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老舗温泉



「……そうよ。汚いお湯がこれだけ漏れ出しているなら、大元を辿ればいいだけの話。この街で一番古い、老舗の温泉宿……そこが全ての源流に違いないわ」




私はバットを担ぎ直し、湯気の向こうにぼんやりと見える、一段と立派な瓦屋根の建物を見据えた。




港の噴出口から溢れるお湯は、もはや「癒やし」なんてレベルじゃない。


硫黄の臭いがきつすぎて、混ぜ物だらけの汚水みたいになっている。

もし、その老舗温泉が強引に地下の源泉を独占しようとしたり、逆に管理を怠っているなら……。


(いや、考えるだけ無駄か……)




「行きましょう。エクス号はここに置いておくわ。あんな豪華な門構えの場所にリヤカーで乗り込むのは、流石の私でも辞めておきたいわ」



私は一人、ぬかるんだ石畳を避けて、高台にあるその老舗温泉へと向かった。


近づくにつれ、空気の熱さはさらに増していく。

普通なら客を招き入れるはずの玄関先からも、まるで悲鳴を上げるように蒸気が漏れ出していた。



「……冗談でしょ。入り口からこれじゃ、営業なんてまともにできているはずがない」



老舗温泉の風格ある玄関は、高級そうな木の引き戸が「熱膨張」のせいで完全に枠に食い込んでいた。


無理に引こうとしてもびくともしない。

地熱による異常な高温のせいで、建物の骨組みそのものが歪み始めている証拠だ。





「こういう物理現象は、適切な圧力で解決するに限るわ」


私はバットの先を、わずかに空いた戸の隙間にねじ込んだ。

テコの原理を利用して、一気に力をかける。



「せーのっ、……えいっ!」



バキィッ!

という乾いた音と共に、歪んでいた戸が強引にレールから外れて、隙間が生まれた。




そこから一気に、顔を焼くような熱い蒸気が吹き出してくる。


「……っ、熱っ! 玄関先がサウナ室の100倍くらいになってるじゃない。……ごめんください、なんて言うつもりもないけど、誰か生きてる?」



私は片手で口元を覆い、バットを引きずりながら中へ踏み込んだ。

内装はかつての栄華を思わせる立派なものだけど、今は壁紙が湿気で剥がれ落ち、廊下の至るところから熱湯がじわじわと染み出している。




奥の方から、弱々しい咳き込む声が聞こえてきた。


「だ、誰だい……? こんな時に、物好きなお客さんだね……」



声の主は、湯気の向こうに座り込んでいる白髪の老人。

この宿の主人かしら。 彼が座っている畳からは、かすかに煙が上がっている。


どうやら床下を通る源泉パイプが破裂して、建物全体が「茹であがっている」状態だ。




「ちょっと、じいさん! 感傷に浸ってる暇なんてないわよ!」




私はバットを背負い直すと、座り込んでいた老人の脇に手を差し込み、強引に抱え上げた。


足元の畳からは、もはや湯気どころか熱湯が噴き出し始めている。

木材が「ミシミシ」と悲鳴を上げているのは、ただの老朽化じゃない。


地下の高圧蒸気がこの建物を内側から押し壊そうとしている音だ。




「計算上、あと3分もすればここは巨大な蒸し器の蓋が開くみたいに弾け飛ぶわ。脱出するよ!」



老人は「源泉が……源泉が……」と弱々しく呟いているけれど。

私は彼を軽々と担ぎ上げると、熱膨張で歪んだ廊下を全力で駆け抜けた。



背後で「メキメキッ」という不吉な破壊音が響く。

天井から豪華なシャンデリアが熱で溶け落ち、床には熱湯の川ができている。


私はそれらを軽快なステップで回避し、こじ開けたばかりの玄関口へと飛び出した。





「ふぅ……間一髪ね」

外に出て数十メートル離れたところで老人を下ろした、その瞬間。





ドォォォォォン!!





凄まじい轟音と共に、さっきまで私たちがいた老舗温泉の屋根が吹き飛んだ。

白い蒸気が火柱のように空高く舞い上がり、美しい瓦屋根が粉々に砕け散る。



「……あぁ、わしの宿が……。源泉の不具合を隠しきれなかった報いだ……」




地面にへたり込んだ老人が、涙ながらに語りだした。


「最近、湯量を増やそうと禁忌の術式を使って地下を強引に掘り進めたんじゃ。それが、かつて封印された汚濁した源泉の脈に触れてしまった……。そこから先は、もうわしの手には負えんかった。熱を逃がそうと港に流したが、それも限界だったんじゃよ」


「やっぱりね。強欲と管理不足によるシステム崩壊……最低の設計ミスだわ」




私は冷たい目で、今や蒸気機関車のように煙を吹いている宿の跡地を見つめた。



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