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観賞と干渉は別物

 ふぅ。

 何度落とした溜息か知れない。

 その様子に、とうとう痺れを切らした熊埜御堂が話し掛けた。


「どうしたの透子ちゃん。さっきから溜息ばっかりじゃない。ドーナツも全然減らないし。今日の美味しくない?」


 透子がトレーに視線をやると、手にしたドーナツは一口分欠けているだけだ。


「ううん。美味しいです。何かちょっと考えごとをしてたみたい」

「はい珈琲。すっかり冷めちゃったでしょ。これはサービスねー」


 渡されたマグカップを両手で挟み込むと、その温かさについ頬が緩む。


「あったかい……」


 熊埜御堂は透子の飲みかけのマグカップを取り、カウンターに戻ろうとしたが、少し逡巡した後で透子に向き直った。

 この少しの間に、透子はまたぼんやりと遠くを見詰め、「ふぅ」と溜息をついている。


「何かあった? そんなに溜息ばかりついて。幸せが逃げるって言うけどね」

「……これは溜息じゃないもの」


 そんなに分かりやすかっただろうか……。最近透子は、うまく感情がコントロールできない。それが悔しくて、思わず言い返していた。


「へぇ。じゃあ何?」

「――ダイエットの呼吸法」


 その答えに、思わず熊埜御堂はぷはっと噴き出した。


「それにしちゃ成果が見られないようだけど?」

「クマさんに言われたくないっ」

「俺はダイエットする気ないからいーの。透子ちゃん、馨くんのことでしょう」


 熊埜御堂はそう言うと、向かいの席に腰を下ろした。

 壁を背に座り、広い店内を見渡せる席だったのだが、その名の通り熊のように大柄な熊埜御堂が向かいに座ると前方にも壁が出来上がり、透子は閉じ込められたような感覚に陥った。


「どうしてそう思うんですか? それぞれがひとりでここに来る事だって多いのに」

「まず、透子ちゃんが隣の馨くんの指定席を、意識して見ないようにしていること。それと、この席に一人で居る透子ちゃんはいつも壁に向かって座っているのに、今日は壁を背に座っていること。もしかして、馨くんが来たらすぐ気付けるようにしてる?」


 すると透子は顔を顰めた。


「私、そんなに分かりやすいですか?」

「最近はね。すごく表情が豊かになったように思える。でも、逆にさっきみたいに不安そうにすることも多くなったよ。馨くんとうまくいってるんじゃないの?」

「うまくも何も……付き合って、ません」

「そうなの? でも、馨くんは透子ちゃんのこと好きだよね」

「えっ!?」


 途端にわたわたと透子の動きが忙しなくなる。

 目は泳ぎ、ドーナツを持ち上げては、口にせずにまたそのまま皿に戻した。


「ど、どうしてそれを……」

「え? それ聞く? 馨くん見てれば分かるよ。彼は以前からよく来ててね。仕事の打ち合わせなんかもしてるから、オンの顔もオフの顔もそれなりに知ってるつもりだけど、彼があんな表情するの初めて見たからね」

「あんな顔?」


 透子には分からない。馨はいつも微笑んでいて、物腰はスマートで話し方は穏やかだ。それは告白後も変わらない印象だ。


「分からない、って顔してるね。すごく優しい目をしてるよ。『穴が開くほど』ってあんな風に言うんだなって思える位、透子ちゃんを見てる」

「私なんかの、どこがいいんだろう……」


 熊埜御堂は、おや? と思った。

 彼が見る限り、馨の態度は揺るぎ無い。それに対して透子は、はにかんだような控えめな微笑みを見せていた。それは透子が極度の照れ屋なのかと思っていたのだが、どうやらそうではなく、戸惑っているのだとその時知った。

 透子は、自信が無いのだ。


「ふむ……。俺からしてみたら、どうして透子ちゃんがそんなに自信が無いのか分からないな。馨くんの態度はそんなに曖昧なの? 違うよね?」


 透子は少し考える素振りを見せたが、観念したように弱々しく首を横に振った。


「いえ……どちらかというと、直球すぎる位です」

「え、ナニソレ惚気?」

「そうじゃなくて! 馨さんの周りには素敵な人が沢山居るのに、どうして私なんだろうって……男の人は、綺麗な人好きですよね?」


 何をそんな初めての恋に目覚めた中学生のような事を……と熊埜御堂は呆れたが、目の前の透子は真剣そのものだ。


「透子ちゃん。俺の好みのタイプって想像できる?」


 熊埜御堂の質問に、透子はきょとんと目を丸くしたが、そんなことはこの店の常連ならば誰もが知っていることだ。

 熊埜御堂の、大きくて肉厚な左手の薬指に光るリングに目をやり、透子は自信満々に答えた。


「知ってますよ。由香さんみたいな人でしょう? 小柄で華奢。いかにも女の子って感じの守ってあげたいタイプ。でも芯は強くてパワフルな人。女の私でも由香さん見てるといつも元気もらえるもの」


 今も厨房でちょこまかと動き回っているであろう愛妻を想い、熊埜御堂の目が優しく細められる。だが、口から出てきたのは意外な言葉だった。


「実は正反対。背が高くてスラッとしたモデル体型の女。で、自信に満ちた堂々とした女性なんだけど、ふとした瞬間見せる、どこか影のある儚げな雰囲気があるとたまらないね」


「え! 真逆じゃないですか」

「そうなんだよね。だからさ、実は以前透子ちゃんと一緒にここに来てた、背の高い女性居たでしょう。彼女なんかはもうど真ん中かも」

「里奈のこと? 残念でした。彼女はもう結婚してるの。新婚ホヤホヤで見てられないって位ふたりはラブラブだから」


 由香という素敵な女性を伴侶に持ちながら、そんなことを言う熊埜御堂に、透子は不機嫌になるのを隠そうともせずに切り捨てた。だが、当の熊埜御堂はがっしりした肩を、ほんの少し竦めただけだった。


「そりゃ残念」

「大体、由香さんっていう素敵な人を奥さんにしておきながら、タイプは真逆の女性、って……クマさん信じられない」

「タイプはタイプ。それだけだよ。俺が心から愛してるのは由香だもん。由香が目の前に現れた時は正直、眼中になかったんだ。放っておいても、自分でなんとかするような子だったから。でも気がついたらずっと由香を見てたんだよな。意識したら、もうお手上げの状態だった。2メートル近くて100キロ超えの俺の中身がさ、150センチにも40キロにも満たない由香で、いっぱいになってたんだよ。これは相当なパワーだよ」


 由香のことを語る熊埜御堂は、やはりとても優しい顔になっている。先ほど、熊埜御堂は馨の顔を見れば、透子を想っていることは分かると言った。では、馨も今の熊埜御堂のような優しい顔で、透子を見ているのだろうか。

 透子は胸がざわつくのを感じた。


「馨くんのことだってさ、一緒でしょう。確かに馨くんの周りには綺麗な人多いかもね。でも、だからと言って必ずしも好意を抱くもんじゃない」

「……理屈では、分かります。けど、実際綺麗な人に惹かれないものでしょうか。正直……自分の年齢から言って、すぐに飛び込むのは難しいんですよ。例えば何か地球外生物が馨さんの身体を乗っ取って操っているかもしれませんよ?」

「――透子ちゃん。今何の本読んでるの?」


 食べかけのドーナツが乗ったトレーの横には、栞を挟んだままの文庫本が置いてある。


「ええと……『隣人が地球外生命体に操られている件』……デス」

「……現実逃避は止めようね。あのさ、やっぱり男だから綺麗だったり可愛い子を思わず見ちゃうことはあるよ。でも、それだけ。例えば、愛猫家が街中で見かけたノラ猫をついつい目で追っちゃうのと一緒。そこに恋愛感情は無いの。透子ちゃんはさ、無いの? 恋愛感情うんぬんじゃなくて、つい目で追っちゃう異性って」

「無いことは無いですけど……やっぱりカッコイイ人や仕草が素敵な人は見ちゃいます。素敵だなーって」

「でしょ?」

「例えば馨さんもそうなんです。素敵だなーって眺めている感覚と言うか……街中で遭遇したら、確実に『あ、素敵な人だな』って見ちゃうタイプの人です。つまり、観賞用であって……実際お付き合いとか、それは現実離れしてるんですよ」

「現実離れねぇ……」


 確実に目の前で起こっていることを、透子は頑ななまでにそう言う。


「考えすぎなんだよ、透子ちゃんは。頭で考えてても、こればっかりは無理だ。恋愛は理屈じゃないんだから」


 取り上げた文庫本をパラパラと見ると、熊埜御堂は透子の手にポンと文庫本を乗せた。


「それ、この前似たような事を馨さんにも言われました」

「だろう? よし。達人が残した有難い言葉を透子ちゃんに授けよう。『考えるな。感じろ』」

「考えるな、感じろ……! なんか深い言葉ですね。さすが恋愛達人マスターのお言葉ですね!」

「いや、カンフーの達人だけどね。ま、今の透子ちゃんにはピッタリの言葉だよ。さすがにまるっきりの恋愛初心者ってワケじゃないんでしょ?」


 再びカップを手に持ち、立ち上がった熊埜御堂を透子は見上げた。座っている透子からしてみれば、その姿は立ちふさがる壁のように大きい。その大柄な熊埜御堂の中は、小さな由香への想いでいっぱいだと言う。そう思うと由香がとても羨ましかった。

 だが、熊埜御堂の言葉は聞き捨てならない。まるで今の今まで35年間、恋のひとつも経験が無かったかのように思われているのはなんだか悔しかった。

 だから、透子の視界全てを覆うかのように立つ熊埜御堂の後ろに、近づく人影があったことに全く気がつかなかった。


「失礼な。クマさん、私にだって恋愛経験はありますからね! 私の中がその人でいっぱいになる位の経験だってあります」

「なら、考えるなって言葉の意味もわかる――」

「クマさん。俺もドーナツとブラック」


 突然背後から聞こえた声に、熊埜御堂が手にしたカップの中の、冷めた珈琲が大きく揺れた。


「馨くん。え、ええと……いらっしゃい。びっくりしたな。気配消して近づくなんて趣味悪いよ」

「そんなことしてませんよ。ふたりが話に夢中になってたんでしょ。――まさかこんな形で透子さんの恋愛遍歴の一端を知ることになるとは思わなかったけど」


 気配を消していたなどとんでもない。

 これほどに禍々しい空気を纏っている馨は、一回り以上も大きい熊埜御堂をも圧倒していた。


「……すぐ持ってくるよ。ごゆっくりー」

「あ、クマさん!」


 なぜこんなに重苦しい空気を背負っているのか分からないが、こんな状態の馨と一緒に居るのは危険だとさすがに透子も学習していた。だが思った以上に素早い動きで、熊埜御堂は去ってしまった。引きとめようと伸ばしかけた手は、すぐに馨の手に捕まりきゅっと握られる。透子が視線を馨に移すと、馨はにっこりと笑んだ。だがその微笑は先日、橘とかいう馨の知り合いに遭遇した後、逃げ出した透子を捕まえに来た時に見せた微笑に匹敵する――いや、それ以上に重苦しく、そして黒い。

 それは馨を乗っ取っているのは地球外生物ではなく、悪魔でした。と言われたら、今なら納得してしまう程だった。



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