西部の商人
セラフィマは中級妃に深々と頭を下げ、証拠となる「香辛料」の残りを布に包んで足早にその場を後にした。
背後ではまだ侍女のすすり泣きと、中級妃の困惑した溜息が夜の空気に溶けている。
(お姉様だけじゃない……麗華妃は、次々と都合の悪い奴を消そうとしてる!?)
セラフィマは暗い回廊を走り、事前に決めておいた合流地点へと向かった。
そこには、官女の詰め所の裏手で、月明かりを頼りに帳簿の写しを広げているマリアの姿があった。
* * *
「マリア! 証拠を掴んだんだけど」
セラフィマが息を切らしながら、布に包んだどす黒い粉末を差し出す。
私はそれを一瞥し、指先で少しだけ触れると、すぐに脳内にある情報と照らし合わせた。
「……ナツメグと、特定の調理で毒化する海藻ね。なるほど、西部の伝統的な香辛料という皮を被せた、巧妙な手口ってわけか」
「そうなの。麗華様はこれを『美容にいい』と偽って、他の中級妃たちにも配っているみたい。お姉様がされていることも、これと同じはずよ」
私は、不敵の笑みをセラフィマに向けた。
「西部の香辛料……。これほど高純度のものは、公式の交易ルートじゃ手に入らない。必ず闇のマーケットを通っているはず。とりあえず、麗華の裏の資金源を特定してみせるわ」
手元の帳簿を素早くめくり、指を走らせる。
「見つけたわ。麗華の宮から、西部の商人に宛てた不自然な支払いが、定期的な『絹の買い付け』という名目で偽装されている。でも、金額が桁違いだわ。これは絹の代金じゃない……毒の原材料と、口封じのための賄賂よ」
「その商人と繋がれば、お姉様がどこから連れて行かれているかわかるのね」
「ええ。この資金の流れこそが、決定的な証拠よ。」
帳簿を閉じると、私は即座に立ち上がった。
「お姉様の居場所を特定する最終段階に入りましょう。この資金源のデータを皇帝に突きつける前に……まずはその商人と麗華が今夜、どこで接触するのか、暴いてやるわ」
* * *
「見つけたわ。今夜、後宮の北西にある『荷揚げ用の通用門』が一時的に開放される。表向きは新調した絹の納品だけど、実態は毒の追加発注と、口封じのための裏金の受け渡しね」
私は手元のデータを指でなぞりながら、低い声で告げた。
後宮という閉鎖されたシステムに、外部から毒が供給される唯一の接点。
そこを叩けば、麗華妃の権威は根底から崩れる。
私たちは息を潜め、夜の闇に紛れて北西の通用門へと向かった。
そこは普段、重く閉ざされているはずの場所。
しかし、私が予測した通り、門はわずかに開き、松明を持った数人の男たちが影のように動いていた。
「……来たわね。麗華の筆頭女官よ」
私が指し示した先には、麗華の側近として後宮で幅を利かせている冷徹な女官が立っている。
彼女の目の前には、西部の装束を纏った、狡猾そうな笑みを浮かべる男。
「今回の『香辛料』は一段と効きが良かったようですわ。中級妃の一人が、あえなく動かなくなりましたもの。……これ、約束のものですわ」
女官が差し出した重そうな巾着袋を受け取り、商人は中身を確認して下卑た笑い声を上げた。
「くくく……。あのお方は、金遣いが荒いからな。……しかし、例の『特等席のペット』の方はどうです? そろそろ、こちらの強力な薬を使わないと、完全に魂が壊れてしまうかもしれませんが」
その言葉に、物陰にいたセラフィマの体がびくりと震えた。
「心配いりませんわ。あの方はもう、自分が誰だったかも思い出せぬほどに、あのナツメグの香りに溺れていますから。今さら救い出そうとする愚か者が現れたところで、手遅れです」
女官が冷酷に言い放つ。
お姉様は今、まさにその「壊される」寸前のところにいる。
私は、そのやり取りのすべてを記録に残す。
「……十分ね。資金の流れ、毒の供給源、そしてお姉様を監禁している事実の自白。」
不敵に笑うと、隠し持っていた官女の合図灯を握りしめた。
「セラフィマ、準備はいい? ここでこの現場を公式に『検挙』して、そのまま麗華の宮へ強制捜査をかけるわよ」
「……待って、マリア」
セラフィマが私の腕を掴み、制止する。
不思議に思って、私はその目先のものを追ってみた。
その視線は、暗闇の中で商人が荷解きをした際に見えた、ある「紋様」に釘付けになっている。
「あの紋様……見て。あれは、西部の巨大商家『ララヴァース』の印よ。間違いなか。あいつ、お姉様の元婚約者と同じ系列の人間だわ」
セラフィマの声が、怒りと恐怖でわずかに震えた。
ララヴァース。
莉杏姉様を裏切った元婚約者が所属する、あのどす黒い利権のネットワーク。
「なるほどね……。やっぱり。単なる麗華妃の個人的な嫌がらせじゃなかったってわけだわ。」
私は合図灯を握る手にさらに力を込めた。
商人と麗華の側近が馴れ合っているこの場所は、お姉様の人生を狂わせた元凶そのもの。
「ますます逃がすわけにはいかないわ。元婚約者の尻尾まで掴める絶好のチャンスじゃない!」
「マリア、でも……あの一団、武器を持ってるわ。力ずくで検挙しようとすれば、証拠を燃やして逃げられる可能性がある」
セラフィマの冷静な指摘に、私は一瞬思考を巡らせる。
「……そうね。物理的な衝突を避けて、まずはあいつらが持ち込んだ『毒の在庫』を無力化しましょうか。セラフィマ、あんたが持っている中和剤を、あの荷物に紛れ込ませることはできる?」




