも最適な席だった。
一時を少しまわって、ランチ目当てに来ていた客は殆どが店を後にし、今は広い店内にぽつぽつと客が残るだけとなった。
店のランチプレートを食べ終えて食後のコーヒーを飲みながら、馨は相馬を待っていた。
そんな時だった。
華やかな長身の美女が、店に入ってくるやいなや、馨に手を振ってこちらに歩いてくる。
(え……っと……知ってる子、かな? やばい。思い出せない……)
華美すぎないきっちりメイクは、自分の魅せ方を分かっている人間だ。
嬉しそうに微笑み、手にした紙袋を見せるように掲げる。そんな何気ない動作さえ魅力的で、通り過ぎたテーブルの男達が、次々と振り向く。だが、当の彼女はそんなものには目もくれずに、こちらに向かって来た。
(やばい! 思い出せない……っと、あれ? 見てるの、俺の方じゃない……?)
「ごめーん、透子。待った?」
美女は悪びれた様子もなくそう言うと、低い本棚とパキラの鉢で仕切られたすぐ隣の席に腰を下ろした。
(なんだ……隣、人が居たんだ)
ほっとしたのもつかの間、応える声の響きに馨はドキリとした。
「いいよ。読みたい本も進んだし」
耳にすんなり入ってくる、馴染みの良いその声は、馨の脳裏に数日前に聞いた鮮烈な言葉を浮かび上がらせた。
“ぱんつ脱いで股開くのよ? そこに妥協なんて無いのよ!”
(え? あの時の彼女が隣に!?)
ついつい聞き耳を立ててしまっても仕方が無いと思う。
あれから打ち合わせと称して、相馬と頻繁に会っていたが、ドラマの続きの脚本を渡すと確認もそこそこに、バッグに押し込む。そして、例のメモが気になって仕方がないようで、度々進捗具合を聞かれていた。だが、それに対して馨は曖昧に返事をするだけの日々が続いていた。なにしろあれから何がどう進むのか、展開が全く読めない。
言い分は分かる。誰しもが簡単にホイホイとぱんつは脱がない。
(まぁ、一部例外はあるだろうけれど……)
脱ぐのは……。
馨は手元のメモに目をやった。
《女性がぱんつを脱ぐ時》
その1 風呂
その2 トイレ(ただし半脱ぎ)
その3 着替え
その4 愛情からくる行動
その5 金が絡んだ場合
その6 その他(エステや医療行為)
(これ位か? って……俺何こんなメモ作ってんだよ! しかも、ただし半脱ぎって何だよ!)
これを書いた時の自分を客観的に考えると何とも滑稽だ。滑稽すぎる。握りつぶそうとした時に、また彼女の声が聞こえた。
「お土産? ありがとう! え? 式……そりゃ里奈のドレス姿見れなかったのは残念だけど、いいのよ。里奈は東北なのに旦那さんの実家は九州でしょう? 間をとって東京で式っていうのも招待するのもお金がかかるし、どっちの地元を選んでも角が立つしね。親兄弟だけ連れてハワイで式やるのはいいアイデアだったんじゃない? 私もこうしてお土産もらえたし! あとでDVD見せてよね」
(なるほどな……地方出身者同士だと、そんな気苦労もあるのか……)
無意識にぱんつメモの下にペンを走らせる。
このカフェはテーブル同士の距離があり、尚且つ家具や観葉植物の配置が絶妙で隣のテーブルの会話は今まで気になったことが無い。
人間観察のため、壁に背を向けて座ることが癖になった馨とは対照的に、彼女は壁に向かって座っている。そのため必然的に声を発する先に馨が居ることになっているのと、彼女の声がよく通る声質なのが原因のようだ。その証拠に、“里奈”と呼ばれた美女の声は殆ど聞こえない。たまに単語が耳に飛び込んでくる程度だった。
それが分かると、透子と呼ばれたその女性がなぜか自分に話し掛けているようで、くすぐったくも感じた。
「でも里奈がお見合い結婚するとはねー。意外だったなぁ」
それに対して、里奈は反論したようだ。
「確かにね……お見合いはお互いのご両親っていう一番厚い壁を既にクリアしてるようなものだものね。お互いがその気になったらあとは早いっていうのも分かるんだけど……でも私それが嫌なのよ。里奈はお見合いとはいえ、うまく行ったからいいけど……」
その言葉に、思わずペンを握る馨の手にも力が入った。
「お見合いってね、当事者よりもお互いの両親を始め、周りが相手のことをよく知ってるでしょう? それで、こんな人よ~あんな人よ~趣味が合いそうね~。〇〇銀行にお勤めなのよ。お酒はあまり強くないんですって。ギャンブルもしないのよ。とかなんとか! もう実際のお見合いの日までに色んな情報を叩き込まれるのよ。それってとても怖いことじゃない? 当事者よりも周りが知りすぎてるってことよ! うまくいってもいかなくても、周りに気を使わなきゃいけないって可笑しな話よね。最悪なのは、最初のデートの計画を親が把握してるってことよ――!」
少し興奮気味なのか、鋭さを帯びた声で饒舌になると、馨のペンが追いつかない。
(ちょ……早い! 早いって!)
「でね、当日に思い知らされたのよ……相手も同じ目に遭ってたの。私、そこまで頭が回らなかったのよ。相手も私の色んなことを聞かされてたんだって。それで二人きりになった途端に言われたの。『思ってたのと違った』って――。お見合い写真、お母さんが勝手に修正依頼してたのよ! 『目も鼻もそのままよ? ただちょーっと顎をシャープにして首を長くしただけ』だって! 確かに着物着ると衿に顔が乗ったようになっちゃうわよ。動くと襦袢にファンデも付くし、首が短いのは数多あるコンプレックスの一つだけど……修正することなくない!? 首って重要よ!? それだけで上半身がかなりすっきりして見えるのよ! つまり……彼は会ってがっかりしたのよ……その時のショックったら無かったわ。別に好いて欲しいわけじゃないけど、周りが良かれと思ってしたことが、全て裏目に出て私に返ってきたの。修正も、脚色された情報も私が望んだんじゃないっつーの!」
いつの間にか、馨は彼女の話に感情移入してしまい、心の底から同情した。
(確かに人の紹介とかって、良い奴を紹介したって言いたくてちょっと大げさに良く言うんだよな……)
馨も過去に仕事の締め切りに追われていた時、人づてにアシスタントを雇ったが、大変な目に遭った事がある。極度の方向音痴で、資料の一つも買いに出せず、結局通販で手配し玄関で受け取るのみ。コピーを取りに行かせれば原稿を忘れ、コーヒーもまともに淹れられず、結局マシンを買った。しかも、買うならいいものをと思って家電量販店に出向いた。買ったのは8万円のエスプレッソマシン。あれは良い。我ながらいい買い物をした。そんな色んな意味で期待から外れた行動を取った奴だったが、それまでは我慢できた。なんと奴はSNSで脚本情報を公開したのだ。自分の日常の延長線上だったのだろうが、ちょっとした騒ぎになり、その日に解雇。全く……紹介してくれた先輩はやけに、出来た奴だと言っていて、それを鵜呑みにして即採用したのが不味かった。大学時代にお世話になった先輩がベタ褒めする程の奴なら間違いないと思ったのだ。
全く、先入観っていうのは――。
「つまり、先入観って怖いのよ。厄介なの」
その時、馨の思考と彼女の発言がシンクロした。
「そんなこと言ってたら出会いの機会がグンと減っちゃうじゃない。お見合いも悪くないって」
透子の勢いに感化されたのか、里奈の声も大きくなり馨の耳に飛び込んでくる。
「それは里奈だから……先に周りからの情報が多すぎると、誰でも勝手に人物像作りあげちゃうんだって。それが本当にプレッシャーなの。どうせなら悪く言っておいてくれたらいいのに……」
(悪く言ってたらまず相手は会おうって思わないだろうに……)
「まぁ、相手にしてみれば悪く言われるような人を紹介するなって言うと思うけどね」
(そう! その通り!)
馨は器用なことに、メモを取りながら、脳内で合いの手を入れた。手元のメモは書くところが無くなり、裏返してまたペンを走らせる。
「でもおばさんだって諦めてないんでしょ? また男の人紹介したいって?」
「うん……今度お母さんこっちに来るんだって。お見合い写真持って説得に……」
もう、ほんと勘弁して欲しいわ。そう言うと、透子は深い溜息をついた。
「まさかさ……透子だって三十過ぎて、白馬に乗った王子様なんて待ってるわけじゃないでしょ?」
「待ってないわよ。白馬に乗った王子様なんて、それこそ厄介極まりないわ。そこまでじゃなくても……全てを頼るつもりはないから、徒歩のフリーターでもいいのよ。私自身を見てくれる人だったら」
言葉の最後は力なく振り絞るように零れ、揺れていた。その切ない響きに馨の胸はとくり。と鳴った。
「あっ、さーせーん! 待ちました?」
場違いな程に軽い挨拶で現れたのは相馬だった。
約束していたにも関わらず、このタイミングで現れたことに馨は苦々しい思いで相馬を見やる。
それに気付かず、相馬は遅れた言い訳をしながら馨のテーブルに近づいてきた。
(全く……もっと遅れても良かったのに……)
馨は本音を上手く胸の奥底に隠して、ニッコリと営業スマイルを顔に貼り付けた。
「いや、その間構想練ってたんで問題ないです」
嘘はついていない。
相馬が来てしまっては堂々と聞き耳を立てるなんて事も出来ない。ひとまずは目の前の仕事だな。と、メモを原稿の下に追いやると、馨は長い人差し指で眼鏡を押し上げ、提出用の原稿を相馬に渡した。
一時間程経っただろうか。
大体の原稿チェックを終え、顔を上げると隣には既に人の気配は無かった。
残念に思いながらソファに沈み込むと、相馬はにやりと不気味な笑みを浮かべた。
「――何」
「それ。その走り書き、例の脚本のメモっすよね?」
手元の原稿の下からは先程のメモが顔を覗かせている。相馬は馨の返事を待たずメモを抜き取るとさっと視線を走らせる。
するとまたニヤッと笑った。
「ヒロインの見合い観、面白いっすね。白馬の王子なんて望んでない。身元の確認がしっかり取れてる見合いより、“徒歩のフリーターでいい”なんて。不器用にも程があるんじゃないすか?」
その言葉に、「だね」とだけ言うと馨は薄く笑った。
「でも……うん、分かる気もするっす。この子なら確かに妥協でぱんつ、脱ぎませんもん」
(でも、また見合いせっつかれてるんだよなぁ……)
先程の会話が思い出される。
あの人は流されるのだろうか、逃げ切れるのだろうか……それが気になって仕方がなかった。
でも、結果を知る機会も、権利も、馨はまだ持っていない。それがなぜだか馨には、酷くもどかしかった。
この二日後に、二人の人生が交わることになるなど、この時の馨は知る由も無かった。




