表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜂の巣と聖女の護衛  作者: 朝霧


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/17

番外編 疑惑

 寮分けが終わった直後、大人達からネックレス型の魔法道具を渡された。

 姿を異性のものに完全に変える魔法道具、高度な分途轍もなく高価らしい。

 ただ何のデメリットもないとまではいかなくて、魔法道具を身につけて姿を変えている間はかなり力が落ちるとのことだった。

 また、肉体を完全に変えている影響で情緒が不安定になりやすいとも、時々でいいから元の姿に戻るようにとも忠告された。

 そんなもん押し付けるなよと思ったが、その時はもう大人達のいうことに刃向かうことすら面倒になっていた。

 どうでもよかった、何もかも。

 合間合間にあいつを探してはいたが、見つからなかった。

 見つかるわけがないのかもしれない、それでももう諦めることはできなかった。

 女に姿を変えて、大人達から最低限女としての所作を叩き込まれて、いつまで経っても見つからない人形の夢を見て、そんな日々が少しの間続いた。

 そうして女として雇い主その他と学園に入学して、入学式が終わった後、教室に連れて行かれた。

 担任だというジジイの話が終わった後、一応護衛なので雇い主と共に寮に向かおうとしたが、その雇い主が野次馬みたいな奴らに囲まれて一向に動こうとしない。

 置いていってしまおうかとイラつき始めた頃に知らない声が雇い主を呼んでいた。

 聞き耳を立てるとニグルム寮の内部生だという誰かが、外部生を寮まで案内するという話だったらしい。

 少しして雇い主から声をかけられたので溜息を吐いた後、立ち上がってそちらを見た。

 聖女がいた。

 雇い主の方じゃなくて、俺がここ一年ほどずっと探し続けていた聖女と同じ顔の少女がそこにいた。

 自分と同じ制服を身に纏い、自分と同じ黒いリボンをつけている。

 髪の色は灰にも見える黒色で、目の色は青緑。

 虹の髪と極光色の目を失ったそいつは、随分と地味な感じになっていた。

 それに何というか、前と、自分が知っているそいつと雰囲気がまるで違う。

 人形らしさをほとんど感じなかった、その少女は普通に人間らしく見えた。

 顔だけが同じだった、顔しか同じところがなかった。

 思い違いかただの他人の空似か、その時点では判断できなかった。

 その少女は自分の顔を見て一瞬だけ動きを完全に止めた。

 その顔にはほんのわずかな同様と困惑が見えた、まるでこちらの正体に気付いたような、そんな顔。

 あいつがそんな顔を、そんなわかりやすい表情をするわけがない。

 だから他人の空似だと思って、その時は何も問いたださなかった。


 聖女と同じ顔の少女はタマス・ティールと名乗った。

 聖女だった頃に名乗っていた、正確にいうとそう呼ばれていた名前とはまるで似ていない響きの名だった。

 こちらを特に気にすることもなく、少女はつらつらと寮に関する注意事項を話していた。

 想定していたよりも変な奴しかいないらしいことがわかった、少女の代がとにかく酷いらしいことも。

 それと、寮分けの時にニグルムの寮長が言っていた例の雷を落としまくるらしい生徒に関することも話していた、最悪の場合学園中の電化製品が全滅するらしいが流石に誇張か何かだろうと思う。

 あと、その雷落としまくる奴の話の時だけ本当に若干強調するような喋り方をしていたように聞こえたが、気のせいだろうか?

 話を聞いた雇い主ともう一人のニグルム寮生は少女の話を聞いてドン引きしていた。

 話を聞きつつ少女を観察する、顔は聖女と全く同じだが同じなのは顔だけで色も雰囲気も何もかもが違う。

 本当に別人なのかもしれない、俺の名と姿をどこかで知っていただけの、赤の他人。

 それとも自分の頭がとうとう狂って、見知らぬ少女の顔をあの人形じみた聖女と同じものだと誤認しているのだろうか?

 何もわからなかった。

 

 寮に着いたらおそらく待ち構えていた寮長が自分達を迎え入れた。

 案内を引き受けた少女は寮長に褒められ、頭を撫でられていた。

 は? 触んな。

 自分の知る聖女とその少女が同一人物である可能性は限りなく低いのに、そんなことを思った。

 寮長が案内を引き受けると言ったので少女は呆気なく去っていった、リボンまみれの異常な格好の寮長を目にして少し引いている様子だったもう一人のニグルム寮生が引き止めたそうな顔をしつつ少女を見送っていた。

「それじゃあ、案内を始めよう。庭園をぐるっと回って訓練場とかを案内しつつ、最後に寮に。……タマ後輩からもう話を聞いているかもだけど、この寮に慣れるまであんまり部屋の外に出ない方がいい。けど一度ちゃんと案内しておかないとね」

 寮長はそう言った、格好はだいぶおかしいがこの寮長からはそこまで異質な感じはしなかった。

「うちの学園の寮にはそれぞれ目玉というか、特徴がある。例えばカエルレウスにはでかい図書館があるし、ルブルムには超広い決闘場と訓練場がある。アルブムには大きなシアターがあって正直羨ましい」

「では、この寮は?」

 雇い主がそう問いかけると、先頭を歩いていた寮長が振り返って答えた。

「見ればわかるだろう? このだだっ広い庭園さ。人数少ないくせに敷地の広さはニグルムがダントツなんだ」

 話を聞いてみると湖があったり林があったり小さい洞穴なんかもあるらしい、何故そんなだだっ広いのかもう一人のニグルム寮生が質問すると、学園創設時にニグルム寮に所属していた生徒に大層な金持ちの子息がいたらしく、親がその生徒のために周辺の敷地を全て買い取って寮の敷地としたらしい、ということだった。

「とにかくだだっ広いから迷う子もたまにいる。そういう意味でもあんまりここを彷徨くのは危険かもだ」

 なんて寮長は言っていた。

 その後湖やら林やら洞穴やらに案内され、学生寮の敷地内にあってもまるで意味がなさそうな噴水やら薔薇の迷路やらに案内された。

 その後にろくに整備されてなさそうな決闘場と運動場、絶対に近付くなと言われた謎の廃墟らしき建物を遠目で見た後、訓練場に連れてこられた。

「おや、タマ後輩は今日も訓練か、相変わらず真面目だねえ」

 訓練場では聖女と同じ顔の少女が的当てみたいなことをやっていた。

 使用しているのはおそらく鉄……いや鋼か。

 魔法で作り出したらしい鋼の杭らしきもので、少女は無言かつ無表情でひたすら的を撃ち抜き続けていた。

 あれと似たようなものを昔見たことがある。

 自動的に動いたり分裂する代物、よくある魔法の命中率を高めるためだけに使われる訓練用の魔法の的。

 ただ、それは尋常ではなかった。

 高速で動きまくる的を少女は全て綺麗に撃ち抜いた。

 的が十を超える数まで分裂しても、それをほぼ同時に複数の杭で撃ち抜いた。

「え。すご……」

 もう一人のニグルム寮生が意味不明な速度で的を撃ち抜き続ける少女を見て呆然と呟いた。

「ふふん、すごいだろうボクの後輩は。あの的はレベル十まで選択できて、今彼女がやっているのがまさにその一番難易度の高いレベル十なわけだけど……あの子、基本的に一回も外さないんだよねえ、寮長であるボクでさえあれは無理だ。十回に一回パーフェクトを出せるか出せないか程度。……けど、あの子は十回中十回当たり前のようにパーフェクトを叩き出すよ」

「……へえ、随分とすごかったんだな、あいつ」

 そう言うと寮長はにっこりと笑った。

「そう、ものすごいのさタマ後輩は。鋼魔法の才能がずば抜けていてね、おまけに動体視力と反応速度が人並み外れてる。たった一年であそこまで成長するとはボクも思っていなかったよ」

「一年? ああ、魔法が発現してから一年ってことですか? ええ、すご……一年であのレベルに……?」

 もう一人のニグルム寮生が寮長に問いかけた。

 魔法が発現するのが最も多い年齢は十五歳あたりであるらしい。

 当然自分のように幼少期から魔法が使えたり、大人になった後急に使えるようになることもあるが、基本的には十代半ば頃に魔法が発現すると言われている。

 ならあの少女もそうなのだろう、一年だけであそこまでの域に達したのなら、それは確かにすごいことだろう。

 そう思っていたら寮長が顔を曇らせた、しまったとでもいいたそうな顔だった。

「あー、いやその……うーん、あんまり言いふらしたくなかったんだけど。……けど有名な話だ、いつかキミらの耳にも自然と入るだろうから、話しておこうか」

 そう前置きしてから、寮長は渋い顔でこう続けた。

「……実はあの子、記憶喪失なんだ。一年と少し前くらいにこの学園の近くの森に落ちていたのをボクが見つけて……目を覚ましたあの子は自分の名前を含めた記憶を失っていた。色々と探してみたけどあの子の素性は結局わからなくて……鋼魔法の才能がずば抜けていたからそのまま学園で生徒として保護することになったんだ。だからたった一年であそこまで成長したのか、元からかなり使えてその感覚を取り戻しただけなのかは、正直なところわからなくてね。……ま、どちらにせよすごいんだけどさ」

 記憶喪失。

 それと、一年と少し前。

 それは、ちょうどあの聖女が消えた時と同じ時期だった。

 名前すら忘れた、一年前に現れた素性もしれない少女。

 その少女の顔をもう一度よく見る、何食わぬ顔のまま高速で的を撃ち抜き続けるその少女の顔は、やはりあの聖女と同じ顔だった。


 案内が終わった後、一人で訓練場に向かった。

 入り口手前で少女を見る、少女はこちらに気付かないまま的当てを続けていた。

 見れば見るほどその少女は聖女にしか見えなくなっていった、けれどもあの聖女にしてはあまりにも人間味が強すぎる。

 しかし、記憶喪失だと言っていた、記憶がなければあの人形じみた化物もあそこまで変わるのだろうか?

 そんな簡単なことで、あの化物は変わったのだろうか?

 二時間以上経った頃、少女はようやく的当てをやめた。

 空はとっくに赤くなっていた。

 寮長が言った通り、本当に一度も外さなかった。

 それだけは本当に、純粋にすごいと思った、よくあそこまで魔力と集中力が続くものだと。

「すごいね、お前」

 片付けを終えた少女にそう声をかけて、ゆっくりと歩み寄る。

 少女は警戒しているような顔をして、小さく後ろに後ずさった。

 そこまであからさまな顔ではなかった、あいつと同じ顔でなかったらきっと自分はその少女が顔色を変えたことに気付かなかっただろう。

 その程度の小さすぎる変化。それでもあいつだったら絶対にしない動きと顔だった、その動きのせいで先ほどまで確信していた目の前の少女の正体が揺らぐ。

 少女を褒め称えつつゆっくりと近付く、にこりとわざとらしい笑顔を顔面に貼り付けてやると少女はその場から逃げたそうに視線をうろつかせた。

「お前に一つ、聞きたいことがある」

 俯きかけていた少女の顎を片手で掴んでこちらに顔を向けさせる、近くで見てもその顔はあの聖女と全く同じだった。

「なんでしょうか、トープさん」

 そう問いかけてくる声はのっぺりとしていた、顔にしか目がいっていなかったが、その声もあの聖女と同じものだった。

 真正面から見る少女の顔にはもう何の表情もなかった、見覚えしかない無表情だった。

 何だお前、こんなところにいやがったのか。

 怒りとそれを上回る何かが込み上げてくる、気が狂いそうだった。

 それでもどうにか正気を保った。

「随分と綺麗な顔で平然としちゃってさあ。まあいい……お前」

 そう問いかけた直後にどこかから悲鳴が聞こえてきた、雇い主の声だった。

「おっと、今のお手本通りの絹を裂くような悲鳴は……ローズドラジェさんの声ですね」

 単調な声でそう言って、少女は呆気なく自分を避けて入り口の方に向かっていく。

「一応様子を見に行ってきます。お話はまたいずれ、ということで」

 少女はそう言った、ほんのわずかだがその所作からこの場というか俺から離れたがっているらしいことを何となく察した。

 確信が、また揺らぐ。

「わかった。今回だけは見逃してやる。……確証もない、アホみたいな話だしな」

 溜息を吐いてからそう言って、彼女の後を追う。

「はあ。よくわかりませんが失礼します。大した問題じゃないでしょうけど、入学初日で聖女様に死なれでもしたら大問題ですから」

 少女は全然大変じゃなさそうな声でそんばことをのたまった。

 何故、ただの学生寮で人死にの心配をしているのだろうか。

「この寮、平然と人間の死の心配をするほど危険な寮なの?」

 思わずそう問いかけると、少女は振り返ってこう答えた。

「慣れればそうでもないですけど、しばらくは注意したほうがいいと思いますよ。私もここのに来たばかりの頃に三回くらい死にかけたことありますので」

 おい、それは一体どういうことだ。


 それほど時間はかからず雇い主は見つかった。

 腹の部分が大きく切り裂かれたドラゴンの傍で気絶していた。

「お! 蜂の巣かちょうどいい!! 実はこちらの聖女殿なんだが、胃の中で溶けかけているワーウルフの死骸を見た直後に突然意識を失ってしまったのだ。保健室に連れて行こうと思ったのだが、この手で彼女に触れるわけには行かないから困っていたのだよ」

 ドラゴンの死体のすぐそこで、死骸の胃袋から何かをずるりと引っ張り上げたそれを抱えながらその男子生徒はそう言った。

 ずるりと引っ張り上げられたそれを見た、溶けた肉と骨の塊だった。

 何やってんだこいつ。

「あーらら、初日でこれに遭遇してしまいましたか。かわいそうに」

 自分のすぐ横で少女がそう呟いた、全然可哀想には聞こえない声だった。

「突然意識を失ったとか言いますけど、ドラゴンの胃の中で溶けかけてたワーウルフの死骸を見たのが原因でしょうが。普通の人からすると結構ショッキングですからね、それ」

「ふむ、それもそうか……」

「それもそうか、じゃないですよ。内臓チェックはもっと人目につきにくいところでやってくださいな」

 内臓チェックって何だ、何を言っているんだこいつは。

 あと、人目につきにくいところでやれとか言っている、あいつなら基本他人に何かを強要するようなことは言わないのに。

「うーん、そうか……中等部の頃はどこでやっても咎められなかったが……慣れない者がいるうちは、しばらく気をつけよう」

 気をつけようと男子生徒が言った、そもそも何で中等部では誰も咎めなかったのかと問い詰めたい。

 けど、こちらが何かを言う前に悲鳴を聞きつけてすっ飛んできたらしい寮長がやってきたので、結局聴きそびれた。


 入学から一週間経った。

 あの少女のことを調べつつ観察していたが、本人かどうなのかはよくわからなかった。

 絶対にあいつだと思う瞬間もあれば、何か違うと思うこともあった。

 それと、自分が所属しているニグルム寮に結構ヤバい奴が大量にいるらしいこともわかった。

 毎朝逆立ちで寮の階段を爆走していたり、庭園で謎の儀式をやってる変な集団とかもいる。

 入学式の日に遭遇したドラゴンを解体していた生徒もドラゴンの解体というかその内臓の中身を確認するのが趣味など変態だったらしい。

 他にも特に少女の代が酷いようで、少女を探るために色々聞いてみると、最終的に少女ではなく少女と同じ代のニグルム寮生に関する情報ばかりが増えていった。

 少女に関してわかったことは、寮長が言っていた通り記憶喪失状態で保護されてこの学園に通うようになったこと、ニグルム寮生の中では比較的温厚で常識人寄りだと思われていること、意味不明なことに友人が複数人いてその関係が良好なこと、鋼魔法のに関しては天才レベルだがそれ以外はダメダメであること、それから蜂の巣製造機とかいうあだ名で呼ばれていることくらいだった。

 少女は基本的に温厚で冷静でニグルム寮生の中では会話がしやすい人間であるらしい、少女の代の他のニグルム寮生は根がそこまで悪くなくてもすぐに自分の趣味の話ばかりしたり、会話の最中で急にブチ切れたりするような輩が多いので、それに比べるとマシ程度とのこと。

 意味不明なことに何故か友人がいる、少なくとも同じクラスのアルブム寮生、それと食堂でよくつるんでいるカエルレウス寮生とルブルム寮生はその友人であるらしい。

 あの人形じみた化物にお友達がいるとか狂っているだろうこの学園。

 鋼魔法の天才とのことだが実戦では基本あの的当てに使っていた杭しか使わないらしい、それ以外のものも使えるが、本人は『時間がかかるから使いません』と言っているらしい、実際は時間がかかるとか自称しているのが嫌味レベルの早さらしいが。

 それ以外の魔法はまるで駄目らしい、当然、治癒魔法も使えない。

 ただ、治癒魔法や聖魔法が使えないのは当然なのだろう、あの少女があの化物だったとしても、聖女だった頃の力はとっくに失われているのだから。

 雇い主だって元々は肉体強化魔法がメインで治癒魔法なんて一切使えなかったらしい、そして聖女になった途端、それまでは普通に使えていた魔法が一切使えなくなったとも。

 だから、あの化物に生まれながら鋼魔法の才能があったところで、その才能は聖女の力によって潰されていたということになる。

 蜂の巣製造機とかいうあだ名は少女が使う魔法に由来するものであるそうだ、大量の杭を突き刺して『蜂の巣』にする様子から付けられた安直なあだ名。

 ちなみに少女はニグルム寮生の中では温厚だのマシだの言われているが、一度敵だと認識した相手には一切容赦しないらしい。人間相手にそれをすることは滅多にないが敵だと思ったその直後には速攻で相手を蜂の巣状態にするのだとか、これを話したルブルム寮生曰く『あいつもニグルム寮生だしな。むしろあいつの場合、人間相手にはだいぶ優しいからニグルム寮生の中だとかなり良心的だぜ』とのこと。

 色々話を聞いてみても、やっぱりよくわからない。

 話だけ聞くと別人だと思う。

 特に友人が複数人いるのと人間相手にどうも自分の意思で攻撃魔法を向けたことがあるらしいことが。

 それでもその顔と声はあいつと同じものだった。

 他人の空似か、実は双子の姉妹でもいたのか、あいつの素性はそもそもよくわかっていなかったので、顔が似ているだけの親戚がいてもおかしくない。

 親がどこの誰なのかもわからない、名前すらつけられずに犯罪組織で人を治す装置として使い潰されていた子供。

 呼び名として使っていた名も、とある老人の孫娘の名だったらしい。

 その名を使い続けてしまっているのを申し訳ない、とか言っていた。

 しかし、たまたまあいつと同じ顔のどこかの誰かが、あいつがいなくなったのと同じタイミングで記憶喪失になって行き倒れていたとか、そんな偶然がありえるのか?

 やはりあの少女は、あいつ本人なのではないだろうか。

 そうであってほしいのか、勘違いであった方がいいのか自分でもわからなかった。

 もしあの少女があいつ本人であるのなら、あまりにも変わりすぎていた。

 確かめる必要がある、今度こそ本人に。

 揺らぎ続ける疑惑をはっきりとさせなければ、きっと自分はこの先どうにもならないのだろう。

 タマス・ティールという少女の寮内での生息域が主に自室か訓練場だということは把握していた。

 休日の夕方頃に様子を見にいってみると、少女はもう一人のニグルム寮生、ウッドハウスと何か話していた。

 雰囲気が和やかだった、ただ見ているだけで腹が立つ程度には。

「オレ、そろそろ夕飯食べに行くんだけど、お前は?」

「んー、そうですね。キリがいいですし……私もそろそろ……」

 そんな会話が聞こえてきたので姿を隠しつつ少女を睨みつける。

 は? 男と一緒に飯? お前が?

 両方とも半殺しにしてやろうかと思っていたら、少女は何かに気付いたような雰囲気でこう言った。

「けれどお片付けが先ですね。片付けた後に夕食休憩としましょう」

 少女がそう答えるとウッドハウスは去っていった。

 少女は立ち去るそいつに手を振って……手を、振って?

 手を振る? あいつが?

 はじめてみたかもしれない、手とか振るんだ、あいつ。

 などと思っている間に少女は手早く的を片付けて、訓練場から出て行こうとした。

 その肩を背後から掴んで引き倒し、そのまま馬乗りになる。

「男に媚び売って楽しい?」

 そう問いかける、こちらの存在に気付いていたのか、そうでなくとも驚きもしなかったのか、その顔には何の感情も見えなかった。

「この寮では絶滅危惧種なまともな寮生とのおしゃべりを『男に媚び売る』と言われるのは誠に遺憾ですね」

 単調な声でそう返された。

 お前なんか誰かと普通に話している時点でもう媚を売っているようなものだろうが。

 誰に対しても最低限の会話しかしなかったお前なら。

 睨みつけるが少女は顔色一つ変えなかった、かつてのあの化物と同じように。

「それにしても今の会話から『媚を売る』という言葉が飛び出してくるとは思いませんでしたよ。……あー、ひょっとしてその、トープさんってウッドハウスくんのこと好きだったりします?」

 意味不明なことを言われた。

 誰が誰を好きだって? ふざけるな。

 ……と思ったが、今の自分の姿は完全に女生徒なんだった。

 確かに男子生徒と話した直後にこんな形で絡んできた女生徒に対してそういう推測をするのは『普通』なのかもしれなかった。

「大丈夫ですよ、私は彼に一目置いていますが、恋情とかは抱いておりませんので。というか私みたいな地味なブスが恋愛とか、滑稽で笑えます。というか恋愛事にうつつを抜かす暇なんざ、クソザコの私にはないのです」

 一目置いている? 誰が誰を? お前があの男を?

 は? ふざけんな。

 少女の表情は何一つ変わらなかった、その綺麗な顔でブスとか言っているのもなんか腹が立つ。

「というわけで、誤解も晴れたことで」

「一回黙れ?」

 わざとらしい作り笑いを顔面に貼り付けながら少女の顔を睨む。

「馬鹿みたいな話だ、気のせいの可能性の方が高かった」

 そうこちらが呟いても、少女は無反応だった。

 ただ、何の感情もない目でこちらを見上げている。

「だから、少しだけお前のことを調べさせてもらった。……勝手に聞こえてくる他の寮生達と違って大した話は出てこなかったが」

「でしょうね、私、ニグルム寮生の中では大したことやらかしてないので」

「……お前の話は結構すぐにいろんなところから聞き出せた。お前、記憶喪失なんだってな。一年前にここの寮長に森の中で拾われて、記憶もなければ素性も不明なお前は高い魔力があるというそれだけの理由でこの学園に保護された」

 そう問いかけてみても、相変わらず無表情。

 俺がわざわざこの話題を振った理由を、お前なら理解できるだろうに。

 記憶喪失だから何も覚えていないのか、それとも本当に他人なのか。

 けれど、初めて自分の姿を見た時、この少女は自分のことを知っているような困惑の表情を見せた。

 あれは知っている者を見る目だった、もしくは知っている者によく似た奴を見たような。

 そして、こいつはジル・トープという女生徒の正体が四騎士アダマス・グラファイトであると察しているような気もする。

 なら、やはりこの少女はあいつなのではないか。

「ええ、そうですよ。特に隠してはいませんので、私に直接聞いてくれてもかまいませんでしたが……ちなみに魔力があるとは言ってもまともに使えるのは鋼魔法だけなんですけどね。他は全然ですし、しかも実戦でまともに使えるのは鋼の杭で狙撃する程度のザコです」

 少女は何の表情も動揺も見せずにそう答えた、何を考えているのがわからないのは昔と変わらないが、今に関しては本当に、意味がわからない。

 昔のあいつなら、今この場でこちらが少女の姿であることを気にせずに、何なら最初に会った時点で「お久しぶりです。アダマス様」とかしれっと言ってくるはずだ。

 それなのに、まるで勘付いたことを隠すような、そんな反応をしているように見えた。

「……そういえば随分と物騒なあだ名もついているらしいな? 確か、蜂の巣製造機だったか」

「ええ、そんな感じのあだ名がいつの間にか付いてましたね、最近では略して蜂の巣と呼ばれることの方が多いですけど」

 そういえば入学式の日にドラゴン解体してた男子生徒から蜂の巣と呼ばれていた気がする。

 元聖女には似つかわしくない随分と物騒なあだ名をつけられているくせに、特に気にしている様子はなかった。

 最も、こいつは誰からどう呼ばれても全く気にしないだろうが。

「……今から一年と少し前、お前がこの学園に保護された時期にとある事件が起こった、心当たりはあるか?」

「当時色々ありすぎて知らなかったんですけど、ちょうどその頃魔王が討伐されて、その時に先代の聖女様がお亡くなりになったから結構な騒ぎになっていた、という話を後々友人から聞きました」

 少女はしれっと答えた。

 表情は変わらない、何の感情も見えない。

 普通のどこにでもいる学生みたいなことを当たり前に答えた少女の顔を睨む。

「……正確には生死は不明の行方不明だ。死体は見つかっていない」

「らしいですね。ただ、代替わり……ローズドラジェさんが新たな聖女になったから、先代の聖女様の生存は絶望的だという話も聞いたことがあります」

 死体は見つかっていない、死んでいない可能性があると言っても、少女の顔色は何一つ変わらない。

「…………ああ、そうだな、世間一般的にはそういうことになっている。俺だってあいつが生きているとは思っていなかった。何日も何週間も何ヶ月もその死体を探して、それでも欠片一つも見つからなかったがな」

 そう言った直後、少女はほんのわずかに表情を変えた。

 呆れか、こちらの言葉を疑うような、そんな顔。

 よく見なければ気付かない程度のわずかな差異だったが、確かにそんな顔をしていた。

 しかし、それも数秒足らずで消える。

「魔王の最後の一撃を聖魔法で相殺した反動で肉体が消し飛んだのではないか、みたいな話を聞いたことがあります。……もしそうなら、どれだけ探しても遺体は見つからないでしょうね」

「だろうな、もしもそうならあれの死体はどれだけ探しても見つからない」

「でしょうね。……ところで、何故私に先代の聖女様の話を?」

 単調な声のまま、少女はそう問いかけてきた。

 お前がその、先代の聖女なんだろう?

 そう問いかける直前に、少女が口を開いた。

「まさかとは思いますが、先代聖女様が行方不明になったと同じくらいの時期に発見された身元不明で記憶喪失な私を、その先代聖女様なのでは? とか突拍子もない疑いをしてたりします?」

 わざとらしく作られた呆れが混じった声で少女はそう問いかけてきた。

 顔にもわざと作ったような薄い呆れが浮かんでいる。

 ものすごくわざとらしい、あまりにもあからさまだった。

 あまりにもあの化物とは掛け離れた反応だった、この顔と声色だけを切り取ると、あいつとは全くの別人だと判断しそうになる。

 しかし、あまりにもあからさまだった。

 こちらを誤魔化そうとしている意図が見える、これは他人を騙そうとする人間の顔だ。

 あいつなら絶対にそんな顔をしない。

 矛盾している。

 あいつと同じ顔の女が、あいつ本人であることを誤魔化すような言動をしている。

 『人を治す』以外に何もなかったあいつがそんなことをするわけがない。

 少女の顔を見る、わからない、何もわからない。

 今、目の前にいるこれは誰だ?

 見ても見てもわからない、顔をどれだけ見ても、今目の前にいるこれが何を思い何の意図があってこうしているのか、全くわからない。

 そこで、一つ思いついた。

 あの時くれてやったピアスはどうなった?

 まだ身につけているのならそれだけで証拠になる、学生だからと普段外しているのだとしても、穴は残っているはずだ。

 治すなといってあったし外すなともいっておいた、あいつならきっとその言葉に素直に従うだろう。

 ちょうど少女の顔の右側にかかっていた髪を片手で払い、右耳を見る。

 何もなかった、ピアスも穴も。

 そこを注視している間に、少女の顔色がわかりやすく変わったように見えた。

 しかし、視線を移してその表情が何の感情に由来するものなのかこちらが読み解く前にその顔から表情が消えた。

 白い喉に手を伸ばす、温かく柔いそれを緩い力で掴んで、それでも顔色は変わらない。

 急所に触れられても顔色を変えないのは昔からだった、このままかつてそうしたように勢いよく力を入れたとしても、きっとこいつは苦しむ素振りすら見せないのだろう。

「……そうだ、って言ったら、お前はどうする?」

 急所を掴んだままそう問いかける。

「否定しますね。とんでもない勘違いですよ、それ」

 少女は否定した、自分があの聖女ではないと、そう答えた。

 ピアスも穴もない、なら目の前の少女はあいつではなくて、ただ顔が似ているだけの別人なのだろうか?

 本当に? 本当かもしれない。

 ふざけるな。

「確かに私は身元不明の怪しい人ですけど、ただそれだけの人です。聖女様みたいなすごい人に間違えられるのは」

 少女はそう言った、何も知らないただの学生みたいな顔で。

 感情なんか一切ない顔だった、だが、直感的に嘘だと思った。

 根拠はない、思い込みかもしれない、それでもこいつが本当のことを言っているように見えない。

 それにしてもお前が『聖女』をすごいとかいうのか、お前がただの何も知らない学生なら、確かにそれらしい回答だ。

 あまりにもそれらしすぎる回答で、気持ちが悪い。

「あいつは、全然すごくなんかなかった」

「聖女なんですからすごい人ですよ。私みたいな一般……一般変人とは比べ物にならないくらい」

 何か、変な単語が出てきた。

 なんだ一般変人って、変人ならそれはもう一般でもなんでもないだろう。

「一般人とは言わないのか」

 思わず突っ込んでいた、こんなことを聞いている場合じゃないのに。

「ニグルム寮生ですからね、これでも。悪い意味で一般人を名乗れるほど普通ではない自覚はあります」

「……へえ」

「普通のままでいられるといいですね、新ニグルム寮生のあなた達は……まあ、私含めあんな連中と同じ寮同じ年になってしまった時点で…………残念ながら、という感じではありますが」

 同情しているような目で見上げられた、誤魔化しの気配などは感じない、純粋な同情の目だった。

 あいつがこんな目をするだろうか、いや、ありえない。

「はあ? ……たかが変人ばかりの寮ってだけで崩れる程度の『普通』じゃないんだけど、こっちは」

「たかが変人の巣窟で済ませられないのはこの一週間でなんとなく察しているのでは?」

 かわいそうなものを見るような目で見られている、そして本当に言葉の通りだったので言葉が詰まる。

 入学初日のドラゴン解体男、毎朝階段を逆立ちで爆走する謎の女生徒、庭園でわけのわからない儀式をしていた謎の集団、きのこと食虫植物で謎バトルを繰り広げていた女生徒達、鉄靴だけを身につけて踊っている露出狂、他にも色々。

 なんかめちゃくちゃ、変というかヤバい奴がいっぱい。

「寮内で全裸踊りをしているセクシー美少女がいても動じない、腐った魔物のゾンビや骸骨の群れに取り囲まれても気にしない、興味もないのに増える毒の知識、基本シャークとサメしか言わないキメラ人間をまだマシだと思うようになる、爆発音が響いても今日も元気だなとしか思わない、ドラゴンの胃袋に詰まった人間の死体を見た後平然とご飯を食べられる……他にも色々、今年のニグルム寮に所属していれば自然とそうなるというか、そうならないと心が病むと思うのですが……それでも普通でいられます?」

 絶対に普通ではいられないと思った。

 なんだ? ひょっとして今すごく恐ろしい話をされていないだろうか?

「……この寮、そんなにやばいのか」

「この寮というか今年の一年生カッコ内部生が特別やばいらしいです。他の学年はそこまでじゃないみたいですよ」

 他の学年はそこまでおかしくないのか、なら自分が目撃してきたものは全部その内部性の一年生だったということなんだろうか。

 他がもう少しまともなら、まだそこまで酷くはないのだろうか。

「……逆立ちで毎朝階段爆走してる奴と、庭園で変な儀式やってた奴らもその特別やばい一年か?」

「それは上級生ですね」

 違った、一年じゃなかった。

「他の学年もおかしいじゃねえか!!」

「その程度ならそこまでおかしくは……」

 本気でそう思っていそうな声だった、無表情で無感情だからそう思えるのではなくて、本気でいっている声なのが不思議と理解できた、理解したくなかった。

「おかしい!! それを『そこまで』って思ってる時点でもうおかしいから!!」

 狂ってんのか、何もかも、と思ったがところで話が思い切り脱線していることに気付いた。

「違う、そうじゃない、今はこの寮のイカれどものことなんざどうでもいい……お前だ、お前その顔でよく平然とあの聖女じゃないとか抜かせるな、あれと同じその顔で……!!」

 このままだと話の主題が寮の変人どもの話題になる、と思ったので慌てて軌道修正を入れる。

 少女の顔からこちらを心底かわいそうとでも思っていそうな雰囲気が抜け落ちた。

「私とその先代の聖女様の顔、似てるんですか? はじめて言われましたよそんなこと」

 そりゃあそうだろう、お前の顔は表に出回っていなかった、人前に出る時はいつも仮面をつけさせられていたのだから。

 わかっていてそんな質問をしてきたのなら、こいつは随分と性格が悪くなったらしい。

「……今のと違ってあいつの顔は基本表に出回ってないからな。あいつの顔をまともに覚えているのは俺くらいだろう」

「はあ、そうなんですか」

 白々しい反応が返ってくる。

 同時に胡散臭さを感じた。

「普通はそういうものなんだよ、今のみたいに普通に顔出しして学校通ってるのはかなり異例だ。……普通は顔隠すし、人前になんて滅多に出てこない。そういうのが聖女の普通だった」

「はあ……そうですか、ってことはローズドラジェさんって聖女としては結構イレギュラーなお方なんですかね?」

 イレギュラーというか雇い主は聖女としては割と頭がおかしい部類だった。

 普通の人間でも割と変人レベル、悪人ではないようだが。

 ……こんな寮に振り分けられた時点で、あの雇い主も全然普通なんかじゃないだろう。

「そうだよ。……というか、今は雇い主……マリーナのことなんかどうでもいい。今はお前のことを話しているんだ。何があって知らんフリしているのかは知らないが、お前先代の聖女だろう。なんで誤魔化す、そんな理由お前には」

 と、言っている最中に違和感。

 少女の顔から完全に表情が抜け落ちていた。

 視線はこちらを向いていないし、こちらの話を全く聞いていなさそうな雰囲気を感じた。

「……おい、聞いてんのか」

 喉にかけた手に力を込めると少女はハッと顔を上げた、視線が再びあう。 

「すみません、聞いてませんでした。ちょっと考え事を」

「この状況でよく考え事なんてできるな。ぼさっとしやがって、俺はお前のそういうところが大嫌いだよ、昔から」

 そう言うと、少女は困惑しているような表情を顔に作った。

 他人が見たらきっと無表情とさして変わりないと思うだろうが、この顔の無表情を飽きるほど見続けていたから、多少の変化には気付けた。

「昔からと言われましても、出会ってまだ一週間だというのに……」

 単調で、嘘っぽい響きの白々しい声だった。

 どう足掻いても自分があの化物であると認めたくないらしい。

 何故否定するのか、その理由は一つも思い浮かばなかった。

「はん、お前がそう主張したいのはわかった。どうあがいても認める気がないらしい。……もう一回だけ聞いてやる、お前、先代の聖女だろう?」

「……あいにく記憶がないので絶対とはいえませんが、違いますよ」

 記憶がないとか言いつつ、それもおそらく嘘なんだろうと思った。

 だってこんなにも、嘘っぽい。

「その記憶がないっていうのも本当なんだかどうだか。……記憶喪失だったのは本当だったとしても、本当はどこかで思い出しているんじゃないか?」

 ほんの一瞬だけ少女が顔色を変える、今度は見逃さなかった。

 何故わかる、とでも言いたげな顔だった。

「いえ、残念ながら何も。……記憶がなくても割とどうにかなっているので、無理に思い出そうとも思ってないんですよね。思い出したところできっとたいした経歴の持ち主ではないでしょう。昔の私も今の私と変わらずただの凡人に違いありません」

 また、嘘っぽい声に戻った。

 何がなんでもそういうことにしたいらしい、その理由がさっぱりわからない。

「…………ふーん、そういうことにしたいんだ?」

「したいというかそうなんですよ」

 またほんのわずかな間だけ表情が変わる、今度は察してくれとでも言いたげな顔だった。

「やけに強情だな? 素直に認めちまえ、今なら許してやるからさ」

「そうではない事をそうだと認めるわけにはいきませんね。その先代の聖女様と私がどれだけ似てるのか存じ上げませんが、ただの他人の空似である可能性の方が高いですし」

 喉を掴む手にほんの少しだけ力を加えながらそう言ってみたが、少女は断固として認めようとしない。

「……何故そこまで認めたがらない?」

「事実ではありませんから」

 少女はそう言い切った、言い切った上でこちらの目をまっすぐ見つめてくる。

 絶対に主張を押し通そうとする意思がその目にはあった。

 なんで、そんな風になっているんだお前は。

 気がついたら溜息をついていた。

 どうしても認めようとしないのなら、絶対に認めざるを得ない証拠を掴むしかない。

 それに、ここまで否定したがるのだから何か深い理由があるのかもしれない、まずはそちらを先に探った方がいい。

「……もういい、お前がそのつもりならそのうちその尻尾を掴んで認めさせてやる。覚悟しておけ、お前があいつであるという証拠を掴んだその時には……吐くまで殴られる程度で済むと思うなよ?」

「そんな怖いこと言われてもこちらには掴まれるような尻尾も証拠もないのですけどね。覚悟なんかしませんよ……それでも、もしありもしない尻尾を掴んだ気になってこちらに何かしようというのなら、その時はその身体に一つ二つ穴が開いても許してくれますよね」

 脅しのようなこちらの言葉に対して、何やら物騒な返答が返ってきた。

 この一年でいったいお前に何があったんだ。


 色々と探ってみたものの、あの少女があいつであることを誤魔化したがるような理由は特に見つからなかった。

 昔と似たような、それでも随分と甘い嫌がらせをしても反応は昔同様なかった、ただ友人だという奴等が怒っていただけで。

 その友人達に何かあるのではと思ってそちらに突っかかってみたものの、そいつらからはあいつを元聖女として扱っているような気配もなければ、あいつを何か利用しているような感じもない。

 友人を貶されればキレて杖を抜いてくるような、野蛮で普通に友人思いの少女達だった。

 なんでお前にそんな真っ当な友達なんかができているんだよ。

 その友人達との乱闘になった際に、話を聞きつけたらしいあいつが駆けつけてきた。

 煽るようにが「随分とオトモダチに大事にされてんなあ、得体の知れないクソ女が」と言ってみたら、鋼の杭が飛んできた。

 わざと外したのだろう、それでもギリギリ当たるかどうかの瀬戸際のところを撃ち抜かれた。

 思わずその場で立ち尽くした。

 あいつが、俺に攻撃魔法を向けた????

 意味が、わからない。

 だってお前は、こっちが何をしようとそんなこと絶対にしなかったのに。

 吐くまで殴っても、殺そうとしても、何一つお前は、何も。

 そんなに大事だというのか、そのお友達とやらが。

 呆けている間に騒ぎを聞きつけた寮長と雇い主、それと四騎士のその他が駆けつけてきた。

 あいつの友人達は寮長のよくわからないリボンでぐるぐる巻きにされていた、俺は雇い主達に身柄を取り押さえられその場から強制的に離れさせられた。

 何故あんな問題を起こしたのかと問い詰められた、そもそも何故あいつに突っかかるような真似をするのかとも。

 全て無視した、まともに取り合う気はなかった。

 あいつが先代の聖女であるらしいことを誰かに言う気はなかった。

 今のあいつは鋼魔法しか使えない、利用価値なんてほぼない。

 それでも元聖女だからと汚い大人達があれを利用しようとする可能性はあった。

 だから何も言わなかった。

 あの少女があいつであると確定したとしても、それを誰かに言う気はない。

 誰かに利用されてたまるか、あれは俺のだ。

 だから「別に」とか「ムカつくから」とだけ返していたら、心底呆れられた。

 それから少しして、青い顔の雇い主に「もうティールさんに嫌がらせするのはおやめなさい」と言われた。

 なんでも謝罪どころか反省する気もない俺の代わりに雇い主と四騎士のその他があいつに謝罪したらしい。

 そしたらこんな返答が返ってきたそうだ。

 『もしも彼女が私の大事なもの、私の友人達やニグルム寮生、寮長に傷を負わせようというのなら……その時は彼女の綺麗な体が穴だらけになっても問題ありませんよね?』

 『彼女は聖女様の護衛ですから簡単に死なないくらい強いのでしょうし……そもそも死にさえしなければなんの証拠も残らないくらい綺麗に治していただけるのでしょう? ねえ、聖女様』

 ニコニコとわざとらしい、あからさますぎる作り笑いをしながら、あいつはそんな物騒なことを聖女その他共に言い放ったらしい。

 あまりにも物騒すぎる。

 俺を脅すために大嘘をついているんじゃないかと思ったが、全員本気で怯えていた。

 雇い主その他が青い顔でプルプル震えている。これが演技だったら凄すぎるし、こいつらにそんな演技力が備わっていないことはよく知っている。

「ニグルム寮生怖すぎる」「あれは本気の顔だった」「目がマジだった、怖すぎる」と四騎士のその他が怯えている。

「ジル……いえ、アダマス。あなたが彼女のことを気に食わないと思っていること、数々の嫌がらせに関する反省をちっともしていないことも理解していますわ。ですが、今後一切そのような嫌がらせはおやめなさい。聖女命令ですわ。……わたくし、穴だらけにされたあなたの身体とか、みたくないんですのよ……!!」

 青白い顔の雇い主に縋り付くようにそう言われて、頭が痛くなってきた。

 何がどうしてどうなればお前がそんな物騒なことを言うようになるんだ、いったい何があったんだお前の身に。

 俺がどれだけ痛めつけても、何も言わなかったくせに。


 それからしばらく、あいつには近寄ることさえできなかった。

 近寄ろうとすれば雇い主や四騎士のその他が俺を引き剥がしにかかり、あいつの友人達がうら若い乙女がしてはならない顔で威嚇してきた。

 雇い主と四騎士のその他に青い顔で「だからつっかかるなって言ってるだろう」と止められ続けて、一月ほど。

 その辺りでようやく寮内での雇い主の拘束が緩くなってきたので、どうせ訓練場だろうと寮の庭園を歩いている時に、俺はそれに遭遇した。

「うげ……」

 訓練場付近の少し開けたところ、若干目につきにくい場所ではあったとはいえ、その存在感は圧倒的すぎた、あと普通に臭い。

 こちらの声に耳聡く気付いたのか、大きなノコギリでドラゴンを解体していたその男子生徒が顔を上げて晴れやかな笑みを浮かべた。

 その男子生徒はドラゴン内臓愛好クラブ部長とかいう意味不明なあだ名で呼ばれている生徒だった。

 なんでも由緒正しきドラゴン殺しの家系の生まれらしいが、そんな彼の趣味はドラゴンの討伐、ではなく討伐したドラゴンの解体だった。

 特に内臓の中を見るのが好きらしい、気が狂っていると思う。

 ちなみにクラブ部長と呼ばれているのは中等部入学初日に『ドラゴン内臓愛好クラブ』を設立したいと学園長に直談判にいったことが由来だそうだ。

 頭おかしい奴しかいないのだろうか、この寮は。

 様子をちらりと伺うと、ドラゴンの解体はかなり進んでいるようだった。

 肉や皮、内臓や骨が几帳面に地面に並べられている。

「おや、護衛の君ではないか!! こんなところで何をしているんだい!」

 護衛の君って、どういう呼び名だよそれ。

 無視しようかとも思ったが、もしも血まみれのそいつに「どこに行くんだい、無視しないでおくれ」とか言われながら追い回されたら嫌だなと思ったので、仕方なく答える。

「別に。散歩」

「おや、護衛の君も散歩が趣味なのか! ここは危険なものがたくさんあるから気をつけたまえ」

「その危険の代表その一みたいなやつに言われてもな……」

 そう言いつつ立ち去ろうとして、それに気付いてしまった。

 並べられた解体済みのドラゴンの奥、随分と離れた場所にひっそりと安置されているもの。

 腕もない、溶けかけの死体。

 その死体に、柔らかく上質そうな布がかけられる。

「おっとすまない。流石に配慮が足りていなかった」

「……それ、人間か」

 そう問いかけると、男子生徒は無言で頷いた。

 現代でも、ドラゴンによる被害は少なくない。

 大昔に比べるとだいぶマシになったらしいが、それでも「ドラゴンに殺された」という死因は珍しくもなんともない。

 ドラゴンはなんでも食う、魔物も同族も、当然人間も。

「なあ……なんでお前、そんなことしているんだ?」

 聞く気もなかったのに、いつのまにかそんなふうに聞いていた。

「趣味だよ」

「溶けた人間の死体をドラゴンの胃の中から見つけるのが?」

 そう問いかけると、睨まれた。

 しかしおそらくそう言われ慣れていたのだろう、彼はすぐに表情を和らげた。

「そう思われても仕方がないだろうが、違うんだ。吾輩はただドラゴンの内臓をあらためるのが趣味なだけ。その中に混じっている人間の姿を見たいわけではない、というかみたくもない」

「なら、なんで」

「だからただの趣味なのだよ。……胃の中から巨大な猪とか丸呑みにされたコカトリスなどを見つけると、とても感動する」

 恍惚とした表情で彼はそう言った、何を言っているのか正直よくわからない。

「悪趣味だな」

「悪趣味だとも、自分でもわかっているさ」

 彼はそう言って自嘲気味に笑った後、静かな声でこう続けた。

「子供の頃は純粋にドラゴンの中を見てはしゃいでいたんだ。……けれどある日、その中に人がいた。その時初めて恐ろしくなったよ、自分はとんでもないことをしていたんだ、とね。……そしてその時こう思った、それまで適当に切り開いたドラゴンの腹の中に、本当に誰もいなかったのか、と。……とても後悔したよ、もっと注意深く見ていればと自分で自分を呪った」

 懺悔するような声だった、ちょっとした世間話のつもりで何故自分はこんな話を聞かされているのだろうかと思った。

「だからこそ、吾輩はこう決意した。すべてのドラゴンの腹を切り開き、その犠牲となった者全てを見つけると……それがあの幼い日々に見逃してしまったかもしれない人々へのせめてもの罪滅ぼしだ」

 罪滅ぼしだとそう言った後、彼は情けなさそうな笑みを浮かべる。

「……なんて格好つけてはみたものの本当に半分は趣味なんだ、不謹慎だとわかっていても、どうしても好奇心と興奮を抑えることはできなくてね」

 そういう彼と、一瞬だけ見えた溶けかけの女の遺体に一つの可能性を思いつく。

 そういえば、魔物の腹の中までは探していなかった、と。

「一つ聞いていい?」

「なんだね?」

「……お前が見つけたその犠牲者の中に、虹色の髪の女はいたか?」

 そう問いかけると、彼は自分の顔を見て目を見開いた。

 しかしすぐに、首を横に振る。

「いや、そんな特徴の人物はいなかった。いたらとっくに……伝えているとも」

 そう答えた彼の声にはこちらを本気で慮っているような気配を感じた。

 多分この男は、本気で気色が悪い趣味をしているけれども悪人ではないのだろうと思った。


 男子生徒と別れた後、訓練場に行く気がすっかり消えてしまったので寮に戻った。

 廊下を歩いている最中に異変に気付いた。

 窓の外が真っ暗だった、明るかったはずの廊下は薄暗く、うっすらと腐臭が漂っている。

 ぬるりと背後から何かが身体に触れる、腐臭がさらに強くなる。

 視線を右に向けると、緑色の腐った人間の掌が、自分の肩を掴んでいた。

 特に気にせず振り払う、いつのまにかあちこちから緑色のゾンビが湧き出して自分にゆっくりと歩み寄ってくるが、気にせず前方、薄く魔力を感じるそこの声をかけた。

「こんなくだらない幻術が俺に通用するとでも?」

「まったくおどろかないのね……つまんない」

 声と共に小柄な女生徒が姿を現した。

 確か一人お化け屋敷とか呼ばれている女生徒だ、ホラーが大好きで人を驚かせるのも大好き、そいつの趣味はお得意の恐怖魔法で人をびびらせることであるらしい。

 趣味が悪い奴しかいないのか、この寮は。

「せいじょさまは、とってもすてきなひめいをあげてくれたのに」

 不満そうにその女生徒は言った、そういえばいつだったか「骸骨の群れに囲まれたのですわ、いくら殴ってバラバラにしても、ケラケラ笑いながら元通りに組み上がって」みたいなことを言いながらガクガク震えていた気がする、多分犯人はこいつなんだろう。

「はん、そうかい。これでも俺は聖女の護衛だ。たかが学生のこんなチンケな幻術なんかにビビるわけねぇだろうがバーカ」

 そう言うと、女生徒はぴくりと眉根を上げた。

 怒っているらしい、ただその怒っている本人の顔が随分と幼く可愛らしい見た目をしているので、全く怖くもなんともない。

「しゅぎにはんするけど、そこまでいわれてなにもしないわけにはいかない。わがきゅうきょくのきょうふまほう、くらうがいい……!!」

 そう言いながら女生徒は身の丈に全くあっていない長い杖を振り回した。

「はっ、何が究極の恐怖魔法だ、んなもん効くかよ」

 そう鼻で笑った直後、女生徒の姿が消える。

 そして現れたのは、少女の死体だった。

 あいつの死体だった。

 あの時の、消えた時と同じ笑顔を浮かべたあいつの死体。

 両腕と両脚が引きちぎられた、あいつの――

「は?」

 周囲を見渡す、あいつの死体があたり一面に落ちていた。

 両方の目玉から気色の悪い花を咲かせ全身が植物に覆われたあいつの死体、水死体のようにぶくぶくに醜く膨れたあいつの死体、黒焦げに焼け爛れたあいつの死体、溶けかけのあいつの死体、破れた内臓からいくつもの内臓を溢れさせた右腕のないあいつの死体、凌辱され首に手の跡がくっきりと残ったあいつの死体、死体、死体、死体、死体死体死体死体死体死体死体死体死体。

 その全てが、あの時の笑顔を浮かべている。

 声は出なかった、ただその場で立ちすくんだ。

「そのまほうは、かけたたいしょうがもっともおそろしいとおもったものをうつしだす」

 舌足らずの幼い声が遠くから聞こえてきた。

 一面にあいつの死体、その全てに覚えがある。

 そうなっていてもおかしくなかったのだ、ここにある全てが。

 死体が、死体、どこを見ても死体、その全てが笑っている。

 声は出てこなかった、息ができなくなって、その場で倒れるようにしゃがみ込んだ。

 数分か、数時間か。

 気がついた時には笑顔の死体は全て消えていた。

 あの小柄な女生徒の姿もない。

 脅すだけ脅して満足したのだろう。

 いつか半殺しにしてやろうと思った、あんな悪趣味なものを見せやがったあの女には。

 今はいい、今はもう何も考えたくない、誰の顔も見たくない。

 だからそのまま部屋に戻って、ベッドの上に倒れ込んだ。

 一睡もできなかった。


 翌朝、窓の外が明るくなってしばらく経ったので起き上がる。

 一眠りもできなかった。寝たらきっと夢を見るから、寝たくなかった。

 少し頭が痛い、慣れているからどうでもいい、一睡もできない日なんて今までいくらでもあった。

 笑顔の死体まみれの光景がまだ脳から消えてくれない。

 顔を見れば少しはマシになるだろうか、本人なのかもよくわからないが、あいつと同じ顔の少女の顔を。

 生きているあいつの顔を見れば、少しはマシになるだろうか。

 起き上がって、部屋から出た。

 雇い主が逆立ちで廊下を歩いていた。

 見間違えかと思った、見間違えじゃなかった、あの色を見間違えるわけがない。

「あら、ジル。おはようございます」

 雇い主は平然と朝の挨拶をしてきた、とうとうこの雇い主の頭は本格的におかしくなってしまったらしい。

 本気で悲鳴をあげていた、大絶叫とはこういうのをいうのだろう。

 今、自分は何をみている?????????

 雇い主が、今代の聖女が、平然とした顔で、逆立ちで、歩いていた。

 またあの女生徒が妙な術を俺にかけたのか、それともあの女生徒以外の何かが原因か?

「何事ですか、今の悲鳴は」

 制服ではなく黒いパーカーを着たあいつがひょっこりと姿を現して、こちらに寄ってきた。

 そして廊下を逆立ちで歩きつつ「意外と難しですわね」とかなんとか言っている雇い主を見て、困惑した。

 あまり顔色は変わっていなかったが多分困惑していた。

「ええと聖女様、何をしていらっしゃるのでしょうか?」

「腕力を鍛えているのですわ!」

 馬鹿みたいに張りのある声で雇い主はそう答えた。

 あいつが雇い主から話を聞き出したところ、なんでも毎朝階段を逆立ちで爆走してる例の不審上級生の影響を受けたらしい。

 なんであんな不審者の影響なんざ受けているんだうちの雇い主は。

 この寮に所属すると狂うしかないのだろうか、俺もそのうち狂うのだろうか、頭がおかしくなるのだろうか。

 恐ろしすぎる。

「何か落ちているかもしれないので、一応グローブとかしといたほうがいいんじゃないでしょうか?」

 戦々恐々としているのはこの場において俺一人だけだった、いつのまにか困惑を引っ込めたあいつが雇い主にズレたアドバイスをおくっている。

「問題ありませんわ。わたくしは聖女、どんな傷を負ってもすぐに治せます」

「なるほど」

 聖女の力をそんなことに使うなよ、四騎士その他が泣くぞ。

 あとお前は「なるほど」じゃねぇんだよ、どんな傷でも基本自力で治してたから出てきた「なるほど」なのかそれ。

「そういえばお出かけですの? あなたが制服以外を着ているところ、初めて見ましたわ」

「ええ、ちょっくらゲーセンに行こうと思いまして」

 逆立ちしたままの雇い主にあいつはそう答えた。

 なんて言った? 『ちょっくら』、『ゲーセンに』って言った????????

 こいつがゲーセン? ゲーセンってゲームセンターの略の? なんで??????

 あまりにも似合わなすぎる、あいつの口からは絶対に出てきようのない言葉だった。

 こいつ本当にあいつじゃないのか?? マジでただの他人の空似????

 これまでの反応的に絶対に本人でしかないのに??????

「ゲーセン、噂には聞いたことがありますが実は一回も行ったことがありませんの。この辺りにもあるのなら、今度実家の妹も呼んで行ってみようかしら、とっても楽しいところなのですわよね?」

 俺が悶々と考え込んでいることに全く気付いちゃいない雇い主はやたらと明るい声でそう言った。

「ええ。……たまに治安悪めな方がいる時もありますが、護衛の方がいれば問題ないでしょう」

 たまに治安悪めな輩がいるのを知っている程度に通っているということか? この無感情な化物人形が?????

 俺は今、悪夢でも見ているのだろうか。

「それではご機嫌よう。ジル、あなたは何もせず黙って部屋に引きこもっていなさいな、聖女命令ですわよ」

 雇い主ははそう言って軽やかに去っていった、もちろん逆立ちのままで。

 頬を引っ張ってみた、普通に痛かった。

 夢なら醒めてほしい、雇い主が逆立ちのまま軽やかに去っていったあんな光景、現実であってほしくない。

 雇い主を見送ったあいつが「では」と一礼して何事もなかったかのように立ち去ろうとしたので引き留める。

 そういえば近くで顔を見るのも会話をするのもしばらくぶりだった。

 見れば見るほどあいつにしか見えないその少女に問いかける。

「お前が、ゲーセン?」

「ええ、何かおかしいでしょうか」

 何もおかしなことなんてないとでも言いたげな雰囲気でそう答えられたが、何もかもがおかしいだろうが。

「………………お前ほどゲーセンが似合わない奴はそんなにいないと思うけど」

「そうでしょうかね?」

 かろうじてこちらが絞り出した言葉にあいつはそう言って首を傾げた。

 確信がまた揺らぐ、今目の前にいるこれは一体誰だ?

 俺はひょっとして、最初から狂っていたのか?

 今目の前にいるこいつはあいつではなくて、頭がおかしくなった俺が一人で勝手に赤の他人をあいつだと思い込んでいるだけなのか?

 そんなはずがない、ほぼ縋り付くような形でそれを否定する。

「おかしい、お前がゲーセンとか、おかしすぎる。そもそも何もかもがおかしすぎる。狂ってんのか……お前も、雇い主も、この寮も……」

 頭がぐるぐるする、様々なものが脳裏をよぎる。

 目の前のよく知っているはずの少女、笑顔の死体の山、溶けかけの女の死体、逆立ちで軽やかに去っていった聖女、ゲーセン、こちらを突き飛ばしたあいつの笑顔。

 視界が歪む、また変な幻覚か、と思っていたら目から何かが頬を伝う。

 伝っていたのは透明な液体。

 いつのまにか、泣いていた。

「…………あ?」

 自覚してからはさらに酷かった、涙が溢れて止まらなくなる。

 壊れた蛇口のようとでも表現されるほどだった、ガキの頃でもここまで泣いた記憶はない。

「は? なんで俺、泣いて……」

 意味がわからない、なんで俺は今泣いている?

 頭おかしいことがありすぎたからか? そういや変身の魔法道具の副作用で情緒が不安定になるとか言われていた気がする、そのせいか?

 涙のせいで視界が歪んでうまく見えない。

 それでもその歪んだ視界の中でそいつがのろのろと、こっそりその場から離れて行こうとしたのは気付けた。

「逃げんな」

 手を掴む、涙のせいであいつの顔がよくわからない。

「あのトープさん、護衛対象の聖女様がある日突然逆立ち状態で軽やかに歩いてたらびっくりするでしょうし、意味不明すぎて泣いてしまうのもわかります。……誰にも言いふらしたりしないので手を離していただけないでしょうか」

 直前の雇い主の逆立ちもまあ酷かったが最後にトドメになったのはお前のゲーセンだがな。

 そのわけのわからなさが最後の一押しになった、それさえなければ多分ここまで泣いてない。

 大体なんでこの無感情化物人形がゲーセンになんて行くんだ。

 前連れてった時も無反応だったし、菓子を掬って落とすやつやらせてみたら笑えないくらいド下手だったのに。

 何故そんな奴がゲーセンになんて。

 ……こいつが、一人でゲーセンになんて行くわけない。

「うるさい……誰と行く気だゲーセンになんて」

 すぐに思いついたのがこいつの友人、けれどそれよりももっと最悪な可能性も思いつく。

「何? 男? 男と行くんだなそれでいかがわしいことでもする気なのか答えろよ」

「一人で行きますし、なんでゲーセン行くだけでいかがわしいとかいう単語が出てくるのですかね……」

 顔はよく見えなかったがその声には困惑が感じ取れた。

「なんでお前が一人でゲーセンなんて行くんだよ……!!」

「別に私が一人でゲーセン行ってもあなたには何も関係なくないですか?」

 困惑と呆れ、しかしそれよりも圧倒的に「面倒臭い」という気がこもった声だった。

 お前が面倒がるわけないだろう、俺にどれだけ殴られようとどこまで連れ回されようとおとなしくされるがままだったお前が。

 その時パッと手を振り解かれた、女の身体の力は弱い、そのせいでかなり呆気なく。

 俺の手をお前が振り払うことなんて、最後のあの時以外なかったのに。

「すみませんが、あなたの相手をしている時間はないのでここで失礼させていただきます。……泣いている女の子を放置して遊びにいくのはなんだか非情な気もしますが……あなたの場合は下手に慰めるよりも一人にしてあげた方が良さそうな気がしますし」

 そう言って、そいつは「それでは」と軽く頭を下げた後、俺をおいて普通に歩いていってしまった。

 非情すぎる、非情すぎてあの頃のお前みたいだ。

 無言でその後をついていくと、気配に気付いたあいつが振り返った。

「おれもついてく」

「先ほど聖女様に部屋に引きこもってろって言われてませんでした?」

「あんな頭おかしい雇い主のいうことなんかもう知るか」

 ヤケクソでそう言った頃には涙は止まっていた。

 顔を片手で拭いた後、もう一度あいつの手を掴む。

 次振り払われても何度でもしつこく掴み取ってやる。

 あいつはもう一度こちらの手を払おうとしたが、どれだけやってもこちらがそちらを離す気がないのを察したのだろう、仕方ないとでも言いたげなわざとらしい溜息をついた。


 いつも手を引く側だったから、手を引かれる側になるのはかなり新鮮だった。

 手を引かなければまともに動かない時だってあったのに、そんなあいつが一人で勝手にどこかに行くようになったのか。

 街に出て少し歩いた後、大きめの商業施設に着いた。

 あいつはその中を迷いのない足取りで進み、ゲーセンに辿り着く。

「両替するんで手離してくださいな」

 そう言われたので渋々手を離す。

 あいつは両替機に十数枚の札を突っ込んで硬貨に変えた。

「……どれだけ金使う気だよ」

「さあ、どの程度で済むのか、という感じですね」

 というか何をする気なんだ。

 あいつにそのままついていくと、あいつはクレーンゲームの前で立ち止まり、そして中身を確認する。

「クレーンゲーム……?」

 あまりにも似つかわしくないチョイスだった、いや、急に音ゲーを最高難易度でプレイし始めるとかよりもまだマシだが。

 筐体の中を見ると中に入っているのはぬいぐるみだった。

 こいつが、ぬいぐるみのクレーンゲームを?

 よくわからん萌え系とかイケメン系のフィギュアのクレーンゲームを目の前で始められるよりもまだマシだが、何故ぬいぐるみを?

 途中にあったクソデカ菓子の方がまだそれっぽい気がする。

「ええ。時間かかると思うので好きに遊んでてください、というかここで解散ということで」

 解散するわけねぇだろう、と言う前にあいつはなんの躊躇いもなく硬貨を投入口に入れ、クレーンを操作し始めた。

 ものすごく、すごく下手くそだった。

 見てるだけで嫌になるというか、頭が痛くなってくるような感じの酷さだった。

 最初はただなんでもいいから取りたいのかと思っていたが、黒いてるてる坊主みたいなぬいぐるみしか狙っていないことに途中で気付く。

「あ、ああ……」

 十数回目でかろうじて取れそうな雰囲気だったのだが、失敗した。

 お前、そんな悲痛な声出せんのかよ。

 その後もあいつは硬貨を筐体に飲ませ続ける。

 多分取れるまでそうする気なんだろう。大量に両替していたのは失敗しまくるのがわかっていたからだったんだろう。

「お前、そんなのほしいの?」

「ええ」

 聞いてみたらあっさり肯定された。

 あの頃は何一つ欲しがらなかったくせに。

 何も欲しがらない、何も望まない、何をされても動じない、そう言うお前が大嫌いだった。

 大嫌いだったからどうにかして変えようと色々試してみたが、結局最後までどうにもならなかった。

 それなのにお前は勝手に何かを欲しがるようになったんだな、俺がいないところでいつのまにかそんなに変わっていやがった。

 ああ、本当に腹が立つ。

 それから数回やっても失敗した。

 それでも懲りずに続けているそいつの顔を見続けるのも暇になってきたので、口を開く。

「てか、それなに?」

「ヤミボウズのぬいぐるみです」

 見たことがないのだから当然なのだろうが、全く知らない名前だった。

 どこかで聞いた覚えもない。

「やみぼうず……知らんキャラクターだ」

「そうですか、ご存知ありませんか……プッチモンって知ってます?」

「ああ、これプッチモンか」

 割と世界的に有名なゲームの名前を出されてやっとそれかと思い当たる。

 というかなんでお前が知っているんだよプッチモンを、無縁だっただろそういうの。

「そういや一緒に入ってる黄色いの、どっかでみたことあると思ってたけど……お前が取ろうとしてんのは見たことねえや」

「ヤミボウズは滅多にグッズ化しませんからね。黄色いのは有名ですし、よくグッズ化するんですけど」

 なんて言いながら、あいつはまたアームの操作に失敗した。

 それからしばらくたった頃、ようやくアームがぬいぐるみをしっかり掴んで落とし口に落とした。

 あいつは俊敏な動きでぬいぐるみを回収する。

「ふふ……」

 やっと取れたぬいぐるみを見て、あいつは笑った。

 それに頭を鈍器で殴られたような衝撃を受ける。

 笑っている、年相応の普通の女の子みたいな顔で。

 あの時、消える直前に見せた笑みとも違う、極々普通の笑顔。

「…………お前、そんな顔で笑えたんだな」

 そんな顔で笑えるような人間だったのなら、人並みに笑って喜べるような人間だったのなら、どうしてお前はああだったんだ。

 化物だったお前を誰がそこまで変えた?

 俺のやり方はそんなに間違っていたのか、何が駄目だったと言うんだ、最初から? 何もかも?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ