暗黒竜
「……やれやれ。お粥の余韻も台無しね」
私は溜息を一つ吐くと、裏庭に鎮座する「エクス号」の御者台に飛び乗った。
ヒノキの香りが、戦場と化した帝都の空気に清涼な風を吹き込む。
「エクス、行くわよ。私たちの『効率』を見せてやりましょう!」
私が翡翠色の魔力をレバーに流し込むと、エクス号は静かに、しかし力強く浮上した。
パニックに陥る衛兵隊長を地上に置き去りにして、銀色の閃光が垂直に空を貫く。
帝都の上空、結界が火花を散らす中心地点で、私は目を閉じた。
普通の魔導師には「光が乱れている」程度にしか見えないだろうけれど、私の目にははっきりと見える。
無理な魔力運用によって、空間の数式がバラバラに解け、そこからドロドロとした負のエネルギーが漏れ出している「魔法の裂け目」が。
「なるほどね。ここが計算の不具合の起点だわ」
私は右手をかざし、その裂け目に直接指を突っ込むような感覚で魔力を流し込んだ。
「演算開始。欠損した術式の因数を特定——破棄。古代魔法、基底言語による上書き……承認!」
私の瞳が翡翠色に発光し、バラバラに解けていた魔法の糸を、一秒未満で編み直していく。
裂け目から漏れていた不浄な光が、瞬時に純白の幾何学模様へと形を変え、ピタリと塞がった。
傷口を縫い合わせるのではない。
「最初から傷などなかった」ことに世界を書き換える。
それが私の古代魔法。
瞬く間に帝都全土へ新しい光の網が広がり、結界は以前よりも数十倍の強度を持って蘇った。
「……ただ追い払うだけじゃ、明日にはまた戻ってくるわね。非効率だわ」
私は「エクス号」の高度を上げ、空気中に漂う不浄な魔力の指向性を分析した。
犯人の正体は、古文書に記された『暗黒竜』。
強大な力を持つこの魔獣は、人間の住む大都市の近くに巣を構える習性がある。
人間を食糧や略奪の対象として認識し、奪った宝物を巣の底に溜め込む、極めて強欲で狡猾な生物だ。
「特定完了。——あの不自然に霧が立ち込めている岩山ね」
帝都からほど近い、険しい断崖の奥。
そこが略奪品と魔獣たちの温床になっている。
私はエクス号の機首を鋭く翻し、銀色の閃光となってその「巣」へ突っ込んだ。
* * *
岩山の頂に到達すると、そこには巨大な洞窟の入り口が開いていた。
内部からは、帝都から盗まれたであろう貴金属の輝きと、獲物を狙う暗黒竜たちの不気味な咆哮が響いてくる。
「略奪品を盾にされると面倒ね。……空間ごと『選別』させてもらうわ」
私はリヤカーの荷台から、一本の魔導触媒を取り出した。
これを起点に、古代魔法の術式を巣全体に展開する。
「座標固定。暗黒竜の生体反応のみをターゲットに指定。——事象分解、開始!」
指先から放たれた翡翠色の光が、複雑な網目状になって洞窟内を埋め尽くした。
それは、「生きた魔獣」だけを消滅させ、
「無機物(盗まれた宝物)」には一切干渉しないという、超精密な攻撃魔法だ。
ギィィィィィィィン!!
洞窟の奥で暗黒竜たちの断末魔が響き、直後、漆黒の魔力が霧散して消えていく。
暗黒竜たちが守っていた略奪品の山——金貨や宝石、工芸品——だけが、主を失って洞窟の底に静かに取り残された。
「……ふぅ。これで供給源は断ったわね。巣そのものも、物理的に埋めておきましょうか」
私は最後の一撃で、洞窟の入り口を古代魔法の重圧で崩落させ、二度と魔獣が入り込めないように封印を施した。
* * *
地上の関所。
静寂を取り戻した帝都の結界を背に、銀色のリヤカーがゆっくりと降りてくる。
待ち構えていた衛兵隊長は、戻ってきた私の姿に言葉を失っていた。
暗黒竜の脅威が完全に消え去ったことを、魔導探知機が示していたからだ。
「……暗黒竜の反応が消えた。まさか、あの短時間で『巣』まで壊滅させたというのか……?」
私はエクス号からひらりと降り立ち、震える隊長を尻目に、リヤカーの隅に置いた冷めたコーヒーを一口啜った。
「あ、そうだ。あそこの洞窟に盗まれた宝物が山積みになってたわよ。後で回収部隊でも出しておきなさい。……もちろん、私の『手間賃』は引かせてもらうけどね?」
隊長はもはや反論する気力もなく、その場に膝をついた。




