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看護



「……ふぅ、これでよしっ!」



翡翠色の光が収まると同時に、私は激しい目まいに襲われてその場にへたり込んだ。


古代魔法による『魔力回路の再構築』——。

それは、一国の国家予算に匹敵するほどの魔力量を一瞬で叩き込む、とんでもない荒業だ。


「嬢ちゃん! 大丈夫か!?」

「ええ……ちょっと、世界が回っているだけよ……」



ベッドのエマさんを見ると、顔色は劇的に改善している。

しかし、急激な魔力の注入に身体が追いついていないのか、まだ苦しそうに小さく肩を震わせていた。



「魔法で治したからって、すぐに元通りピンピン動けるわけじゃないわ。……ここからは、私の真の腕の見せ所ね」




* * *




それからの数日間、私は文字通り「付きっきり」でエマさんの看病に没頭した。


「おじいさん、そのミシンの横にある木鉢を貸して! それから、貯蔵庫にある雑穀を全種類、一握りずつ持ってくるのよ!」



私の号令に、おじいさんは呆気に取られながらも、慌てて黒米やハトムギ、キビの袋を運んできた。



エマさんの容態は予断を許さない。


魔法で無理やり回路を繋いだからこそ、今は身体が「異物」を受け入れようと激しく拒絶反応を起こしている状態だ。ここで豪華な肉料理や強い薬を与えれば、衰弱した胃腸が悲鳴を上げて死に至る。



「……まずは、毒出しと土台作りね」



私はドレスの袖を豪快に捲り上げると、木鉢に雑穀を放り込んだ。

すりこぎを握る手に力を込め、ゴリゴリと音を立てて擂り潰していく。


粉塵が舞う中、私は魔法で微細な「熱」と「振動」を加え、穀物の外殻に含まれる不要なアクだけを分離させた。




「お嬢様、それは一体……」

「雑穀の胚芽には生命力が詰まっているわ。でも、そのままじゃ今の彼女には毒と同じ。極限まで粒子を細かくして、細胞が直接吸い込めるレベルの『栄養液』に変えるのよ」



鍋に汲んだ清水が沸騰する直前、私は擦り合わせた粉を少しずつ投入した。


焦げ付かないよう、一定のリズムでかき混ぜ続ける。

立ち上がるのは、どこか懐かしく、泥臭いけれど力強い大地の香り。




「よし……仕上げに、私のビスケット缶に隠しておいた『薬月荘』の粉末を」



——それは、辺境の寒冷地にしか咲かない希少な薬草。


解熱と鎮静、そして魔力の定着を助ける作用がある。

出来上がったのは、琥珀色がかった、とろりとした重粥。



「エマさん、聞こえる? ゆっくり、舌の上に乗せるだけでいいから」



私はエマさんの背中に手を添え、上体をわずかに起こした。


スプーン一杯の粥を、唇の端から流し込む。

彼女が小さく嚥下するのを確認するたび、私の背中を嫌な汗が伝う。



「……熱いわね。おじいさん、冷やしタオル! 額だけじゃダメ、首筋と脇の下よ。血液を冷やして脳の腫れを抑えるの!」



夜通し、私はエマさんの顔を覗き込み、わずかな呼吸の変化も見逃さなかった。

嘔吐しそうになれば素早く身体を横に向け、寒気で震えれば自分の羽毛布団を裂いてでも温める。



「……お嬢様。あなたは、本当にあの大放蕩で有名な公爵家の方なのですか?」

「失礼ね。私はただ、『効率的に生きるために、不測の事態を排除したい』だけよ。ここで彼女に死なれたら、私の旅の寝覚めが悪すぎるわ!」



毒気のある言葉とは裏腹に、私の手はエマさんの背中を優しく、一定のリズムでさすり続けていた。




夜が明ける頃。

雑穀の粥を三度、四度と受け付けたエマさんの呼吸から、あの荒い喘鳴が消えていた。


「……あ……ああ……」


エマさんの瞼が震え、ゆっくりと開く。

その瞳には、昨夜までの濁りはなく、朝露のような透明感が戻っていた。



「……お嬢さん。あなた、ずっと、側に……?」

「おはよう、エマさん。……もう大丈夫。毒は全部、私の粥が追い出してくれたわ」



私はスプーンを置くと、椅子に深く背を預けた。


指先ひとつ動かすのも億劫なほどの疲労感。けれど、朝日を浴びてキラキラと輝くミシンと、エマさんの穏やかな笑顔を見た時、王宮の冷たい大理石の上では決して味わえなかった「確かな手応え」が、胸の中に広がっていた。




* * *





「そうなんだ、この子がよく働いてねえ。」


「ええ、一日目は衛生管理のため、部屋中の塵や埃を除去させていただき……」

「難しいことはいいの。その前に、お礼をさせてもらえるかしら」



エマさんは穏やかに微笑むと、おじいさんの手を取りながら私を見つめた。



「主人は腕はいいけれど、満月の夜が近づくといつもこうなの。創作の意欲に取り憑かれたようにミシンの前から動かなくなって、家のことなんて二の次。……実はね、私のこの病も、満月の力が強まる時期に合わせて体調がひどく悪化する性質があって……」




おじいさんがバツが悪そうに、しかし痛ましげに肩を落とす。


「ああ、いつもなら満月の夜はエマの側についていなきゃならんのに、一度ミシンの前に座ると、どうにも指が止まらん。今回も最悪のタイミングでミシンに齧りついてしまって……エマが苦しんでいるのに、わしは……」

「いいのよ。でも、今回は本当に命の危機だったわ。そんな時に、あなたのようなしっかりした子が空から降ってきて、付きっきりで看病してくれた……。おかげで、あんなにひどかった満月の拒絶反応を乗り越えられたのよ。これはもう、神様の導きとしか思えないわ」




なるほど、と私は納得した。


満月の夜は魔力が活性化する。おじいさんの「創作意欲」も、エマさんの「魔力欠乏症」も、月の引力に導かれる魔力の奔流に影響されていたのだ。




(……童話で満月の日には魔獣が踊り始めるって……あれ、本当だったんだ)



「……計算通りね。一秒未満とはいかなかったけれど、満月のピークを私の看病と古代魔法のバイパスで相殺できたのは、統計的にも大きな収穫だわ!」



私が胸を張ると、おじいさんが決然とした顔で立ち上がった。



「嬢ちゃん。あんたのおかげで、わしはミシンを止めずに済んだ。そして、最愛の妻も救われた。……この満月の魔力が引かぬうちに、最高のお礼をさせてくれ」



おじいさんが部屋の奥から持ち出してきたのは、淡い銀色の輝きを放つ不思議な布だった。



「これは、満月の夜にしか紡げない『月光銀のはた』。これで、あんたのその汚れたドレスを、世界で唯一の『賢者の旅装束』に仕立て直してやる。……もちろん、あのボロのリヤカーの幌も、最強の魔導布で補強してやるからな!」



「本当!? ありがとう、おじいさん!」



私は飛び上がって喜んだ。 こうして、満月の魔法が満ちる静かな夜、伝説の職人と古代魔法の使い手による、前代未聞の「リヤカー大改造計画」が幕を開けたのである。

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