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とある属国は戦場地

帝都の喧騒を離れ、エクスと共に旅を続けて数ヶ月。私たちの足は、帝国の東端に位置する属国へと向かっていた。


かつては豊かな穀倉地帯だったというその場所は、今や泥濘と硝煙の匂いに支配されている。王位継承争いに敗れ、没落した男爵子息とその派閥の人々が「軽足けあし」……つまり、使い捨ての歩兵として最前線に駆り出されている野戦部隊の駐屯地だ。


「おい、ここは戦場だぞ。貴族の物見遊山なら他へ行け」


泥まみれの革鎧を纏った男、ヴァンが私の前に立ちはだかった。彼はかつて男爵家の有望な騎士候補だったというが、今は鋭い眼光の中に、隠しきれない疲労と諦念を滲ませている。


「私は遊びに来たわけじゃないわ。……少し、休ませてもらえる場所を探しているだけ」


私がそう言うと、ヴァンは鼻で笑った。

「騎士団の護衛も連れずに、女一人がこんな泥溜めに何の用だ。死にたくなければさっさと……」


「――待て、ヴァン」


奥の幕舎から、一人の老兵が顔を出した。私の身なりや、背後で静かに控えるエクスの佇まいを観察していた彼は、短くこう告げた。


「その娘、ただの迷い人じゃねぇ。……聖女としてなら、幕舎へ入れてやれ。今の俺たちに必要なのは、剣より救いだ」




* * *




案内された幕舎の中は、酷い有り様だった。

粗末な寝床には、傷ついた兵士たちが重なり合うように横たわっている。まともな薬も、清潔な布さえない。


私は袖をまくり、持ってきた薬箱を広げた。



「セラフィマから教わった知識が、ここで試されるわね……」



私は一人一人の兵士の傷に触れ、話を聞き始めた。彼らは最初、私を疑いの目で見ていたけれど、私が泥に膝をつくのを厭わず、手際よく傷口を洗浄し、痛みを和らげる処置を施していくうちに、ポツリポツリと本音を漏らし始めた。




「……故郷には、まだ幼い娘がいるんだ。王位争いなんて、俺たちには関係なかったはずなのに」

「あのご令息(男爵子息)は、俺たちを見捨てていない。だから、こんな地獄でも槍を握っていられる」


彼らの切実な声が、私の胸に重くのしかかった。

後宮での権力争いや、情報の操作とは全く違う、生存そのものが賭けられた剥き出しの戦場。



「……セラフィマ、私にも見えるわ。この泥だらけの駐屯地を覆っている、死と絶望という名のバグが」



私は立ち上がり、ヴァンに目を向けた。



「ヴァンの言う通り、私には騎士団の護衛も、剣を振るう力もないわ。……でも、ここにある『痛みの連鎖』を止めるための知恵ならある」


私はセラフィマから受け継いだ知識と、マリアとしての冷静な状況判断を組み合わせ、この駐屯地の不衛生な水場や、傷口を悪化させる不適切な処置を一つずつ「最適化」していくことに決めた。






駐屯地の空気は淀んでいた。怪我の治りが遅いだけじゃない。熱に浮かされ、下痢に苦しむ兵士が続出している。これは剣による傷ではなく、目に見えない「毒」が軍を蝕んでいる証拠だわ。


私はエクスを伴い、駐屯地の生命線である上流の水源へと向かった。



「エクス、周囲の警戒をお願い。……何かが、この水の流れを『書き換えて』いるわ」



岩陰に隠れた水源に手を浸すと、指先にピリリとした不快な感触が走る。セラフィマがよく言っていたわ。「自然界の毒は、時に悪意を持って配置される」と。見れば、水源の底に不自然に変色した粘土質の塊が沈められていた。


「……これね。意図的に設置された汚染源バグだわ」



私は薬箱から、セラフィマが「いつか旅の助けになる」と持たせてくれた、特殊な多孔質の鉱石と、数種類の乾燥ハーブを取り出した。



「エクス、あなたの魔法で、この装置に微弱な『循環』の圧力をかけて。水が層を通る速度を、一定の秒数で刻むの。止まっても、早すぎてもいけないわ」




私はエクスに手伝わせ、即席の濾過装置を組み立て始めた。大きな革袋の底に小さな穴を開け、層を作るように材料を積み上げていく。




一番下には、大きな不純物や水の濁りを取り除くための物理パッチとして、炭と砂を。その上の層には、セラフィマ直伝の「清め草」を贅沢に敷き詰めた。このハーブは、水に溶け込んだ毒素を吸着し、成分を無害なものへと中和する役割を果たす。


エクスが静かに手をかざすと、淡い光が装置を包み込み、ボコボコと水が吸い上げられていった。魔法の圧力によって加速された水が、層を通り抜けるたびに、どす黒い濁りを削ぎ落としていく。


仕上げに、私が祈るように魔力を装置へ流し込むと、濾過された水はただの飲料水を超え、細胞の隅々まで染み渡るような「治癒の輝き」を帯び始めた。


「……できたわ。これを、今すぐ大釜で沸かして兵士たちに飲ませて!」


翌朝、駐屯地には静かな驚きが広がっていた。

昨晩まで死の淵でうめき声を上げていた兵士たちが、嘘のように熱を下げ、自らの足で起き上がり始めたのだ。ヴァンが信じられないといった様子で、澄み切った水が並ぶ水場に立ち尽くしていた。


「……あんた、本当にただの聖女じゃないな。この水、魔導師が使う高価なポーションより効いてやがる。一体、何をしたんだ?」


「ポーションじゃないわ。私はただ、この土地に起きていた『エラー』を見つけて、本来の形に直しただけよ」


私は泥だらけになった袖を拭い、隣で静かに見守るエクスと視線を交わした。

後宮でのハッキングとは勝手が違うけれど、私の知識とエクスの魔法が合わされば、この泥濘の地獄さえも、生きるための場所に作り変えることができる。


兵士たちの瞳に、ようやく「生」の光が戻り始めた。

けれど、この汚染源を仕掛けた「悪意」の主は、まだどこかに潜んでいるはずだわ。

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