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エクス号


窓の外が騒がしくなったのは、太陽が顔を出す直前の、最も夜が深い時間帯だった。


「キィィィィィィィン!!」



鼓膜を刺すような高周波の音が帝都の空に響き渡る。




私が昨夜予見した通り、建国祭の過剰な魔力消費に耐えきれなくなった結界の「結び目」が、ついに限界を迎えてショートしたのだ。


空を覆っていた幾何学模様の光の網が、火花を散らしながらバラバラと崩れ落ちていく。




「大変だ! 結界が破れたぞ! 外周から魔獣が入り込んでくるぞ!」

「魔導騎士団は何をしている! 早く再構築しろ!」



外は阿鼻叫喚のパニックだったが、私は宿の食堂の特等席で、一人静かにスプーンを動かしていた。



「……んー、やっぱり帝国の水は少し硬いわね。でも、この雑穀のプチプチした食感にはこれくらいが丁度いいかしら」



特製の銅鍋でコトコト煮込んだ雑穀粥を優雅に口に運んでいると、宿の扉が勢いよく蹴破られた。



「おい! ここに『リヤカーを引いた小娘』がいるはずだ! どこだ!」



現れたのは、昨日の衛兵隊長だった。



その甲冑はあちこち煤け、額からは汗が滝のように流れている。

彼は食堂を見渡し、平然とお粥を啜っている私を見つけると、血相を変えて駆け寄ってきた。




「お前……! 昨日の、あの結界の不具合を指摘した女だな!」


「あら、おはようございます。衛兵隊長さん。朝からそんなに大きな声を出して、お粥が冷めてしまうじゃない」

「粥などどうでもいい! お前の言った通りだ、結界がショートして維持装置が全焼した。今、北門から魔獣の群れが街になだれ込もうとしているんだ! 貴様、直し方を知っているんだろう!?」



隊長は机を叩かんばかりの勢いだが、私はゆっくりと最後の一口を飲み込み、ハンカチで口元を拭った。


「直し方? ええ、知っているわよ。今の崩壊パターンなら、並列演算で術式の基底を書き換えれば10分で復旧できるわ」

「本当か!? ならすぐに来い! 特例で入市を許可してやる!」

「『特例で入市を許可』……? ふふっ、随分と上から目線なのね」




私は冷ややかな笑みを浮かべ、椅子の背もたれに深く寄りかかった。



「昨日、私に言った言葉を忘れたのかしら? 『ガラクタを引いた小娘』『お家ごっこなら他所でやれ』『さっさと帰れ』……。私は今、おじいさんに作ってもらったこの宿の居心地が最高に気に入っているの。わざわざ外に出て、泥だらけの魔獣と戦う理由なんて一つもないわ」


「なっ……! 貴様、この街の人間がどうなってもいいというのか!」

「ええ、だって私、この国の人間じゃないもの。王宮を追い出された『落ちぶれた貴族』ですものね?」



隊長の顔がみるみるうちに真っ青、あるいは真っ赤に染まっていく。

プライドをかなぐり捨て、彼はその場で深く頭を下げた。



「……済まなかった! 私の目が節穴だった! この通りだ、頼む! このままでは建国祭が血の海になる。街の人々を、救ってくれ……!」


「……まあ、お粥のお礼に宿のご主人を守るくらいはしてあげてもいいけれど」



私は「エクス号」の鍵を指先で弄びながら、立ち上がった。



「その代わり、私のリヤカーは『ガラクタ』じゃなくて、帝国のどの魔導兵器よりも優れた『移動要塞』だと認めさせるわよ。いいわね?」



私は翡翠色のドレスを翻し、裏庭に繋いでおいた「エクス号」へと向かった。 いよいよ、帝国の空にリヤカー賢者の真価を見せつける時が来たのだ。

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