男は宮廷式庭園を愛で、女はジャングルを突き進む
考えた結果、透子はいくつかの下着をネットで購入した。
カラーを淡いブルーとコーラルピンクに絞り、セットで一組ずつ。それにバラでブラとパンツをいくつか。
明日香と里奈にそれぞれおすすめのサイトを聞き、よりリーズナブルに手に入る方法を探った結果、15,000円で収まった。だが、それでも痛い出費ではあった。
貯金はないことはない。ぶっちゃけそれなりにある。35歳独身女の、平均的な“それなり”はわからないが、この先結婚どころか恋愛すら怪しいと思っていたので、保険料を見直したり、いつかはお世話にならなければならないであろう施設費用にとちまちま貯めていたものである。その存在を打ち明けた時、二人とも微妙な反応だったが、自分の人生、折り返しに近づいた今、相手が現れると誰が考えただろう。そう説明したが、その貯金を切り崩すように言われた。それでも恋愛以外でも、いつ何があるかわからない世の中だ。なんだかんだ、お金は大事だしその存在は大きい。節約できるに越したことはない。
あまり散財したくないという透子の考えに、とうとう折れた里奈がカラーを絞ることを提案した。
「透子が好きな色ってなに? ――ベージュ以外で」
「……別に、好みでベージュを選んでたわけじゃないわよ。そうねえ……淡いブルーかな」
「うーん。じゃあ、ひとつはブルーね。透子は色が白いし頬に自然な赤みがあるし、暖色が似合うと思うんだけど」
「えー? 赤とかピンクってこと? それはさすがに……」
赤は情熱的、もしくはセクシーなイメージだし、ピンクはなんとなく少女のイメージがある。さすがにそれは自分らしくないと思えた。だが、里奈は引き下がらない。
「あのね。似合う色って大事なのよ。長所を引き立て、短所を隠すの。それに、ピンクだって別にガーリーでフェミニンなものだけじゃないのよ。そうね、コーラルピンクとかどう? 珊瑚の色で、少しオレンジがかった落ち着いたピンクよ」
そう言って見せられたカタログのブラは、確かにピンクといってもかわいらしさよりも、エレガントさを感じさせるものだった。
似合う色、か……考えたことなかったな。どちらかというと透子はブルー系統の、爽やかな色合いが好きだ。だからどうしても買いものにいくと、ブルーを手にとってしまう。だが、好きな色=似あう色ではないのか。
そういえば、昔成人式の着物を作りにいったとき、お店で反物を顔の下にあてながら「赤が似合いますね」と言われたことがある。そのお店には成人式の客を見越して、赤やピンクの華やかな着物がたくさん置いてあり、「手っ取り早く赤を売りたいのかな」なんて捻くれたことを思ってしまった。同じように熱心に赤をすすめる母の言葉にもなんだか反抗心が湧いて、結局深い青の着物にしたのだった。それが破滅的に似合わなかった。結局、あれ以来袖を通していない。せっかく買ってもらったのにな……少し苦い思いがこみ上げた。
色を淡いブルーとコーラルピンクに絞り、それぞれでセットを購入し、そこにいくつかのバラを足すことにした。パンツスタイルにはサポート力のある作りの三分丈パンツ。少し胸元が開いたデザインの服の下には3/4ブラといった具合だ。それらも色を合わせることで、一見セットのように見えるというわけだ。
なるほど……世のできるオンナは、ここまで考えているのか……。
デートや、馨と会う日は三分丈は穿かないようにとも言い含められた。デートでジーンズなどのパンツスタイルになる場合には一分丈の、所謂ボクサーショーツ、もしくはボックスショーツをすすめられた。それではおばさんパンツまっしぐらじゃないか!と、初めは抵抗があったが、カタログを見ると結構カラフルでデザインも可愛らしい。形はローライズにすることによって、おばさんくささは抜け出せるという。
「普通の形だと、食い込みとか気になるでしょ? パンツスタイルだと後ろ姿悲惨よぉ。おしりが上下にふたつ並んじゃう」
ローライズの一分丈は気が進まなかったのだが、里奈のこの一言で購入ボタンをクリックした。
二重のおしりの呪いだけは勘弁して欲しい。
透子は、一仕事終えたような達成感に満ちていた。
だが、里奈はそこに更なる課題を突き付けてきたのだ。
「透子さぁ。ムダ毛の処理ってどうしてる?」
「えっ? どうって……自分でしてるけど……」
突然の話題転換に、透子はドキマギした。
部屋の玄関で馨に抱きしめられた時、大丈夫かな!?と自分でも焦ったのだ。一応、気にはしているし、処理もしているが、正しい方法がわからない。こればっかりは十人十色。千差万別というものだろう。
「下の毛も?」
「えっ? し、下?」
「そう。ビキニラインとか」
「えっと……たまに……両ワキのとこをちょっと剃るくらい……かな?」
「うーん。そっか」
「え? り、里奈は?」
「私はサロンで処理してるから」
「えっ!」
初耳だ。そう言うと、里奈は「いちいち報告することでもないじゃない」と苦笑した。
それはそうだが、透子は驚いた。エステサロンなどでの脱毛は、高額なイメージがあったのだ。里奈もそんなに裕福な方ではない。田舎から出ていた学歴の低い若い女の子が、安い月給で仕事をしながら物価の高い都会で暮らしていくのは、簡単なことではない。初めの数年は、入ったお金がそのまま出ていくようなギリギリの生活だった。仕事にも生活にも余裕が出てきて、貯金や趣味に回すお金が出てきたのは、二十代も後半になった頃だろうか。
「30歳になった頃からよ。長い目で見たらそんなに高いと思わなくなったの。自己投資としてこれはいいと思ったし、なにより面倒な自己処理から解放されたかったのよ」
「そ、そう……」
「形も選べるのよ。台形、長方形、それにハートとか」
「は、ハート!?」
こ、股間にハート……!
どんな強者だ。形を整えるだけじゃなく遊びも加えるって、庭の剪定か。その部分を晒すだけでも苦行だというのに。更にそこをハートにしてください、なんてハードルが高すぎる。
下着のミッションをクリアし、晴れやかになっていた心に、また暗雲が立ち込める。この調子で次から次へと、ミッションが出てくるのではないだろうか……。それに、エステサロンという場所は、自分には縁のない場所だと思っていた透子は及び腰だった。
「でも……勧誘とかすごくて、行ったら高額の契約を結ばされるイメージがあるんだけど……」
「自分を強く持ってりゃ大丈夫よ。それに、結構若い子も多いわよ。私ももっと早く行っときゃ良かったって思ったくらい」
「若い子も行ってるの?」
「保護者の同意があれば、高校生もやってるわよ。部位は制限あるか知らないけどね」
「高校生!?」
透子は衝撃を受けた。話題を投げかけられて初めて考えたこの問題、早い人は高校生でクリアしているのか! 遅れをとっているどころではない。同級生の中には早い人で、既に高校生の娘をもつ人もいるのだ。お母さん世代になってやっとこのミッションにたどり着くとはどういうことだ……。すると、透子の表情が悲壮感にあふれていたのか、里奈が優しく慰めた。
「まあ、さすがにそれは少数派だと思うわ。勿論、大人になっても自己処理って人は珍しくないわよ。今は家庭用のグッズも色々あるし」
「う、うん……」
じゃあ、私はいいかな。そう言うと、里奈は「まぁ、興味が出たら言って。友達が行ってるサロンならまだ安心でしょ? 紹介チケットもあるしさ」と言い、それ以上はすすめてこなかった。
大体、どうして女ばかりが、こんな風にあれこれ悩まなければいけないのだろう。オンナを磨くって、セットの可愛い下着を用途によって何パターンか用意して、ムダ毛をサロンで処理して……そういうことを言うのだろうか? いくらお金があっても足りない気がする。
「不公平だわ」
「なによ。突然」
「だって、男の人は、そういう心配しなくてもいいんでしょ?」
「うーん。最近はメンズエステなんてものもあるらしいけどね。でも、実際脱毛で通うのって、モデルが必要に迫られてとかじゃない? 数が増えないところを見ると、それこそ女子高生の割合より低いんじゃないかな」
「やっぱり不公平よ。じゃあ何? 男は綺麗にお手入れされた宮廷式庭園を愛でて、女はジャングル探検ってこと?」
「ジャングルって……。――まぁ、そうなの……かな。女って実は探検家なのかしらね」
透子の話に里奈は吹き出し、面白そうにそう応えたが、笑いごとではない。透子はいたって真面目だった。
そこにスマホからピコン、と軽やかな音と共にポップアップが現れた。馨からのメッセージだった。
馨の名前を見て、思わずふわっと笑った透子を里奈がからかう。
「嬉しそうにしちゃってー。噂の彼氏? なんて?」
「えっ。なんで分かって……」
「顔見たらわかるって。それで?」
「うん。えっと……来月から取材旅行に出ることになって、しばらく忙しくなるみたい。それで……」
突然透子の動きが止まる。怪訝に思った里奈が先を促すが、透子は答えない。すると、里奈が待ちきれずに透子からスマホを奪い取った。
「あっ! 里奈!」
「続き言わないんだもん。なになにー? えっと、『でもその後は少しゆっくりできそうだから、透子さんと一緒に旅行に行きたい。休み、調整できない?』――あららー。これはもう……そういうことだね」
この年だ。いつかはそうなるだろうというときめきはあった。だが、それと同時に不安もあった。相手は歴代の彼女二桁の馨なのだ。自分で満足できるのだろうか? 幻滅されないだろうか?
容姿に難があっても想ってくれた馨だ。見た目の善し悪しは関係ない。そう打ち消しても、不安は残る。なにより、透子自身が、醜い自分を見せたくないと思っていた。見た目の問題ではない。これは気持ちの問題だ。好きな人の前に立つのに、少しでも綺麗に近づきたい。
較べるのは間違っていると分かってる。歴代の彼女は宮廷式庭園の持ち主だったのだろうか? それが気になってしまう。考えるまでもなくきっと、元カノ達は宮廷式庭園の持ち主だ。中にはハートマークの持ち主がいたかもしれない。そんな気がする。「アナタへのき・も・ち」みたいな!
透子の心がざわついた。
「どうする? 私の行ってるサロンの紹介チケット、もらってこようか?」
「お、お願いしようかな……」
透子は涙目で、新たなミッションに立ち向かう決意をした。




